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 2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
 先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
 「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。

2023年12月

2024.10.25社員のおすすめビジネス書⑬

徳野のおすすめビジネス書
『「静かな人」の戦略書 ― 騒がしすぎるこの世で内向型が静かな力を発揮する法』ジル・チャン

「英語が母国語では無い台湾人ながらもミネソタ大学を卒業後、ハーバード大学でリーダーシッププログラムを修了し、メジャーリーグやアメリカ州政府など多彩な分野でマネジメントを経験。」
上記は本作の著者の経歴である。そこからイメージされるのは、アジアとアメリカを股にかけるパワフルで外交的なエリートかもしれない。だが、実際の本人は、性格診断のMBTIを受ければ「内向型志向」の割合が96%という結果が出るほどの、根っからの引っ込み思案な女性である。(エリートであることに変わりはないが)どれだけキャリアを積んでも、仕事の関係者が集まるパーティーやプレゼンテーションの日が迫ってくると憂鬱な気分に襲われるという。しかし、彼女が、一般的には外向型の人材に適しているとみなされる「交渉」と「経営管理」の領域で信頼を得たのは、自身の性分を受け入れ長所を生かしてきたからである。具体的には、大勢の人に向けたスピーチに臨む前には何度も自主練習を重ね、取引先とのやり取りの際はまずは聞き役の立場に徹して相手の要望を丁寧に汲み取ってきた。特に欧米人が多く集まる環境では、内向型だからこその勤勉や謙虚が重宝される。
活発なコミュニケーションに苦手意識がある人材は、事務やアシスタントのようないわゆる「裏方」の業務を任されやすいし、本人もその立ち位置に安心感を覚える。一方で、自他ともに「地味なことしかできない」というレッテルを貼ってしまうがゆえに、人事評価に対してフラストレーションも抱えている場合も少なくない。しかし、だからといって自身を無理やり目立つポジションに立たせるのは賢明ではない。大事なのは今の自分が得意なこと、周囲から求められていることにおいて最大限の成果を出すことである。それこそ数値化できるような堅実な仕事ぶりで組織に貢献すれば、自ずとキャリアは充実していく。

三浦のおすすめビジネス書
『池上彰の行動経済学入門』池上彰

AmazonのPrime readingで本を探すことが続いている。今回もそうで、もともと行動経済学に興味もあったので選んでみた。
「行動経済学」というと、どうしてもそれを利用してどのように商品を売るか、サービスを広めるか、といった商売のイメージが先行する。だから自分が実際に活用する機会はないと漠然と思っていたのだが、消費者の立場として知識をつけておくことも重要だと感じた。行動経済学では、人間を合理的なモデルとして捉えるのをやめ、「人間はいつも損得や確率を正しく見極められるわけではなく、利己的とも限らない」というポイントを基軸にしている。日に幾度も行う意思決定のコストを減らすために、人は自分で考えているよりも直感的な選択を行っており、そこには得をするよりも損を避けることを優先する思考や、自分にとって都合のいいものだけを考慮するバイアスが働いている。まず、「自分はそうやって選択している」と気づくだけでも、重要な選択を行う際に冷静になれるのではないだろうか。
また、興味深かったのはナッジ、つまり強制ではなくあくまで「自由」の中で相手の意思決定を操作する、というものだ。完全に禁煙にしてしまうのではなく、喫煙できる場所を減らすなどの「不自由」を増やすことで、あくまでも当人の判断で禁煙を選ぶように誘導する、というものである。これに関しても、案外身近にありそうなものだ。そういった点で、身の回りのものに対する見方は広がった気がする。

竹内のおすすめビジネス書
『武器としての決断思考』瀧本哲史

ちょうど今回の内部生向けに配布している「志高く」でも取り上げられていた、瀧本哲史氏の著作の一つである。出版は2011年9月。もう10年以上前の本だが、今の時代だからこそ一層、ここで述べられていることを自分の「武器」にすべきである。
東日本大震災の時、新宿にいた筆者はタクシー待ちの人々が約500人、長蛇の列を作っているのを見かけた。電車が動かないときにはタクシーを使えばいい、待っていれば必ず来る、今までを信じてただ受け身でいることに筆者は異を唱えている。どうしても帰らなければいけないのなら、相乗りするのも一つ、どうにか近くの民家まで歩いて自転車を借りられないか交渉するのも一つ、自分で判断できなければ緊急時を脱することができなくなってしまう。知識と判断と行動は結びついていなければいけない。「500人も並んでたら1時間どころではない」とか「そういえばこの先は住宅街だな」とか、知っていることがあった時、「じゃあこうすればいいか」と思えるかどうか、肝心である。
自分で判断を下すための思考法の訓練として、ディベートのプロセスが挙げられている。一つの題に対して賛成派はそのメリット、反対派はそのデメリットを主張することになるが、「正しい主張」とは「反論に耐えうる根拠」を持っているかどうかにかかっている。これは私自身、生徒たちの意見作文を添削していることを思い返してみて実感がある。「なんでそう言えるの?」を投げ続けることが根拠を強固なものにしていくのだ。議論において一つの結論を導き出すためにもそのように突き詰めていくことは必要だし、それを自問自答できる人は絶対に強い。
ぜひ、思考の練習に本書を使ってみてほしい。

2024.10.20vol.37 共有スペース(物理的、心理的)(竹内)

 9月くらいからベランダの柵のガラス部分に白くて小さな虫がへばりついていた。午前中、洗濯物を干す時に見つけ、でも物干し竿の位置からして服には当たらないからいいか、などと考えて放っていた。夕方に取り込むとまだ同じところに止まったままだ。直接は触りたくないのでガラスを叩いて揺らしてみても微動だにしない。なんなんだこれは、と気になりながらも部屋に戻って服を畳んでいる間にそのことは頭の片隅に追いやられていく。洗濯のたびに思い出しては忘れを繰り返していたのだが、初めは1匹だったのがよく見れば3匹、4匹、今はもっと増えているのでさすがにちょっと気持ち悪くなってきた。そろそろ疑問を解消せねばということで、「ベランダ 白い虫」で検索をかけてみた。Googleがまず持ってきたのは「チャタテムシ」だったが、これは画像と見比べても違うのが明らかだった。また一般家庭ではベランダのような屋外よりも屋内で見られることが多いそうなので、やはりこれではない。そこでワードに「ガラス」と付け足してみたところ、Yahoo!知恵袋のページがヒットした。「ベランダのサッシ回りや窓ガラスについている」「細くて白くて体長1センチ程度」「死んでいるのか生きているのかさえ分からない」といった特徴は、まさに私が見ていたものと同じである。これらから導き出された回答はというと、カゲロウの「抜け殻」であった。どうりでいつ見ても同じところにいるわけだ。
 大人になってすっかり虫は苦手になってしまったが、きっとたくさんいるはずの同じような方々に、せっかくなので簡単に説明する。チョウやハチのように蛹の状態を経て成虫になるのは完全変態、そうではなく脱皮によって成虫になるのは不完全変態と分けられる。例えばセミは後者に分類される。言われてみれば確かに「サナギの抜け殻」ではなくて「セミの抜け殻」と呼んでいる。私の部屋のベランダに現れたカゲロウという生き物は少し特殊で、水辺で卵が孵化したのち、幼虫と成虫との間に「亜成虫」という期間がある。その時点で成虫に近い形状になっており、羽が生えているため短い距離であれば飛行することができる。今の家から300メートルほどのところに猪名川が流れているので、どうやら彼らはそこからやってきたようだ。近いとはいえ、部屋は7階にあるので、決して力強くはない羽根で、結構な高さのところまで飛んできていることになる。カゲロウの成虫は、短いものの例えとしてその名が使われるほどに儚い命で、数日、種類によっては2時間くらいで死んでしまう。子孫を残すことに適応した体になっているため、口や消化器官が発達していないといわれている。川に長居すると魚や鳥に狙われてしまうので、亜成虫となってひとまずその場を離れ、準備を整えてまたどこかの水辺へと戻っていくのだろうか。うちのベランダまでやってくることができた時点で、生存競争の分岐点を勝ち抜いてきた証だと言える。そう思うと、もう中身がいないことは分かっているので手で払い落とす心理的負担は小さいものの、ちょっとだけ忍びない。よく分からないものに対しては恐怖を抱いてしまいがちだが、解像度が上がると心の壁は少し薄くなる。
 ここからきれいに文章をまとめていくなら、子どもの成長と亜成虫とを絡めていくことになるのだろう。しかし、虫が好きではないためにそれらを結び付けることに何となくの抵抗感がある。でも、「一皮剥ける」は脱皮することから来ているし、蛹からかえって劇的な変身を遂げるチョウの姿は人間の成長のたとえにも使われる。そういえば、卵の殻を割って雛が顔を出すことも、新しい自分の誕生と重ねられる。虫が嫌なら、洗濯中ではなく料理中の出来事から考えを広げた方が良かっただろうか。
先日第2回の『beforeとafterの間』を終えたが、その名称を分解してみると「after」はこれからの展望を指している。これは分かりやすいし、実際に1回目と2回目で共通している。一方で、「before」と「間」が意味するものにはやや違いがある。初回にスピーカーになってくれた彼の場合は、「before」には志高塾に通っていた頃、「間」にはまさに「今」を当てはめるのが適切である。「卒業するまでの期間」とくくることができるくらいに、常に主体性のある取り組みができているのを見ていた。それが毎回の密度の濃さにもつながっていた。対して、今回の彼女の場合は「before」とは意識の変化が起こる前、「間」とはそれ以降から今に至るまで、ということになるだろう。内面的な部分が変わったからこそ今の学生生活が充実しているのであり、そのような変化は大学に進学したから、というだけで生まれるものではない。単に時間的な区切りでそうなるのではなくて、精神的な成長によって初めて「before」と「間」の境界線ができたのだ。志高塾の大きな強みは色々な子がいることである。自分ですっと線を引けてしまう子もいれば、それができるように我々が導いてあげることが必要な子もいる。ぐいぐい引っ張ってあげるべき子がいれば、そっと背中を押してあげるべき子もいる。すぐでなくとも、子どもたちが振り返ることのできるbeforeを作ってあげたいし、子どもたち自身が「ここで変われた」と感じられる場所でありたい。ちょうど、カゲロウたちの羽化を支えた我が家のガラス板のように。

2024.10.18Vol.36 いつか振り返るまで(三浦)

 すっかりオリンピックにまつわる話を聞かなくなった。塾では佐藤雅彦氏の著作である『毎月新聞』を読んだ上で行う作文教材があるのだが、この『毎月新聞』の中で、話題のタイミングについて書いている内容があった。紅白の話題は年末年始には盛り上がるが、それを少し過ぎると「その話、今じゃないよね」という時期になり、しかしそれを越えるとまた「あれは良かったよね」と振り返る時期になる、というものである。私の説明では不足しているので、またぜひ元の本にあたってほしい。つまるところ言いたいのは、タイミングを外した今だからこそ、じっくりとオリンピックについて考えられるのではないか、ということだ。
 開催当時に種目外でよく耳にしていた話題に、選手村の食事や環境のことが挙げられるだろう。批判的なものがほとんどだったので偏っているかもしれないが、食事は野菜がベースで、環境としてはやはりエアコンの設置がなかったことがすぐに思い出される。今になってようやく調べてみると、プラントベースの食事は栄養が偏るわけではないとか、そもそも欧州ではエアコンは一般的ではないとか、地熱冷却システムが外気より6~10度ほど温度を下げてくれる仕組みになっていたとか、そういった内容もちらほらと見える。今回のパリオリンピックは持続可能な社会を目指すための工夫が、そして実験が凝らされていた。その工夫は、快適で便利な生活とは共存し得ないものなのかもしれないが、これからの世で必要となるのは間違いない。まあ、一般市民が生活できるかどうかと、アスリートが最高のコンディションを保てるかという話はまたそれぞれ別なのだろうが。
 結果、先進国はエアコンを注文したり自国から持ち込んだり、外部の宿泊施設を利用したり、そして食事に関しても自国からシェフを連れて行ったりといった対策を行うことになった。そう、「先進国」は、そんな工夫ができる。だが、そんな余裕のない国は? 記事を見るに、希望すれば選手村から貸与されるとあったが、果たしてそうだったのだろうか。窓を開けて対策をした話のほうがよく耳にした気がする。
https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35220836.html
 それから私の中でずっと渦巻いているのは、「エコ」と「平等」は相反するのでは、ということである。エコのために何かを削ったとき、そのしわ寄せは平等にはならない。当然のことではあるものの、目をそらしていたいことでもある。
そもそもスポーツそれ自体、ユニフォームや国の支援や環境など、様々な面でスタートが横並びではない。それでも、オリンピックという土俵に立った以上は、平等であってほしいと思うのも確かだ。
 少し話は違うかもしれないし、聞きかじったことではあるが、被災地では緊急を要するからこそ、「いらないもの」を考えるコストを減らし、とにかく「必要になりそうなもの」を送り続けることを優先するのだそうだ。場所ごとの偏りを考慮して調整する手間を取るよりも、オーバーしたとしてもまとめて対応した方が合理的なことには間違いない。優先順位は、「足りない」ことをなくすことが最優先なのだから。
 しかし、それができるのは資源が十分だからに他ならない。もっと切迫した状況であれば、必要なものを必要なだけ、という対策をするのは当然だ。例えそれが、時間的にコストのかかることだったとしても。そしてその結果、優先順位をつけざるを得なくなっても。そして資源が不十分だったとき、上記のように分配する仕組みではないのだとしたら、それはもちろん「力のある」方が手に入れることは明らかである。
 ところで、スポーツウォッシングという言葉がある。政治的、国際的に不祥事があっても、スポーツの熱狂により洗い流してしまおう、というものである。スポーツウォッシングといえば、この一連の記事は読み応えがあった。特にかつてのベルリンオリンピックをナチス政権が成功させ(てしまっ)た例は、当時のニューヨークタイムズの記事も相まって、なるほどと思わされる。
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%b0
 今回、終わってみて振り返ったとき、オリンピックは大成功だというパリ市民は少なくないという報道を耳にした。開催前はパリを脱出する市民も多く、そのせいで飲食店などは打撃を受けたそうだったが、今はどうなのだろうか。やはり、良かったものだと振り返る人が多いのだろうか? あるいは、その報道自体が「洗濯」されたものなのだろうか?
 なんとなく、ずっともやもやを抱えている。世間から話題が去っていくまでずっと抱えていても、そうして冷静に振り返ってみようとしても、文章にうまく起こせるとは限らない。もっともやもやを抱え続けていれば、いつかこの時期を乗り越えて、はっとするタイミングが訪れるのかもしれない。いつかリベンジしたいテーマだ。

2024.10.05Vol.35 学びの肥やし(徳野)

 誰の言葉だったか記憶が定かではないが、「本、人、旅」の掛け算が人間を成長させてくれると聞いたことがある。調べた限りではライフネット生命株式会社CEOである出口治明氏が掲げる人生の指標のようだ。その大事な3本柱のうち、私は「人」と「旅」が著しく欠如した人生を送ってきた。ありがたいことに経済的に困窮した経験は無い。また、誰かと一緒に過ごす時間じたいは楽しいと感じるし、どこか遠方に足を伸ばすことへの興味が無かったわけでもない。にも関わらず、特に「旅」に対しては行動を起こす前から、帰路での孤独感や疲労感、さらには家に着いた後の荷ほどきの煩わしさを勝手に想像して、自分の中にある欲求をうやむやにするということを繰り返してきた。
 要するに極度の出不精な私だが、今年の授業では例年よりも多くの生徒たちと彼らの海外滞在についてやり取りする機会が増えている。「志高く」のVol.651「柳の下に」にて取り上げられた高校1年生の男の子がイタリア旅行記を完成させる姿を間近で見たのをきっかけに、西宮北口校では他2名の中高生とも自身の体験を振り返る機会を作った。うち1名が書き上げたものは10月8日(火)の「志高く」に掲載される予定なので、読んでいただけると幸いです。ちなみに、この段落に登場した3名とも初めは物事や出来事の羅列に留まっていた。材料だけ集めて調理をしていないような状態である。そこから一つの「料理」の形にするために、そもそもなぜ国外を旅したのか、現地で見聞きした事柄から何を感じ考えたのかを明らかにした上で自分の中の変化に向き合うことを目指した。しかしながら、彼らに何かしらコメントをしているときも、「休日に(自宅がある)大阪府内からもろくに出たことが無い私が何を偉そうに・・・」という後ろめたさで心がちくりと痛む瞬間が何度かあった。私はまな板に乗せるための材料すらろくに持ち合わせていないようなものだ。
 よって、宣言する。年に2回は旅行をし、現地で少なくとも1泊はする。当たり前だが地元である徳島は行き先から除外する。そして、「遊びは芸の肥やし」ならぬ「遊びは学の肥やし」というわけで、きちんと「養分」として蓄えられるよう、ここからは1週間の休暇中に初めて、1泊2日で訪れた広島での思い出を綴っていく。

 きっかけはYouTube上で、リニューアルした平和記念資料館の特集番組にたまたま出会ったことである。展示手法の刷新が実施されたのがすでに5年前、広島テレビ放送制作の番組が公開されたのも2年前なので、情報のキャッチじたいには時差があった。平和学習に取り組んだ中学2年次を修了して以来、「ヒロシマ」という歴史的な事象から関心がすっかり遠のいてしまっていた証拠だ。学校での平和教育のあり方に責任を求める形になるが、探求学習の一環に組み込まれていたがゆえに進級のタイミングで「卒業」したような錯覚に陥っていた面は否めない。
 資料館に話を戻す。2019年のリニューアルに際して重視されたのは実物資料である。亡くなった方々の遺品や当時の惨状を映した写真、被爆者の手によるイラストおよび証言を中心に据えることで、「被爆の実相」を伝えるという展示最大の目的を再認識する方向性で見直しがなされた。その一連の検討において何より話題になったのが「被爆再現人形」の撤去だろう。世間的にはその決定に対して「賛」より「否」の方が圧倒的に多く、その結果からは1970年代以降の来館者に意義深い存在として強烈な印象を与えてきた事実が窺える。一方で、筆舌に尽くしがたい惨状が目に焼き付いている生存者からは「実態を表現し切れていない」という批判も寄せられてきた。歴史にまつわる創作物だからこそ突き当たる壁だ。また、全国にいる被爆者の平均年齢が2024年時点で85.58歳を記録し、当時の体験を生の声で語ることができる人材が年々減少している背景を鑑みると、世代を越えて保存が可能な実物資料を前面に出す動きは必然的な流れと言えるだろう。刷新の前後を実際に比較できないのが本当に残念である。
 いざ広島市内。路面電車の停留所の間隔がやたら狭いことに驚きながらバスに揺られて目的地に到着した。いつもならミュージアムと名の付く施設に足を踏み入れる際は胸がはずむのだが、今回ばかりはやはり緊張感のようなものが心を占めていた。ただ、写真と映像でしか見たことが無かった原爆ドームが視界に入ってきた時は感動に近いものを覚えた。
 結論を言うと、近いうちに再訪しなくてはならないと思った。修学旅行生の集団に加えて欧米圏からの外国人旅行者で混雑しており、(特に後者に関しては、それじたい大変良い傾向ではあるものの、)一つひとつの展示物にじっくり対峙できなかったのが心残りだからだ。そして、仄暗い展示室内は原爆が市全体にもたらした甚大な被害を統計的に知るだけでなく、犠牲者の方々の遺品、生前の顔写真、ご本人が死の間際に残した言葉を同時に見せることで、一人ひとりがかつて送っていた日常と1945年8月6日以降に味わった苦しみへの想像力を喚起させるような構成となっていた。当然のことながら刺激の強い、惨たらしい写真やイラストもふんだんに使われていた。しかし、個々人の濃密な生と死が集積して膨大な情報量となってとめどなく、それでいて静かに流れ込んできたあの空間は、何より死者を悼むための場所だった。それにも関わらず、コーナーによっては人混みに巻き込まれながら慌ただしく進んでいかざるをえなかったときは、亡くなった方々への敬意をまだ十分に払えていないような気分を味わった。そういった、後ろ髪引かれる感情がこれからの旅への動機になっている。
 充実感と後悔が入り混じった不思議な心持ちで平和記念公園の広場に降り立った。暖かな夕陽に満ちた開放的な光景が広がっていたのが資料館内と好対照だった。敷地内に建てられた慰霊碑の直線上に原爆ドームが姿を現した。もちろん足を運んだ。爆心地から約160メートル地点で被爆したかつての産業奨励館は、むき出しになった鉄材が爆風の影響で複雑にねじ曲がっていた。世界遺産をメディアであまり取り上げられないであろう位置から眺めていると、「160メートルってどれくらいの距離感なのだろうか」という疑問が湧いてきた。そこで、Googleマップに従って「爆心地説明の碑」を目指したところ、近くの路地に入るとすぐに、ひどく簡素なものを発見できた。拍子抜けするほど短い移動時間だった。私以外の観光客がいない路上でしばし夜空を見上げてみる。すると、つい2時間前までいた資料館の展示で多く取り上げられていた、爆心地から1キロメートル以内の範囲を襲った惨状が脳裏をよぎった。その中でも至近距離と言って差し支えない場所にありながら、コンクリート製でないにも関わらず、あの特徴的なドームの骨組みや外側の壁が一部だけでも残ったのは、大正時代に活躍したチェコ人の設計者も想定していなかったであろう奇跡なのだと実感した。ほんの数分間でも自分の足を動かしたからこそ、頭に入っていただけの状態の情報と現実がリンクする感覚を味わえた。
 インターネットを通じて物事を「知っているつもり」になってしまう時代だからこそ、リアルの世界を気の向くまま歩き回ることの意義は大きい。古文における「遊ぶ」には、「娯楽を享受する」というよりは「自由気ままに動き回る」という意味合いが強いことをふと思い出した。

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