
2019.04.23Vol.395 かっこうまいとは言わへんもんな
「学校の先生がめっちゃ先生に似てんねん」
「ああそう。その人、めちゃめちゃなイケメンやな」
ドッカーン。生徒たち大爆笑。まだ4月なのに今年一番受けた場面になること間違いなし。「こんなことで」と納得は行かないのだが、親御様は私に面白さなど求めていないので「そんなつまらん話するぐらいなら、1つでもためになることを教えてください」という声が聞こえてきそうである。精進します。
この週末、東京に行っていた。羽田空港で、偶然生徒とお母様と出会い、「こんにちは」と声を掛けると、ものすごく驚いておられた。実際は「きゃっ」だったのが、それは限りなく「きぇー」に近かった。そりゃ、そうか。
行きの飛行機で持ち込んだ本を読みながら、これだけ情報が氾濫した世の中だから、与えられるのではなく自分で選びに行かないとダメだな、などと考えていた。帰りは、離陸直前にカバンを上にしまうよう促され、本も取り出さずに手渡したものだから、機内誌しか読み物がなかった。それに目を通しながら、自分だけだと偏るから2, 3割はこのように与えられる方が新たな発見がある、などと早くも宗旨替え。
過去の経験上、どこまで自分の英語熱が続くのかとかなり懐疑的なのだが、幸い継続中である。今朝もNHKワールドニュースを見ていると、日本人の女性が、カバンなどをバックに話していた。それはリスニングが苦手な日本人の耳にも優しい英語であった。名前が出る前に「これっ、あの人や」となった。MOTERHOUSEの山口絵理子さんだったのだ。これも上の2, 3割の1つである。ユーチューブなどで動画を探せば見つけられるのだろうが、たまたま出会えたことでより自分の中に染み入ってくる。先のお母様は単に驚いただけだったが、それに加えて喜びがあった。長らく購入し続けていた『クーリエ・ジャポン』という雑誌に掲載されていたコラムを読んで、すごく魅力的な人だと感じていた。3年前だろうか、5年前だろうか、デジタル版だけになって以降ほとんど読んでいない。ドコモのdマガジンに登録しているので、いつでも追加料金を払わずに読めるのだが。当時を振り返ってみると、面白い記事があれば生徒に紹介しよう、というのがあったし、書店に新しいものが並んでいるのを見つけて、慌てて前月号を読破していた。「本は紙に限る」などと主張する気はないのだが、デジタルに慣れてないのと、先の2つがなくなってしまったのが遠ざかっている理由である。今、最新号を確認してみると、スパイ特集になっていた。20代の頃、落合信彦のスパイ関連の小説が好きだったこともあり(今も教室に10冊ぐらいはあって、中高生の男の子に勧めることは少なくない)、再開するにはいいタイミングかもしれない。そう言えば、最近、落合信彦のテイストに近い感じで、最新のスパイ事情が分かる小説を書く作家はいないのだろうか、と考えていたところである。
山口さんに話を戻す。前回「永守氏」としていたので、それに倣えば「山口氏」となるのだが、さん付けの方がしっくりと来る。彼女は、アジアの発展途上国に伝わる材料や技術を自社の製品作りに生かしている。それをうまく利用しての「~風」ではなく、実際に現地の人とモノづくりをしているのだ。コラムでは製品化までの紆余曲折の過程が語られていた。英語は決して流暢と言えるものではなかった。若い頃の自分であればきっと「下手くそな発音だな」などとなっていたに違いない。現時点で自分が英語を話せないので、少なくとも話している人のことを批判できない、というのが全く無いわけではないが、そんなことよりも、その1つ1つ言葉を選びながら話す様子を見て、きっとこういう風に心を込めた交渉をしているのだろう、という想像が働いたことの方が大きい。彼女より上手に使いこなせる日本人はたくさんいるだろうが、どれだけの人がいい英語を話すのだろうか。もちろん、うまいに越したことはないが、それは1番目に来るものではない。
今回の東京滞在で、例のごとく、大学生の元生徒2人と会ってきた。ランチをしてカフェに行って、と4時間ぐらい一緒にいたのだが、あっという間に時間が過ぎ去った。ちょうど、私が『クーリエ・ジャポン』の記事を紹介していた生徒たちだ。確か、当時はその中の記事を元にして、作文に取り組ませていたような気がする。会話の中で彼らの未来の展望などを聞いたりしたのだが、その根底に、その底流に「こういううまいやり方をすれば世の中で評価されやすいんで」ではなく「本当に世の中に役立ついい仕事って」というのが明確に存在していることを感じられて嬉しかった。
さっ、俺もやってやるぞーっとなったのだが、すぐにGWである。それに伴い教室が1週間お休みをいただきますので、ブログの更新は再来週になります。ちゃんちゃん