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2023.10.17Vol.611 今は昔、とまでは行かないが

 少し前に触れた中学生の頃の成績表に関して。以下は、3年時の担任の所見である。

1学期
みんなを元気づけたり、行事を盛り上げたりしてくれる時の発言や行動にはすばらしいものがあります。ただ、自分の感情(好み)を全面に押し出すのは、まわりへの影響が余りにも大き過ぎます。慎んでください。
2学期
言葉と行動の不一致が目立ちます。ともすればやすきに流れ、信頼を失う時もあります。クラスの中心にどっかり座り、進路に悩む仲間にとって、強力な助人になってほしいと願っています。
3学期
物事にこだわるのは悪い事ではありません。ただ、もう少しTPOをわきまえてほしいと感じるときもありました。何事にも納得しないと気がすまないのはよくわかりますが、回りにも同じような気持ちの人もいるのです。一歩引いて周りが見れるようになれば人の上に立てると思います。

これを読んだとき、私のことを知っている人のほとんどはきっと「分かるわぁ」となることであろう。指摘したい材料に事欠かなかったはずなので、何を書けばいいだろうか、と先生の頭を悩ませることは無かったであろう。その点においては貢献できたはずである。厳しいことを言うのも簡単ではないが、上のものを読む限り、特別言葉も選んでいないようなので、私の通知表を作成する上での苦労は少なかったと信じたい。この男の先生とは、10年ぐらい前に同窓会で、卒業後20年ぶりぐらいに顔を合わせた。私のことを嫌っていたと思い込んでいたのだが、話していると「意外とそうでもなかったんだな」という印象を受けた。よく考えてみると、その先生は1年の頃が副担任、2年と3年が担任であった。中学か高校のいずれであったかは忘れてしまったが、春休みに職員室に行った際に、先生たちが生徒の名前が書いた札を並べて、入れ替えたりしている場に出くわし、「見るな、出ていけ」と注意されたことがあった。積極的であったか消極的であったかは分からないが、その先生は私のことを引き受けたのだ。
 当時、クラスで何かを決める際、自分の意見を通すために反対意見を言われれば強引にひっくり返そうとしていた。記憶は定かではないが、自分が多数派で、反対票が投票結果に影響を与えない場合ですら、そのように振る舞っていた気がする。今も、自分の考えを明確に打ち出すことに変わりはない。もしかすると、昔よりもそれは強くなっているかもしれない。志高塾のHPが正にそうである。明らかに変化したのは、自分の考えは数ある中の1つでしかないということを認識できるようになったこと。その上で、それについて丁寧な説明を心掛けるようになったこと。それによって親が求めている教育が志高塾に無いにも関わらず入塾する、というミスマッチが起こらないようにしている。それはほぼ解消不可能であるにも関わらず、そこに多大な精神的なエネルギーを注ぎ込むことになるからだ。それは双方にとって好ましくない。また、入塾当初はある程度ベクトルの向きが同じでも、そのずれの幅が大きくなっていくことがある。生徒が中学受験をする場合、我々は、人間的な成長を促すことで志望校の合格率を高める、という方針を取る。たとえば、入試本番まで1週間を切っていても、ふざけて目の前のことと真剣に向き合えていなければ、それまで同様に途中で帰らせるということはこれまでにも何度かあった。「今は大事な時期だから特別に許すけど、受験が終わったらちゃんとやれよ」なんてありえない。大事な時期にちゃんとできていないことを分からせてあげないといけない。そして、それは大事な時期だからこそより強く響き、その後に生きるはずなのだ。少し大げさに表現すれば、それだけの覚悟を持って生徒たちと接している。ちなみに、そうやって帰らせた生徒が第一志望の学校に不合格になったことはただの一度もない。
 さて、ずれの幅が大きくなる話。2年生の3月から通ってくれていた生徒が、6年生になったこの春に辞めることになった。そのお母様は、半年に1回の面談の際、次の人がいなければ2時間でも3時間でも私と話をしていかれる方であった。我々のところに来たときには、既に進学塾に通わせていたはずである。志高塾の方針を理解し、大いに賛同して下さる一方で、どうにかして良い成績を取らせたいという拘りも強かった。3, 4年生の頃はそれなりの成績であったが、私からすれば5年生ぐらいのタイミングで落ちてくるのは明らかだったので、時間を掛けた上でもっと本質的な手を打って行かなければいけない、ということを折に触れ伝えていた。一例を挙げると、日頃の復習テストに必要以上に時間を掛けて、その点数によってクラスを維持してもだめなのだ。どこの進学塾も日頃の復習テストと実力テスト(公開テストなど)の成績によってクラスが決まる。その2つのクラス内順位はある程度同じレベルにあるべきなのだ。復習テストの方が良くて実力テストが悪い、というのは危険信号である。話を戻す。私の予想通り、5年生になり成績は下降し始めた。以前から志望校は聞いていて、6年生になってもそれが変わることは無かった。私は、その可能性がほぼゼロに近いこと、そのまま貫くのであれば、少しでも確率を上げるために取り組み姿勢の根本的な改善が必要であるということを改めて説明した。お母様はそれまでにも理想と現実の狭間で苦しんでおられたし、私はそのことを把握していた。面談をして、その後何回かのそれなりに長いメールのやり取りをした結果、お母様は決断を下された。その生徒が辞めることになったのは悲しい出来事ではあったが、そのお母様とは十分に意見交換をした。やれるだけのことはやったし、当然のことながら、それは私が精神的なエネルギーを注ぎ込むことに十分に値することであった。子供の頃、いや、20代の頃までの自分であれば、「なんでそんな当たり前のことが分からないんだ。あなたは間違えている」という対応をしていたはずである。話し合いを重ね、意見の相違の部分を解消しながら同じ目標に向かって進んで行く、ということは以前よりはできるようになった気がしている。1年時の通知表には、「謙虚さも社会生活の中では必要です」とあった。こと謙虚さに関しては、大して変わりがないのかもしれない。

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