志高塾

志高塾について
志高塾の教え方
オンライン授業
読み聞かせクラス
卒業生・卒業講師の声
受験結果
志高く
志同く
採用情報
よくあるご質問
お問い合わせ
体験授業申込 カレンダー
志同く

2026.10.09Vol.101 真面目に笑う(徳野)

 9月26日、東京の虎ノ門ヒルズで開催されていた「トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま〜魔術、メディア、アート」展に、最終日に駆け込んだ。アウスラーは公式ホームページでは「マルチメディアの巨匠」と紹介されているが、アメリカに拠点を置く大物映像作家、くらいの認識で大丈夫だろう。彼の名前と顔が結びついたのは展示会の告知がきっかけだった。というのも、実は何年も前から、私が最も敬愛するミュージシャンであるデヴィッド・ボウイのドキュメンタリー番組でインタビューを受けるアウスラーの姿を目にしていたのだ。ミュージックビデオや舞台装置のためにボウイに色々と協力をした際のエピソードを語っていたのもあり、アウスラーもてっきり音楽業界の人だとばかり思っていたので、彼が大都市のパブリックアートを手がけるほどの実績がある美術家だと知った時には驚いた。ボウイのファンになって10年以上が経つが、「今でも色々な事を教えてもらっているなぁ」と実感したものの、今回のメインはアウスラー展の方である。
 「巨匠」の回顧展だけあって展示構成は綿密に練られ、作品解説と参考資料も豊富だった。「スクリーンとは四角い平面」という固定観念を壊すインスタレーション(空間芸術)がアウスラー作品の大きな特徴であり、球形や雲形のオブジェに投影された万華鏡のような映像や、人間の眼球と唇の気色悪い動きには不思議な魅力があった。かなりシュールな作風ではあるものの、「個々人の存在がデータ化された監視社会」や「インターネットに蔓延する陰謀論」といった、情報通信技術の持つ暴力性と現代人の不合理な側面を表現する批判精神も窺わせるあたり、やはり只者ではない。そこを来場者にきちんと伝える学芸員の手腕も見事だった。
 ここまでの内容だと、私が大真面目に展示に向き合っていたかのような印象を与えるかもしれない。しかし、実際は笑いをこらえる瞬間が多かった。アウスラーはオカルト好き、というより超常現象に過剰に魅入られている人々に強い関心を持っているらしい。参考資料の中には、19世紀末から20世紀前半に撮られた幽霊や妖精の存在を「証明」する写真が沢山あったのだが、現代人の目にはフェイクだと一目瞭然な代物なのだ。生成AIなど無い時代に図画工作の技術を駆使して世間の耳目を集めようとする健気な姿勢には微笑ましさすら覚えた。生意気を承知で述べると、おそらくアウスラーも私と同じような感情を抱いているはずだ。彼の作品には先述の偽造写真に関わった人々からインスピレーションを受けたような設定の人間たちが頻繁に登場するのだが、彼ら彼女らの真剣な面持ちとぎこちない挙動は意味不明な部分が多いのと同時に、どこか滑稽だからだ。個人的には、展示物をきちんと見た上であれば「www」と軽く笑い飛ばすくらいの気楽さがアートの場では許されても良いと思う。
 話は変わるが、マウリツィオ・カテランによる≪コメディアン≫というアート作品をご存知だろうか。恥ずかしながら、私は数年前にある生徒に教えられるまで知らなかった。大学で美学を専攻していた者としてはあるまじき事態であった。それはさておき、作品の内容を説明すると「本物のバナナを壁にテープで貼り付けただけ」である。無理やりにでもジャンル分けするなら彫刻になるのかもしれない。すると、そもそも「彫刻」の定義とは何なのか、という風に新たな疑問が湧いてくる。そうやって観る者を思考の渦に引き込むくせ者なのだが、問題は、それが由緒ある競売会社サザビーズ主催のオークションで620万ドル(9億6000万円)で落札された事実だ。 
 ここで、読者の皆様に改めて問いかけたい。たかがバナナ1本に大金が支払われた事に対してどのような感情を抱いただろうか。おそらく大半の人の中に「はぁっ!?」と、怒りが混じった戸惑いの気持ちが生まれていることだろう。先述の生徒も「あんなの誰でも作れるじゃないですか」と憤慨気味だった。至極真っ当な反応である。しかしながら、そこから「現代アートなんてくそくらえ。いっそのこと無くなってしまえ。」とまで言い切ってしまうほど極端で口の悪い人はさすがに少ないのではないだろうか。そして、それは、美術館やコレクターが扱うような「芸術」に対して、たとえ親しみは無くとも、どこか高尚な価値(のようなもの)を漠然と感じているからではないだろうか。だからこそ、作者、販売者、購入者の全員がふざけているようにしか見えない作品の存在に釈然としないのではないだろうか。
 ちなみに私自身は例のバナナの一件に対して憤りは覚えていない。「あぁ、またやっているな」という風に半ば呆れはしたが。根本的な話をすると、アートに付けられる値段は作品そのものの質だけで決まる訳ではない。作者の知名度、制作時期、サイズ、所蔵ギャラリーの格といった「情報」に大金が支払われていると言える。加えて、美術作品には年数を重ねるにつれて価値が上がっていく傾向があるため、富裕層の中には手堅い資産にするべく買い求める者がいる。特にここ10年は投資目的での落札が過熱しているため、アート市場は価格高騰が著しい。例えば2017年には、サウジアラビアの皇太子が、レオナルド・ダ・ヴィンチの≪サルバトール・ムンディ≫を4億5030万ドル(510億円)で購入した。個人的にはダ・ヴィンチによる絵画の中では出来が良いとは思わないし、そもそも真作なのか疑っている研究者も少なくないらしい。利潤第一の人々にとっては問題にならないのだろうが。それと比べたら、620万ドルのバナナなんてまだマシではないか。挑発的な作風が特徴のカテランなのでアート市場の欺瞞を知った上で販売を許可しているだろうし、自身の作品が多くの人の反感を買うであろうことも予想済みだろう。鑑賞者である我々は得体の知れない物のために大金が動いた事実を批判しても良いし、「こんなの自分にだって作れる」と憤慨しながら志高塾の壁にバナナやら青リンゴやらを貼り付けて公開してみても良いのである。(ただし、1日という限定付きで。)また、そこまでの気力が無くとも、オークションに関わった全ての人の確信犯的な行動を「アホらしい」と鼻で笑って終わらせるのでも十分なのだ。なぜなら、題名は≪コメディアン≫なのだから。
 私は、自分が大学で美術史と芸術哲学をかじったことの効用は、一つひとつの作品を「俯瞰」する癖がついたことにあると考えている。制作年の時代背景やアーティストの経歴などを知っていた方が価値を理解しやすくなるとはよく言われる。実際、いわゆる教養を身につけていくうちに個人的な好き嫌い以外の物差しを持てるようになった実感があるし、そのおかげで気が楽になった面もある。それは美術作品に限らず、映画、洋楽やJ-POP、ミュージカルなどのサブカルチャーに触れる場合にも当てはまる。だが、今回の文章で強調したいのは、知識があれば物事をむやみやたらに神格化せずに済む、という点だ。当たり前だが、創作に携わる者も生きている(生きていた)人間なので、馬鹿げた言動や性根の曲がった振る舞いをやらかさない方が難しい。中にはあえて実践するような者もいて、それが創作物の面白さに繋がることだってありえる。作品を受け取る側が持っておいた方が良い「ユーモア」とはそういうことではないだろうか。

PAGE TOP