
2019.09.17Vol.414 not 高木さん but 君嶋さん
帰国後1週間経ったが、未だヨーロッパのことが頭から離れない。半年後、塾の1週間の春休みを利用して長男と二人旅に出ることで落ち着いた。“落ち着いた”というのは、“決着した”という意味でもあり、文字通り私の心が少し“落ち着いた”という意味でもある。しかし、それも束の間、次は旅先選びが待っている。初めてヨーロッパに行く長男にとっては王道のフランス、イタリア、スペインのどこかがいいのだろうが、個人的にはドイツに行きたい。心のざわつきはしばらく収まりそうにないようである。
スロバキアで泊まったペンションのオーナーから、チェックアウト後に“SWIFT code”も含めて口座情報を知らせてくれ、というメールが来た。現金で払ってもらえると嬉しいとのことであったため、予約した時にカードで払っていた分の返金をしてもらわなければいけなかったからだ。恥ずかしながらその言葉を知らなかったので調べなればいけなかった。要は、日本における銀行コードの国際版である。海外送金する際にはそれが必要なのだ。その後、列車での移動中、私は「おおっ」と声を上げ、妻に「ここ、ここ」と興奮しながら、開いていたページのある部分を指さして見せたのだが私の喜びはほとんど伝わらず。そう、そこには“SWIFT code”という言葉が出てきていたのだ。その時に読んでいたのはサスペンスで、日本の口座に振り込ませた身代金を海外の口座に移すことで日本の警察が追跡しづらくする、というようなことが書かれていた。ここまでタイムリーなことは中々ないものの、そういうことがあるのも読書の楽しさの1つである。
夏期講習中、寝る前に少しぐらいは読書と思って手にしてみるものの、すぐに眠りについてしまうことがほとんどであった。なお、夏期講習中は仕事前に汗をかきたくない、冬休みは風邪を引くわけにはいかない、との理由で、その間だけは車通勤になるのも読書量が落ちる大きな要因である。今回の旅行中読みかけだったものも合わせると、5冊読めた。悪くない数字である。帰国後、世界史関連のものを中心に10冊ぐらいは購入したので、できればこの1か月ぐらいで読破してしまいたい。
昨晩読んでいたのは池井戸潤の『ノーサイド・ゲーム』である。印象に残った場面をいくつか紹介して終わりにする。
1つ目。
「アストロズの宣伝のために街頭でチラシ配りでもするか?いや、そんなものは意味がない。ただスタジアムが埋まればいいというわけではないんだ。」
君嶋は断じた。「重要なのは、我々が見てもらいたい人に来てもらうことじゃないか。じゃあ、誰に観てもらいたい」
これは、思ったように生徒が増えないときに何度も何度も考えたことである。そして、その度にターゲットを広げるのではなく、本来のターゲットへの的中率を上げることが大事だ、と自分に言い聞かせていた。不変の答えを用意した上で自問していた。この夏期講習中、何がきっかけで生徒たちとそのようなやり取りをしたのかは忘れてしまったが、「俺は、生徒が少ない頃から夏期講習だけの生徒を受け入れてこなかった」という話をした。おそらく5人でも10人でも受け入れられる余裕はあったのだが(実際は毎年3人ぐらいしか問い合わせはなかった気がするが)、そんなことに時間を割きたくなかった。それこそ、読書の方が、よほど意味があったはずである。私と接している生徒、今後接する生徒にとってである。そして、私自身にとっても。
2つ目。
最初に君嶋がラグビー経験がないといったせいか、高木はそんな素人扱いする発言を繰り返した。ノーサイドの精神とか、ワンフォーオール・オールフォーワンとか、横浜駅まで迎えにいって食事をし、グラウンドやクラブハウスを見せている間中、高木はずっと話し続けている。話し好きの男なのだろう。だが、話す内容がくどい。こいつはきっとバカなんだろうと、話すうち君嶋は思った。有名選手が監督をやって成功する例はあると思うが、たいていの場合、名選手必ずしも名監督ならずだ。選手なら競技勘とか運動神経でなんとかなるが、監督はそれを言語化し規律化する必要がある。そのぐらいのことは君嶋でもわかるので、この高木がそれをやったときの選手たちのウンザリした顔が思い浮かんだ。おそらく、自分もまたうんざりするだろう。
話し好きだと思われているので、「高木さん」と呼ばれないように気をつけなければ。
3つ目。
多英は、吹いてくる初夏を思わせる風に気持ちよさそうに首を竦めている。「この改革は、シロウトの君嶋さんだからこそできたことです。ラグビーはシロウトだけど、君嶋さんは組織のプロですよ。」「プロとか、そんなことは関係ない」君嶋はいった。「大事なのは、どうあるべきかを正しく判断することだ。誰でもわかる当たり前のことなんだよ」しばしの沈黙の後、多英はこたえた。「だけど、その当たり前のことが難しい。それがわかるのは、君嶋さんの才能だと思います」
「もしかして、あの君嶋さんですか?」と尋ねられれば、「あくまでも別名ですけどね」と答えよう。