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2024.01.06Vol.10 「いつか」のための「今」(竹内)

 気付けばもう年が明けて5日が過ぎている。そしてそれは中学入試が、あるいは共通テストが、もうすぐそこまで迫っていることを意味している。この時期はいろんな生徒のいろんな志望校の対策をするので、私自身様々な文章に目を通す。以下は、その中の1つの甲陽学院で出題された物語文である(宇山佳佑『恋に焦がれたブルー』より)。父からの反対を押し切って靴職人になった主人公が、5年間修業を積んだ後、父が癌で余命3ヶ月であることを知って、思いを込めて靴を作りたいと申し出るものの、頑なに拒まれてしまう。師匠からの助言を受けて、ずっと父と向き合うことから避けてきた自分に気付き、主人公は再び父の病室を訪れる。そんな場面が描かれている。

 「僕はこの靴で一人前になってみせる。父さんの靴で、一人前の靴職人になりたいんだ」
 何も言わない父に「ねえ、父さん」と呼びかけた。
 父は視線だけをこちらへ向けた。その瞳がかすかに輝いているように思えた。
 「僕は今まで父さんから何一つ教えてもらわなかったね。(中略)だから教えてほしいんだ。最後にひとつだけ、どうしても教えてほしいんだ。父さん、僕に……僕にさ……」
 車いすの肘掛けに乗せてあった父の手に、歩橙はそっと手を重ねた。あまりの細さに涙があふれた。
 「大切な人の靴を作る喜びを教えてほしいんだ」
 父は力なく首を横に振った。父の手も震えていた。
 「俺はお前の靴は履きたくないよ……」
 「どうして?」
 「だって――」
 父の目から一粒の涙が落ちた。
 「歩きたくなるだろ。お前の靴を履いたら、俺はまた、きっと歩きたくなる……」
 その涙は薄くなった父の胸板を濡らし、細くなった腕を濡らし、もう立つことのできなくなった二本の足を濡らした。父は左手で枝のようになった太腿を強くさすった。

 この場面に関して、設問では涙をこぼした父親の心情が問われている。自分を思って息子が作ってくれた靴を履いて歩くことが叶わないことへの無念をまとめることができれば、解答としては適切である。直後にも「悔しくて泣いている」という描写があるので、方向性は比較的押さえやすいだろう。
 しかし、である。その「悔しさ」がどれほどに深いものであるかを、一体どれだけの子どもが分かるだろう。いや、私だって、その気持ちをどれだけ重く受け止められているのだろう。大人になった今でさえも、かろうじて体感しているのは、家族としての視点からの、細くなってしまった腕の切なさや、それを受け入れるしかない寂しさくらいかもしれない。主人公が同年代であったり、学校が舞台であれば、自分の経験と重ねられるところがある分子どもたちにとっては読みやすい。そうではない作品の場合でも、共感はできなくても、論理的に読み解けば問題に答えることはできる。ただ、何かが分かることと同時に「まだ分からない何か」があることも浮き彫りになる。解くことを通して、まだ味わったことのない思いがあることを知り、「これがあの気持ちなのか」と理解できるようになった時は、一つ成長した時でもある。何も「志高塾で読んだ文章にもこんな気持ち描かれてたな」と覚えていてほしいわけではないが、今教室で取り組んでいることはある種の「先取り」であって、確実にこれからに続いているのである。
 毎年、「受験は通過点」という言葉を噛みしめる。そのように表すからには、振り返った時に確かに通った点であることを認識できるようにしてあげないといけない。受験を終えた時点では、子どもたちはまだ完成していない。これから先、学生の時期を経て、社会に出て、いろんな立場で長い人生を生きていくことでそれぞれが自分の形を作り上げていく。入試問題で取り上げられる文章は、その学校の在り方を最も分かりやすく示すものであるだけに、よく選び抜かれている。だからこそ、ただ正解か否かに一喜一憂するのではなく、そこからできる限り多くのものを得させてあげたい。
 国語の講師としてできることは、1つ1つの文章とじっくり向き合わせて、「いつか」に繋がるようにしてあげること。そうなるようにとことんまで力を尽くして、この1週間を走り抜くのみだ。

2023.12.22Vol.9 「率直」に一聴の価値があるように(徳野)

 先日、国語講師の求人に50代の女性が応募してきた。過去に某大手メーカーのコールセンターでお仕事をしていた方である。そして、面接での一場面。私が月間報告についての説明を行う中で、作成したものには代表によるチェックが入る旨を伝えたところ、「代表って厳しい方ですか?」と不安げな表情と共に尋ねられた。自分より遥かに多くの人生経験を積んできたはずの人からそんな質問を受けるとは思わなかったので少々面喰いつつも、「言うべきことはストレートに述べる人物なので、始めのうちはそこを厳しいと感じるかもしれません」と答えた。本当に驚いたのはそれに対する女性の言葉である。彼女曰く、「コールセンターで罵詈雑言を受けて付いたスキルを生かします!」とのことだった。「率直なコメント」と「人格否定」を結び付けてしまっている様子が窺えたため、採用を見送ることにした。ただ、たとえ上で取り上げた発言が無かったとしても、会話の端々で感じた「子どもは褒めて良い気分にしてあげないと伸びない」という価値観は我々の方針とは異なっているので結果は変わらなかっただろう。
 ところで、「罵詈雑言」などという言葉がすぐに出てきてしまうのはなぜだろうか。一般企業の窓口に寄せられる意見など大半が理不尽な内容で、聞くに値しないようなものばかりであるのは容易に想像が付く。それでも、「掃きだめ」の中に商品やサービスの改良のヒントとなる「宝」が潜んでいる可能性はあったはずだし、大企業なのでその日に受けた相談内容を簡単なレポートとして提出する機会だってあったかもしれない。ビジネス書を通して知ったことだが、化粧品メーカーのオルビスは購入者から寄せられた言葉を「知恵の泉」としてデータベース化して社員全員が閲覧できるようにしている。さらに、そのシステムが商品開発に還元されたという少なくはない実例が電話対応に当たるスタッフのモチベーションに繋がっているおかげか、オルビスのカスタマーサービスの質の高さには業界でも定評がある。はっきり言ってこれは出来すぎたケースだとは思うが、もしかしたら、あの女性が属していた組織は消費者からの少々耳に痛い意見を取捨選択した上で積極的に受け止めるための仕組みが構築されていなかったのかもしれない。あくまで私の勝手な推測ではあるが。
 話題は面接を行ってから何日か経った、コーヒーチェーン店での出来事に移る。(またしても)50代くらいの男性客がバイトリーダーを呼び出して「この店のサービスは最悪です。本当に最低。もう二度と来ない。」という風に真正面から不満をぶつけている場面に遭遇した。遠くから耳をそばだてている身としては「何が」最悪なのかを知りたかったのだが、残念ながら男性は「自分は怒っている」以上の情報を明らかにしないまま去ってしまった。リーダーを含めまだ学生であろう若いスタッフたちに自身がどのような過ちを犯したのかを振り返ってほしかったからなのだろうか。しかしながら、せっかく物申すのだから、彼らの学びになるような言葉を残してあげてほしかったし、スタッフさんが「何か失礼がありましたらご教授いただけますでしょうか?」という質問を返せるように教育をしていないのは店舗責任者の怠慢ではないかと感じた。「クレーム」が本当に意味を成すためには、聞く側と訴える側の双方が歩み寄る必要がある。こうやって言葉にしてみると至極当たり前のことなのだが、その重要性を肌で感じ取れたという点で貴重な経験を二つもさせてもらった。
 作文の添削とクレームは全くの別物であるのは承知だが、講師からの指摘が生徒にとって嬉しいものばかりでないという面では通じていると言えるだろう。子どもは「ご機嫌取り」のための褒め言葉には敏感なので、長い目で見れば、多少手厳しくても自分に新しい景色を見せてくれる講師に信頼を寄せる。そして、「新しい景色を見せる」ためには、単に「これがダメ、あれが出来ていない」と修正点を羅列するだけでは不十分であり、課題に向き合うことの先に何があるかを示してあげなくてはならない。そういったやり取りを通して、生徒たちの内面に他者からの言葉に耳を傾ける姿勢が培っていくだけでなく、いざ自分が誰かに意見を述べる際も前向きに受け止めてもらうための工夫にエネルギーを使えるようにしてあげたい。

2023.12.08Vol.8 逃避の行方(三浦)

 昔、どこかで「好きなことを仕事にするときに必要なのは、その『好きなこと』のために、どれだけの『好きじゃないこと』を我慢できるかだ」という内容を見かけた覚えがある。本当にどこだったか思い出せないし、もしかするとインターネットの投稿だったかもしれないが、私としては腑に落ちる言葉だった。仕事に限った話ではない。「好きなことをする」というのは決して逃避の先に得られるものではない。
 さて、とある中学校の過去問に取り上げられていた村山由佳氏の『雪のなまえ』に、以下のような内容がある。いじめにあって東京の小学校に通えなくなり、長野の曽祖父母の家へと引っ越した主人公の少女が、「学校の勉強なんかより、農業の方が役に立ちそうだし、生きてるって感じがする。ばぁばの手伝いをしたい。だから農業を教えてほしい」と頼む。そしてまあいろいろなやり取りがあって、その最後、曾祖母の答えが以下のようなものだ。

「無理に学校行けって言ってるんではねえよ。そこんとこは、お父さんお母さんの意見もよーく聞いて、自分で考えて決めたらいいだ。ただな、時々、ちょこっと考えてみてほしいだよ。今の自分は、何をどれだけ辛抱してるかなあ、ってな。畑仕事を教わりたい気持ちは本当でも、それはもしかしたら、したくねえことから目を背けてるだけなんじゃねえかな、ってな」
「休みもなしに走り続けたら、心臓が潰れっちまうだわ。だもの、心の底から苦しいばっかりだったら、そんなものはやめたらいいと婆やんも思うだよ。だけどもそれは、とりあえずいっぺん走り出したモンにだけ、当てはまることなんじゃねえかなあ」

 小説を通読した訳ではなく、出題されているだけの一部分に目を通しただけなので、この後がどうなるのかはわからない。この前がどうなっているのかもわからない。ただ、この一部分を出題箇所としたということは、出題校はここに何かしらのメッセージを見出し、それを受験生に伝えようとしているのだろう。
 私自身、自分にとても甘いたちだし、精神的にタフなわけではない。高校生の頃には実際に学校に行けない日もあって、そこから心のどこかに「逃避」という選択肢、いや、癖がついてしまっているようにも思う。もちろん、逃げることがいつだって悪いわけではない。何からも逃げずに無理を重ねて折れてしまうくらいなら、逃げてしまえばいいとも思う。
 ただ、それでも、「逃げていい」という言葉を言い訳にしてしまうのは違う。ほんとうにわずかな例外を除けば、たいていの場合、「逃げる代わりに、何をするの?」という問いがセットになるのではないだろうか。追い詰められているその時にする問い掛けではないにしろ、逃げた後で、それを問うことは必要なはずだ。私はそれを頑張ってこなかった人間だった。本来であれば、環境から逃げる代わりに、いくらでも勉強なり他の努力なりをすることができたのだ。
 耐えている人に「逃げればいい」と言ってやることは簡単で、だからこそ無責任になりかねない。相手にとって本当に大切なのは逃げることではなく、「耐える場所」を変えることかもしれないし、「耐える理由」を考えることかもしれない。先ほど挙げた物語でも、「東京の学校とこっちの学校は違うはずだし、こっちには幼馴染もいる。絶対こっちの学校にも行かないと決めてしまうのは、少し早い気がする」という内容の曾祖母の話が上がる。
 嫌なことが何一つ起こらない場所、なんてものはない。何は耐えられないのか、何なら我慢できるのか、そういったひとつひとつの内省なくして全てほうり出してしまったら、いつまでも「頑張る」ことはできないままだ。それができなければ、結局、「好きなこと」すらできないままになってしまう。
 夏休みの終わり、二学期が始まる直前。図書館からの生徒の呼び掛けを目にしたことがある。調べてみれば8年前の鎌倉市図書館のポストだった。

「もうすぐ2学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね」

 逃げればいい。逃げた先で一息つけたら、そこでようやく、何か頑張れることを見つければいい。何か好きなことを見つければいい。なかなかどうして、うまく伝えることの難しいメッセージだ。

2023.12.01Vol.7 対話の力(竹内)

 日大のアメフト部の問題。2018年の危険タックル事件の後、年度内の対外試合禁止処分を経て、外部から監督を招聘し再スタートを切り、翌年関東学生リーグの1部昇格を果たした。昨年春からは日大OBを監督に据えての新体制が始まっていたのだが、今回の部員による寮内での薬物所持・使用という不祥事を受けて、「廃部」へと進むことになった。大学のこの対応に関しては、この問題に関与しない学生たちもが活動の機会を失ってしまうとして、「連帯責任」の是非も問われている。現状として活動停止中なのだから、少なくとも部の今後は、全貌がもっと明らかにされたうえで決めていくべきである。
 さて、この「連帯責任」は、本来は不法行為を働いた複数の者が連帯して責任を持つことを指している。つまり、ルールを破った誰かのために、それをしていない誰かまでが罰を受けるというのは正しい形ではない。ところが、人を管理する上でこのような考え方が用いられることは決して珍しくなく、例えば教育の場では誰かが提出物を忘れたり、掃除をさぼったりすればその人物が属する班の全員を減点し、子ども同士での監視に発展させることもある。私自身が中学生だった頃にはもっと意味の分からないことがあって、拾い忘れたボールが1球あったせいで、野球部全員が放課後の練習時間中延々とボール箱に向かって大声で謝罪させられていた(弟がその時の野球部に入っていたのでどうしても忘れられない)。他の部活をしている同級生に見られることになるので恥ずかしさこそあれど、もし、それを大事にすることを説きたかったのだとしたら、それを使用するメニューを当面外すなり、対策について話し合わせるなりした方がよっぽど自分たちで考える時間になったと思う。
 責任感とは、想像力である。「こうなるかもしれない」「相手はこう感じるかもしれない」と考えを巡らす時間を持たずして、「気を付けよう」とはならない。それなのに、この「想像する」という過程がゆるがせになっている。「このままじゃだめだ」と一度は自分を奮い立たせても、律し続けることはすごく難しい。そんなに大変なこととじっくりと向き合わないままに何か事が起きて追及を受ければ、結果だけに目を向けること、失敗への恐怖、さらにはそれを隠そうとする意識に繋がってしまう。責任は「取らせる」ことよりも「持たせる」ことの方が成長を促すはずだ。
 人は家族なり学校なり職場なり、何かしらの社会の中でその一員としての役割を担っている。本当は、大人も子どもも関係なくそれぞれに、自分の言葉、行動、なんだったら生きているということに対してすらも責任が発生している。それは自分では意図しない、希望していないことかもしれない。だが、その周囲と接する中で「誰かがやってくれる」のではなく、ほんの少しでも自分が背負っているものがあるのだと自覚できれば、自らを見つめ直せるのではないだろうか。コミュニケーションは相手の想像力を刺激すること。そのことを自分の頭において、目の前の人とかかわっていきたい。

2023.11.24Vol.6 ちいさな哲学者(徳野)

 弊塾の代表から紹介していただいた「BizHintニュース」というメールマガジンを読むようになった。私があまりにも一般社会に対する知識が少なすぎる現状を踏まえて情報を吸収していくための取り組みの一環である。そして、最近の記事で印象に残ったのが、鹿児島の濵田酒造株式会社の濵田雄一郎社長のインタビューだ。(最後にURLを貼ってあります)濵田氏は自社の魅力を高めるべく32年間奮闘してきた方であり、京セラの創業者である稲盛和夫氏とのエピソードを中心にお話をされている。稲盛氏は濵田氏に向けて次のような助言をされていた。
 
「フィロソフィに沿っている。間違っていない。」

「フィロソフィ」つまり「哲学」。先述の「BizHintニュース」では、様々な資本が限られている地方の中小企業で改革に成功した経営者の方々が多く取り上げられており、皆さんが揃って重視されているのが「理念」である。言葉は違えど「哲学」もそれと同等のものとみなせる。小手先の解決策を探るより先に「守るべき価値観は何か」「企業としてどこを目指すのか」という指針を定めないとメンバー間の精神的な結束は望めないし、コストをかけるところを見誤ってしまう。苦難の末にしっかりと結果を出した人々の説得力ある言葉は、ビジネスの世界における根本的な思考の重要性を改めて教えてくれる。
 さて、今回は哲学との関わり方についてもう少し掘り下げていきたい。
 まず、学問としての定義を説明すると、哲学は大きく「倫理学」「認識論」「美学」に分類される。ちなみに、私は大学の文学部で3つ目の、アートやデザインを通して人間の感性を研究対象とする美学を専攻していたので、いちおうは哲学者の端くれだった。「好き嫌い」や「センス」といった漠然とした言葉で片付けられてしまう感覚的な事柄に論理的にアプローチし言語化すること。そして、日常で当たり前のように用いられている言葉を一つひとつ疑い、より包括的に定義付けられるよう自分なりにアップデートを繰り返していくこと。そうやって過ごした3年間は楽しかったし、理解が及ぶ次元を少しだけ高めてくれたのは事実だ。
 しかし、我ながら残念なことに、研究室での学びが大学の外にある「社会生活」の糧になるという気づきには至らなかった。私個人の問題として捉えるとあまりにも視野が狭く様々な経験を積んで来なかったせいなのだが、周囲で哲学系を専攻していた、特に就職活動を始めた頃の知人たちも「自分の卒業論文のテーマは将来の仕事には役立たない」と漏らしていたのだからなかなか深刻である。あくまで私が見た範囲での話になるが、講義で取り上げられる題材はあまりにも抽象度が高く、まず資料の内容を把握するだけでも膨大なエネルギーと時間を要するので、指導する側も知識の伝達や文献の精読だけで精一杯という面は否めないだろう。また、そもそも大学から出たことのない教員にとって、利益追求を狙いとする組織についてイメージを膨らませながら自身の専門分野との繋がりを見出すのが容易でないのも分かる。それでも、わがままなのは承知だが、哲学が実社会から切り離された研究者のための「別世界」ではなく、どんな人生を歩む場合でも助けとなることを学生たちが実感できるような機会があれば、受け止められ方はもっと前向きになるはずだ。我が母校でも、鷲田清一先生がかつて「哲学カフェ」という対話を中心に据えたスタイルの授業を展開していたが、現在はどうなのかを同校に通う学生講師に尋ねてみようと思う。
 そして今、次は教育に携わる者の端くれとしての私の目標は、「フィロソフィー」の重要性を伝えていくことだ。たとえ身近なレベルであっても「自分がどうありたいか」を浮き彫りにするために己を徹底的に見つめ直す過程は、物事の根本原理を追い求めるという意味で立派な哲学的思考であり、特に意見作文はこれ以上無い教材である。さらに、考える習慣が付けば知識も血肉になるものとして捉えられるようになる。 
 志高塾を卒業した生徒たちに私と同じ専門分野に進んでほしいなどとは望まない。ただ、人文科学系の教養を「無くてもいいもの」ではなく「あればあるほど良いもの」と認識した状態で旅立てるようにしてあげたい。

(濵田雄一郎氏のインタビュー記事)
https://bizhint.jp/report/858631

2023.11.10Vol.5 消費者として(三浦)

 NHKの「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」を気に入ってよく見ている。以前はアメリカ、すこし前には日本の70年代、80年代、90年代…といった時代ごとのサブカルチャー、主に映画や音楽を紹介していくものだ。しかしただの紹介が主軸なのではない。サブカルチャー史というだけあり、当時の時代背景や世間のうねりというものがいかに当代のサブカルチャーを生んだのか、それを専門家たちが語っていく。忘れがちだが、「時代背景」という視点は大抵の作品に存在しているのだ。
 以下に例を挙げるが、うろ覚えなのと私自身がラストシーンしか見たことがないものなので、的外れであれば申し訳ない。近く最新作が公開されていた『トップガン』の初代作品では、戦闘シーンを売りにしながらも、何と戦っているのかが明言されないままに話が進んでいく(らしい)。しかし冷戦真っただ中の当時、観客たちは「アメリカの敵」というポジションから即座に「ソ連」を連想し(敵の戦闘機もソ連のものだそうだ)、その戦闘に自分たちを投影する。だからこそ、最後に撃破するシーンでは、観客は単なる「主人公の勝利」にではなく、「ソ連に対してアメリカが勝利した」という幻想に高揚を得ていたそうだ。
 単なる事実の羅列としての歴史ではなく、そういった消費する群衆の視点から、揺れ動いていく時代を見ていくのは面白い。何より、当時のカルチャーに詳しい母と見ているからこその楽しさもある。その時代には日本ではこういうのが流行っていて……だとか、この俳優は他にこういうものにも出ていて……だとか。そういったものは、その時代を謳歌していた人間にしか話せないものだ。しかし、そんな母でもアメリカの時代背景を知っていることは少ない。先の『トップガン』もリアルタイムで観ていたらしいが、アメリカの熱狂それ自体を実感することは全くなかったそうだ。一緒に感心しながら、テレビに耳を傾けている。作品と文化は地続きだが、意識しなければ見えてこない部分ではある。
 さて、時代背景という一点で、思い出したことがある。この間、といってもかなり前に、新海誠監督の『すずめの戸締り』を観に行った。地震、震災がひとつのテーマであるこの作品の中では、「3月11日」という日付が登場し、しかもそれは東北の地と結びつけられている。もちろん、見ている私たちは、その日付だけで東日本大震災を想起する。また、震災というテーマをもって見れば、他に作中で取り上げられている神戸や東京といった土地も、阪神淡路大震災や関東大震災と即座に関連づけられながらの鑑賞になるだろう。
 だが、もし十年、二十年後になれば、その連想はどうだろう? 十年と言わずとも、今の若い世代はもう既に、過去のこととしてなにもかもを忘れていっているかもしれない。そんな人々は、果たして東北の地や「3月11日」という日付を見て、現実の出来事と即座にリンクさせることができるだろうか? させることができたとして、それは現実的ではない「記録」に他ならないのではないだろうか。
 ここまで長々と語ってきたが、実はテーマは「教養」である。多くの意味を内包するこの言葉は、同じように多くの目的を持って「必要だ」とされている。教養が必要な理由を一言で述べるのは難しい。
 今回は、この「教養」を「下敷きとなる知識」と定義してみる。そうすれば、教養が必要な理由など、私にしてみれば「その方が楽しいから」だけで十分になるからだ。面白いから、でもいい。かっこいいから、でもいい。知っている方が楽しいから学ぶ。
 もう、ワールドカップもずいぶん前の話になるのだろうか。ルールを全く知らない私はただボールがどこにあるのか目で追うだけで必死だったが、家族は「ここから焦ってくるやろなあ」「押してるなあ」とやいやい言いながら観戦していて、楽しそうで羨ましかった。どっちがリードしているかもわからないまま見ているより、(多少知ったかぶりだったとしても)戦況を踏まえながら見守っているほうがずっと面白いに違いない。
 これが、「知ること」の原点な気もする。そして「知識」は、決して過去のものに限らない。今起きていること、今の世の中の空気感、それらすべてが下敷きになって、いつかにつながっていくのではないだろうか。
 いつかずいぶん先の未来、この2010年代、2020年代を振り返った時、自分はどのように回想するのだろう。今のエンターテイメントについて、社会の潮流について、どのような時代背景を解説できるのだろう。そう思ってみると、消費者としての無知に気づかされる。振り返って初めて語るのではいつも手遅れになるのだろう。日本のサブカルチャー史、学生運動やバブル期という過去を他人事のように眺めていた。

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