
2024.06.21Vol.26 レンズの向こう(三浦)
子どものころから整理整頓が苦手で、今でも自室はかなり散らかっている。多分、想像のかなり上をゆくほどだと思う。この間のGWで多少は片づけたのだが、まだ紙類があちらこちらに置いてあるなど、結構な惨状である。だから生徒に「部屋は綺麗にしなさい」となかなか強く出られない。一方で、部屋が汚いことの情けなさを重々承知している身なので、こうはなってほしくないという意味を込めて注意することはできる。情けない話である。
こんなことを堂々と書くのはどうかとも思うが、部屋が汚い原因のひとつに、「現状が常態化してしまっている」ことが挙げられる。ようは感覚が麻痺するのだ。床に何かを置きっぱなしにしても「通るときに邪魔だなあ。まあ跨げばいいか」で終わってしまうし、片づけ忘れたレシートが視界に入っても「そこにレシートがあるなあ」で終わってしまう。見慣れてしまったせいで危機感が湧かなくなる。順応しているといえば聞こえはいいが、もちろんそのままでいるわけにはいかない。
そんな時、役に立つのがスマホである。
別段特別なことをするわけでもない。スマホのカメラ機能で自室をうつすだけだ。写真も撮らない。ただカメラ越しに覗くことで、初めてそこで、「私の部屋ってこんなことになってしまっているんだ」と客観的に気づくことができる。楽しんでいる場合ではないのだが、まるで別人の部屋のようで面白い。普段は部屋全体ではなく何かのアイテムに注目している一方、まさしく「全体像」を一目で見えるようになる点が大きかったのかもしれない。
ちなみにそのスマホのカメラ、もうひとつ身近な役に立つことがあった。
私は視力が悪いのでいつも眼鏡をかけているのだが、そういう人にとって眼鏡を失くすというのは命綱を失うこととほぼ同義である。普段はあまり意識こそしないが、例えば緊急避難時に眼鏡がなければどうなってしまうのかを想像すると、足元も見えない、遠くの文字も見えない、顔もわからないで、かなり大変な思いをするのだろうと推測できる。だからコンタクトをした時も「コンタクトを失くしたら一歩も歩けない」くらいの気持ちで、いつもしっかりとケースに入れた眼鏡を持ち歩いていたのだが、荷物がかさばるのが面倒になってついにコンタクトの方を全くしなくなった。
さて、眼鏡がない状態で眼鏡を探すのは腰の折れる作業だ。特に取っ散らかった机の上にほうり出してしまった時など、眼鏡を探すための眼鏡が欲しいくらいだ。しかしそんな時、スマホのカメラを通すと、画面の中では遠近など関係ないので、遠くまできれいに見ることができる。スマホの画面であれば、顔を多少近づければピントを合わせることができる。距離感を掴むのは難しいので眼鏡の代わりにはならないだろうが、探し物には十分だ。眼鏡に限らず、灯台下暗しの探し物も、案外こうすれば見つかるのかもしれない。「これはここにあるはずだ」という思い込みをいったん切り離すことができるのだから。
だが、その命綱でもある眼鏡も、案外外してみると面白かったりもする。この間の夜道、ふと思い立って安全なところで立ち止まって外してみたのだが、車のライトや信号の光などがぼやけるせいでやけに大きく見えて、まるで花火のように派手で明るく、いつもの帰路がまったく違う道のようにも見えたのだった。
さて、つらつらとスマホのカメラだの眼鏡だのの話をしてきたが、いずれも「視点を変える」ことに繋がるな、とふと思ったことだった。
何か、いつもとは違うレンズを通して見てみること。あるいはレンズを外してみること。既にあるものを、別の使い方ができないかと悩んでみること。作文の際、よく「視点を変えてみたら」とアドバイスすることがある。なんとも投げっぱなしなアドバイスだが、視点の変え方にもいろいろとあるのだ。アイデアの出し方とも言っていい。同じ景色でも、通すレンズが変われば何もかもが変わる。たまには歪んで見えるレンズがあっても面白い。そのレンズの引き出しを頭の中に持っておきたい。と、今、視力を計るときにいろいろなレンズを差し替えられる、あの形をイメージしている。
2024.06.16Vol.25 偶然を選び取るということ(竹内)
人生は選択の連続である――。浅学ゆえ、これがシェイクスピアの言葉であったとは知らなかった。今晩は何を食べようか、あの人に悩みを打ち明けるか否か、はたまた、どちらの足から靴を履こうか。何もかもに判断が下される。
スティーブジョブズがいつも同じ服を着ていたのは、重要な意思決定に十分なエネルギーを割くためである、という話は有名だ。服装が固定されていることは一種のトレードマーク化でもあり、自分の印象を作り上げることにもなりうる。たとえそれが一瞬のことであっても、選択には労力がかかる。「選ばなかった方」に後ろ髪引かれる思いが残ることもあるので、やはりその機会自体を減らせるようにすることはある意味で精神安定剤であるといえる。
すごく時間をかけているという自覚がある選択の瞬間は、私の場合は書店で本を買うときである。すでに積読が部屋を占拠していることが一因ではあるのだが、その一角に新たに増やすとすればどれにするのか軽々と一時間は悩めてしまう。どうせすぐには読まないしなあという気持ちと、でもせっかく面白そうなの見つけたしなあという気持ちの間で揺れながら、「今日はこれ」というのがやっと決まる。その時の自分の関心事が決め手であるのは確かだが、それと同じくらいに「書棚の中に入っていたのではなくて平積みになっていたから」とか、「その前に試し読みしていた人が逆さまに戻していたために目立っていたから」とか、実のところ偶然の状況に後押しされていることが少なくない。毎日の服だって、このアイテムを使ってみようと思うのは前日にそれを取り入れたおしゃれな人を見かけたからだったりする。そのセンスまでを吸収できているわけではない。日常生活の中には、自分の意志を強く意識したうえで行われる大きな選択ばかりでなく、ひそかに他者の影響を受けている受動的な選択があふれている。
最近授業で扱った灘中の文章の一つに、癌治療にあたっている外科医によるエッセイがあった。これはその中からの一部抜粋。
この一年間に、二名の再発癌の患者が、私の勧める治療法と考えがあわずに、他の医師のところへ去っていった。(中略)背景や、垣間見ることの出来た人生観などから、その患者にとって、よかれと思った治療法を提示して、説明したつもりではあった。しかし、二年以上のつきあいの中で、その患者を理解していると考えていた自分が傲慢であったのか、私はかなり悩んだ。偶然で知り合って、信頼関係を築いていくことは、相当の努力を必要とすることであった。
ちなみに、ここでの「相当の努力」というのは医学的な知見以外で個々の患者との接点を持てるように様々な分野の知識を得ることを指している。大きな病院で、どの先生に診てもらうことになるのかは、前の診察にかかる時間や、順番待ちが前後することによって変わる。そのたまたまできた関係性は治療をすることだけで必ずしも維持されるものではなくて、数多い患者の中での自分という一人の存在を見てくれていると感じられてこそ、その相手に任せよう、となる。志高塾の一員である私にとって、ここで経験する人との出会いは「偶然」の色が濃い。数多ある塾のうち、ここに通うということには、親御様の能動的選択が大いに関与している。一方で、子どもたちにとってそれは受動的なものであることがほとんどである。また、私自身が立ち上げたわけではなく、揺るぎない理念が掲げられていたこの場所にただただ引き寄せられた一人であるという点では、豊中の入り口で出迎えているのが私であるということも「偶然」の一つに過ぎないといえる。
さて、先ほどの文章。終盤では桶狭間の戦いを取り上げ、圧倒的な戦力差を覆すことの出来た「偶然」(住民が今川方に情報を売ったり、寝返った武将がいなかったりしたこと)について、織田信長の民政に対する努力が寄与していることに言及しており、「(幸運に)遭遇すること自体は偶然であるが、その確率を必然に近いところまで引き上げる努力が、背景にあった」とまとめている。
生徒の人数自体に大きな変動が起きているわけではないのだが、ここ最近は豊中校で生徒同士が授業内外で交流している場面が増えてきた。もともと同級生であるといった繋がりがあれば自然とそれは発生するのだが、学校や学年の垣根を越えての接触が見られるととても嬉しい。西北校ではそのような雰囲気がすでに確立されていて、個人的には長らくそれが目標だった。学年や成績でのクラス分けなどないので、同じコマにその生徒たちが来ていることも、たまたまなのだ。その中である生徒が話していることに共鳴したり、積極的には輪に加わらないけれど何となく耳には入っていたり、しばらくすると自分の取り組みに戻っていったり…。そういうことが起こるようになってきている。
このような「偶然」を「ここだからいたい」という「必然」に引き上げるための努力とは、我々の場合は「より良い授業をする」ことに他ならない。そしてその「良さ」とは、何かを教え導くということだけでなく、子どもたち一人一人が安心して自分らしく過ごせる場を作ることなのであろう。
2024.06.07Vol.24 わたしが思い出になる時(徳野)
当塾が扱っている教材の中に『意見作文(基礎)』と呼ばれるものがある。基本的には中学生以上を対象に、23個のテーマ(うち3個には複数の設問を設けている)をこちらで用意している。日常に関わる題材も多く、まずは400字で書くことを通して自分自身を見つめ直す大切さを感じ取っていくことが狙いの一つだ。そして、多くの生徒が苦戦するお題として「あなたが大人になったら、どのようなことをしたいですか?」というものがある。この「大人」とは「成人」を意味する。だから、子どもたちは初め、飲酒やバイクの運転など、18歳もしくは20歳になると共に法的な制限が取り払われる行為を羅列する。ところが、それでは「自分はなぜそれをしたいのか」という動機に関わる部分が薄くなり、内容が全く膨らまないという事態に陥ってしまう。この場合は「何をするか」よりは「どうなりたいか」という大きな指針を探る方が人生の選択肢を増やすことに繋がる。
しかしながら、未だしっくり来ていないのが「大人=成人」という定義付けだ。それは何より、今年で26歳になる私自身に「大人になった」という実感が無いからだ。10歳の精神のまま身体だけが大きくなったようなイメージを自分に抱いている。おそらく小学4年生が私の自我が目覚めた時期なのだろう。そういえば、児童書以外の小説を初めて読破したのもその頃だった。当時味わっていた「大人の仲間入りをした」という誇らしさは鮮烈に覚えている。「大人の仲間入りを果たした」は流石に見当違いすぎるが、その実態に近い「大人に一歩近づいた」という感覚はふとした瞬間に湧いてきたことがある。
私は映画鑑賞が趣味なのだが、今年に入ってからミニシアターより大手のシネコン(シネマコンプレックス)に足を運ぶ回数が増えている。この事実には我ながら少し驚いている。純粋に興味を惹かれた作品が上映されている劇場を選んだ結果ではある。だが、高校・大学生時代に形成された、「マジョリティ」があえて好まないであろうものに触れる行為こそアイデンティティの表出だ、という信念とも言える考えはだいぶ鳴りを潜めていることに気づいた。映画や音楽のようなコンテンツに自身の独自性を求める人間は視野狭窄で排他的になる。そういう私には根拠無く他者を見下しているような所があったはずだ。そういった青臭い姿勢が消えていないのは確実だが、少なくとも、去年までの己を気恥ずかしく思う視点を持っているのは「大人」の階段を一つだけ上がったからだろう。
過去の自分を「恥ずかしい」と思うこと、つまり自分に対して「含羞」があることは、「大人」とは何かを探る上で重要なポイントになると思う。
ある中学受験生の男の子は去年から、授業後に漢字テストに取り組んでいる。3月くらいまでは合格にはほど遠い点数ばかり取っていたので、その日覚えられていなかったものを全て10回ずつ書き取り練習するために夜まで教室に残る必要があった。当然のことながら本人は早く帰ることが叶わず、泣いたり、ふてくされてなかなか動きだそうとしなかったりしていた。さらに、そのせいで帰宅時間がさらに遅くなる、というまさに悪循環である。彼には「覚えられていないのは自分の責任なのだから甘えるな」という言葉を投げかけ続けた。すると、6年生に上がった頃には流石に懲りたのか、態度は随分と改善され、まだ明るい時間帯に教室を出ることができるようになったのを本人も喜んでいた。そんな彼を「昔は泣きながら夜道を歩いていたのにね」と茶化したところ、「僕の黒歴史を掘り返さないでください」と返された。その時の本人の顔は「含羞」のある苦笑いで、柔らかい表情を浮かべるようになったことが意外だった。去年の彼であれば仏頂面で黙り込んでいただろう。同時に、「黒歴史」というネットスラングを使う余裕があるところにもささやかながら成長を感じた。過去の自分に対して深刻になりすぎず、かつ、それを「良くなかった」と客観視できているのは、彼が出来ることを増やしてきたからこそ生まれた心の「ゆとり」のおかげのはずだ。少しずつ「大人」になっているのだな、と大袈裟かもしれないが心打たれた瞬間だった。(しかしながら、漢字の勉強の質をもっと高めてほしいのは今でも変わりはない)
人生の中で「大人になった」ことを正真正銘の完了形で自覚できる人はけっして多くはないはずだ。私に関しては未熟者として死んでいく可能性が高い。だが、「あの頃の自分は駄目だったな」という風にしみじみと恥ずかしがることができるのであれば、それは人間としての成熟具合が進んだことの証拠である。自己嫌悪していてはむしろ、過去に正対できなくなる。「ほろ苦い思い出」の距離感を目指して日々を邁進するのだ。
2024.05.24Vol.23 修正過程(三浦)
文学館に行くのが好きだ。二月末、神奈川近代文学館に行くことを目的に横浜まで出かけた。神奈川は作家の療養地として人気の鎌倉にある鎌倉文学館もあり、本当はそちらも寄りたかったのだが、修繕工事のため休館中のことで断念した。いずれも既に一度は立ち寄ったことがあるのだが、会期によって展示が変わるのはもちろん、再訪するまでに読んだ作品が増えていると、こちらの見方もまた変わるというのが面白いところだ。ちなみに鎌倉文学館は日本遺産にも指定されている立派な建物で、入るだけでもじゅうぶん価値がある。
文学に精通しているわけでは全くないので、全く聞いたことのない作家の展示に当たることももちろんある。聞いたことがあっても作品を知らない、というのも同様だ。例えば今回で言えば大岡昇平の「野火」は聞きかじったことこそあれほとんど知らなかったのだが、一部分が展示されていただけだったものの、その一部分を食い入るように読んでしまった。同行していた知人はすでに読み終えていたので、知人の感想や解説も織り交ぜながら落とし込んでいった。
一番の目的は太宰治の展示だったのだが、そちらは原稿よりも手紙などのインパクトの方が強く、それよりも坂口安吾が書いた「あちらこちら命がけ」という色紙が思いのほか記憶に残った。言葉だけでは伝わりきらないのだが、のたうち回ったような、本当に命がけで何かを成していないと浮かび上がってこない筆致だった。以前は武者小路実篤の「君は君 我は我也 されど仲よき」の色紙に唸った。いずれも、作品と繋げて色紙を読むと、その人柄が色濃く反映されていて面白い。「心の底からそう思っていないと出てこない言葉だな」と思わせるものがある。
初版の装丁や直筆の原稿、色紙などを見るとどうしても胸が躍るたちである。基本的に文学館にはそういった直筆を見に行っている節がある。色紙はさておき、原稿には作者の悪戦苦闘が色濃く残る。細かな表現の修正を積み重ねた末に、最終的に普段読んでいる印刷物の形に落とし込まれているのだと改めてわかる。ものによっては版によって言い回しや内容が変わるものもあり、それを見比べるのも楽しみである。好きな作家は修正跡まで愛おしく見えるものだ。
ところで、Eテレに「ザ・バックヤード」という、博物館やテーマパークの裏側を取材する番組がある。その中で横手市増田まんが美術館が紹介されている回があった。私はその美術館について全く聞いたことがなかったのだが、秋田県にあるさまざまな漫画作品の原画などを保存・展示している美術館らしい。その番組内で印象的だったのは、原画に残る修正の跡である。インクで描いた上からでも、修正液(ホワイト)を使えば印刷時には修正されたことがわからない。だから印刷物を見ているだけでは、その絵が修正を重ねられた末のものなのか、あるいは一度で完成したものなのかはわからない。紹介されていたのは男の子が驚いているコマで、驚いている表現として口元のない、目元だけの描写になっていた。しかし原画をよく見てみれば、何度か口を描いては消し、最終的に「口元がない方がいい」として完成形としていることがわかる。他の番組にはなるが、手塚治虫の手書き原稿でも近しいことを紹介していた。要は、「いろいろ試した結果、これが良いと思った」という過程を見ることができ、そこから「なぜそれが良いと思ったのか」という狙いを考察することができるのだ。ただ、今はコンピューターを使った作品も多く、そういった作業過程が(データとしてはあるかもしれないが)目に見える形として残っているものは少なくなってきているのかもしれない。
修正の過程と結果、そこからその意図を読み取れるというのは、なかなか特別で貴重なことなのだと実感する。
思い返せば、志高塾の作文は修正の際に消しゴムを使わないことを原則にしている。生徒からはよく「なんでですか」と聞かれるのだが、そのたび、「どこをどうやって変えたのか、どう考えていたのかわかるから」と返す。初めからきれいに書けることより、より良くしようとして自分で手を入れたことの方が重要なのだ。そのため作文用紙は書き込みだらけになってしまうこともしばしばだが、読みにくかろうが問題はない、それもまたひとつの苦戦と工夫の証である。
この「志同く」も打ち込んでは消し、段落を変え、書き直し、そういった悪戦苦闘の工程を経て完成しているのだが、デジタルゆえにその過程は残らない。残ったら多分とんでもないことになっている。その修正の多さは、やり直しが容易なデジタルだからこそ、かもしれない。一長一短、一手一手に意味を込めた修正は、アナログの特権でもあるのだろう。
2024.05.18Vol.22 どこにだって(竹内)
連休中のある日、小学校からの友人が西宮に帰省していたので、「明日空いてる?」と連絡をくれた。年末に会うことが叶わなかったため久しぶりに顔を合わせるチャンスだったのだが、「今、免許合宿中やねん」と泣く泣く断った。既に免許を取得している学生講師も多い中、30も超えてやっとの挑戦である。周囲には運転できる人が多いのと、電車があればどこにでも行けるというマインドであったため、長らく自分の生活には車が必須ではなかった。しかし姉二人は結婚して家を離れ、弟も仕事で静岡に転勤したことで関西に残っているのが自分だけとなると、少し話は変わってくる。実家で何かがあった時に動かなければならないのは私だ(こんなふうに書いておきながら、両親ともに元気に暮らしている)。先の友人にそのような心境変化を伝えて「えらすぎ」と褒められたのが合宿5日目で、その後の教習への励みになったのは言うまでもない。無論、スタートが遅すぎるだけなのだが。
上記のような理由でゆくゆくは免許を取ろうという考え自体はあったものの、なかなか踏ん切りがつかなかったところ、今年のGWは例年よりも長く2週間教室が休みになることとなった。免許合宿は最短で2週間なので、今がその時だと受け取って車校探しを始めた。せっかくだし行ったことがない土地にしたいのと、時期的に閑散期ではあったので受け入れをしているところというので長野か香川か、というところまで絞り込まれて、仕事の休みのスケジュールとしっかり重なっているというのが決め手で香川県観音寺市に向かうことになった。実のところ長野の方に気持ちは傾いていたのだが、そこはこれから、自分の運転で訪れることにする。
車にはとても死角が多い。ルームミラーやサイドミラーだけでは見落としがあるかもしれないので、最後には目視確認が不可欠である。常に前に横に、後ろに注意を払っていなければいけない。既に免許を持っている人からすればそんなことは至極当たり前のことであろうが、特に修了検定を終えて路上教習に移行してからは毎日気疲れがものすごかった。田舎の道でこれだったのだから、先が思いやられる。周囲への目配りがどれだけできているかが優良ドライバーになれるかの分かれ目なのだろう。まだ運転をし始めたばかりの頃はとにかく手元ばかりに目線を落としてしまっていて、それによって走行も不安定だった。もっと先を見た方が視界に入る情報自体が増えるし、どこをどのように通るべきかも判断することができるようになる。何だか自動車だけの話ではなくて、日常生活全般に当てはまることである。また、自分自身が合格しなければならない場面(しかも、終了・卒業検定ともに不合格であれば延泊が決まってしまい、仕事にも支障が出る)からは長らく離れていたため、緊張感を味わえたのも大きな経験になった。不安を払拭するには毎日のイメトレが欠かせなかった。指摘されたことを紙に書き出してみたり、ハンドルの操作を図式化してみたり、実際に頭の中に浮かべることや手を動かすことは物事の習得においてやはり大いに効果のある方法であることを身をもって感じることができた。
田舎で免許を取ると自分の街に戻った時に怖くて運転できないとよく言われるが、田舎町の風景はやっぱり魅力的だ。自動車学校が提携していた温泉施設は有明浜という海辺に面しており、波の音や沈みゆく夕日の赤を毎日感じることができた。数種類のサウナを設けているのが売りで、特に連休中は観光客の利用もよく見られた。免許合宿の実施で若者を中心に呼び込むことも、町に賑わいをもたらすことに一役買っている。決してキャパシティが大きいわけではないのだが、それが丁度良かった。人が多すぎないことで、その町が持っているそのままの時間が流れていく。
少し話が逸れてしまったのでまとめに。私と同年代で2週間の休みをとれる人はなかなかいないだろうと踏んでいたので、ひっそりと過ごすつもりだった。予想の通り同じ入校日の面々は年下ばかりだったのだが、近畿圏から来ている人が多かったのと、教習時間がよく被っていたので、指導員や地元のお店の人だけでなく、色々な人と話して楽しい時間になったのは良かった。メインの目的がそれであったわけではないものの、やはり「旅」は新しい何かと自分を繋げてくれる。今更ながらに、これから自由に色々なところに行ってたくさんの人やモノと出会えるのだと思うと、わくわくする。「いくつになっても合格は嬉しい」という思いを噛みしめながら、無事に延泊なしで卒業に漕ぎ着けたのだった。
2024.04.26Vol.21 その言葉は誰のもの?(徳野)
九段理江氏の『東京都同情塔』からの引用。
狂ってる。何が?頭が狂ってる。いや、「頭」はあまりに範囲が広いか?違う、むしろ狭いのだ。それに、「頭が狂ってる」と言うと、精神障害者に対する差別表現とも受け取られかねない。ここは「ネーミングセンス」くらいでいいだろう。じゃあ誰の?誰のネーミングセンスが狂ってる?日本人の。STOP、主語のサイズに要注意。OK、それなら「有識者」で――と、鍵のかかった私の頭の中に誰も入れるわけがないのに、オートモードでワードチョイスの検閲機能が忙しなく働く。知らない間に成長を遂げている検閲者の存在に私が疲れを覚え、エネルギーチャージのために急激に数式が欲しくなる。
文章の約5%をChat GPTで作成した(上で九段氏が手を加えた)ことで話題になった芥川賞受賞作の本著であるが、予想していたほどは生成AIが物語に大きく関わっていないと感じた。目新しい技術がどうこうではなく、SNSがインフラになった時代の個人と「言葉」の向き合い方を模索する、という巨大なテーマを掲げているからこそ、サイエンス・フィクションではなく「純文学」のジャンルに分類されたのだろう。
そして、主人公の建築家、牧名沙羅の脳内に頻繁に登場するのが「検閲者」だ。上記の抜粋部分のように、彼女は思いついた言葉がコンプライアンス的に適切かどうか一つずつ検討し、より正確な認識が反映されているであろう表現に修正する作業をひたすら続けている。というより、作業を続けずにはいられない頭になっている。自身を突き詰めて客観視できる高い知性の持ち主なのだが、その強みのせいでかえって思考が停滞している気の毒な女性なのだ。
ここで脱線。そういえば「検閲」と、まさに今Wordのリボンに表示されている「校閲」の違いは何なのだろうか?前者には「禁ず」、後者には「正す」イメージがある。いちおう自分なりに方向性を見出した上で『広辞苑』を引いてみたところ、「検閲」とは「出版物・映画などの内容を公権力が審査し、不適当と認めるときはその発表などを禁止する行為をいう」である一方で、「校閲」は「文書・原稿などに目を通して正誤・適否を確かめること」と定義されている。また、前者はすでに世に発表された表現物が対象になるが、後者は出版前に行われる、という発見もあった。その点を踏まえると、未発信の状態にある自身の言葉にあれこれ口出しする牧名の「検閲者」はむしろ「校閲者」と称するべきではないのか。しかしながら、そこまで物申したら生真面目な当人は言葉を紡ぎ出すことへの不安をさらに募らせるはずなので、不適切な対象を炙り出すための判断基準となるコンプライアンス、もしくは「誰にも批判されたくない」という人間心理が持つ強大な拘束力を表現するために「検閲」を採用した、という解釈に落ち着かせておく。牧名(「九段氏」とするべきかもしれないが)もそのワードチョイスに一度も疑問を呈していないので、本人の中で納得が行っているのだろう。
閑話休題。Xを開くと、ある分野への見識が深いユーザーが配慮に欠けたポストを相手に毎日飽きもせず懇切丁寧な指摘を繰り広げている。その傍観者である私は批判の対象になっている投稿に対して「どこを直しておけば怒りを買わなかったか」を探ってみるのだが、暇つぶし以上の何にもならないと我ながらに思う。昨今の風潮の中で「正解」とみなされる内容に書き替える処理を行っているに過ぎないからだ。また、そのような発信方法のおかげで角が立たなかったとしても、自分の言葉に責任を持っているとは言い難いし、志高塾に通ってくれている皆には悪い意味での「安全牌」を狙ってほしくない。
特に要約教材に取り組んでいる生徒に向かって「書き言葉を使わない」「簡単な言い回しに頼らない」という風に、ある種の制約を提示することは少なくない。それによって頭を抱えている生徒たちは、言語能力がむしろ足枷になっているときの牧名と同じような気分を味わっているかもしれない。ただ、私は「検閲者」ではない。易きに流れないラインを定め、生徒が各々出したものに対して「これ以上ぴったりな表現は無い」と納得できるよう、さらにはその認識のレベルを上げていけるような「伴走者」でなくてはならない。








