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2023.10.10Vol.610 自他責任

 先に連絡から。高2のおくむらちひろさん(お母様より平仮名表記で、とお願いされたため)が、「第6回 世界青少年『志』プレゼンテーション大会」の第3次審査に通過し、2023年11月4日(土)に東京で行われる本大会に出られることになりました。第1次から3次まではすべて動画による審査(進むにしたがって制限時間が長くなるため、彼女は親に協力してもらいながら、その都度撮り直しを行い、内容自体もブラッシュアップしていきました)だったのですが、かなり良い仕上がりになっていました。他の候補者については知りませんが、あの内容からすると良い結果が得られるはずです。以下のURLから申し込めば、オンラインで参加でき、リアルタイムで見られなかった場合でも、後ほど動画視聴が可能とのことです。また、オンラインでも投票する権利があるとのことです。彼女のためにも、一番優れていると心から思えた場合に限り、一票を入れていただければ幸いです。
https://kokorozashi.me/wyk/2023.html
 今回のメインテーマは社員教育である。少なくともこの3年ぐらいは社員会議をどれぐらいの頻度で行うか、何について話し合うかも含めてほぼ任せていた。特別なことが無い限り、私が議題を与えることも出席することも無かった。私が関与した分だけ、社員の自主性は失われると考えてのことだ。しかし、とっくの昔に結論は出ていた。自主性など生まれてはいないし、本来やるべきことがあるべきスピードでまったく持って決まって行ないことは明らかであった。そのしわ寄せが見えない形で生徒や親御様に及ぶのはもちろんのこと、社員自身が成長し、それを実感する喜びも奪っていたのだ。自戒の念も込めて、「不作為という無策」というタイトルにしようかと思ったが「自他責任」にした。何かがうまく行かなったとき、誰かのせいにせずに「自分の責任だ」と心の中で思うことはとても大切なことだが、上に立つ者がそれをそのまま口に出せば良いかというとそうではない。すべての責任を負ってしまえば、良い結果が出たときの手柄も全部自分のものになってしまうからだ。責任を持たせるというのは、自分の負担を減らすためではなく、うまく行ったときの満足感を与えるためであるのだ。「喧嘩両成敗」のように「両方」ではなく「他自」でもなく、「自他」であるべきなのだ。
 先日、リニューアルした第1回社員会議を実施した。今後月に1回のペースで行っていく。もちろん、議長は私である。その場で、月に1回ずつ金曜日に、各社員が志高塾の公式Xに文章をポストすることを決めた。志高塾カレンダーの毎月度2週目が徳野、3週目が竹内、4週目が三浦の担当であり、既に先週の竹内の分は掲載されている。なお、1週目は、3人がそれぞれビジネス関連の1冊ずつ本を読んで、それに対する各人の感想文をまとめたものを載せる。1人の社員から、「載せる前に添削をして欲しい」とお願いされたが、「載せた後のものに関してはコメントするけど、前にはしない」と断った。すべて自分一人でやり切ることで緊張感が生まれ、それによって達成感や満足感が得られるのだ。実際、当日の朝、竹内に「文章はどう」と確認したら、「ほぼできあがっています」と返って来たのだが、アップされたのは日付が変わる直前の23時59分である。ぎりぎりまで修正を掛けていたのだ。もし、最終チェックを私がするとなっていれば、昼過ぎには私の手元に文章は届いていたはずである。なお、その文章に関しては、その翌日にメールで以下のような指摘をした。「『バスケ大会』だけでは意味が分かりません。『講師、生徒たちと行った志高塾のバスケ大会』などとすることで、『志高塾はそういうこともやってるんだぁ』ということも合わせて伝えることができます。」
 次に、決定したことに関する狙いについて述べる。文章を書くことに関しては、作文を教える立場にあるため、自らのスキルを磨いておく必要がある。私がブログを始めたのも同様の目的からである。また、親御様にどういう人かを知っていただくことにもつながる。たとえば、高槻校に問い合わせをいただいた方に、「教室責任者はどんな人ですか?」と問われれば、「Xに教室責任者の三浦に文章が載っているので、読んでいただけないでしょうか」と返すことができるようになる。半年ぐらい前だろうか、体験授業に来られたお母様から、私のブログをかなり読んだことを教えていただいたので、「こうやって私と実際に話してみて、文章とのずれはありませんか?」と尋ねたら、「電話のやり取りからして思った通りでした」と返って来た。単に事務的なやり取りをしたに過ぎなかったのだが。また、ビジネス関連の本というのは、小説などではなく、今の社会を知るための本というイメージで捉えていただきたい。志高塾は、コンクールで賞を取るために作文を教えているのではない。上のおくむらさんのプレゼンテーションは、外食弱者(食物アレルギーがある人など)が感じる不便を工学の力で解決するために自分が何をするか、ということについてのものである。また、中3の生徒は「高円宮杯第75回全日本中学校英語弁論大会」の兵庫県大会において3位に入り、全国大会への切符を手にしたのだが、そのテーマは「日本におけるジェンダーギャップを無くすために」というようなものである。2人ともスピーチの中で今後自らが取り組むべき具体的なアクションプランを提示している。
 社会に出たときに、個人でアイデアを生み出したりチームをまとめたりするのに役立つ力を、作文を通して養うのが我々の一つの役割である。それにも関わらず、社員の3人は社会を知らなさすぎる。進むべき方向が分かっていない状態で、生徒たちをより良く導けるはずはないのだ。その他、外部のセミナーに出ることも課した。企業で働いていた頃にそういうものにそれなりに出席させられたが大抵はつまらなかった。それを知ることも勉強である。
 いつもながらに偉そうに述べてきたが、私が世の中のことを十分に知っているわけではない。社員に課す限りは、私自身がもっと学ばなければならない。それも、やはり「自他」の順番であるべきであろう。

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