
2019.08.20Vol.411 ひとつのニュースいろいろな視点
今朝、「内定辞退率 リクルートも利用」というタイトルのネットニュースが目に飛び込んできた。そりゃそうだろう、といったところである。逆に、利用していない方が不思議である。以下、時事通信社からの引用である。
就職情報サイト「リクナビ」を運営するリクルートキャリア(東京)が学生の「内定辞退率」の予測データを企業に販売していた問題で、同社は19日、親会社のリクルートホールディングス(HD)と自社でもこのデータを利用していたことを明らかにした。リクルートキャリアは「採用の合否判定にデータは使っておらず、すでに廃棄した」(広報)と説明している。
内定辞退率は、学生によるリクナビのサイト上の閲覧履歴などを、人工知能(AI)で解析して予測。リクルートキャリアは、合否判定に使わない条件で38社に販売した。
詳しく調べたわけではないが、前年度までの内定を辞退した人の閲覧履歴の傾向と照らし合わせて、今年の辞退者を予測できるようにしているのだ。このことがニュースとして初めて取り上げられたのは1か月ぐらい前だろうか。そのときは「『合否判定に使わない』とかありえへんやん」となったが、その後「意外とその用途では使われていないかもしれない(少なくとも、それがメインの用途ではない)」となった。うまく引き留めるために利用されているのでないだろうか、と。まず一転。バブルの頃、内定者を長期の旅行などに連れて行き、他社の選考を受けられないようにしていた、という話がある。今、そのようなことをするのは難しいので、辞退しそうな学生にどのような対策を取っているのか興味がある。そのうちに、それも表に出てくるのだろうか。
ややこしいことを言うようだが、この文章を書きながら、やはり「合否判定に使う」ためか、という気がしてきた。ここで二転。なぜ、このように二転三転するかと言えば、視点が変わるからだ。今の私の立場で言えば、志高塾が好きです、という人より、優秀な人を採りたい。もちろん、我々がどのようなことをしているかを理解してもらっている必要はあるが、好きになるのは仕事を始めてからで構わない。私は、こういうことをよく恋愛に例える。要は、自分のことを好きでいてくれる人より、自分が好きな人と付き合う方が良い、というのと同じということである。この前、あるお母様と教室で話しているとき、いつものように恋愛に例えていたら、横で聞いていた別のお母様が大爆笑していた。その顔で恋愛を語るな、と言うことなのだ。「すみませーん。男性雑誌で読んだことを、さも自分で経験したかのように語ってしまって」とその場で謝罪した。話を戻す。大企業の人事部門の立場になったら、ものの見方は変わってくる。営業部門と違い、売上を上げられるわけではない。人事部門にとって、新卒採用というのは、1年に1回数字で表れる結果を残すチャンスである。上が勝手に決めた予定の人数をクリアすることが一番の目標になる。内定を多く出しすぎて予定よりたくさん入社しても困るし、逆に絞りすぎてそれに満たないのも困る。航空会社であれば、直前のキャンセルを見込んで、座席数より多くの予約を受け付けている。過去の実績から適切なオーバーブッキングの数を割り出しているのだ。「内定辞退率」のデータがもらえれば、それと近いことができる。
こういうのを見るたびに「やっぱり俺は大企業では働けないな」となる。仮にデータを提供する側であった場合、「合否判定に使わない」ということを条件に付けているから自分は悪いことはしていない、とはならないし、提供される側であった場合、あくまでも参考データに過ぎない、などとはならない。38社に提供したことは発表されているが、現状自ら名乗り出ている企業は12社であり、その3分の1に満たない。その事実が、データがどのような扱われ方をしているか如実に物語っている。甘ちゃん、と言われてしまえばそこまでなのだが、そういうことが嫌いなのだ。大企業には大企業の論理がある。頭では分かっていても、心が受け付けない。
最後に、大学生の講師にも生徒にも、将来就職活動をする際にこのようなものに接したら、腹を立てて終わるのではなく、「社会ってそういうもんだよな」と冷静に現実を受け止め、どのような人が求められるかを理解した上で、できる限り自分らしく振舞って内定を勝ち取って欲しい。その段になって、どのように装うかを考えても手遅れなので、それ以前に人間を磨いている必要がある。志高塾でやっていることはそれに大いに役立つはずです。小泉進次郎議員が婚約発表の際「彼女といるときだけは鎧を脱ぐことができる」というようなことを語っていた。彼のようにクリーンに見える人間でも、政治という世界で生き残り、結果を出していくためにはきれいごとだけでは済まない。鎧をまとって防備をしなければ、目標を達成できない業界も少なくないのだ。
冒頭「ネットニュースが目に飛び込んできた」と表現した。何のことはない。当日の朝になっても、テーマが決まっていなかったから「これで行くしかない」となったのだ。夏期講習が始まって最初の1, 2週は「さっ、やるぞ」と気合十分だったので、頭が活発に働きテーマがいろいろ浮かび「どれにしよう」という感じだったのが、昨晩は「どうしよう」となっていた。それだけこの夏は頑張ったということである。鎧をまとっていない私でも、これだけ授業をすればそれなりに疲れる。