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2019.05.28Vol.399 社会人経験者バージョン

 これまで、研修期間中の大学生のレポートをここで何度か紹介してきた。それは、体験授業などで「教えているのは大学生ですか?」という質問を時々受けるから。裏側には「大学生=いい加減」という図式がある。志高塾の学生は違う、ということを分かりやすく伝えるためにそのようにしてきた。一方で「社会人経験者=信用できる」というのも事実ではない。他の塾のことを言うのもどうかとは思うが「学生講師はいません」みたいなものをHPで謳っているのを目にしたりすると、「受験産業にどっぷりとつかって、私は分かってる、みたいな顔して偉そうに勉強教えられてもなぁ」などと突っ込みたくなる。ただ、社会人経験があればある程度の文章を書けてしかるべき、というのがあるので対象外にしてきた。今週は月間報告に追われていること、また、半年に一度の面談も始まったこともあり解禁とした。
 では、「志高塾に通う生徒にどのような人材になってほしいか」というテーマに関するものをどうぞ。

 新卒で入った金融機関を退職してライターに、つまり「文章で収入を得る仕事」に就いてから、20年以上になる。小学生の頃から国語は好きだったし、とりわけ作文や感想文は得意だった。だが、その能力を商売道具にするという発想は、大学生の私になかった。いくら野球やサッカーが好きでも、プロ選手になれる人が一握りであるのと同じように、「好き」という動機で子どもが頑張った程度の文章力など、社会に晒されてしまえば人並みの評価に収まってしまうものだと決め込んでいたのだ。
 ところが、会社員になってみると、私の固定概念は少しずつ崩されていった。野球やサッカーをしなくても仕事はできたが、日本語を使わないで過ごせる日など一日たりともない。ことさらに「文章を書くぞ!」と意気込んで紙に向かうことは稀だったが、訪問先に礼状をしたためたり、上司への報告書を作ったり、会議用のプレゼンテーションを準備したりといった日常業務の中に、文章は必ず含まれていた。そうした作業を苦にする先輩や同僚を後目に、私は淡々とデスクワークをこなすことができた。国語が得意であることは、英語が話せるほど華のある能力ではないけれど、決して無駄にならない能力だった。
 そしてある日、秘書の女性が放った言葉が、私の概念を覆す決定打となった。
「Aさん、もっと外交に行ってよ。報告書が面白いから、読むのを楽しみにしているの」。
ノンフィクション小説を書いていたわけではない。ただ、商談の場に同席していない人が読んだとき、その場の様子がよくわかるように努めていただけのこと。ところが、本来いるはずのない「読者」がいたのだと知って、私の意識はガラリと変わった。文章が、情報伝達に便利なツールである領域を超えて、人の気持ちを動かすコミュニケーションツールにもなるのなら、その可能性を試してみようじゃないか、と。報告書作りに熱を入れたのはもちろん、プレゼンをするときは敢えて配布資料に書かない部分を残しておいて口頭説明のキラーワードに使うといった演出もほどこした。役員や上司たちの受けは上々。顧客の反応もよくなり、人事査定も最高ランクに上がった。
 そのまま会社に留まって、文章力を活かしながら出世する道もあったかもしれない。しかし私は、小さい頃から学習へのモチベーションを支えてくれた「文を書くのが好き」という気持ちと、もっと文章を使って色々なことを切り拓いていきたいという欲に従って、文筆業の道へ進むことを決めた。当時、27歳。もっと早くに気づけなかったものだろうかという後悔が、未来ある子どもたちに文章を教えたいという思いにつながっている。
 プロの物書きになり、同業者が「ペンは剣よりも強し」と口にするのを何度か聞いた。書く力を研ぎ澄ませていけば、剣より切れ味の鋭い武器になり、大きな力を敵に回してもやりあえるという意味だ。ライター業を長く続けてきた私が、志高塾の生徒にこの言葉を教えるとしたら、「武器どころか凶器にもなる」という怖さや、「誰かと一緒に使えば楽器にもなる」という楽しさについてもセットにして伝えたい。なぜなら、彼らが生まれた平成という時代には、失言を繰り返した大臣が辞任したり、クラスメイトの心無い一言の積み重ねが若い人を自殺に追ったりといった悲しい出来事もあれば、TwitterなどのSNSを通じて善意の寄付が集ったり、勇気あるカミングアウトが多くの人に勇気を与えたりといった明るいニュースもたくさんあったからだ。これから令和の主役となる生徒たちには、言葉を交わす労を惜しまず、他人の心に寄り添って共感出来る人に。自分の本意を理解してもらえるよう言葉を選び、楽しい会話も厳しい議論もできるような人になってほしいと切に願う。
 そのために、私が講師として出来ることは何か?
 いま、受験国語を教える塾はあまたある。語彙を増やし、漢字を覚え、長文読解力をつけるだけが目的ならば、作文より効率の良い方法だってあるはずだ。私の実家は学習塾を経営していたが、やはり試験の点数を上げるテクニックの伝授に力を入れていた。大学生の頃にアルバイト講師をしていたにも関わらず家業を継がなかったのは、受験対策に特化した技ほど、その後の長い人生での耐用年数が短いことを感じていたからかもしれない。実際、社会に出てから役に立った「国語力」は大きくわけて2つだ。1つ目は、行間を読む力。すなわち、言葉にならない心情や状況を理解する力だ。これは、「いつ、誰に対して、何の目的で、何を伝えるのか」というTPOをわきまえる洞察力や観察力にもつながる。もうひとつは、他人の視点や見解を疑似体験することで得た多様性を受け入れる力だ。求人広告をきっかけに志高塾のウェブにアクセスし、初級レベルでマンガを題材に作文を書かせると知ったとき、この2つ力を培うのに有効なメソッドだという予感があった。そして、8コマの研修で生徒たちの様子を見て、その予感は間違っていなかったと確信している。
 また、中学生くらいになると、小論文の素材選びに苦戦する姿も見受けられる。国語学習の一環として取り組んでいる生徒にしてみれば、「誰に何を伝えるかを決めること」は義務なのかもしれないが、ビジネスの世界では、立場のある人にしか与えられない権利である。言い換えれば、「志高く」の、志の部分を表明するようなものだ。もしも将来、起業家になったら、エンジェルとエレベーターに相乗りした1分間に見事なプレゼンテーションを披露して何億円もの投資を得るかもしれない。企業の広報担当者になったら、200文字足らずの「つぶやき」を発信して、全社が力を結集して開発した新商品を爆発的なヒットへと導くかもしれない。オリンピックに出てメダルを取るような選手になったら、表彰台に立つまでの努力や応援してくれた人たちへの感謝を表し、世界中の人を感動させるかもしれない。
 生徒たちの人生は、卒業しても受験が終わっても長く続く。その途中で、自分が望む道を切り拓くにも、仲間を増やすにも、成果を広く知らしめるにも、国語の力はきっと役に立つ。人を動かす文章は、「正確」で「巧い」だけではなく、相手が必要な情報を含み、相手が受け取りやすい切り口で書かれているということを体験的に覚えること。そして、そのコツを若いうちに体得し、思いを文章で伝えることの醍醐味を知ってから社会に出れば、いかにAIが台頭しようと仕事を奪われる心配は少ないだろう。
 せっかく志高塾で国語の魅力を覚えたなら、卒業してからも日々の暮らしの中で言葉という器に知識と感性を詰めていく努力を怠らず、一生使える武器として磨き続けてほしい。そして、大切な家族や信頼できる仲間の気持ちを受け入れながら、幸せなハーモニーを奏でる楽器として言葉を使いこなせる大人になった彼らと再会するのが、今から楽しみだ。

2019.05.21Vol.398 学生講師の就職活動

 『志高く』を書くにあたり、通常2, 3日前にはテーマを決めて、そこからそのことについてあれやこれやと頭の中で考え続ける。書き始めるのはほとんどが当日である。それとは別にそのときに少し気になっていることを冒頭に持ってくる。こちらに関しては、ほとんど思い付きなのだが、実際に言葉にし始めると伝いたいことが多くなり、かなりの字数を割くことになる。よって、今回は直接本題へ。
 彼らの就職活動がうまく行けば嬉しい。当然のことである。その理由の1つは、身近な存在であるから。他人の幸せより、身近な人の幸せの方が大きな喜びを与えてくれる。もう1つの理由が、彼らが志高塾で働いてきたから。
 以下は、ある男の子とのやり取りである。
「ところで、就職活動はどんな感じなん?」
「あんまりうまく行ってません」
「何でなん?」
「面接がうまく行かないことが続いて、最近は素の自分を出せていないよう気がします」
少し補足をすると、彼は、言葉自体は柔らかいのだが性格は頑固である。そこに大きなギャップがある。1年ぐらい前の出来事で、未だにネタにしている話題がある。小1の男の子の体験授業で添削を任せた際「ちゃんと考えてるの?」と何度か問いかけていた。文字にすると伝わらないが、詰問口調であった。私であれば「ちゃんと考えろよ!」となるが、体験授業に来た、しかも小学校に入学したての子にさすがにそんなことは言わない。通常であれば「あんなところには二度と行きたくない」となるのだが、その子の芯の強さも手伝って無事入塾となり、この一年間マイペースをまったく崩すことなく順調に成長している。
 上のやり取りをしたのは、彼がそれなりに重要視していた会社の最終面接が終わった後で、「多分落ちました。手持ち(その時点でそれなりに進んでいるところ)が少なくなりました」と漏らしていた。ちなみにその会社は50人ぐらい採用するとのこと。それを聞き「どんなメンバーが受けに来てるか知らんけど、Aさんより優秀な人がそんなにもいるとは思われへん。普通に考えて25人以内には入るはずやけどなぁ」と返した。また、面接における自己の表現の仕方は私自身も苦労した覚えがある(私の場合、正確にはグループディスカッションで苦戦したのだが)ので、次のようなアドバイスをした。
「自分をそのまま出して、何度か落とされたら確かに自信がなくなる。Aさんが言っているように、自分をそのまま出したらアカンから、じゃあ他の自分で、となるのもよく分かる。ただ、そのときに自分ではない誰かじゃアカンで。それやったら自分を隠しているだけやから。そうではなくて、面接官がどのような人を求めているのかを読み込んで、その人を演じ切るのであればそれなりに意味があると思うけど。また、言葉は柔らかいけど実際は頑固なところが面白いのに(Aさんの価値やのに)、それを隠したら、単に自信がないからそんなしゃべり方なんや、と思われるで」
 もう1つの理由である「彼らが志高塾で働いてきたから」について。添削や丸付け、月間報告を作成し続けることによって、彼らはそれをしなかった場合に比べて明らかに力を付けている。Aさんの月間報告は、働き始めた頃から論理的には問題はなかったのだが、自分の考えが前に出すぎていて、正直読みづらかった。それがこの半年、1年ぐらいは格段にレベルアップした。言いたいことを言わなくなったからではなく、読み手の立場に立って客観視できるようになったのだ。それによって、言いたいことが以前より伝わりやすくなった。今回、そのことを伝えた。「俺から見て、明らかに成長してるんだからもっと自信を持った方がいいよ」と。本人には、成長した、という実感はないらしいのだが。
 彼らはいい仕事をしてくれているし、間違いなく優秀である。就職活動がうまく行こうがいかまいがその評価は変わらないのだが、一つの分かりやすい評価として就職活動ではうまく行ってほしい。彼らが他の一般的な学生より輝いていないはずはないのだ。1つ難しいのは、面接官が適切な能力を持っているか、ということである。もちろん、自分で選んでその会社を受けているので、それを言うのはある種言い訳にはなってしまうわけだが。数日前、彼は件の会社から予想に反して無事内々定が出たとの報告をしてくれた。おめでとう。
 話は変わる。春休みにある講師から就職活動をするにあたり「私という人間の分析をして欲しい」と頼まれた。私にできることであれば、ということで快諾した。その彼女の良さは「アンバランスなバランスだ」ということを伝えた上で(当然のことながら、本文ではそのことをきちんと説明している)、面接などでうまく行かなかったとしても変にバランス良くしようとしたらアカンで、というような意味を込めて次のように文章を結んだ。

 最後に、具体的なアドバイスをして終わりにする。まず、自分の短所を少しでも補おうとしないことである。自分の長所で勝負できる職を探すべきである。そこで良い評価が得られなければ、それは短所を補って余りあるほどに長所が魅力的でないということなので、さらに長所を伸ばせばいい。中途半端に下手くそな守備の上達を目指すのであれば、さらなる打撃力の向上を目指せばいい。
 最後に、と言っておきながらもう1つだけ付け足す。この旅行中、ダン・ブラウンの『オリジン』を読んでいた。その中でビルバオのグッゲンハイム美術館に展示されているリチャード・セラの『ねじれた渦』が登場する。その渦の中を進むと、重たい金属が今にも自分の方の倒れてきそうな危なっかしさを感じるのだが、実はとても安定している、とあった。

就職活動の中でこれまでとはまた違う経験を積んだ彼らが、卒業までの残り1年弱、生徒達により良い授業をしてくれることを私は望んでいる。

2019.05.14Vol.397 「うまい」の善悪

 前回、文書を書きながら「ちょっと待てよ」となった。『vol.395「かっこうまいとは言わへんもんな」』において「うまいは悪だ」ということを述べながら、「うまい」という言葉を使いそうになったからだ。結局、どのように処理したかは忘れてしまったが(読み返せば分かるのだが)、「辻褄合ってへんやん」と心の中で突っ込まれるのを避けるために別の言葉に置き換えた気がする。
 8, 9年前のことだろうか。志高塾に通う生徒が初めて灘中に合格した。こういうことに言及する度に補足するのだが、少しでも高い偏差値の学校に合格させることが我々の目標ではない。格好良く言えば、志高塾のミッションではない。その子供にとってどこの学校を目指すのがいいのかを考え(小学生であれば主に親御様の意向を伺い、高校生であれば本人の意見を聞いた上で)、受験の後も役に立つ本質的な力を付けてあげながら、合格の手助けをするのが我々の果たす役割の1つである。あくまでも1つである。特に高校生の場合、受験とまったく絡めずただ純粋に意見作文をするために通う生徒もいる。小学生においても、過去問を教室で解かせるものの、別にそれすら必要のない場合もある。あえて避けるものでもないので、勉強の一環としてそれに取り組ませ、丸付けの際にこれまで身に付けたものがどのように生きているのかを一緒に確認したり、我々がその子に足りないものを掴む1つの手段として利用するに過ぎないこともある、ということだ。
 GWの休みに入る少し前に、高3の女の子がいつもより遠慮がちに「先生」と私に呼びかけ、話をし始めた。小1の頃からの付き合いであり、日頃は私に好き勝手言っているにもかかわらず、どうにかこうにか話の端緒を見つけた、といった風の滑り出しであった。私としては、少し前から「そろそろかな」と思っていたので、「やっと来たか」という感じであった。近頃うまく行っていなかった恋人にやおら別れを切り出されたときの心境と似ているような気がする。「やっぱ、私立文系にしよっかな」ということを私に伝えたかったのだ。本人は口が裂けてもそんなことは言わなかったが、「国立文系を目指すのが大変だから」以外の理由はない。2次試験対策の数学を勉強する必要があること、教科数が増えることから逃げたかったのだ。高校からの友人で、現在カービングを本職にしている女の子がいる。ちなみに、西宮北口校の玄関に飾っている石鹸の作品は彼女にお願いして制作してもらったものである。現役で京大の農学部に進み、卒業後は大学で学んだことを生かして食品関係のいくつかの会社で働き、5, 6年前に独立した。今では東急ハンズや東京の美術館に販売のために作品を置いてもらえるようになったらしい。本人に聞いたことはないのだが、もっと早くから始めれば良かったとは考えていないはずである。いわゆる畑違いのことを仕事にしているのだが、それまでのことが無駄になっているわけではない。昔から興味を持ったことがあればそれを突き詰めようとし、ある程度のところまで到達した時点で別の事柄に移る、というのが彼女のスタイルであり、たまたまカービングというのがもっと掘り下げたい対象として選ばれただけの話である。何かを身に付けるうえでどのようなステップを踏むべきか、というのはそれまでの経験が生きているはずであり、また、それまでに様々なことに挑戦してきたからこそ、カービングが他のものに比べて奥が深く、極めるものだと認識したのではないだろうか。彼女の経験の中でも、受験というのはそれなりに大きなポジションを占めているに違いない。高3の女の子にその友人の話をしたわけではないが、そのときに話したのは「勉強をやり切る自信がないんやろ?俺にとっては、あなたがどこの学校に行こうが構わないのだが(大学受験の実績を上げたいわけではない、という意味である)、人生の中で、何か明確な目的を持って、それに向けて頑張る、という機会は中々ないで。仮に、私立文系にしたとして、大幅に減る勉強時間(正確には、クラブを引退して、これから大幅に増やさないといけなかった)の代わりに何をするの?そんなんないやろ」というところで話が終わった。このようにまとめたが、実際には1時間ぐらいは話していた。先週、中3からセンター試験直前まで約4年間通い、阪大歯学部に現役で合格した女の子が算数、数学の講師として加わった。ちょうどその高3の女の子がいたコマに入っていたときに、「現役で阪大歯学部に合格してんで」と伝えたら、思わず「すごっ」と漏らしていた。そのときの表情を私はまじまじと見ていたのだが、心底そのように思っているのが伝わってくるものであった。その大学1回生の講師は生徒の頃から、いつもにこにこしていて言葉も柔らかい。まだ2回しか入ってもらっていないのだが、ちゃんと取り組んでいない生徒にふとした瞬間鋭い言葉を浴びせる場面が何度かあった。「鋭い」のであって「きつい」わけではない。そういうのは、「自分はやることをやった」という自信に裏打ちされている。ただ、その自信にも賞味期限があるので、新たなことに挑戦し続けなければ、いつの日かその子の言葉は生徒に響かなくなる。
 そうそう「灘中」の話。「東大」もそうであるが、「志高塾のやり方では、ここぐらいのところまでしか狙えません」と思われたくないために分かりやすい学校名を出しているだけで、それ以外の含意はない。これも過去に何度も書いてきたことである。もう少し断っておくと、誰に対しても国立を勧めるわけではない。以前、ブログか内部配布の『志高く』のいずれかで書いたが、高卒で就職をした男の子がいた。その時は、就職試験でパスするように、履歴書の書き方、面接試験での話す内容など、できる限りのサポートをした。もちろん、それがその子にとっていい選択だと私自身納得できたからである。
 いつもの倍ぐらい脱線してしまった。さて、初めて灘中に合格した生徒のお母様が受験後「当たりました」と感想を漏らされたことがあった。実は、この文章を書き始めるまでは「うまく行きました」だったような気がしていたのだが、それは思い違いで実際は「当たりました」だったのだろう。それからさかのぼること1年、「お話があるので、教室に伺ってもよろしいでしょうか」と事前に連絡をいただいた。先の恋人の別れ話ではないか「またあれかぁ」という予感があった。当時、新6年生になったようなタイミングでやめる生徒が多かったのだ。要は、志高塾で作文を通して基礎力を身に付けさせ、残りの1年は中学受験に関する経験が豊富な進学塾で応用力を磨かせる、と考えられていたのだ。そのお母様の話は予想に反して「先生のところ、週2コマにして、1コマは作文、1コマは読解問題という風にしていただけないでしょうか?」というものであった。灘を目指しているのは分かっていたので、当事者であったにも関わらず、「すごい決断をするなぁ」と第3者のような感想を持った。確かに「当たりました」だっただろうが、思い違いをしていたように、それは「うまく行きました」と同義であった。
 「うまい」に関して、この1週間ぐらい折に触れて考えていたのだが、自分の中で分かったことがある。良い結果を楽に得るために「うまい」やり方を求める姿勢が好きではないのだ。いつでも誰にでも当てはまるような「うまい」など存在しない。「英語がうまくなりたい」、「野球がうまくなりたい」というのはもちろん何も問題でない。その「うまい」は固定化された具体的なものではなく、ベクトルで言うところの「向き」なのだ。それ以外に、うまくいく、ということもある。それは方法でもなく向きでもなく結果である。それは当然好ましい。
 私がよく考えるのは「生徒たちにとって本当に良いものを提供できているだろうか」ということである。うまくいっていることもあればそうでないこともある。前者はエネルギーを、後者は課題を与えてくれる。そして、より良質の良いものを追い求める。それの繰り返しである。真摯に向き合い続ける限り、私の自信は賞味期限切れにはならないはずである。それは生徒の心の奥底に言葉を届けられることを意味している。

2019.05.07Vol.396 近くのグラスより遠くの鹿威し

 1週間の休みを利用して京都に3泊してきた。大学受験のための宿泊を除き、京都市内に泊まったのは人生で初めてではないだろうか。目的は寺社巡り。4日間で15か所を訪れた。たくさん行けば良いというものではないが、たとえば、金閣寺、龍安寺、仁和寺のようにバスで10分程度のところに有名な寺が位置していることも少なくないため、それぞれで1時間以上過ごしたとしてもそれなりに回ることができる。GWであったためもちろん混んではいたものの、平日のTDLやUSJよりも随分とましなはずである。御朱印のために並ぶのは15分ぐらいで、書いてもらうのに1時間待たないといけないとしても、最初に預けていろいろと見て回った後で帰り際に受け取ればいいだけなので苦ではない。その御朱印帳、平成最後の日に初めて購入した。その存在を知ったのもそれほど前ではないので狙ったわけではなく、偶然その日になっただけのことである。
 「塾の宿題が終わったらゲームしていいからね」、「塾のクラスが上がったらスマホを買ってあげるね」などのように、物などで子供を釣るのは好きではない。これをやっている親は少なくないため、道端でもそのようなことを話している母親を時々見かける。それはまだいいが、小さい子供の方から親に向かって要求しているのを聞くと「大丈夫か?」となる。大抵の場合「AできたらBしてあげるからね」のAとBは無関係である。そのような意味では「英語のテストで90点以上取れたら、電子辞書を買ってあげるからね」と紙のものしか持っていない子供に伝えるのであればまだ分かる。
 一概にそのようなやり方を否定する気はないが、私は子供を上手に釣り続ける自信がない。だから、その手は使わない。極端な例ではあるが、麻薬と似ている気がする。自分ははまらない、と軽い気持ちで手を出す。その後抑制が効かなくなり、大量に求めるようになる。教育に携わっているというのも少なからず関係しているが、まったく別の仕事をしていてもおそらくは変わらなかったであろう。だからと言って、そういうものを全く利用しないかと言えばそうではない。御朱印帳を買い与えるのは、その一種である。子供はスタンプが好きである。置いてあるのを見つければ、それがどんなものであれとりあえず押す。押す以上に子供が取りつかれるのは集めることである。ドングリが落ちていれば、袋がいっぱいになるまで拾い続ける。私は子供のその習性を利用したのだ。ただ、引っ張る場合も見えない糸に限る。「お父さんは君たちを寺に連れて行きたいから御朱印帳を買うね」と仕掛けを見せることは絶対にない。
 そうまでして、なぜ私が寺に連れて行くかと言えば、いろいろと感じて欲しいからである。また、感じることとも関係しているが、会話の材料があちらこちらに落ちているからだ。勉強以外のことを通して、いろいろなことを伝えたいという気持ちが強く働いているのであろう。勉強を通して伝えられることもたくさんあるのだが、私がそれなりに知っているためどうしても教えるということになってしまう。しかし、寺であれば、私自身にも新しい発見がそれなりにあるため、心から「これって面白いな」と思いながら子供たちに話しかけたり一緒に考えたりできる。そのような言葉の方が子供たちに響くはずである。
 本を自主的に読もうとしない3年生の二男。語彙が貧しいことは理解していたものの、1週間ほど一緒にいてあまりにも漢字を知らないことに驚いた。書けないにしても、もう少し読めてもいいはずなのだ。実際にあった例ではないが「土産」を「みやげ」と読めなくても「どさん」と読むならまだ分かる。習っているものですら怪しいところだが、そうでないものになると当てずっぽうですら答えることができないのだ。それは、日常生活でほとんど文字の情報が入って来ないことを意味している。知識というのは磁石みたいなもので、知っていることが多いほど磁力は強くなり新たなものを引き寄せる。それを自分のものとすることでまた引き付ける力は強くなる。なぜ今のような状態に陥っているかと言えば、興味の幅が狭いからである。それを広げるために、いろいろと感じながら会話をしてあげないといけないな、という思いを改めて強くした。
 寺に行くと、庭の前で腰を下ろし、鳥のさえずり、葉擦れの音を聞きながら独特の時間が流れていることを感じる。どこの寺であったかは忘れてしまったが、広い庭のどこかで鹿威しの音が心地よく響いていた。それは一定の間隔で鳴るわけだが、子供を育てるというのはこういうことではないだろうか、と考えながら耳を澄ましていた。子供のためになることをしても、すぐにそれが結果として現れるわけではない。見かけ上は何も変化はないが、ある瞬間、カランと音を立てることで、水がちゃんと溜まっていたことを知る。確かに、目の前の透明なグラスに水がどれぐらい注がれたかを確認しながら進めて行くことも大事である。そして、それは一定の安心感を与えてくれる。しかし、見えないからこそ工夫しようという気持ちになれる。不安の中で試行錯誤していると、思いがけず音がなる。その喜びをエネルギーとして、また、見えないものを追い求める。
 文章にしてみたもののそれほど簡単なことではないので、「頑張れよ、俺」と自分への励ましの意味も込めてみた。

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