
2025.07.15Vol.694 三男のこと(後編)
ある程度定期的にこのブログを訪れてくれている人を10人もきちんと挙げられない気がする。以前に読んでくれていた人はそれなりに頭に入ってはいるが、継続しているかどうかは定かではないからだ。今、最も面白いと思う読者の一人は高2の長男の同級生である。半年ほど前に、我が家に一度泊まりに来たことがあり、そのときにデートプランを含め恋愛の相談に乗っていたら、私のことを気に入ってくれ、それがきっかけになったようなのだ。長男の話を聞く限り、かなり前のものまで遡っているようである。彼とはまた話をしたいのだが、教育熱心なお母さんから、大学受験が終わるまで外出禁止令が出てしまったので少なくとも一年半はお預けである。エアタグを持たされているため身動きが取れないのだ。
ブログの存在すら知らなかった三男が、ひょんなことから「Vol.693三男のこと(前編)」を読み、「パパ、『つづく』としたんだから、次もちゃんと書いてよ」と訴えて来た。生徒や息子たちが大人になって、壁にぶつかったときや子育てでうまく行かないことがあったときに、「ああそう言えば」と、頭の隅の方にあったこのブログの存在を思い出し、私の文章が彼らが再び前に進むきっかけになれば、毎週それなりに苦しみながら書き続けていることも報われるというものである。
前回「何をやっても持っている力を全然発揮できなかった三男が、公立中学の1学期の期末テストで悪くない成績を取ってきたのだ」という一文で締めた。もったいぶってもしょうがないので先に結果から。5教科の平均点が89点で、副教科を含めると84.5点であった。今回一番頑張ったのは、テスト勉強にとことん付き合った妻である。そのことは三男にも伝えた。そして、「その次にすごいのはお父さんちゃう?」と続けた。なぜなら、私が目標をそれぞれ88点と85点に設定していたからだ。実に絶妙である。それをクリアしたらご褒美があるわけでも、届かなかったら罰があるわけでもない。元々はそれぞれ90点と87点にしようとしていたのだが、中間テストの結果を踏まえるとさすがにそれは無理だと判断し、2点ずつ下げた。公立の中学校ということもあり順位は出ないのだが、10点刻みの分布表は配られる。90点以上が30人いて我が子が89点であれば31位。80~89点の40人いて85点であればその中の20位といった感じで見ていくと、平均して各教科8分の1ぐらいには入っていた。全教科にするとおそらく10分の1、トップ1割ぐらいのところにはいるのであろう。不思議なことに全教科の分布表はなかったためそこは推測の域を出ない。念のために断っておくと、公立中学で1割に入ること自体に私が特段の価値を見出しているわけではない。すべてのテストが返却されてから、「数学で後何点取れていればクリアできたのに」などと一人振り返っているのを見ながら、改めて目標を持つことの大事さを実感していた。それなしでは、それなりに頑張ることはできても、頑張りきることはできないし、中途半端な取り組みでは大した結果なんて期待できるはずもなく、「悪くなかったな」程度の感想を抱いて、次につながるものを何も得られずに終わるのが関の山である。上での述べたように、初めて副教科が入るということもあり、妻には予め「勉強のやり方が分かってへんからかなり付きっ切りでやってあげて」と私の方からお願いしていたのだが、2学期の中間、期末と少しずつ手を放して行き、2年からは完全に独り立ちさせる。
過程と結果のどちらが大事か、ということはしばしば議論の対象になる。「過程が大事」と私が言うと、「結果が出なくても良い」と勘違いする人がいるがそうではない。よほど大それた目標を持たない限り、過程さえきちんとしていれば結果なんて自ずと付いてくるからだ。そのきちんとした過程と言うのは、先で役立つ実力を磨いてくれる。力もないのに小手先でどうにかしようとするからおかしなことになるのだ。周りのことはどうでも良いので批判することが目的ではないが、そこらへんの塾が定期テストの過去問を生徒たちにやらせているのは私からするとまったく理解できない。我が家で言えば、二学年上の二男が同じ公立中学に通っているわけであるが、仮に担当の先生が同じであったとしてもそれを三男にやらせることなんて考えもしない。授業の中で先生の話を聞いていれば、どのような問題が出るかは予想ができる。年度1回目のテストではそこに少々のずれがあったとしても悪くない点数は取れるし、2回目からは微調整をすれば良いだけの話である。ちなみに、三男が所属しているサッカーチームのコーチも正攻法を追い求める。試合終盤、勝っているときに時間稼ぎをすることをすごく嫌うのだ。それにも2種類あって、ファウルをされた後、すぐにリスタートをしてセーフティなところでパス回しをするというのが1つ。もう1つが、痛いふりをして中々立ち上がらない、というもの。後者に関しては、もっと上のレベルに行ったときに身に付ければ良いのだ。ワールドカップで勝ち抜くにはそういうことは不可欠なのだが、中学生や高校生の地元の大会でそんなことをしていてどうするんだ、という話である。パスがうまく回せずに点を取られたのであれが、技術や体力、チームの連携などどこかに問題を抱えているのだ。
締めに入る。前回の「三男のあまりの体たらくぶりに子育ての基本的な方針を間違えていたのだろうか、と自らの信念が揺らぎかけたぐらいである」にあった「体たらく」の意味を三男は分かっていなかった。この夏休み、サッカーチームの練習は夕方からなので、毎朝西北に連れて行き、午前中は教室で勉強をするように伝えている。長男や二男と違って中学受験をしていないため、そのようなことも経験していないからだ。スマホは家において行かせるので、少なくとも帰りの電車では本を読むことになる。1つ迷っているのは、私自身の通勤手段である。三男が言葉を含めもっといろいろなことに興味を持つためには、車ではなく、自転車で一緒に駅まで行き、往復読書させるのが良いのだが、朝から汗をかくのも嫌だしな、ということでまだ決めかねている。