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2023.08.22Vol.604 おかえりなさい

 Vol.600から連載して来た振り返りは、今回お休みです。
 ただいま、8月20日の日曜の夕方18時過ぎ。鹿児島市にある平川動物公園の駐車場の車の中でこの文章を書き始めた。長男は学校の勉強合宿があるため、4人での3泊4日の家族旅行の最中であり、現在、妻と二男と三男の3人はナイトズーを楽しんでいる。さすがにこのタイミングで手を付けておかないと火曜日はえらいことになりそうなので、まったく気分の乗ってこない自分に鞭を打ってパソコンを開いた。小休止することにしたのは以下のことを書きたくなったからである。
 去年の夏休みに続いて、ヨーロッパの大学に通う2回生の元生徒が算数の講師として活躍してくれた。18日の金曜日が最終出勤日であった。年末にも帰国するとのことだったので、「来年の夏まで待てない。早く会いたいからよろしく」と別れのあいさつをしておいた。志高塾に12年間通い、算数、数学も約10年間、そのほとんどを私自身が教えた。それ以上の研修はない。丸付けをするとき、式の立て方などを含めた解き方が適切かどうかをチェックしてから、答えの数値が合っているかを確認するという順番も熟知している。それはそうである。教えられる側であったとき、答えは合っていても工夫が無ければ、「頭使わんと解くん得意やな」などと私に幾度となく嫌味を言われてきたからだ。そして、今年は1年前と比べてよく動き回っていた。そのことを褒めたのだが、本人はそのような変化が起こっていることすら把握していなかった。そういうことはよくある。1年前は数か月前まで高校生だったこともあり遠慮していたがそれが弱まったからなのか、もしくは異国の地で1年以上学んでいるという経験が無意識のうちに自信を生み出しているからなのか。後者の要素の方が強く働いているというというのが私の見立てである。その動き回るということも、解答を見ずに丸付けをすること同様に志高塾がとても大事にしていることである。いろいろな生徒を見ることで講師の柔軟性は増し、各講師の柔軟性が増せば、志高塾全体の柔軟性も増すからだ。もし、ある講師がBという教材までしか教えられなければC以上に取り組んでいる生徒が多いコマは任せられないし、名目上講師が足りているように見せかけるために入れたとしたら、その講師は表面を撫でたような添削や丸付けをするだけに終わるので教育の質が下がってしまう。
 先週、数か月前に入った国語の講師に読解問題の丸付けをお願いした際に、生徒が解いている横で、解答を小まめにチェックしているのを見て、「それをしたら、模範解答に近づけようとしてしまう。まずは生徒の答えをちゃんと見ないといけない」という指摘をした。経験が無いから心配になるのは分かる。ただ、エネルギーを割くのであれば、もう一度文章を読み直したり、選択問題は自分だったら何を根拠にどのように消去して行くか、記述問題は本文を抜粋してつなぎ合わせずに言い換えるのであればどんな言葉が良いだろうか、ということを考えたりすることに費やして欲しいのだ。自分が添削や丸付けをできる生徒は限られているからといって、そこに張り付いていてはいつまで経ってもできることは増えない。自分が教えたことが無い教材があるのであれば、それを指導している先輩講師のやり方を見て学んで、いつその教材の指導を頼まれても良いように準備をしておくことが重要なのだ。研修期間が終われば研修が終わるわけではない。ろくな研修プログラムも用意せずにOJTという言葉を使うところがあるが、一定以上の研修をした上で、学ぶ姿勢を持ち続ける人たちが日々実践していることこそがOJTの神髄ではなかろうか。豊中校や高槻校の責任者に、人件費を抑えるように指示することはない。ただ、講師が足りているところに余分に入れるのであれば、その分、学びが多くなるようにして欲しい、とは伝えている。そのときにまだ教えたことがない、CやDに取り組んでいる生徒の指導方法を学ぶのだ。私が体験授業などで訪れた際に、ただ突っ立っているだけの講師がいた場合は、責任者にそれなりに厳しく指摘する。
 そして、次がこの春から九州の大学に通い始めた元生徒。「夏休みにインターンをさせてもらえないですか」というお願いをされたので、二つ返事で受け入れた。「バイトをさせてください」でも断る理由はなかった。人件費をけちりたかったわけではなく、給料をもらえなくても学びたいという気持ちを買うことにした。大学の先生がさびれた商店街の活性化プロジェクトに携わっていて、その一環として小学生向けの塾を開くので、そこで指導するために学びたいとのことであった。彼は小4で入塾し、海外の現地高校に入学するまでの6年間通い続けた。そして、浪人生だった昨年の1年間は日本の大学の小論文試験に向けて志高塾に毎日のように来て自習をしていた。週2回の授業で私が添削することはほとんど無かったが、教室にいる間に間違いなくどの生徒よりもたくさん会話をした。その中でいろいろと伝えたつもりである。
 英語のスピーチコンテストに学校代表で出る中3の生徒の日本語原稿の添削を6月ぐらいから私が行ってきて、夏休み前後からそれを英語に置き換えて完成を目指している。現在、その英語の原稿を彼に見てもらっている。行き詰まれば、彼とその生徒が私のところに一緒に相談に来て、アドバイスをすると、彼が私の指摘した内容を理解して、それを踏まえてまた2人の作業が始まる。その一連のやり取りが円滑に進むのは、基本的な部分での共有認識が持てているからである。
 元生徒が成長している姿を目の当たりにできることは幸せである。当初は「お帰り」だったタイトル。「おかえりなさい」とすることで、ぬくもりがあるように見せかけてみた。

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