
2025.11.11Vol.710 文脈についての考察(かんけつへん)
「文脈」をテーマにするにあたり、30歳前後までその言葉の本当の意味を知らなかった理由、原因について考えてみた。正確には、先週の時点で考え終わっていた。一つには、国語という教科を通して、私に響くようにそのことの大切さを教えてくれる先生がいなかったから。これに関しては、人のせいにしたいのではなく、教える側になった現在、そのことの重要性をきちんと伝えてあげないといけない、という気持ちが強い。もう一つには、私自身が複数の意味に解釈できるような、誤解を生むような言葉遣いを幼少期からしてこなかったから。発信側のその姿勢は、基本的には今でも変わらない。ただ、昔のように誰彼構わず意見をストレートにぶつけるわけではなく、それを理解してもらえる人に対象を限定するようになったこと、昔同様にオブラートに包みはしないが、必要であればその言葉をきちんと受け取ってもらえるように、前置きの説明をするようになったことなどは昔より成長したところであろう。
前回、「カラーバス効果」について述べた。その言葉を知らなかったとしても、「『文脈』について考えていたから、それに関連する事柄が目に入ってきた」とはなったであろう。では、ある事象に対して、より適した言葉を充てられることでどのような効果があるのであろうか。1つ目は、解像度がより鮮明になるということである。体験授業などで語彙の重要性について語るとき、私はエスキモーを例として挙げることが少なくない。「エスキモーは雪とともに暮らしているから、20以上もの表現があると言われている」というようなことをこれまで話してきたのだが、今、調べると「50」、「200」という数字が出て来た。「雪」とひとくくりにして表現するのとは受け止め方に差が出ることは感覚的に分かっていただけるはずである。もう1つ、怒りの感情を例に取る。何か嫌なことがあったとき、なんでもかんでも「むかつく」と表現すると、本当はそれほどまでではないときであれば、いらだちが増幅されてしまう。「心に波風が立つ」を知っていれば、「これぐらいのことはあるわな」と少し冷静になれるかもしれない。もっと些細なことであれば、「心にさざ波が立つ」と受け止めることで、「こんなことぐらいで心を乱されててどうすんねん」と前向きになれるかもしれない。2つ目は、冒頭で述べた「カラーバス効果」のパターンである。「あっ、これがあのカラーバス効果か」と単純に満足度が増す。それによって、その事柄がより印象に残る形で記憶される。
さて、文脈。なぜそれをオンライン英会話で意識したのか。ネイティブキャンプでは、「デイリーニュース」、「旅行英会話」、「ビジネス英会話」などに加え、英検やTOEIC対策のものなどいろいろな教材が用意されている。もちろん、フリートークというのもできる。その中で、私は文法の初級から始めた。その理由は、中学校で習ったような簡単なことでさえ実際の会話の中で全然使えない、ということをこれまで幾度となく経験してきたからだ。最初の何回かは進め方が分からず、頓珍漢なリアクションをそれなりにしていた。たとえば、教材の中で交わされている2人の会話について質問されているのに自分に関することを答えてしまったり、音読するように指示されているのに黙読したり、といった感じであった。慣れてくると、チャプターごとで単語や文は違うものの流れ自体は分かってくる。すると、安心感と共に油断が生まれる。これまでのところ一度として同じ国籍の先生を選んだことがないので、当然のことながら毎回先生は違う。マニュアルがあるので基本的な進め方は同じなのだが、細かい部分は人によって異なる。通常はテキスト内で用意されている質問をされるので、私はそれに対する答えを頭の中で準備するのだが、一度、その日勉強していることと関係するもののそこにはない、想定外のことを尋ねられて、「もう一度言ってください」となった。
前回からここまで随分と前置きが長くなったが、その不意を突かれた瞬間「文脈からずれた」ということを感じた。正確には、「文脈」ではく”context”の方をイメージしていたのだが。なぜ英語の方だったのか。正確には「text(教材)に載ってないことを聞かれたせいで答えられなかった」となったからだ。否定の”un”や繰り返しの”re”などの接頭辞はさすがに知識として頭に入っていたが、その日のレッスンが終わった後に、もしかして、と思って調べてみて、”con”には共有するという意味があることを初めて知った。先週、「『コンテクストを共有する』という言葉を私の耳が、頭が捉えた」と書いたが、それは違和感を覚えたからだ。「コンテクスト」が「テキストを共有する」という意味だと私自身は捉えているので、重複表現に感じられたのだ。
先週の月曜から始まった面談も、西北は後4, 5人の親御様を残すのみである。長年通う生徒は、「先生、お母さんとまたどうせ勉強と関係のないことばっか話すんやろ」というようなことを言ってくるのだが、これまでそれに対して「半年に1回のこのタイミングで、ちょうど大きな悩み事を抱えているわけではないやろ。世間話をすることで、俺がどういう考え方をしているかを知ってもらうことが大事やねん。信頼できそうかな、ってなったら、何か問題が起きたときに相談しよう、ってなるかもしれへんやん」と返して来た。面談するに当たり、今回は次のように考えていた。「面談というのは、お互いの考え(テキスト)のすり合わせを行って、共有している部分(context)を明確にするための場なのだ」と。それによって話す内容に変化が生まれたわけではない。ただ、適切な言葉を見つけられたことで、少しだけ、満足感や充実感が増したと私自身は思っている。その思いも親御様と共有できていることを願っている。








