
2024.10.20vol.37 共有スペース(物理的、心理的)(竹内)
9月くらいからベランダの柵のガラス部分に白くて小さな虫がへばりついていた。午前中、洗濯物を干す時に見つけ、でも物干し竿の位置からして服には当たらないからいいか、などと考えて放っていた。夕方に取り込むとまだ同じところに止まったままだ。直接は触りたくないのでガラスを叩いて揺らしてみても微動だにしない。なんなんだこれは、と気になりながらも部屋に戻って服を畳んでいる間にそのことは頭の片隅に追いやられていく。洗濯のたびに思い出しては忘れを繰り返していたのだが、初めは1匹だったのがよく見れば3匹、4匹、今はもっと増えているのでさすがにちょっと気持ち悪くなってきた。そろそろ疑問を解消せねばということで、「ベランダ 白い虫」で検索をかけてみた。Googleがまず持ってきたのは「チャタテムシ」だったが、これは画像と見比べても違うのが明らかだった。また一般家庭ではベランダのような屋外よりも屋内で見られることが多いそうなので、やはりこれではない。そこでワードに「ガラス」と付け足してみたところ、Yahoo!知恵袋のページがヒットした。「ベランダのサッシ回りや窓ガラスについている」「細くて白くて体長1センチ程度」「死んでいるのか生きているのかさえ分からない」といった特徴は、まさに私が見ていたものと同じである。これらから導き出された回答はというと、カゲロウの「抜け殻」であった。どうりでいつ見ても同じところにいるわけだ。
大人になってすっかり虫は苦手になってしまったが、きっとたくさんいるはずの同じような方々に、せっかくなので簡単に説明する。チョウやハチのように蛹の状態を経て成虫になるのは完全変態、そうではなく脱皮によって成虫になるのは不完全変態と分けられる。例えばセミは後者に分類される。言われてみれば確かに「サナギの抜け殻」ではなくて「セミの抜け殻」と呼んでいる。私の部屋のベランダに現れたカゲロウという生き物は少し特殊で、水辺で卵が孵化したのち、幼虫と成虫との間に「亜成虫」という期間がある。その時点で成虫に近い形状になっており、羽が生えているため短い距離であれば飛行することができる。今の家から300メートルほどのところに猪名川が流れているので、どうやら彼らはそこからやってきたようだ。近いとはいえ、部屋は7階にあるので、決して力強くはない羽根で、結構な高さのところまで飛んできていることになる。カゲロウの成虫は、短いものの例えとしてその名が使われるほどに儚い命で、数日、種類によっては2時間くらいで死んでしまう。子孫を残すことに適応した体になっているため、口や消化器官が発達していないといわれている。川に長居すると魚や鳥に狙われてしまうので、亜成虫となってひとまずその場を離れ、準備を整えてまたどこかの水辺へと戻っていくのだろうか。うちのベランダまでやってくることができた時点で、生存競争の分岐点を勝ち抜いてきた証だと言える。そう思うと、もう中身がいないことは分かっているので手で払い落とす心理的負担は小さいものの、ちょっとだけ忍びない。よく分からないものに対しては恐怖を抱いてしまいがちだが、解像度が上がると心の壁は少し薄くなる。
ここからきれいに文章をまとめていくなら、子どもの成長と亜成虫とを絡めていくことになるのだろう。しかし、虫が好きではないためにそれらを結び付けることに何となくの抵抗感がある。でも、「一皮剥ける」は脱皮することから来ているし、蛹からかえって劇的な変身を遂げるチョウの姿は人間の成長のたとえにも使われる。そういえば、卵の殻を割って雛が顔を出すことも、新しい自分の誕生と重ねられる。虫が嫌なら、洗濯中ではなく料理中の出来事から考えを広げた方が良かっただろうか。
先日第2回の『beforeとafterの間』を終えたが、その名称を分解してみると「after」はこれからの展望を指している。これは分かりやすいし、実際に1回目と2回目で共通している。一方で、「before」と「間」が意味するものにはやや違いがある。初回にスピーカーになってくれた彼の場合は、「before」には志高塾に通っていた頃、「間」にはまさに「今」を当てはめるのが適切である。「卒業するまでの期間」とくくることができるくらいに、常に主体性のある取り組みができているのを見ていた。それが毎回の密度の濃さにもつながっていた。対して、今回の彼女の場合は「before」とは意識の変化が起こる前、「間」とはそれ以降から今に至るまで、ということになるだろう。内面的な部分が変わったからこそ今の学生生活が充実しているのであり、そのような変化は大学に進学したから、というだけで生まれるものではない。単に時間的な区切りでそうなるのではなくて、精神的な成長によって初めて「before」と「間」の境界線ができたのだ。志高塾の大きな強みは色々な子がいることである。自分ですっと線を引けてしまう子もいれば、それができるように我々が導いてあげることが必要な子もいる。ぐいぐい引っ張ってあげるべき子がいれば、そっと背中を押してあげるべき子もいる。すぐでなくとも、子どもたちが振り返ることのできるbeforeを作ってあげたいし、子どもたち自身が「ここで変われた」と感じられる場所でありたい。ちょうど、カゲロウたちの羽化を支えた我が家のガラス板のように。
2024.10.18Vol.36 いつか振り返るまで(三浦)
すっかりオリンピックにまつわる話を聞かなくなった。塾では佐藤雅彦氏の著作である『毎月新聞』を読んだ上で行う作文教材があるのだが、この『毎月新聞』の中で、話題のタイミングについて書いている内容があった。紅白の話題は年末年始には盛り上がるが、それを少し過ぎると「その話、今じゃないよね」という時期になり、しかしそれを越えるとまた「あれは良かったよね」と振り返る時期になる、というものである。私の説明では不足しているので、またぜひ元の本にあたってほしい。つまるところ言いたいのは、タイミングを外した今だからこそ、じっくりとオリンピックについて考えられるのではないか、ということだ。
開催当時に種目外でよく耳にしていた話題に、選手村の食事や環境のことが挙げられるだろう。批判的なものがほとんどだったので偏っているかもしれないが、食事は野菜がベースで、環境としてはやはりエアコンの設置がなかったことがすぐに思い出される。今になってようやく調べてみると、プラントベースの食事は栄養が偏るわけではないとか、そもそも欧州ではエアコンは一般的ではないとか、地熱冷却システムが外気より6~10度ほど温度を下げてくれる仕組みになっていたとか、そういった内容もちらほらと見える。今回のパリオリンピックは持続可能な社会を目指すための工夫が、そして実験が凝らされていた。その工夫は、快適で便利な生活とは共存し得ないものなのかもしれないが、これからの世で必要となるのは間違いない。まあ、一般市民が生活できるかどうかと、アスリートが最高のコンディションを保てるかという話はまたそれぞれ別なのだろうが。
結果、先進国はエアコンを注文したり自国から持ち込んだり、外部の宿泊施設を利用したり、そして食事に関しても自国からシェフを連れて行ったりといった対策を行うことになった。そう、「先進国」は、そんな工夫ができる。だが、そんな余裕のない国は? 記事を見るに、希望すれば選手村から貸与されるとあったが、果たしてそうだったのだろうか。窓を開けて対策をした話のほうがよく耳にした気がする。
https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35220836.html
それから私の中でずっと渦巻いているのは、「エコ」と「平等」は相反するのでは、ということである。エコのために何かを削ったとき、そのしわ寄せは平等にはならない。当然のことではあるものの、目をそらしていたいことでもある。
そもそもスポーツそれ自体、ユニフォームや国の支援や環境など、様々な面でスタートが横並びではない。それでも、オリンピックという土俵に立った以上は、平等であってほしいと思うのも確かだ。
少し話は違うかもしれないし、聞きかじったことではあるが、被災地では緊急を要するからこそ、「いらないもの」を考えるコストを減らし、とにかく「必要になりそうなもの」を送り続けることを優先するのだそうだ。場所ごとの偏りを考慮して調整する手間を取るよりも、オーバーしたとしてもまとめて対応した方が合理的なことには間違いない。優先順位は、「足りない」ことをなくすことが最優先なのだから。
しかし、それができるのは資源が十分だからに他ならない。もっと切迫した状況であれば、必要なものを必要なだけ、という対策をするのは当然だ。例えそれが、時間的にコストのかかることだったとしても。そしてその結果、優先順位をつけざるを得なくなっても。そして資源が不十分だったとき、上記のように分配する仕組みではないのだとしたら、それはもちろん「力のある」方が手に入れることは明らかである。
ところで、スポーツウォッシングという言葉がある。政治的、国際的に不祥事があっても、スポーツの熱狂により洗い流してしまおう、というものである。スポーツウォッシングといえば、この一連の記事は読み応えがあった。特にかつてのベルリンオリンピックをナチス政権が成功させ(てしまっ)た例は、当時のニューヨークタイムズの記事も相まって、なるほどと思わされる。
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/cc/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%83%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%b0
今回、終わってみて振り返ったとき、オリンピックは大成功だというパリ市民は少なくないという報道を耳にした。開催前はパリを脱出する市民も多く、そのせいで飲食店などは打撃を受けたそうだったが、今はどうなのだろうか。やはり、良かったものだと振り返る人が多いのだろうか? あるいは、その報道自体が「洗濯」されたものなのだろうか?
なんとなく、ずっともやもやを抱えている。世間から話題が去っていくまでずっと抱えていても、そうして冷静に振り返ってみようとしても、文章にうまく起こせるとは限らない。もっともやもやを抱え続けていれば、いつかこの時期を乗り越えて、はっとするタイミングが訪れるのかもしれない。いつかリベンジしたいテーマだ。
2024.10.05Vol.35 学びの肥やし(徳野)
誰の言葉だったか記憶が定かではないが、「本、人、旅」の掛け算が人間を成長させてくれると聞いたことがある。調べた限りではライフネット生命株式会社CEOである出口治明氏が掲げる人生の指標のようだ。その大事な3本柱のうち、私は「人」と「旅」が著しく欠如した人生を送ってきた。ありがたいことに経済的に困窮した経験は無い。また、誰かと一緒に過ごす時間じたいは楽しいと感じるし、どこか遠方に足を伸ばすことへの興味が無かったわけでもない。にも関わらず、特に「旅」に対しては行動を起こす前から、帰路での孤独感や疲労感、さらには家に着いた後の荷ほどきの煩わしさを勝手に想像して、自分の中にある欲求をうやむやにするということを繰り返してきた。
要するに極度の出不精な私だが、今年の授業では例年よりも多くの生徒たちと彼らの海外滞在についてやり取りする機会が増えている。「志高く」のVol.651「柳の下に」にて取り上げられた高校1年生の男の子がイタリア旅行記を完成させる姿を間近で見たのをきっかけに、西宮北口校では他2名の中高生とも自身の体験を振り返る機会を作った。うち1名が書き上げたものは10月8日(火)の「志高く」に掲載される予定なので、読んでいただけると幸いです。ちなみに、この段落に登場した3名とも初めは物事や出来事の羅列に留まっていた。材料だけ集めて調理をしていないような状態である。そこから一つの「料理」の形にするために、そもそもなぜ国外を旅したのか、現地で見聞きした事柄から何を感じ考えたのかを明らかにした上で自分の中の変化に向き合うことを目指した。しかしながら、彼らに何かしらコメントをしているときも、「休日に(自宅がある)大阪府内からもろくに出たことが無い私が何を偉そうに・・・」という後ろめたさで心がちくりと痛む瞬間が何度かあった。私はまな板に乗せるための材料すらろくに持ち合わせていないようなものだ。
よって、宣言する。年に2回は旅行をし、現地で少なくとも1泊はする。当たり前だが地元である徳島は行き先から除外する。そして、「遊びは芸の肥やし」ならぬ「遊びは学の肥やし」というわけで、きちんと「養分」として蓄えられるよう、ここからは1週間の休暇中に初めて、1泊2日で訪れた広島での思い出を綴っていく。
きっかけはYouTube上で、リニューアルした平和記念資料館の特集番組にたまたま出会ったことである。展示手法の刷新が実施されたのがすでに5年前、広島テレビ放送制作の番組が公開されたのも2年前なので、情報のキャッチじたいには時差があった。平和学習に取り組んだ中学2年次を修了して以来、「ヒロシマ」という歴史的な事象から関心がすっかり遠のいてしまっていた証拠だ。学校での平和教育のあり方に責任を求める形になるが、探求学習の一環に組み込まれていたがゆえに進級のタイミングで「卒業」したような錯覚に陥っていた面は否めない。
資料館に話を戻す。2019年のリニューアルに際して重視されたのは実物資料である。亡くなった方々の遺品や当時の惨状を映した写真、被爆者の手によるイラストおよび証言を中心に据えることで、「被爆の実相」を伝えるという展示最大の目的を再認識する方向性で見直しがなされた。その一連の検討において何より話題になったのが「被爆再現人形」の撤去だろう。世間的にはその決定に対して「賛」より「否」の方が圧倒的に多く、その結果からは1970年代以降の来館者に意義深い存在として強烈な印象を与えてきた事実が窺える。一方で、筆舌に尽くしがたい惨状が目に焼き付いている生存者からは「実態を表現し切れていない」という批判も寄せられてきた。歴史にまつわる創作物だからこそ突き当たる壁だ。また、全国にいる被爆者の平均年齢が2024年時点で85.58歳を記録し、当時の体験を生の声で語ることができる人材が年々減少している背景を鑑みると、世代を越えて保存が可能な実物資料を前面に出す動きは必然的な流れと言えるだろう。刷新の前後を実際に比較できないのが本当に残念である。
いざ広島市内。路面電車の停留所の間隔がやたら狭いことに驚きながらバスに揺られて目的地に到着した。いつもならミュージアムと名の付く施設に足を踏み入れる際は胸がはずむのだが、今回ばかりはやはり緊張感のようなものが心を占めていた。ただ、写真と映像でしか見たことが無かった原爆ドームが視界に入ってきた時は感動に近いものを覚えた。
結論を言うと、近いうちに再訪しなくてはならないと思った。修学旅行生の集団に加えて欧米圏からの外国人旅行者で混雑しており、(特に後者に関しては、それじたい大変良い傾向ではあるものの、)一つひとつの展示物にじっくり対峙できなかったのが心残りだからだ。そして、仄暗い展示室内は原爆が市全体にもたらした甚大な被害を統計的に知るだけでなく、犠牲者の方々の遺品、生前の顔写真、ご本人が死の間際に残した言葉を同時に見せることで、一人ひとりがかつて送っていた日常と1945年8月6日以降に味わった苦しみへの想像力を喚起させるような構成となっていた。当然のことながら刺激の強い、惨たらしい写真やイラストもふんだんに使われていた。しかし、個々人の濃密な生と死が集積して膨大な情報量となってとめどなく、それでいて静かに流れ込んできたあの空間は、何より死者を悼むための場所だった。それにも関わらず、コーナーによっては人混みに巻き込まれながら慌ただしく進んでいかざるをえなかったときは、亡くなった方々への敬意をまだ十分に払えていないような気分を味わった。そういった、後ろ髪引かれる感情がこれからの旅への動機になっている。
充実感と後悔が入り混じった不思議な心持ちで平和記念公園の広場に降り立った。暖かな夕陽に満ちた開放的な光景が広がっていたのが資料館内と好対照だった。敷地内に建てられた慰霊碑の直線上に原爆ドームが姿を現した。もちろん足を運んだ。爆心地から約160メートル地点で被爆したかつての産業奨励館は、むき出しになった鉄材が爆風の影響で複雑にねじ曲がっていた。世界遺産をメディアであまり取り上げられないであろう位置から眺めていると、「160メートルってどれくらいの距離感なのだろうか」という疑問が湧いてきた。そこで、Googleマップに従って「爆心地説明の碑」を目指したところ、近くの路地に入るとすぐに、ひどく簡素なものを発見できた。拍子抜けするほど短い移動時間だった。私以外の観光客がいない路上でしばし夜空を見上げてみる。すると、つい2時間前までいた資料館の展示で多く取り上げられていた、爆心地から1キロメートル以内の範囲を襲った惨状が脳裏をよぎった。その中でも至近距離と言って差し支えない場所にありながら、コンクリート製でないにも関わらず、あの特徴的なドームの骨組みや外側の壁が一部だけでも残ったのは、大正時代に活躍したチェコ人の設計者も想定していなかったであろう奇跡なのだと実感した。ほんの数分間でも自分の足を動かしたからこそ、頭に入っていただけの状態の情報と現実がリンクする感覚を味わえた。
インターネットを通じて物事を「知っているつもり」になってしまう時代だからこそ、リアルの世界を気の向くまま歩き回ることの意義は大きい。古文における「遊ぶ」には、「娯楽を享受する」というよりは「自由気ままに動き回る」という意味合いが強いことをふと思い出した。
2024.09.21社員のおすすめビジネス書⑫
三浦のおすすめビジネス書
『ずるい考え方 ゼロから始まるラテラルシンキング入門』木村尚義
ラテラルシンキング、水平思想と呼ばれるその考え方は、課題解決のアイデアを考えるにあたっては必要不可欠なものである。ロジカルシンキングが順序を追って思考を深めていくのに対し、ラテラルシンキングは課題のポイントを抽象化して抜き出し、それに対して思考を広げていくものだ。その中で大切なのは、既存の思考を疑う力、物事の本質(要点)を見抜く力、そして「セレンディピティ」、偶然に起こったものの価値を見落とさない力だ。物を売るためにはどうするか、事故を減らすためにはどうするか…。その解決策は、何も既存の方法に頼る必要はない、というのが本書の述べるところである。サウスウエスト航空が「格安」を売りにしているからこそ座席を先着順にしたことや、かの有名なフォードが「速い馬車」として自動車に目をつけた、などの例は、どのようなアイデアがあるのか、なぜその発想に至ったのかがわかりやすい。
作文に通ずるところがある。日々の生活から「なぜ?」と疑問を持ち、題材の中のポイントを抽出し、そしてそれに対して、色々な角度から思い浮かぶ話題と繋ぎ合わせる。
ただひとつの感想としては、「結果」を求めることが肝心なのか、「過程」こそが重要なのか、対峙する壁に合わせて考えることも大切だろう、というのがあった。この本が要約サービスに取り上げられているのを見かけた。「内容を知る」ことがゴールなのか、「本を読みながら考える」ことに比重が置かれるべきなのか…。「ずるい」は使いどころ次第だ。
徳野のおすすめビジネス書
『1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術』伊藤羊一
上司や取引先に向けた大事なプレゼンテーション。時間をかけてシナリオを練り、言葉を尽くして伝えたつもりなのに、相手からの反応は「で、どういうこと?」だけ。そんな悩みを抱えている人が念頭に置くべきは「人間は他者の話を80%聞いていない」という事実だ。だからこそ、相手の左脳と右脳の両方を刺激しながら、1分で簡潔にメッセージを発する技術が重要になってくる。
まず、論理面に関しては、結論を最初に示してから根拠を3つほど並べる「ピラミッドストラクチャー」を構成するのが大前提である。その手法じたいは本著以外でもよく紹介されているが、伊藤氏は目的が「相手を動かすこと」にある点を忘れてはならないと強調している。例えば、上司に「営業部と連携して、欠陥品に対してより迅速に対応できるシステムを開発したいのです」と伝えるだけなく、そこから「営業部長の方にお話しいただけないでしょうか」と要望することで次に起こすべきアクションが明確になり、仕事にスピード感が生まれる。
だが、人の行動を変える上で難しいのは、感性に訴えかけることの方である。プレゼンテーションの場に限った話をすると、「具体的なイメージが湧くような資料や問いかけを準備しておく」「相手の反応を窺いながら声量と表情をコントロールする」といった工夫が生きる。同時に、様々な工夫を重ねた「1分」を結果に結びつけるためには、それ以前から長い期間をかけて相手と信頼関係を構築しておく必要がある。つまり、効率性および合理性が重要なことに違いはないが、短期的な「タイムパフォーマンス」に囚われてはならないということだ。そして、自分の利益を直接的に上げるための提案だけでなく、他者が抱える課題解決にコミットできる人物が仕事において信頼される。
竹内のおすすめビジネス書
『不格好経営 チームDeNAの挑戦』南場智子
1999年1月時点ではマッキンゼーでコンサルタントとして働いていた著者。当時はまだ日本に存在していなかった本格的なネットオークションを立ち上げるべきだと大手プロバイダー会社の社長に提案した際、「自分でやってみたらどうか」と返されたことからDeNAは始まった。同僚2人に声をかけ起業の準備を進め、同年の3月4日に登記した。しかしシステム開発が自社ではまだ十分に賄えず他社に依頼する形だったことが仇となり、テスト予定日の前日にプログラムが実は仕上がっていなかったという想定外の事態に見舞われる。それが半年後の10月末のこと。この間にヤフーや楽天に先行されることとなってしまうが、5週間後の11月29日にPC向けのオークションサービスがついに動き出した。その後通信費の定額制が普及していくとモバイル向けに新たなサイトを構築し、ゲーム事業を中心に拡大していく。2011年のオフシーズンにはプロ野球に参入し、横浜DeNAベイスターズが誕生している。
ソーシャルゲームの人気が高まる中で生まれるユーザー間でのトラブルや社会への影響、流行を読めずに下がる売り上げ、他社との共同事業での大きなミスなど、起こる問題と確実に向き合い、解消に動くことで発展を遂げていった。初めてのサービスが始動するまでの紆余曲折の経験によって、同じ目標に向かって全力を尽くし、達成した時の喜びと高揚感を経営の中枢に据える、というビジョンのもとで企業の運営がなされている。
はっとさせられるのは、物事が進んでいく速さである。社内のみならず社外とも連携を取ってプロジェクトを動かしていくにあたって、決定、実行、修正を繰り返せるチーム力や個々の熱意は欠かせない。機会や優秀な人材を、逃さずものにするためには、スピードや時間に対する意識を当たり前に持っていなければならない。そうやってどんどん新しいことをやっていく組織は面白い。
2024.09.13Vol.34 川と海を越えて(三浦)
先日、かねてから気になっていた中之島図書館をようやく訪れた。
中之島の美術館や科学館などには何度か足を運んでおり、そのついでに寄ってみようとその都度思いながらも、そして途中まで歩いていきながらも、体力不足で断念することが多かった。一度は「図書館やし空いてるやろ」と軽い気持ちで日曜日に訪ね、扉の前で休館日を知ったこともある。
大阪出身ながらも大阪市にはあまり詳しくなく、車を運転するわけでもないので、中之島あたりの土地勘は皆無と言っても差し支えない。そのため事前情報も何もなく、図書館を目指して行ったものの、その日はすぐ隣の中央公会堂に入ってしまった。
とはいえ、その中央公会堂も展示室を見ていると知らないことばかりで興味深かった。中央公会堂は「義侠の相場師」「北浜の風雲児」と呼ばれた株式中売人の岩本栄之助氏の多額の寄付によって建設されたものであるが、その彼は渋沢栄一が団長となった渡米実業団の一員としてアメリカに渡ったことや、莫大な損失により自死を選んだことなどが展示されていた。
ここからどんな話がしたいのかというと、そういった株取引が盛んだったことや実業家によって建てられたのだという知識を持って中之島図書館の蔵書を見ると、なんとも納得がいった、ということだ。私は図書館といえば近所の市立図書館か大学図書館しか知らないが、町の図書館というのは概ね蔵書に偏りはないと思っていた。しかし中之島図書館は歩いてみた限りでは、ビジネス書と社史、そして大阪という土地にまつわる本がほとんどを占めていたのだ。思い返せば、図書館まで歩いた道で「綺麗な建物だなあ」と立ち止まったのは大阪取引所だったし、船場といえば天下の台所、そりゃあもう、ばりばりのオフィス街なのは当然のことである。
ホームページを見たところ、ビジネス支援サービスというものを行っているようだ。以下に引用する。
「大阪のビジネス街の中心に立地し、利用者の多くを占めるビジネスパーソンのニーズに対応し且つ館の有益性を向上させるというコンセプトのもとに行われました。(中略)定期的にビジネスセミナーを実施し、『ネットショップ』や『ベトナム投資』、『貸借対照表』等旬のテーマについて外部講師にお話しいただき、利用の促進を図っています。」
「1904(明治37)年に開館し、今年で102年という歴史をもつ当館は重要文化財に指定されており、かつては大阪商工の隆盛を図って創設されました。そして21世紀に入り改めてビジネス支援を行う図書館として再出発し現在に至り、財政難の中でどのようなサービスが展開できるか模索する日々が続いています。」
訪ねたのは土曜日だったが、それでも一見してビジネスパーソンだろうなあという人々が熱心に本を閲覧していたのは記憶に新しい。今こうして支援サービスの内容を見て、なるほど、となった。ちなみに大阪の府立図書館では、中之島図書館が上述のようにビジネス書や大阪にまつわるもの、中央図書館が総合図書館としてそれぞれ機能を分担しているらしい。ほか、中之島図書館のそばには「こども本の森」もある。用途とニーズに合わせての分担ということだろう。
さて、長々と書いてきたが、本来はここからパリの話に移る予定だった。図書館に向かう道すがら、同行者の知人と「中洲といえばパリを思い出す」という話をしていたのだ。といっても私はパリの中洲、シテ島やサン=ルイ島のことをよく知らなかったのでうんうん相槌を打つばかりだったが、中之島の運用とは全く違うことは明らかである。ノートルダム大聖堂のあるシテ島、セザンヌやボードレールが居住していたこともある高級住宅地のサン=ルイ島、蔵屋敷が集まっていた中之島…。ざっと調べるとこんな差だ。中之島は商業のために開発されたそうだが、シテ島やサン=ルイ島の方はむしろ「パリ発祥の地」と言われているので、そもそもの順序が逆なのだ。そういえばマンハッタンも川に囲まれていただろうか? 地理に明るくないので、新鮮で面白い。いろいろな国の川の比較も楽しそうである。
ちょうど、その時の中之島図書館では「1/300のたくらみ」という模型展示を行っていた。産経新聞の連載企画らしい。ストーンヘンジや国連本部といった有名どころから、幼少期の思い出の詰まった実家(ヨルダンの方のものだ)など、世界中のさまざまな施設や遺跡が1/300スケールの模型になって並んでいた。縮尺が同じなので、まったく違う土地のものでもサイズ感を比較できる。マダガスカル、バオバブの木が立ち並ぶバオバブアベニューの模型の隣に阪神甲子園が置かれているのだが、高さがほとんど同じで、「バオバブってこんなに大きいんや」という実感が得やすかった。ぱっと見てまったく違うものでも、なにかに注目して比較してみると面白いことが見つかる。
ブラウザを20タブくらい開きもって調べながら書いていたが、まだまだ自分の中に落とし込めていない気もする。そんな中、オリンピックの話に持っていくにはだらだらとしすぎたので、ひとまず区切りとする。
2024.09.08vol.33 古文の謎(竹内)
「入試科目に古文は必要なのか」「これからの時代に古文を学ぶ必要はあるのか」ということがよく取り沙汰される。あからさまに不満を口にする生徒がいるわけではないが、「古文が好き」だという生徒ともなかなか出くわさない。好きである必要はないのでそれは大した問題ではないのだが。「やらないといけないからやる」の域を越えないことを実感しつつも、個人的には現代人は古文と付き合い続けるべきだと思っている。しかし、それがなぜかと問われるとまだ十分な答えを見つけられていない。ずっと考えている。子どもに勉強を促す際の声掛けの一つとしてよくあるのが、「将来の役に立つから」である。古文ほどそれがしっくりこないものはない。そもそも、ほかの科目であっても「役に立つ/立たない」という見方は結局好き嫌いの話へと発展していってしまう。理由が先にあるのではなく、それを探す、どうやって役に立たせようかと思案する方が、自分の中に取り込まれることは多くなる。
つい最近、『源氏物語』を読み始めた。「いづれの御時にか、女御、更衣、あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」が冒頭の一文である。今も学校では暗記させられるのだろうか。こう書くとまるで原文にチャレンジしているようなので早めに白状しておくと、何年経っても進まなくては困るので、もちろん現代語訳されたものを選んでいる。各出版社が文学全集を様々に出しているが、河出書房からの「日本文学全集」シリーズ全30巻が現時点ではおそらく最新である。ハードカバーの色合いが鮮やかで、「いつか全部買い揃えたら本棚がカラフルになって良いな」と思い、手始めに購入したのがそれだったのだが、上・中・下巻からなるその圧倒的な長さのために「そのうち、そのうち」と後回しにしているうちに4年は過ぎていた。今年の大河ドラマでは作者の紫式部をモデルにしていることもあり、私の母親が興味を持って挑戦したのが春先。祖父の介護のために実家で過ごしておりそれなりに時間があったので、あっという間に読破したとのことだった。ちなみに母が持っていたのは田辺聖子による『新源氏物語』。私のは訳者が角田光代である。そういえばそのことも買ってみようという決意に至ったきっかけの一つだった。『さがしもの』という短編集があるのだが、これが氏との出会い。各話が良かったのはさることながら、あとがきを通じて好きな作家の一人になった。
9月に入ってもまだ暑さは引かないが、それでも生ぬるかった吹く風がいつの間にか心地よいものになってきて、8月も半ばごろからはトンボが姿を見せ始めた。夏至を過ぎてわずかではあるが日照もこれから短くなっていくことがうっすらと感じられるようになってきた。こういう季節の変化や風景を、古文、特に俳句や和歌は逃さずその中に閉じ込める。そう考えると、過去を知れるという点では歴史と通ずる部分があるが、歴史は知識を与えてくれるのに対して、古文は感性を磨いてくれるものだといえるのかもしれない。日本最古の歌集である万葉集には、約4500首が収録されている。天皇のような身分の高い人物だけではなく、農民のような一般市民の和歌もたくさんある。今、巷にあふれるさまざまな歌に自分を重ねたり共感したりするのと同じように、昔の人々の言葉によって紡がれる思いが、今と変わらない新鮮さを感じるものであることは、不思議で興味深いことだ。
この夏休み、公立中学に通っている生徒の何人かと古典の勉強を進めた。文法事項を押さえて、それが実際の文章にどのように用いられているかを確かめながら、一緒に内容を咀嚼していった。学校によるのかもしれないが、中3の生徒にどのようなことを習っているか尋ねたところ、まだ本格的には文法を教わっていないとのことだった。古文にかけている時間自体がそこまで多くないようである。一つ一つの設問に対して解答できることを目指すならば、助動詞やら係り結びやらをある程度覚えていれば事足りるのであろうが、それをもとにして文章全体の理解を深められるようにするならば覚えることにもっと時間を割く必要がある。知識はあくまでも道具として使えるようにしてあげるべきである。
世界中で人気を博している『ハリー・ポッター』シリーズの日本語訳に対しては、いくつかの誤りが指摘されている。原著を読みこなせるレベルにはないのでそれに関して言及できないが、和訳であっても現代語訳であっても、直訳だけでは正しくとらえられず、文化や時代的背景も多分に考慮しなければならない。これは実は我々が教室で子どもたちに求めている「言い換え」とも通底している。ある言葉を別の言葉に言い換える時、文脈の中での意味を掴まなければならないし、反対にそれが持つ絶対的な意味を無視してはいけないこともある。訳者が違えば表現が異なるように、状況によって多少は絞られるにせよ、どの言葉を選ぶのかは本人次第である。読むという営みの本質は、自分が理解できることを明らかにすることにある。そうやって格闘していく相手として、本当は古文は打ってつけなのではないか。知らない、分からない、難しいからこそ、少しずつかみ砕いて、見えてくるものがあった時にものすごく気持ちがいい。








