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2019.06.18Vol.402 中二病と五月病

 中二病と五月病。いずれも私には馴染みの薄い言葉であり、それらについて考えたことなどなかった。思考を巡らせるきっかけになったのは、今回の面談を終えて、中高一貫に通う中2の生徒のモチベーションを保つのは難しいな、と感じたから。これまでも中2の生徒をそれなりに見てきたにも関わらず、なぜこのタイミングなのかと言えば、私自身が初めて彼らを一つのまとまりとして捉えたからである。これまでは個別の事案であった。現在の中2から志高塾における潮目が変わった。以前は、中学受験を終えたら10人中3人ぐらいしか継続しなかったのが、それが逆転して7人が残るようになったのだ。3か月前までは、彼らだけの偶発的な現象という理解だったのだが、今春、中1でもほとんど同じことが起こったのだ。それが「潮目が変わった」と表現している理由である。
 中学受験直前の授業時間や授業追加のすべての要望にスムーズに対応するため、小学生に関してのみ一学年の上限を15人としてきた。多くても各学年7, 8人、大抵は5人前後でしかない中高生については考慮する必要がなかったのだが、中2は13人、中1は14人もいるのだ。一つの教室当たりの生徒数の上限を引き上げる気はないので、このまま行けば小学生の上限を15人から12人ぐらいに絞らなければいけない。全体に占める中高生の割合が高くなって来ているからだ。そして、私はそういう日が来ることを望んでいる。中高生に、その後の人生に生きるような、自分と向き合う機会を少しでも多く作ってあげたい。それこそが、私がやりたいことである。単なる希望でしかなかったものが、少し現実になりつつある。
 冒頭でモチベーションについて触れたが、それは勉強に関して、である。親御様と面談しながら生徒個々の目標などを設定し、それを本人に落とし込むまでが私の役割である。もちろん、中2にもなって大人が勝手に決めるというのもおかしな話なので生徒自身と話し合う必要がある。ただ、これに関しては、何の前触れもなく勝手に決定したものはなく、日頃から「もう少しシャキッとしぃや」というようなやり取りをしていて、それを踏まえてのことである。私との付き合いを4年、5年と重ねている生徒も少なくないため、ある程度スムーズに事は運んでいく。
 中2というのは、学生時代における良い意味での踊り場なのであろう。小学生の頃は、何となく決めた、決められた志望校という目標に向かって進んできた。最初の一年間はそれなりに緊張感を持って勉強をしてきたものの中学校生活にもある程度慣れた。そして、大学受験はまだまだ先である。これまでに自分がしてきたことと言うのはどういうことなのだろうか。今後、自分はどこへ向かって行くのだろうか。踊り場における思索に一区切りついたら、前よりも確かな足取りで自ら階段を上っていく。そんなことを考えていて、この時期にこそ、作文の果たす役割が大きいのではないだろうか、という結論に至った。
 小2の頃から通っている男の子のお母様が面白い話をしてくれた。もちろん、中2である。その子は数学が得意なのだが、お母様は秘かに大学生になったら志高塾で国語の講師のアルバイトをして欲しい、と考えているとのこと。初耳であった。西北では算数もやっているので、本人は、やるならそっちだなと思っているらしい。下手くそな作文を書いたときには「そんなんじゃ、ここで先生なんてできへんぞ」と叱り飛ばしてやろうか。本人にはその思いを伝えていないとのことなので「?」となるのだろうが。
 もう一人、上記の彼と同様小2の頃から通塾している同級生の男の子。中学受験をする予定であったが紆余曲折あって小6の春に公立からインターの小学校に転校した。進学塾でうまく行っていなかった当時、お父様、お母様と3人で侃々諤々の面談を重ねた。その彼は、高校から海外留学の予定であったが、前倒しでこの9月からカナダに行くことに。難しい試験にパスしたとのこと。小6の頃と比べると、彼が一番成長したのではないだろうか。彼に限っては中二病とは無縁である。その分、「中学受験のための勉強が嫌すぎる病」に罹患していたが。
身近でいろいろな子の成長を見守れるのはありがたいことである。我々が価値あるものを提供し続けてさえすれば、その数が減ることはない。
 結局、中二病と五月病の関係に触れることはなかった。私にとってはよくあることである。次回、続きを書きたければそのようにするが、過去の経験上、別の話題を扱っている可能性が高い。

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