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2024.07.12Vol.27(改) 花と散るか、実を結ぶか(徳野)

 自発的ではないものの、去年から2ヶ月に1冊はビジネス書に触れるようになった。どの著者も、チームマネジメントおよびリーダーの在り方に様々な形で触れていたが、「優れたリーダーには同じ職場にいる全員を納得させる力がある」という認識は共通していた。卓越した能力でチームを牽引するのか、メンバーどうしの調整役に回るのか、方法は人それぞれだ。ただ、利害関係が複雑な政治分野の首長となると、対立する意見の双方に耳を傾けながら議論を円滑に進めるバランス感覚が求められることに疑いの余地は無い。
 しかし、その「常識」を覆そうとしている、というより破壊しようとしているとしか思えないのが、この度の東京都知事選挙の得票数で2位となった石丸伸二氏だ。YouTubeで公開されていたTBSラジオの開票特別番組で、彼がインタビューを受けている様子を初めて目の当たりにしたのだが、その時の衝撃は忘れられない。内容をまとめると、ライターの武田砂鉄氏が、石丸氏の著作中の「接している相手の問題がどうなっても知らないと割り切れるのが、自分のメンタルの強さに繋がっている」という記述に「ぎょっとした」とコメントした上で、「この選挙戦で色々な立場の人とお会いしてお話しすることがあったと思いますが、考えに変化はないですかね?」と問いかけた。しかし、石丸氏は「自分の責任の範囲を定義するという意味で書いた。政治において意見のやり取りをすることを否定はしていない。」という返答をするまでに二度の「逆質問」を投げかけた。その両方とも、武田氏がすでに説明した内容を繰り返す他ないようなものだった。俗に言う「石丸構文」である。(彼に投票した10代、20代の人たちに聞きたいのだが、会話におけるタイムパフォーマンスが低くないだろうか?)
前述の「ショック」の後、私は石丸氏が出演した番組を4つ、テレビ局のものとオンラインメディアのものを2つずつ視聴してみた。どれも用意されていた質問じたいは似通っていたものの、彼は後者に移った途端に柔らかな物腰でテンポ良く話を進めていた。動画アプリのユーザー層からの評価を念頭に置き、「腐敗したマスメディア」を相手取る姿をアピールする狙いがあるのは明白である。だから二面性を晒すことに躊躇が無い。確かに、日本テレビを始めとした大手放送局によるシナリオは紋切型の傾向が強く、インタビュアーの中には意地の悪い誘導尋問を試みているような者も存在した。しかしながら、やり取りの相手を「敵」と「味方」にカテゴライズし、対抗勢力に近しく、かつ自分に疑問を提示してくる人間を突き放す戦術が通用するのは選挙までだ。首長になる前提で戦略を定めているのであれば、限られた時間の中で誰とでも建設的な対話ができることを世間に証明しなければならない。せめて、あなたの考えを詳しく知りたい、もしくは状況を前進させたい、という誠実さを持って疑問や批判をぶつけてくる個人のことは、場所によらずもっと大事にしてほしい。
 石丸氏が躍進した背景には1990年代後半以降に生まれたZ世代からの支持があるというデータが発表されている。「他の候補者のことをよく知らないから」という消極的な理由だけでなく、ショート動画に切り取られた「他者を論破する姿」に魅力を感じる心理も大きく作用していると考えられている。共感はしないが理解はできる。私自身、高校の授業でディベートを経験する中で、「理屈で相手を打ち負かせないと優秀とみなされない」と教えられたのを鵜呑みにしていたからだ。教師を含め誰も「物事を多角的に見る」という本来の意義をきちんと捉えないまま、ディベートこそがコミュニケーションの真骨頂であるとみなしていた。そんな状態で議題に対する賛成・反対を各生徒に選ばせた上で討論を行えば、自分の主張を曲げないことが目的化してしまうのに加え、根拠をなるべく多く出せそうな立場を取る打算的な者を生み出す羽目になる。私が大学を卒業する頃に受けた教育学の講義では「ディベートは時代遅れだ」と強調されていたあたり、話し合いに勝負事を持ち込むことの弊害は全国レベルで明らかになっていた様子が窺える。ただ、大阪府立中学に通う当塾の生徒によると、今でも国語の授業に取り入れられているらしい。(「洋画を字幕版と吹き替え版のどちらで鑑賞するか」という程度のテーマだ)取り組みじたいは否定しないが、立場が異なる人と一緒に何かを作り上げる柔軟性に繋げていけるような機会があって初めて生きてくるものだ。だからこそ、「正解」が明確に定まっていない作文の添削において対話を重視している。その中で形成された人間性が、社会に出た時に「本当に信頼できる人物」を根拠を持って選び取る助けにもなると信じて。
 

2024.07.05Vol.27 狩らずに増やす(徳野)

 私が何かしら書き物をする際に「障害者」を「障がい者」と表記し始めたのはここ数年のことである。記憶が定かでないが、行政機関による書類やホームページにおいて「がい」と平仮名で記されているのを目にして、ハンディキャップを持つ人にネガティブな意味合いを与えない配慮をするのが世間の風潮なのだな、と受け取ったのがきっかけだったはずだ。
 しかしながら、直近のnoteでも取り上げた、池田賢市氏の『学校で育むアナキズム』を読んでいて「どきり」とさせられた箇所があった。

 「障害」もその子の「個性」だという言い方をすることで、排除せずどの子の個性も大事にする教育実践をしている、と 誇らしげに語る人もいるが、「障害も個性」という把握でよいのかどうか。「障害」は社会モデルにおいて理解することが、日本も批准している「障害者権利条約」で確認されているように、国際的常識である。つまり、どんな人であろうと、社会生活をしていくうえで困難を感じるような障壁にぶつかる場合、その社会的障壁のことを「障害」と呼び、そのような「障害」に常に出合わざるを得ない人のことを「障害者」と呼ぶのである。

教育学が専門の池田氏が伝えたいのは、「個性」という美名の下で社会が解決するべき諸問題を個人に責任転嫁してはならない、ということだ。バリアフリーやユニバーサルデザインに日頃から触れているにも関わらず、その根本的な部分への無理解を自覚して恥ずかしくなった。去年聴いたCOTEN RADIOの特集でも「障害か否かの線引きは時代と共に変化してきた」、つまり「障害は社会構造の中で形成される」と語られていたではないか。
 では、社会の方に課題がある事実を忘れないよう、私もこれからは「障害者」で統一していきます、となれば結論としては綺麗だ。同時に、そもそも「障がい者」と表記する地方公共団体が出てきた経緯も気になる。内閣が平成22年に実施した議論の記録によると、岩手県に「『害』の字は、『害悪』、『公害』等否定的で負のイメージが強く、別の言葉に見直してほしいとの意見が障害者団体関係者から寄せられたため」とのことで、当事者およびそれに近しい立場からの声を反映した結果だった。(しかしながら、内閣は「障害者権利条約」における定義を踏まえて「害」の使用を継続しており、大半の自治体も人を指す場合のみ平仮名表記するという、いわゆる「間を取った」判断を下している。)自分の身体や精神の状態をどう受け止めるか。当事者だからこそのテーマである。そして、私自身、ハンディキャップを持っている人たちと接した機会はけっして多くない。中学生時代に就労継続支援事業所に職業体験に行ったことはあるが、作業員の方たちと距離を縮め
る勇気を出せなかった。客観的に見れば、無礼を働かずとも相手に対して失礼な態度を示していたと思う。だから、今の私は他者の言葉を通して考え方に触れていくしかない。 
 甲陽学院中学の2005年度の入試過去問は、幼少期に視力を失った三宮麻由子氏によるエッセイを取り上げている。そこでは、ある高校生から「もし、目が見えるようになると言われたら、晴眼者に戻りたいと思いますか」と質問された時のエピソードが綴られている。そして、三宮氏は熟考の末、「見えなくて不便だけれど、これで十分な幸せだって思える人生のほうが、本当の意味で幸せではないかと思うんです」と、その場にいる全員に向けて自らの想いを伝えた。不自由な目は医学的には機能不全とみなされる。だが、当事者にとっては紛れもなく「自分」の一部なのだ。それと共に一生を過ごすのであれば、ポジティブにはならずともネガティブさを和らげた「障がい者」という表現の方がしっくり来る面もあるはずだ。

 そして、ここで改めて結論を出す。現時点で健常者にカテゴライズされる私自身は、やはり「障害者」と表記していくことにする。中学生の頃の経験も踏まえて自分は「社会的障壁」を作り出す側の人間だと感じたからだ。
 しょせん言葉遊びに過ぎないのかもしれない。しかしながら、「ポリティカル・コレクトネス」という概念が一般的になってきた昨今、誰かに不快感を与えないであろうキーワードを軽い気持ちで使う場面も増えてきている。言葉の「背景」への思慮は無いので、詰まるところ、自分とは異なる境遇・立場にある他者を配慮した気になるだけだ。それこそ自己満足に他ならない。だからこそ、使う言葉にこだわる意味がある。

2024.06.21Vol.26 レンズの向こう(三浦)

 子どものころから整理整頓が苦手で、今でも自室はかなり散らかっている。多分、想像のかなり上をゆくほどだと思う。この間のGWで多少は片づけたのだが、まだ紙類があちらこちらに置いてあるなど、結構な惨状である。だから生徒に「部屋は綺麗にしなさい」となかなか強く出られない。一方で、部屋が汚いことの情けなさを重々承知している身なので、こうはなってほしくないという意味を込めて注意することはできる。情けない話である。
 こんなことを堂々と書くのはどうかとも思うが、部屋が汚い原因のひとつに、「現状が常態化してしまっている」ことが挙げられる。ようは感覚が麻痺するのだ。床に何かを置きっぱなしにしても「通るときに邪魔だなあ。まあ跨げばいいか」で終わってしまうし、片づけ忘れたレシートが視界に入っても「そこにレシートがあるなあ」で終わってしまう。見慣れてしまったせいで危機感が湧かなくなる。順応しているといえば聞こえはいいが、もちろんそのままでいるわけにはいかない。
 そんな時、役に立つのがスマホである。
 別段特別なことをするわけでもない。スマホのカメラ機能で自室をうつすだけだ。写真も撮らない。ただカメラ越しに覗くことで、初めてそこで、「私の部屋ってこんなことになってしまっているんだ」と客観的に気づくことができる。楽しんでいる場合ではないのだが、まるで別人の部屋のようで面白い。普段は部屋全体ではなく何かのアイテムに注目している一方、まさしく「全体像」を一目で見えるようになる点が大きかったのかもしれない。
 ちなみにそのスマホのカメラ、もうひとつ身近な役に立つことがあった。
 私は視力が悪いのでいつも眼鏡をかけているのだが、そういう人にとって眼鏡を失くすというのは命綱を失うこととほぼ同義である。普段はあまり意識こそしないが、例えば緊急避難時に眼鏡がなければどうなってしまうのかを想像すると、足元も見えない、遠くの文字も見えない、顔もわからないで、かなり大変な思いをするのだろうと推測できる。だからコンタクトをした時も「コンタクトを失くしたら一歩も歩けない」くらいの気持ちで、いつもしっかりとケースに入れた眼鏡を持ち歩いていたのだが、荷物がかさばるのが面倒になってついにコンタクトの方を全くしなくなった。
 さて、眼鏡がない状態で眼鏡を探すのは腰の折れる作業だ。特に取っ散らかった机の上にほうり出してしまった時など、眼鏡を探すための眼鏡が欲しいくらいだ。しかしそんな時、スマホのカメラを通すと、画面の中では遠近など関係ないので、遠くまできれいに見ることができる。スマホの画面であれば、顔を多少近づければピントを合わせることができる。距離感を掴むのは難しいので眼鏡の代わりにはならないだろうが、探し物には十分だ。眼鏡に限らず、灯台下暗しの探し物も、案外こうすれば見つかるのかもしれない。「これはここにあるはずだ」という思い込みをいったん切り離すことができるのだから。
 だが、その命綱でもある眼鏡も、案外外してみると面白かったりもする。この間の夜道、ふと思い立って安全なところで立ち止まって外してみたのだが、車のライトや信号の光などがぼやけるせいでやけに大きく見えて、まるで花火のように派手で明るく、いつもの帰路がまったく違う道のようにも見えたのだった。
 さて、つらつらとスマホのカメラだの眼鏡だのの話をしてきたが、いずれも「視点を変える」ことに繋がるな、とふと思ったことだった。
何か、いつもとは違うレンズを通して見てみること。あるいはレンズを外してみること。既にあるものを、別の使い方ができないかと悩んでみること。作文の際、よく「視点を変えてみたら」とアドバイスすることがある。なんとも投げっぱなしなアドバイスだが、視点の変え方にもいろいろとあるのだ。アイデアの出し方とも言っていい。同じ景色でも、通すレンズが変われば何もかもが変わる。たまには歪んで見えるレンズがあっても面白い。そのレンズの引き出しを頭の中に持っておきたい。と、今、視力を計るときにいろいろなレンズを差し替えられる、あの形をイメージしている。

2024.06.16Vol.25 偶然を選び取るということ(竹内)

 人生は選択の連続である――。浅学ゆえ、これがシェイクスピアの言葉であったとは知らなかった。今晩は何を食べようか、あの人に悩みを打ち明けるか否か、はたまた、どちらの足から靴を履こうか。何もかもに判断が下される。
 スティーブジョブズがいつも同じ服を着ていたのは、重要な意思決定に十分なエネルギーを割くためである、という話は有名だ。服装が固定されていることは一種のトレードマーク化でもあり、自分の印象を作り上げることにもなりうる。たとえそれが一瞬のことであっても、選択には労力がかかる。「選ばなかった方」に後ろ髪引かれる思いが残ることもあるので、やはりその機会自体を減らせるようにすることはある意味で精神安定剤であるといえる。
 すごく時間をかけているという自覚がある選択の瞬間は、私の場合は書店で本を買うときである。すでに積読が部屋を占拠していることが一因ではあるのだが、その一角に新たに増やすとすればどれにするのか軽々と一時間は悩めてしまう。どうせすぐには読まないしなあという気持ちと、でもせっかく面白そうなの見つけたしなあという気持ちの間で揺れながら、「今日はこれ」というのがやっと決まる。その時の自分の関心事が決め手であるのは確かだが、それと同じくらいに「書棚の中に入っていたのではなくて平積みになっていたから」とか、「その前に試し読みしていた人が逆さまに戻していたために目立っていたから」とか、実のところ偶然の状況に後押しされていることが少なくない。毎日の服だって、このアイテムを使ってみようと思うのは前日にそれを取り入れたおしゃれな人を見かけたからだったりする。そのセンスまでを吸収できているわけではない。日常生活の中には、自分の意志を強く意識したうえで行われる大きな選択ばかりでなく、ひそかに他者の影響を受けている受動的な選択があふれている。
 最近授業で扱った灘中の文章の一つに、癌治療にあたっている外科医によるエッセイがあった。これはその中からの一部抜粋。

 この一年間に、二名の再発癌の患者が、私の勧める治療法と考えがあわずに、他の医師のところへ去っていった。(中略)背景や、垣間見ることの出来た人生観などから、その患者にとって、よかれと思った治療法を提示して、説明したつもりではあった。しかし、二年以上のつきあいの中で、その患者を理解していると考えていた自分が傲慢であったのか、私はかなり悩んだ。偶然で知り合って、信頼関係を築いていくことは、相当の努力を必要とすることであった。

 ちなみに、ここでの「相当の努力」というのは医学的な知見以外で個々の患者との接点を持てるように様々な分野の知識を得ることを指している。大きな病院で、どの先生に診てもらうことになるのかは、前の診察にかかる時間や、順番待ちが前後することによって変わる。そのたまたまできた関係性は治療をすることだけで必ずしも維持されるものではなくて、数多い患者の中での自分という一人の存在を見てくれていると感じられてこそ、その相手に任せよう、となる。志高塾の一員である私にとって、ここで経験する人との出会いは「偶然」の色が濃い。数多ある塾のうち、ここに通うということには、親御様の能動的選択が大いに関与している。一方で、子どもたちにとってそれは受動的なものであることがほとんどである。また、私自身が立ち上げたわけではなく、揺るぎない理念が掲げられていたこの場所にただただ引き寄せられた一人であるという点では、豊中の入り口で出迎えているのが私であるということも「偶然」の一つに過ぎないといえる。
 さて、先ほどの文章。終盤では桶狭間の戦いを取り上げ、圧倒的な戦力差を覆すことの出来た「偶然」(住民が今川方に情報を売ったり、寝返った武将がいなかったりしたこと)について、織田信長の民政に対する努力が寄与していることに言及しており、「(幸運に)遭遇すること自体は偶然であるが、その確率を必然に近いところまで引き上げる努力が、背景にあった」とまとめている。
 生徒の人数自体に大きな変動が起きているわけではないのだが、ここ最近は豊中校で生徒同士が授業内外で交流している場面が増えてきた。もともと同級生であるといった繋がりがあれば自然とそれは発生するのだが、学校や学年の垣根を越えての接触が見られるととても嬉しい。西北校ではそのような雰囲気がすでに確立されていて、個人的には長らくそれが目標だった。学年や成績でのクラス分けなどないので、同じコマにその生徒たちが来ていることも、たまたまなのだ。その中である生徒が話していることに共鳴したり、積極的には輪に加わらないけれど何となく耳には入っていたり、しばらくすると自分の取り組みに戻っていったり…。そういうことが起こるようになってきている。
 このような「偶然」を「ここだからいたい」という「必然」に引き上げるための努力とは、我々の場合は「より良い授業をする」ことに他ならない。そしてその「良さ」とは、何かを教え導くということだけでなく、子どもたち一人一人が安心して自分らしく過ごせる場を作ることなのであろう。

2024.06.07Vol.24 わたしが思い出になる時(徳野)

 当塾が扱っている教材の中に『意見作文(基礎)』と呼ばれるものがある。基本的には中学生以上を対象に、23個のテーマ(うち3個には複数の設問を設けている)をこちらで用意している。日常に関わる題材も多く、まずは400字で書くことを通して自分自身を見つめ直す大切さを感じ取っていくことが狙いの一つだ。そして、多くの生徒が苦戦するお題として「あなたが大人になったら、どのようなことをしたいですか?」というものがある。この「大人」とは「成人」を意味する。だから、子どもたちは初め、飲酒やバイクの運転など、18歳もしくは20歳になると共に法的な制限が取り払われる行為を羅列する。ところが、それでは「自分はなぜそれをしたいのか」という動機に関わる部分が薄くなり、内容が全く膨らまないという事態に陥ってしまう。この場合は「何をするか」よりは「どうなりたいか」という大きな指針を探る方が人生の選択肢を増やすことに繋がる。
 しかしながら、未だしっくり来ていないのが「大人=成人」という定義付けだ。それは何より、今年で26歳になる私自身に「大人になった」という実感が無いからだ。10歳の精神のまま身体だけが大きくなったようなイメージを自分に抱いている。おそらく小学4年生が私の自我が目覚めた時期なのだろう。そういえば、児童書以外の小説を初めて読破したのもその頃だった。当時味わっていた「大人の仲間入りをした」という誇らしさは鮮烈に覚えている。「大人の仲間入りを果たした」は流石に見当違いすぎるが、その実態に近い「大人に一歩近づいた」という感覚はふとした瞬間に湧いてきたことがある。
 私は映画鑑賞が趣味なのだが、今年に入ってからミニシアターより大手のシネコン(シネマコンプレックス)に足を運ぶ回数が増えている。この事実には我ながら少し驚いている。純粋に興味を惹かれた作品が上映されている劇場を選んだ結果ではある。だが、高校・大学生時代に形成された、「マジョリティ」があえて好まないであろうものに触れる行為こそアイデンティティの表出だ、という信念とも言える考えはだいぶ鳴りを潜めていることに気づいた。映画や音楽のようなコンテンツに自身の独自性を求める人間は視野狭窄で排他的になる。そういう私には根拠無く他者を見下しているような所があったはずだ。そういった青臭い姿勢が消えていないのは確実だが、少なくとも、去年までの己を気恥ずかしく思う視点を持っているのは「大人」の階段を一つだけ上がったからだろう。
 過去の自分を「恥ずかしい」と思うこと、つまり自分に対して「含羞」があることは、「大人」とは何かを探る上で重要なポイントになると思う。
 ある中学受験生の男の子は去年から、授業後に漢字テストに取り組んでいる。3月くらいまでは合格にはほど遠い点数ばかり取っていたので、その日覚えられていなかったものを全て10回ずつ書き取り練習するために夜まで教室に残る必要があった。当然のことながら本人は早く帰ることが叶わず、泣いたり、ふてくされてなかなか動きだそうとしなかったりしていた。さらに、そのせいで帰宅時間がさらに遅くなる、というまさに悪循環である。彼には「覚えられていないのは自分の責任なのだから甘えるな」という言葉を投げかけ続けた。すると、6年生に上がった頃には流石に懲りたのか、態度は随分と改善され、まだ明るい時間帯に教室を出ることができるようになったのを本人も喜んでいた。そんな彼を「昔は泣きながら夜道を歩いていたのにね」と茶化したところ、「僕の黒歴史を掘り返さないでください」と返された。その時の本人の顔は「含羞」のある苦笑いで、柔らかい表情を浮かべるようになったことが意外だった。去年の彼であれば仏頂面で黙り込んでいただろう。同時に、「黒歴史」というネットスラングを使う余裕があるところにもささやかながら成長を感じた。過去の自分に対して深刻になりすぎず、かつ、それを「良くなかった」と客観視できているのは、彼が出来ることを増やしてきたからこそ生まれた心の「ゆとり」のおかげのはずだ。少しずつ「大人」になっているのだな、と大袈裟かもしれないが心打たれた瞬間だった。(しかしながら、漢字の勉強の質をもっと高めてほしいのは今でも変わりはない)
 人生の中で「大人になった」ことを正真正銘の完了形で自覚できる人はけっして多くはないはずだ。私に関しては未熟者として死んでいく可能性が高い。だが、「あの頃の自分は駄目だったな」という風にしみじみと恥ずかしがることができるのであれば、それは人間としての成熟具合が進んだことの証拠である。自己嫌悪していてはむしろ、過去に正対できなくなる。「ほろ苦い思い出」の距離感を目指して日々を邁進するのだ。

2024.05.24Vol.23 修正過程(三浦)

 文学館に行くのが好きだ。二月末、神奈川近代文学館に行くことを目的に横浜まで出かけた。神奈川は作家の療養地として人気の鎌倉にある鎌倉文学館もあり、本当はそちらも寄りたかったのだが、修繕工事のため休館中のことで断念した。いずれも既に一度は立ち寄ったことがあるのだが、会期によって展示が変わるのはもちろん、再訪するまでに読んだ作品が増えていると、こちらの見方もまた変わるというのが面白いところだ。ちなみに鎌倉文学館は日本遺産にも指定されている立派な建物で、入るだけでもじゅうぶん価値がある。
 文学に精通しているわけでは全くないので、全く聞いたことのない作家の展示に当たることももちろんある。聞いたことがあっても作品を知らない、というのも同様だ。例えば今回で言えば大岡昇平の「野火」は聞きかじったことこそあれほとんど知らなかったのだが、一部分が展示されていただけだったものの、その一部分を食い入るように読んでしまった。同行していた知人はすでに読み終えていたので、知人の感想や解説も織り交ぜながら落とし込んでいった。
 一番の目的は太宰治の展示だったのだが、そちらは原稿よりも手紙などのインパクトの方が強く、それよりも坂口安吾が書いた「あちらこちら命がけ」という色紙が思いのほか記憶に残った。言葉だけでは伝わりきらないのだが、のたうち回ったような、本当に命がけで何かを成していないと浮かび上がってこない筆致だった。以前は武者小路実篤の「君は君 我は我也 されど仲よき」の色紙に唸った。いずれも、作品と繋げて色紙を読むと、その人柄が色濃く反映されていて面白い。「心の底からそう思っていないと出てこない言葉だな」と思わせるものがある。
 初版の装丁や直筆の原稿、色紙などを見るとどうしても胸が躍るたちである。基本的に文学館にはそういった直筆を見に行っている節がある。色紙はさておき、原稿には作者の悪戦苦闘が色濃く残る。細かな表現の修正を積み重ねた末に、最終的に普段読んでいる印刷物の形に落とし込まれているのだと改めてわかる。ものによっては版によって言い回しや内容が変わるものもあり、それを見比べるのも楽しみである。好きな作家は修正跡まで愛おしく見えるものだ。
 ところで、Eテレに「ザ・バックヤード」という、博物館やテーマパークの裏側を取材する番組がある。その中で横手市増田まんが美術館が紹介されている回があった。私はその美術館について全く聞いたことがなかったのだが、秋田県にあるさまざまな漫画作品の原画などを保存・展示している美術館らしい。その番組内で印象的だったのは、原画に残る修正の跡である。インクで描いた上からでも、修正液(ホワイト)を使えば印刷時には修正されたことがわからない。だから印刷物を見ているだけでは、その絵が修正を重ねられた末のものなのか、あるいは一度で完成したものなのかはわからない。紹介されていたのは男の子が驚いているコマで、驚いている表現として口元のない、目元だけの描写になっていた。しかし原画をよく見てみれば、何度か口を描いては消し、最終的に「口元がない方がいい」として完成形としていることがわかる。他の番組にはなるが、手塚治虫の手書き原稿でも近しいことを紹介していた。要は、「いろいろ試した結果、これが良いと思った」という過程を見ることができ、そこから「なぜそれが良いと思ったのか」という狙いを考察することができるのだ。ただ、今はコンピューターを使った作品も多く、そういった作業過程が(データとしてはあるかもしれないが)目に見える形として残っているものは少なくなってきているのかもしれない。
 修正の過程と結果、そこからその意図を読み取れるというのは、なかなか特別で貴重なことなのだと実感する。
 思い返せば、志高塾の作文は修正の際に消しゴムを使わないことを原則にしている。生徒からはよく「なんでですか」と聞かれるのだが、そのたび、「どこをどうやって変えたのか、どう考えていたのかわかるから」と返す。初めからきれいに書けることより、より良くしようとして自分で手を入れたことの方が重要なのだ。そのため作文用紙は書き込みだらけになってしまうこともしばしばだが、読みにくかろうが問題はない、それもまたひとつの苦戦と工夫の証である。
 この「志同く」も打ち込んでは消し、段落を変え、書き直し、そういった悪戦苦闘の工程を経て完成しているのだが、デジタルゆえにその過程は残らない。残ったら多分とんでもないことになっている。その修正の多さは、やり直しが容易なデジタルだからこそ、かもしれない。一長一短、一手一手に意味を込めた修正は、アナログの特権でもあるのだろう。

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