
2018.04.24Vol.347 照合作業
さて何について書こうか。本題に入る前に事務連絡から。来週1週間は教室がお休みをいただきますので、それに伴いブログもお休みです。また、HPのお知らせの欄でもお伝えしていますが、西宮北口校に限り現6年生のみ中学受験が終わる来年1月末まで受け入れを停止させていただくこととなりました。
この『志高く』なのだが、前日に完成、もしくはそれに近い形に持って行けているときもあれば、頭の中では枠組みがしっかりあって後は打ち込むだけ(実際書き出してみると思ったように行かないことは少なくないのだが)というときもある。今回はそのどちらでもない。では、まったく何も思い浮かんでいないかと言えばそうではない。逆に候補はたくさんあったりするのだが、どれも小粒でこれといった決め手がなかったりする。そういうときは、得てして全く別の新しい話題になる場合が多く、今回もそれである。
生徒が急激に増えていることに伴って採用活動を3か月から半年は前倒ししている。たとえば、学生向けの採用のサイトは、1年間掲載できる権利は3月の時点で購入済みであった。9月から掲載開始する予定(翌年の8月末まで)であったのだが既にスタートしている。
2月と3月は私が早く帰ったことが多く、そういうときは「えっ、先生もう帰んの?」と生徒たちから突っ込まれていたのだが、今は一気に授業時間が増えた。すると「先生、最近仕事しているやん」となる。半分は言い訳なのだが、私が目一杯入っている状態は望ましくない。それは授業とは別に経営者としての仕事があるからという理由ではない。ビジネス用語を使えば、平時は、私はバッファの役割をしているのだ。バッファとはクッションとなる人・時間やコストの余裕のことを指している。忙しくなった分は余裕を持たせていた私の時間で対処している。感覚的には私自身、後20%ぐらいは授業量を増やせる。そのような状況なので、上のように受け入れを停止したり、採用を前倒ししたりすることで対処しようとしている。なお、以前にも書いたがすぐに戦力になるわけではないので、少なくとも3か月以上先を見越しての採用活動である。それ以外にできることとしては時間割の調整である。できること、という表現は適切ではない。協力していただいているのだ。ある曜日、時間に集中した場合、誰かに移ってもらう必要が出てくる。それに応じていただける親御様がいるから、我々はある一定以上の質を保てるのだ。言葉にすると、特に私のような人間が言葉にすると余計に嘘っぽくなってしまうのだが、快く引き受けていただけることに感謝している。特別な何かをするわけではないが、+αの何かをそのお子様に提供しなければとなるのが人情というものである。
ここまでそれなりに書いてきたが、まだタイトルに関する話題に入っていない。昨日、面接をした方に「うち以外、どういうところに興味を持たれましたか?」と尋ねたところ、そこで出てきた塾の名前は聞いたことがなかったので、そこのどういう部分に魅力を感じたのかと質問をした。すると、「1対6の授業スタイルをとっているところです」と返ってきた。その人数が一番意見が出て活性化すると説明しているとのこと。それに対して、私がその方に伝えたのは次のようなことである。まず、それは集団でもなく個別でもなく中間を取りに行ってそれっぽく見せているに過ぎない。私自身、作文の延長にあるものとしてディスカッションの授業をしたいと考えたが断念した。同程度のレベルの生徒(私がイメージしていたのも5人程度である)を集めることができないからだ。それに関しては、大学生の頃に一時期通っていた英会話教室の例を挙げた。確かそれは1対3であったのだが、私以外の2人は単語や文法も含め、基本的なことが全然分かっていなかった。事前にテストを受けてクラス分けされていたにも関わらず、である。私が特別できたわけではないのだが、少なくとも私と彼らはまったく違った。仮に同程度の人を集められたとしても、今度はその人たちの時間を合わせることができないのだ。それ以外には、1対6をきちっとコントロールするのは容易ではなく、それができる講師がその塾に一定以上いるとは思えない、ということも告げた。
私は、その塾の名前も知らなかったぐらいなので、中身もまったく分かっていない。もしかすると、上で私が挙げた条件はすべてクリアしているかもしれない。私がその方に伝えたかったのは、1対6は良さそうだ、で終わるのではなく、それを疑ってみる必要があって、面接に行くのであれば上のようなことを確認しなければならないということである。一応説明しておくと、「照合作業」というはこの部分から取ってきたタイトルである。
翻って志高塾はどうか。1対1だと子供が先生を頼ろうとしすぎて、1対3だと添削が追い付かない。西宮北口で言えば6つ席がある。3対5というのが理想的なような気がする。6人より生徒が1人少ないことで、授業の中でほんの少しの余裕が生まれる。また、1つ空いていることで振替希望に対処することもできる。上で述べた私が移動をお願いする場合は、たいてい枠がいっぱいになってからではない。3対6になりそうな時点でそれをしている。それもバッファである。タイトルは「バッファ」の方が適切なような気がしてきた。「照合作業」って早口言葉にすると難しいな。どうでもいいことを考えた。
2018.04.17Vol.346 未来
「先生すっかり忘れてませんか?」
とまるで私に問いかけるように、vol.344「噛めば噛むほど」で取り上げた大学1回生の女の子から昨日メールが届いた。実際、別の話題で文章を作成し始めていたのだが「いかんいかん」ということで切り替えた。メールは次のように始まる。
「作文のお題決めてもらえませんか?書くことありすぎて困惑してます。
とりあえずめちゃくちゃenjoyしてます。」
その後キャンパスライフに関することを楽しそうに報告してくれた。おいしいBBQの店も見つけたとのこと。おごり役として呼ばれる私としては、リーズナブルなお店であることを願うばかりである。ちなみにお題は「未来」で決定。6月ぐらいには出てくるのだろか。
彼女が筑波大に行くと決めたとき、めちゃくちゃうまく行くか、まったく気に入らないかのどちらかだろうと思った。要は「それなりにやってます」というのはないだろうと。そして後者であった場合、もう一度東大を受け直すことになるのだろうと。
vol.344「噛めば噛むほど」に掲載した文章の中で私が引っ掛かったのは
「東大の開示を友達と比べた時、うわ、入試しょーもな、って心から思いました。その友達は理IIIに落ちたんですけどマジで数学出来る人で、その子と私数学が2点しか変わらなかったんです。そんなテスト、もう1年受ける気にはなれません。」
の部分。彼女の本音であるとも言えるし、そうでないとも言える。あのタイミングだからこそ、文字に起こされたものである。もし1か月後であれば、頭に思い浮かんでも言葉としては外に出てこなかったはずである。最終的には、その瞬間的な言葉だからこそ逆に載せる意味があると考えた。
入試はオリンピックとは違う。金メダルは最高の人にだけ与えられるのに対して、合格は最低点を超えた人たち全員が対象となる。適切な学校を選び、適切な準備をすれば結果は必ずついてくる。そして、東大は彼女にとって適切な学校であった。つまり、何かが足らなかったのである。筑波大の合格が分かる前に彼女が私に次のようなことを話していた。「私の周りにはどうしても東大に行きたいから一浪する人がいる。でも、私は大学院で海外に行くから、1年費やしてまで東大に行く気はしない」と。これは1か月後も、半年後も、1年後も変わらない継続的な本音である。どちらの選択が正しいというのではない。ただ「とりあえず東大に行く。そして、その後のことはそれから考えればいい」という人は少なくない。彼らよりも彼女の方が未来に目を向けていることだけは確かである。そして、それはとても価値がある。また、東大といったような何かしら世間から評価されるような肩書がないと自分を保てない人もいるが、彼女はそうでない。
私は事あるごとに「将来に役立つ力をつける」ということを口にする。それが何であるかは自分でもよく分かっていない。分からないから「将来に役立つ力」とは何かを考える。ただ、それはテストで点数を取るためのテクニックでないことだけは確かである。要は、何でないかは分かっているということだ。彼女も含め、我々が関わった子供たちが、大人になり社会で活躍する。それに少しでも貢献したい。
2018.04.10Vol.345 not 優劣 but 相違
前回掲載した文章に関して私見を述べるはずだったのだが、予定通り予定外のテーマに。
この春、これまでにないぐらい生徒が増えている。「調子に乗ってるんじゃないか?」と問われれば「はい、調子に乗ってます。」と真顔で答える。「これまでにないぐらい」なので、他の塾とではなく、あくまでも志高塾の過去と比べてという話である。それゆえ、一般的には大したことはないのかもしれない。西宮北口校は圧倒的に紹介が多く、豊中校はホームページなどを見てというのが大半である。親御様が我々のことを評価してくださって大切なご友人に紹介してくださるのももちろん、一方で大事に思ってくださるからこそ秘密にするというのも同様に嬉しいものである。生徒が増えようが減ろうが、やるべきことは1つ。とにかく、今いる生徒に質の高い授業を行うことだけである。このブログをそれなりに読んでくださっている方は「今の生徒を大切にする」という類のフレーズを見飽きているかもしれない。
人は弱いものである。他人はどうでもいいか。少なくとも私は弱い。それは間違いない。根無し草となりふわふわと漂いながら、適切なポイントを順次パスしていくというのは私にはとてもではないができない芸当である。そのような自信がないというか、間違えたことを次々にやらかしてしまう確信があるというか。そんな私だから、いつも立ち返る場所、原点が必要となる。それが「今いる生徒を大切にする」である。このような場で言葉にする何十倍、私は自分の中で呪文のように唱えている。
生徒が思ったように増えないとき、どうしらたらいいのかを考える。方法は単純に考えて2つ。1つ目は「ターゲットの層を広げる」ことである。本来であれば志高塾に興味を持ちそうにない人たちにリーチする。それを頭に思い浮かべては、その瞬間消し去る、それを選択したところで、どのようにすればいいかも分かっていないが、仮にうまく行ったとすると、我々は進学塾の公開テストの対策を求められるなど、どうでもいいことにエネルギーを割くことになる。そのような依頼は基本的にはお断りするが、断ることにもエネルギーは必要なのだ。2つ目は「従来のターゲット層への的中率を上げる」ことである。「やっぱりこっちだ」と毎度頭の中、心の中でその選択肢をがっちりと握りしめるのだが、これまた方法が分からない。そして、「わかってくれる人は分かってくれるさ。生徒の数だけ増えても、志高塾を理解してくれている人じゃなければ意味ないしな」などとどうでもいい言い訳をする。
さて、「生徒が増えている」と調子に乗っている私なのだが、では上の2つのどちらがその要因なのだろうか。明らかに後者なのだ。体験に来られた親御様に「なぜうちに来られたのですか?」と問うと「他のところとは違ったから」と答えていただいたことがあった。「他のところより良さそうだったから」ではないのだ。それはとても喜ばしいことである、他の国語塾との決定的な違いは、私が進学塾で働いた経験がないということである。開校当初、何の実績もない志高塾を選んでくださったうちのそれなりの方は、塾っぽくないところを気に入ってくださったはずである。12年目になった今もその部分が色あせていないということなのだろう。我々と彼らの相違点は、受験に対するスタンスである。受験の結果には相当こだわっているのだが、あくまでも2の次である。将来役立つ力をつけることが何よりも大事なのだ。話を戻すと、別の親御様は「HPを見ると他の作文教室の方が楽しそうに見えたので、そちらに連れて行くと子供がそっちを選ぶのは間違いないから、こちらに先に来た」と話されていた。体験授業終了後、その場で入塾を決めていただいた。見かけ上の楽しさなんてどうでもいいから、HPもそのように作っていない。そんなことより、厳しさと温かさを持ち合わせた存在でありたい。我々が実践していることが伝わるようにHPは作ったつもりである。それが何となく伝わったのが嬉しかった。
「今いる生徒を大切にする」というお決まりのフレーズ。大切にするとは、質の高い授業を提供することである。このことについて考えるとき、「そもそも質の高い授業とは何か?」というところに行き着く。「それって何だろう?」と分からないまま「きっと考え続けることが大事なんだな」となって、その時は幕を閉じる。そして、しばらくすると幕が上がる。演劇に例えるなら、同じ内容を演じ続けているようで、少しずつ少しずつ、本当に少しずつではあるが深みを増しているはずなのだ。
2018.04.03Vol.344 噛めば噛むほど
大学受験の結果が確定したので報告する。
大阪教育大学(教育学部)2年7ヶ月
京都大学(経済学部)2年2ヶ月
筑波大学(社会工学部)4年10ヶ月
各一名ずつで、年月は在籍期間を表している。なお、大阪教育大学へ進む生徒のみ浪人生である。
筑波大へ進学する生徒は東大へ行くはずだった。本人もそう思っていたし、私もそのことを疑わなかった。この『志高く』で、過去に彼女の文章を紹介した際にそのようなことを書いた。その彼女が、後期試験が終わってすぐ、
「先生のブログに載せるやつ書いてもいいですか?」
「不合格体験記になるんですけど」
とラインを送ってきた。
それに
「嬉しいこと言ってくれるやん。是非書いて。鉄は熱いうちに打てやで」
と返した。
それをここで紹介する。後期の合格発表前夜ということもあり、心の声をそのまま文字に起こしたようなものになっている。初めに読んだときは、予想していたものと違いすぎて「なんじゃこりゃ?」となり、以下のようなメールを返した。
ありがとう。
はえーな。
そしてやりおったな。
めちゃくちゃ崩した文章書いたな。
来週はブログが休みなので、再来週に掲載。
あの前書きをどのようにするかめちゃくちゃ頭悩ますじゃねーか。
正直「そのまま使えるかな?」と思ったのだが、間を空けて、何度か読み返してみると「これはこれで面白いか」となった。これだけ整えられていないものというのは逆に貴重なんじゃないかな、と。よって原文のまま掲載する。次回これに関して私なりの考えを述べる予定である。なお、途中に出てくる「まっすー」というのは彼女のあだ名である。
3月19日午後10時。明日は筑波大学の合格発表です。結構ソワソワしています。だって落ちたら浪人なんですから。半年前には想像もつきませんでした。今頃東大の近くに引越していると思ってました。というわけで、今回の文章は珍しくネガティブでいきます。
東大の合格発表の日、前日に医学部に受かった友達が家に来ていて、その子と私の番号がないのを見届けました。なんとも言えない空気になって、お腹すいたね、ハンバーグ作ろうって私が言って、牛乳の量が2倍のどろどろハンバーグが出来ました。2日後くらいに、東大から手紙が届きました。入試の得点開示です。こんなに早く、落ちた受験生全員に頼まなくても得点を教えてくれるのは東大だけです。7点差でした。惜しかったねって言われる度に、全然ちゃうって思います。多分私は入っちゃいけなかったんだと思います。
私はこれまでこれといった大きな挫折というものを経験したことがありませんでした。大抵のことはそこそこ頑張ればどうにかなりました。下手の横好きという言葉がぴったりで、昔から音楽やらスポーツやら色んなことに手を出して飽きたらやめていました。小学校の時は、まっすーなんでも出来るねって褒められてました。本当は何にもできないのに。洛南にもさらっと合格しちゃいました。ただ中学入試が得意だっただけです。逆上がりがすぐ出来ちゃう子と3日特訓しても出来ない子っているじゃないですか。中学入試も同じです。
志高塾の話をしようと思います。中学1年の終わりに、国語のからきしダメなのに危機感を覚えた母がなぜか新聞広告を目にしてこれどう?って聞いてきました。私の母は基本的に勉強にノータッチです。ホームページ見ていい感じやんって思って入りました。なぜ高3の12月まで通い続けたのかはなんだかんだいって、面白かったからです。先生と雑談したり、私が通っていた仁川学院の小学生と喋ったり、作文したり。志高塾で得たもの?はまだ分からないです。これまで読んだことのなかったジャンルの本を読むようにはなったし、読書感想文をさっさとかけるようにもなったけれど、何って聞かれると、答えに困ります。いつか分かったらまた投稿させてください。
東大の開示を友達と比べた時、うわ、入試しょーもな、って心から思いました。その友達は理IIIに落ちたんですけどマジで数学出来る人で、その子と私数学が2点しか変わらなかったんです。そんなテスト、もう1年受ける気にはなれません。そう言えば筑波の受験番号忘れました。受験票も捨てた気がします。いつ届くか分からない、そして届くかも分からない合格通知を待たなければならないみたいです。