
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.12.19社員のビジネス書紹介㉗
徳野のおすすめビジネス書
矢野耕平『ネオ・ネグレクトー外注される子どもたち』 祥伝社新書
「ネオ・ネグレクト」とは、子どもが衣食住が満ち足りた環境にいても、保護者から十分な関心を向けられていない状態を指す。貧困問題と結びつけられやすい一般的な意味の「育児放棄」と区別するために著者が生み出した言葉であり、本作が発表されたタイミングで様々なネット記事に取り上げられた。しかし、そこに寄せられた感想からは、言葉が一人歩きしている印象を受けた。都内のタワーマンションに住む共働き世帯が、具体例として頻繁に紹介されるのも仇となっている。夫婦揃って激務で、しかも自分たちの両親を頼れないとなると、子どもの安全のためにも放課後に習い事の掛け持ちをさせざるをえなくなる、という事情は何も珍しい話ではない。だが、メディアでそこだけを切り取られると、コメント欄では「金にあかせて予定を詰め込まれる子どもが可哀想」という「同情の声」が上がり、さらにそれに対して「フルタイムで働くしかない夫婦の大変さも理解するべきだ」という批判が集まるのがお決まりの流れだ。いつの間にか、話題の中心が、習い事を沢山やらせることへの是非に変わってしまっている。私はその表層的な受容のされ方にもやもやする。だから、書籍を実際に手に取ることにした。
本作で取り上げられるのは、自身のキャリアや趣味を充実させる上で子の存在を煩わしく感じて、何の方針も立てずに自習室付きの塾や全寮制の学校に責任を丸投げしようとする保護者だ。問題視するべきはそういう自己本位で、親子間のコミュニケーションを厭う大人である。彼らに振り回された子どもは対人関係において困難を抱えたまま成長する傾向が強い。そして、都内の中学受験専門塾の経営者として数多くの親子と接してきた筆者だからこそ、物質的な豊かさの陰で孤独に苛まれる子どもとその家庭にスポットライトを当てたい、という動機が生まれた。傍目からは見えにくい精神面の貧しさの実態を探るべく、いわゆる「バリキャリ」の子持ち女性だけでなく、教育虐待を経験した女性、我が子と離れて暮らす会社経営者など様々な背景を持つ人々にインタビューを行い、時には著者自身の認識の甘さや思考バイアスを客観視しながら「ネオ・ネグレクト」への解像度を高めていくような構成となっている。
さて、著者は新書という形で問題提起を行ったが、だからといって社会という大きなものに責任を求め、子どもを公的な支援に繋げることが目的ではないという。繰り返しになるが、「ネオ・ネグレクト」とは家計には余裕があることが前提であるがゆえに、外側からの把握は勿論のこと、まずは当事者が自覚するのも難しい。つまり、非常に「個人的」な問題であると言える。だからこそ、著者はあえてレッテル貼りとも取られかねない造語を世に放つことで、子育て中の人と周辺の大人が立ち止まって「では自分はあの子にきちんと向き合えているだろうか」と内省するきっかけを作ろうとしている。
私自身は、客観的に見れば、「週に1、2回通っている塾の講師」に過ぎないかもしれない。だが、一人ひとりの生徒の人となりに興味を持ち、授業に関係しない会話をしていることの意義は大きいのだと再認識した。
三浦のおすすめビジネス書
高田貴久『ロジカル・プレゼンテーション――自分の考えを効果的に伝える 戦略コンサルタントの「提案の技術」』 英治出版
前回、コンサル向けのビジネス書を読んだときにも、そして日々の生活の中でも強く感じるのは、「相手に納得してもらえる」ように話すことは難しいということだ。生徒に話している時は、時には何段階か噛み砕く工程を経て、互いに納得のいく説明に落ち着くことも珍しくない。しかしビジネスではそんな悠長なコミュニケーションではなく、的確に伝える必要がある。
「相手がどこまで理解できているかを意識する」とは以前にも読んだが、本書ではより詳細に、納得のいく提案をどうするかについて述べている。まず、「目的・論点を確かめる」ことで相手の疑問を明らかにし、「仮説・検証」の工程を経て、相手に「示唆」を与えることで疑問に答える、という一連の流れに分解している。提案の際は論理的に説明することも必要だが、そもそもの前提である「論点」を理解しているかが重要であるということだ。それはアナログ的な空気感によって判断する、というのは、デジタルだけでは推し量れない血の通ったコミュニケーションだからこそだろう。
また、提案である以上決定権は相手にあり、相手が理解できるかがすべてであるというのも、当然のことながら言葉にされると改めて腑に落ちた。相手に理解されなかったのなら、非はこちらにあるということだ。
そして提案の中身だけでなく、プレゼンテーションの資料において気に掛けるべきことなど、提案の方法についても本書では触れている。「一目で理解でき、誤解されない」ためには、不要な要素を出来得る限り削る必要がある。それはビジュアル的なことでもあり、そしてここで行っているような、言い換えのスキルの話でもあった。
特徴的だったのは、本書の項目にあわせて、メーカーとコンサルタントが協力して困難に立ち向かっていくストーリーが展開される点だ。実際の会議やプレゼンテーションに似た場面は、現場の雰囲気をよりリアルに感じ、あまりこういった場に立ち会ったことのない自分でも、何が必要で何が課題なのかを想像しやすくしてくれていた。
竹内のおすすめビジネス書
今井むつみ『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』 日経BP
そもそも私たちは自分を取り囲む世界をどのように認識しているのか。この「そもそも」に目を向けていくのが認知心理学という学問である。「賢くなりたい」とか「美味しいもの食べたい」などと漠然と願っていたとして、その「賢い」や「美味しいもの」とはどのようなことを指すのか。このような定義づけを行うことが世界を見るための前提となる。
無論、この定義自体が一様に定められるものではない。その時の文脈によって変わるし、人によっても大きく異なる。そして、この人による違いは「人間の記憶のあいまいさ」や「自分の経験をベースにしたバイアス」によって生じ、避けることはできない。これらは人間の弱みといえるものだが、だからこそ他の動物にはなし得ないような高度なコミュニケーションによって連携を取ることができるのも事実である。
筆者は生成AIの出力する文章は身体感覚や経験と結びついていないものだとし、「意味を理解していない記号」を「意味を理解していない別の記号」に置き換える作業でしかないと主張している。志高塾では作文において言い換えを重視しているため、この内容にはどきっとさせられる。似た意味のものをとにかく当て、文脈を踏まえなかったり、自分自身の感覚と照らし合わせたりすることがすっぽ抜けるということは人間にも起こりうる。意味付けをするということが私たち人間だからこそできることなのであれば、それを手放すわけにはいかない。








