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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2025.05.18Vol.57 歯車が上手く回るように(竹内)

 学生講師から秋学期以降にインターンシップに参加する可能性があり、その場合には長期で休みをもらうかもしれないという話を受けた。もちろん必要とあらば応じる。ただ、会社で働いてみたくてという本人の動機に対しては、「ここでの一つひとつの仕事自体が社会経験だよ」と改めて伝えた。せっかく他の環境に身を置く機会が得られるのであればなおさら、今自分がしていることからエッセンスを取り出せている方が、比較も分析も進むはずだ。偉そうなことは言えないが、おそらくその意識の有無で実際にインターンが始まる前から差がついてしまう。
これまで、講師たちは累計の勤務時間が一定の基準を超えるごとに昇給することになっていた。この仕組みに変更はないが、そのタイミングで都度課題を課すことになった。授業で扱っている意見作文であったり、今までの勤務経験を振り返ったレポートだったりに取り組んでもらう。今まで以上に幅広く教材の指導ができるようにしていくための準備や、これまでに積み上げてきたものの確認、今後さらに期待している働きの共有などをすることが狙いである。先日別の学生講師が提出してくれたのが「これから志高塾の講師になる人に何を伝えるか」を課題とした作文だった。課す内容を考案している時点ではそこまで思い及んでいなかったが、抽象的なテーマに対して具体的なものを出せるかどうか、にそれまでの向き合い方も反映される。学部2回生の頃から在籍し、5年目の勤務を迎えている彼女は、志高塾の名物である月間報告を「新しい講師が特に頑張って取り組むべきもの」として取り上げていた。作成しっぱなしではなく私のチェックを経て修正を加えなければならない場合もあるので、トータルの作成時間は結構取られる。学業との両立はつらい、という正直な思いが述べられていてそこはやはり心苦しいのだが、書くことを通じて自分自身が大学でのレポートにほとんど困っていないこと、密度の濃いものを仕上げて高い評価を受けることが増えたことなど、自分の力になっていると感じているというエピソードが述べられていた。また、これまでに何本も書き上げてきたことから、「良い報告をするためには生徒をよく見ることが不可欠である」という気付きを得てもいた。これまでに卒業した学生講師たちと連絡を取った際など、志高塾での経験が社会に出て役立っているという言葉を今までにも受け取ったことがある。生徒に対してもそうだが、「社会で自分らしく生きていく力」を育んでいくことを目指しているだけに、社会人となった彼ら彼女らからそういうことを教えてもらえるのが嬉しかった。そして今回、このレポートから「今」の時点でも確かに学生たちのためになっているのだということを実感できたことも私に大きな意味があった。彼女がレポート内でも言及していた通り、月間報告の作成が各講師たちにとってそれなりの苦労を伴うものであることは事実である。しかし、ただ作るだけのものではなくて目を通してくださる親御様がいることや、自分に返ってきているものがあることを自覚したとき、大変さを上回る意義を感じ取ってもらえるものだと信じている。
ちょうど最近加わったまたまた別の講師からは、初回の研修を終えて「考えるための手助けをどこまでするかが難しいですね」という感想があったので、講師が生徒とどのようなやり取りをしているか、だけではなくてその意図を探るようにすることが大事だと返した。同じ題材であったとしても、生徒によって一読した時点でどこまで理解できているかは異なる。投げるボールの強さを調整したり、捕りやすいところばかりではなく少し離れたところを狙ったりして、それぞれと丁度いいキャッチボールをすることがやり取りの大前提である。単純作業ではないし、細かいマニュアルが存在するわけではない。その分、その時その時に自分で考えて動くこと(指示を仰ぐことも含まれる)が求められる。その「自分で考え動く」ことができるようになるための判断材料をいかにして増やしていくのか、というのが視点として必要になってくる。
 「働く」というとまず「(私が)働く」の意味で捉えがちだが、4月のビジネス書として読んだ『働くということ』では終始「(他者と)働く」ことについて論じていた。それぞれの働きによって組織は回っていく。これから経験を積んでいく講師が見て学び、色々な手を打ってみようとなれるように、「ここで働いてよかったな」となるように、示す側の私は誰よりも試行錯誤を重ねたい。

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