
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2024.09.21社員のおすすめビジネス書⑫
三浦のおすすめビジネス書
『ずるい考え方 ゼロから始まるラテラルシンキング入門』木村尚義
ラテラルシンキング、水平思想と呼ばれるその考え方は、課題解決のアイデアを考えるにあたっては必要不可欠なものである。ロジカルシンキングが順序を追って思考を深めていくのに対し、ラテラルシンキングは課題のポイントを抽象化して抜き出し、それに対して思考を広げていくものだ。その中で大切なのは、既存の思考を疑う力、物事の本質(要点)を見抜く力、そして「セレンディピティ」、偶然に起こったものの価値を見落とさない力だ。物を売るためにはどうするか、事故を減らすためにはどうするか…。その解決策は、何も既存の方法に頼る必要はない、というのが本書の述べるところである。サウスウエスト航空が「格安」を売りにしているからこそ座席を先着順にしたことや、かの有名なフォードが「速い馬車」として自動車に目をつけた、などの例は、どのようなアイデアがあるのか、なぜその発想に至ったのかがわかりやすい。
作文に通ずるところがある。日々の生活から「なぜ?」と疑問を持ち、題材の中のポイントを抽出し、そしてそれに対して、色々な角度から思い浮かぶ話題と繋ぎ合わせる。
ただひとつの感想としては、「結果」を求めることが肝心なのか、「過程」こそが重要なのか、対峙する壁に合わせて考えることも大切だろう、というのがあった。この本が要約サービスに取り上げられているのを見かけた。「内容を知る」ことがゴールなのか、「本を読みながら考える」ことに比重が置かれるべきなのか…。「ずるい」は使いどころ次第だ。
徳野のおすすめビジネス書
『1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術』伊藤羊一
上司や取引先に向けた大事なプレゼンテーション。時間をかけてシナリオを練り、言葉を尽くして伝えたつもりなのに、相手からの反応は「で、どういうこと?」だけ。そんな悩みを抱えている人が念頭に置くべきは「人間は他者の話を80%聞いていない」という事実だ。だからこそ、相手の左脳と右脳の両方を刺激しながら、1分で簡潔にメッセージを発する技術が重要になってくる。
まず、論理面に関しては、結論を最初に示してから根拠を3つほど並べる「ピラミッドストラクチャー」を構成するのが大前提である。その手法じたいは本著以外でもよく紹介されているが、伊藤氏は目的が「相手を動かすこと」にある点を忘れてはならないと強調している。例えば、上司に「営業部と連携して、欠陥品に対してより迅速に対応できるシステムを開発したいのです」と伝えるだけなく、そこから「営業部長の方にお話しいただけないでしょうか」と要望することで次に起こすべきアクションが明確になり、仕事にスピード感が生まれる。
だが、人の行動を変える上で難しいのは、感性に訴えかけることの方である。プレゼンテーションの場に限った話をすると、「具体的なイメージが湧くような資料や問いかけを準備しておく」「相手の反応を窺いながら声量と表情をコントロールする」といった工夫が生きる。同時に、様々な工夫を重ねた「1分」を結果に結びつけるためには、それ以前から長い期間をかけて相手と信頼関係を構築しておく必要がある。つまり、効率性および合理性が重要なことに違いはないが、短期的な「タイムパフォーマンス」に囚われてはならないということだ。そして、自分の利益を直接的に上げるための提案だけでなく、他者が抱える課題解決にコミットできる人物が仕事において信頼される。
竹内のおすすめビジネス書
『不格好経営 チームDeNAの挑戦』南場智子
1999年1月時点ではマッキンゼーでコンサルタントとして働いていた著者。当時はまだ日本に存在していなかった本格的なネットオークションを立ち上げるべきだと大手プロバイダー会社の社長に提案した際、「自分でやってみたらどうか」と返されたことからDeNAは始まった。同僚2人に声をかけ起業の準備を進め、同年の3月4日に登記した。しかしシステム開発が自社ではまだ十分に賄えず他社に依頼する形だったことが仇となり、テスト予定日の前日にプログラムが実は仕上がっていなかったという想定外の事態に見舞われる。それが半年後の10月末のこと。この間にヤフーや楽天に先行されることとなってしまうが、5週間後の11月29日にPC向けのオークションサービスがついに動き出した。その後通信費の定額制が普及していくとモバイル向けに新たなサイトを構築し、ゲーム事業を中心に拡大していく。2011年のオフシーズンにはプロ野球に参入し、横浜DeNAベイスターズが誕生している。
ソーシャルゲームの人気が高まる中で生まれるユーザー間でのトラブルや社会への影響、流行を読めずに下がる売り上げ、他社との共同事業での大きなミスなど、起こる問題と確実に向き合い、解消に動くことで発展を遂げていった。初めてのサービスが始動するまでの紆余曲折の経験によって、同じ目標に向かって全力を尽くし、達成した時の喜びと高揚感を経営の中枢に据える、というビジョンのもとで企業の運営がなされている。
はっとさせられるのは、物事が進んでいく速さである。社内のみならず社外とも連携を取ってプロジェクトを動かしていくにあたって、決定、実行、修正を繰り返せるチーム力や個々の熱意は欠かせない。機会や優秀な人材を、逃さずものにするためには、スピードや時間に対する意識を当たり前に持っていなければならない。そうやってどんどん新しいことをやっていく組織は面白い。
2024.09.13Vol.34 川と海を越えて(三浦)
先日、かねてから気になっていた中之島図書館をようやく訪れた。
中之島の美術館や科学館などには何度か足を運んでおり、そのついでに寄ってみようとその都度思いながらも、そして途中まで歩いていきながらも、体力不足で断念することが多かった。一度は「図書館やし空いてるやろ」と軽い気持ちで日曜日に訪ね、扉の前で休館日を知ったこともある。
大阪出身ながらも大阪市にはあまり詳しくなく、車を運転するわけでもないので、中之島あたりの土地勘は皆無と言っても差し支えない。そのため事前情報も何もなく、図書館を目指して行ったものの、その日はすぐ隣の中央公会堂に入ってしまった。
とはいえ、その中央公会堂も展示室を見ていると知らないことばかりで興味深かった。中央公会堂は「義侠の相場師」「北浜の風雲児」と呼ばれた株式中売人の岩本栄之助氏の多額の寄付によって建設されたものであるが、その彼は渋沢栄一が団長となった渡米実業団の一員としてアメリカに渡ったことや、莫大な損失により自死を選んだことなどが展示されていた。
ここからどんな話がしたいのかというと、そういった株取引が盛んだったことや実業家によって建てられたのだという知識を持って中之島図書館の蔵書を見ると、なんとも納得がいった、ということだ。私は図書館といえば近所の市立図書館か大学図書館しか知らないが、町の図書館というのは概ね蔵書に偏りはないと思っていた。しかし中之島図書館は歩いてみた限りでは、ビジネス書と社史、そして大阪という土地にまつわる本がほとんどを占めていたのだ。思い返せば、図書館まで歩いた道で「綺麗な建物だなあ」と立ち止まったのは大阪取引所だったし、船場といえば天下の台所、そりゃあもう、ばりばりのオフィス街なのは当然のことである。
ホームページを見たところ、ビジネス支援サービスというものを行っているようだ。以下に引用する。
「大阪のビジネス街の中心に立地し、利用者の多くを占めるビジネスパーソンのニーズに対応し且つ館の有益性を向上させるというコンセプトのもとに行われました。(中略)定期的にビジネスセミナーを実施し、『ネットショップ』や『ベトナム投資』、『貸借対照表』等旬のテーマについて外部講師にお話しいただき、利用の促進を図っています。」
「1904(明治37)年に開館し、今年で102年という歴史をもつ当館は重要文化財に指定されており、かつては大阪商工の隆盛を図って創設されました。そして21世紀に入り改めてビジネス支援を行う図書館として再出発し現在に至り、財政難の中でどのようなサービスが展開できるか模索する日々が続いています。」
訪ねたのは土曜日だったが、それでも一見してビジネスパーソンだろうなあという人々が熱心に本を閲覧していたのは記憶に新しい。今こうして支援サービスの内容を見て、なるほど、となった。ちなみに大阪の府立図書館では、中之島図書館が上述のようにビジネス書や大阪にまつわるもの、中央図書館が総合図書館としてそれぞれ機能を分担しているらしい。ほか、中之島図書館のそばには「こども本の森」もある。用途とニーズに合わせての分担ということだろう。
さて、長々と書いてきたが、本来はここからパリの話に移る予定だった。図書館に向かう道すがら、同行者の知人と「中洲といえばパリを思い出す」という話をしていたのだ。といっても私はパリの中洲、シテ島やサン=ルイ島のことをよく知らなかったのでうんうん相槌を打つばかりだったが、中之島の運用とは全く違うことは明らかである。ノートルダム大聖堂のあるシテ島、セザンヌやボードレールが居住していたこともある高級住宅地のサン=ルイ島、蔵屋敷が集まっていた中之島…。ざっと調べるとこんな差だ。中之島は商業のために開発されたそうだが、シテ島やサン=ルイ島の方はむしろ「パリ発祥の地」と言われているので、そもそもの順序が逆なのだ。そういえばマンハッタンも川に囲まれていただろうか? 地理に明るくないので、新鮮で面白い。いろいろな国の川の比較も楽しそうである。
ちょうど、その時の中之島図書館では「1/300のたくらみ」という模型展示を行っていた。産経新聞の連載企画らしい。ストーンヘンジや国連本部といった有名どころから、幼少期の思い出の詰まった実家(ヨルダンの方のものだ)など、世界中のさまざまな施設や遺跡が1/300スケールの模型になって並んでいた。縮尺が同じなので、まったく違う土地のものでもサイズ感を比較できる。マダガスカル、バオバブの木が立ち並ぶバオバブアベニューの模型の隣に阪神甲子園が置かれているのだが、高さがほとんど同じで、「バオバブってこんなに大きいんや」という実感が得やすかった。ぱっと見てまったく違うものでも、なにかに注目して比較してみると面白いことが見つかる。
ブラウザを20タブくらい開きもって調べながら書いていたが、まだまだ自分の中に落とし込めていない気もする。そんな中、オリンピックの話に持っていくにはだらだらとしすぎたので、ひとまず区切りとする。
2024.09.08vol.33 古文の謎(竹内)
「入試科目に古文は必要なのか」「これからの時代に古文を学ぶ必要はあるのか」ということがよく取り沙汰される。あからさまに不満を口にする生徒がいるわけではないが、「古文が好き」だという生徒ともなかなか出くわさない。好きである必要はないのでそれは大した問題ではないのだが。「やらないといけないからやる」の域を越えないことを実感しつつも、個人的には現代人は古文と付き合い続けるべきだと思っている。しかし、それがなぜかと問われるとまだ十分な答えを見つけられていない。ずっと考えている。子どもに勉強を促す際の声掛けの一つとしてよくあるのが、「将来の役に立つから」である。古文ほどそれがしっくりこないものはない。そもそも、ほかの科目であっても「役に立つ/立たない」という見方は結局好き嫌いの話へと発展していってしまう。理由が先にあるのではなく、それを探す、どうやって役に立たせようかと思案する方が、自分の中に取り込まれることは多くなる。
つい最近、『源氏物語』を読み始めた。「いづれの御時にか、女御、更衣、あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」が冒頭の一文である。今も学校では暗記させられるのだろうか。こう書くとまるで原文にチャレンジしているようなので早めに白状しておくと、何年経っても進まなくては困るので、もちろん現代語訳されたものを選んでいる。各出版社が文学全集を様々に出しているが、河出書房からの「日本文学全集」シリーズ全30巻が現時点ではおそらく最新である。ハードカバーの色合いが鮮やかで、「いつか全部買い揃えたら本棚がカラフルになって良いな」と思い、手始めに購入したのがそれだったのだが、上・中・下巻からなるその圧倒的な長さのために「そのうち、そのうち」と後回しにしているうちに4年は過ぎていた。今年の大河ドラマでは作者の紫式部をモデルにしていることもあり、私の母親が興味を持って挑戦したのが春先。祖父の介護のために実家で過ごしておりそれなりに時間があったので、あっという間に読破したとのことだった。ちなみに母が持っていたのは田辺聖子による『新源氏物語』。私のは訳者が角田光代である。そういえばそのことも買ってみようという決意に至ったきっかけの一つだった。『さがしもの』という短編集があるのだが、これが氏との出会い。各話が良かったのはさることながら、あとがきを通じて好きな作家の一人になった。
9月に入ってもまだ暑さは引かないが、それでも生ぬるかった吹く風がいつの間にか心地よいものになってきて、8月も半ばごろからはトンボが姿を見せ始めた。夏至を過ぎてわずかではあるが日照もこれから短くなっていくことがうっすらと感じられるようになってきた。こういう季節の変化や風景を、古文、特に俳句や和歌は逃さずその中に閉じ込める。そう考えると、過去を知れるという点では歴史と通ずる部分があるが、歴史は知識を与えてくれるのに対して、古文は感性を磨いてくれるものだといえるのかもしれない。日本最古の歌集である万葉集には、約4500首が収録されている。天皇のような身分の高い人物だけではなく、農民のような一般市民の和歌もたくさんある。今、巷にあふれるさまざまな歌に自分を重ねたり共感したりするのと同じように、昔の人々の言葉によって紡がれる思いが、今と変わらない新鮮さを感じるものであることは、不思議で興味深いことだ。
この夏休み、公立中学に通っている生徒の何人かと古典の勉強を進めた。文法事項を押さえて、それが実際の文章にどのように用いられているかを確かめながら、一緒に内容を咀嚼していった。学校によるのかもしれないが、中3の生徒にどのようなことを習っているか尋ねたところ、まだ本格的には文法を教わっていないとのことだった。古文にかけている時間自体がそこまで多くないようである。一つ一つの設問に対して解答できることを目指すならば、助動詞やら係り結びやらをある程度覚えていれば事足りるのであろうが、それをもとにして文章全体の理解を深められるようにするならば覚えることにもっと時間を割く必要がある。知識はあくまでも道具として使えるようにしてあげるべきである。
世界中で人気を博している『ハリー・ポッター』シリーズの日本語訳に対しては、いくつかの誤りが指摘されている。原著を読みこなせるレベルにはないのでそれに関して言及できないが、和訳であっても現代語訳であっても、直訳だけでは正しくとらえられず、文化や時代的背景も多分に考慮しなければならない。これは実は我々が教室で子どもたちに求めている「言い換え」とも通底している。ある言葉を別の言葉に言い換える時、文脈の中での意味を掴まなければならないし、反対にそれが持つ絶対的な意味を無視してはいけないこともある。訳者が違えば表現が異なるように、状況によって多少は絞られるにせよ、どの言葉を選ぶのかは本人次第である。読むという営みの本質は、自分が理解できることを明らかにすることにある。そうやって格闘していく相手として、本当は古文は打ってつけなのではないか。知らない、分からない、難しいからこそ、少しずつかみ砕いて、見えてくるものがあった時にものすごく気持ちがいい。