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2019.06.25Vol.403 中二病と五月病 今度こそ

 さすがの私でも、「今度こそ」として別のテーマを扱うことはない。
 それらはどちらも初めの緊張感がなくなったときに、何となくやる気を失う、ということだと捉えていたのだが、調べてみると、前者は精神疾患とは無関係であり、後者は「適応障害」もしくは「うつ病」と診断される場合もあると説明されていた。なお、ウィキペディアに「中二病とは、中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動を自虐する語。 転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。」とあった。私が疑問に思ったのは、同じような表現が英語にも存在するか、ということ。いずれもなかった。後者は、GWが影響しているのできっとないだろう、と簡単に予測できたが、「中二病」に当たる言葉すらないというのは少し意外であった。
 まず、中二病から。『14歳からの哲学入門』という本がある。これに限らず「14歳からの」がタイトルに含まれたものを時々目にする。今回調べてみると、『14歳からの社会学』(これは購入して教室に置いてあったような)、『14歳からの資本主義』などがあった。私の中では、それが気持ち悪くてしょうがなかったのだ。前回、小学生の一学年の上限を15人にしているということをお伝えした。その人数が最適かどうかは分からない。ただ、大体それぐらいで区切るとなると、それは14でもなく16でもなく15に収まる。なお、「13歳からの」、「15歳からの」というものもそれなりに存在しているのだが(それゆえ「14歳からの」にも大した意味はないと考えられる)、それらは納得が行く。「13歳からの」というのは「中1からの」ということで切りが良く、「15歳からの」の方はもう説明不要であろう。もし、小学校が6年制ではなく、5年制や7年制であれば、中二病は13歳や15歳で見られるのだろうか。それとも、体の成長とも関係する思春期との結びつきが強いとすれば、それはやはり14歳なのであろうか。
 五月病。GWがなくなる可能性はほぼゼロである。そう考えると、4月入学、入社の方に手を付けることで緩和するしかない。これに対しては、2011年に当時の東大の学長が提案した9月入学に注目したい。このブログか内部配布の『志高く』のどちらで触れたかは忘れたが、高校卒業後から大学入学までの約半年間を有効に使って欲しい、という学長の考えに対して「ほとんど意味がないだろう」と私見を述べた。それまで多くのことを犠牲にして勉強しかしてこなかった人は、半年間という時間を与えられても視野を広げるようなことを自発的にせず(正確にはやり方が分からない)、単にバイトをしたり、大学が勧めてくれたボランティアなどに消極的に参加するだけで終わる、というのが当時の私の考えであり、今もそれは変わっていない。逆に、好奇心が旺盛で、あれをしたい、これをしたい、という人は、与えられなくても、どうにかしてその時間を自ら作り出すはずなのだ。その起点は中学受験のときである。その時に「やりたいことは中学生になってから」と点数に関係のあること以外を親によってすべて排除されてきた子供には、次に「大学生になってから」が待っていて、そして上のようなつまらない大学生ができあがる。
 小、中、高の4月入学の変更は難しいので、まずは東大のような影響力のある大学が移行して、社会に少しずつ浸透して行く、というのが可能性としては一番高い。可能性として一番高いだけで、そもそもの可能性がほとんどないのだが。9月に入学すれば4月入社も必然的になくなる。就職活動の時期などに影響を与える経団連は日本を代表する大企業中心に構成されている。それなりの人間を大量に生み出すには、一括採用して同じ研修を受けさせるというやり方は効果的であった。しかし、今後世界と伍していくにはそれではまずい。新しいものをどんどん取り込んで行かなければならないのだ。たとえば、トヨタ自動車。以前は、自動車会社における吸収合併というのは自動車業界内で行われていた。現在、自動運転がいつから導入されるかに注目が集まっている。人や物体を正確に認識できるかが一つの大きな課題である。しかし、あまり知られていないがハッキングへの対策が必要なのだ。車はコンピュータ制御されているからだ。トヨタがソフトバンクと共同出資会社を設立したのも、それと関係している。しかも、出資比率はソフトバンクが50.25%と過半数を超えているのだ。自動車産業もIT関連企業との結びつきが一層強まって行くことを考慮すると、これまでのようにトヨタ流のやり方を年数掛けて少しずつ身に付けて行けばいい、では手遅れになるのだ。ちなみに、日産、ルノー連合はグーグルと提携している。
 9月に入社するとどのようなことが起こるか。初めての大型連休は年末年始にやってくる。それまでの4か月間を、緊張を切らさずにどうにか乗り越える。地方から上京していた連中が初めて帰郷し、自分一人で苦しんでいたが同級生も同じような悩みを抱えていると知る。新年を迎えることで、心機一転もう少し頑張ってみるか、となる。話はそんなに簡単ではないのだろうが。
 ここから続けると、相当長くなりそうなのでここでおしまい。考えたことをつらつらと並べ、垂れ流しのような状態で終わっている。次回、なぜこんなことをしたのかについて説明したいと考えている、今は。

2019.06.18Vol.402 中二病と五月病

 中二病と五月病。いずれも私には馴染みの薄い言葉であり、それらについて考えたことなどなかった。思考を巡らせるきっかけになったのは、今回の面談を終えて、中高一貫に通う中2の生徒のモチベーションを保つのは難しいな、と感じたから。これまでも中2の生徒をそれなりに見てきたにも関わらず、なぜこのタイミングなのかと言えば、私自身が初めて彼らを一つのまとまりとして捉えたからである。これまでは個別の事案であった。現在の中2から志高塾における潮目が変わった。以前は、中学受験を終えたら10人中3人ぐらいしか継続しなかったのが、それが逆転して7人が残るようになったのだ。3か月前までは、彼らだけの偶発的な現象という理解だったのだが、今春、中1でもほとんど同じことが起こったのだ。それが「潮目が変わった」と表現している理由である。
 中学受験直前の授業時間や授業追加のすべての要望にスムーズに対応するため、小学生に関してのみ一学年の上限を15人としてきた。多くても各学年7, 8人、大抵は5人前後でしかない中高生については考慮する必要がなかったのだが、中2は13人、中1は14人もいるのだ。一つの教室当たりの生徒数の上限を引き上げる気はないので、このまま行けば小学生の上限を15人から12人ぐらいに絞らなければいけない。全体に占める中高生の割合が高くなって来ているからだ。そして、私はそういう日が来ることを望んでいる。中高生に、その後の人生に生きるような、自分と向き合う機会を少しでも多く作ってあげたい。それこそが、私がやりたいことである。単なる希望でしかなかったものが、少し現実になりつつある。
 冒頭でモチベーションについて触れたが、それは勉強に関して、である。親御様と面談しながら生徒個々の目標などを設定し、それを本人に落とし込むまでが私の役割である。もちろん、中2にもなって大人が勝手に決めるというのもおかしな話なので生徒自身と話し合う必要がある。ただ、これに関しては、何の前触れもなく勝手に決定したものはなく、日頃から「もう少しシャキッとしぃや」というようなやり取りをしていて、それを踏まえてのことである。私との付き合いを4年、5年と重ねている生徒も少なくないため、ある程度スムーズに事は運んでいく。
 中2というのは、学生時代における良い意味での踊り場なのであろう。小学生の頃は、何となく決めた、決められた志望校という目標に向かって進んできた。最初の一年間はそれなりに緊張感を持って勉強をしてきたものの中学校生活にもある程度慣れた。そして、大学受験はまだまだ先である。これまでに自分がしてきたことと言うのはどういうことなのだろうか。今後、自分はどこへ向かって行くのだろうか。踊り場における思索に一区切りついたら、前よりも確かな足取りで自ら階段を上っていく。そんなことを考えていて、この時期にこそ、作文の果たす役割が大きいのではないだろうか、という結論に至った。
 小2の頃から通っている男の子のお母様が面白い話をしてくれた。もちろん、中2である。その子は数学が得意なのだが、お母様は秘かに大学生になったら志高塾で国語の講師のアルバイトをして欲しい、と考えているとのこと。初耳であった。西北では算数もやっているので、本人は、やるならそっちだなと思っているらしい。下手くそな作文を書いたときには「そんなんじゃ、ここで先生なんてできへんぞ」と叱り飛ばしてやろうか。本人にはその思いを伝えていないとのことなので「?」となるのだろうが。
 もう一人、上記の彼と同様小2の頃から通塾している同級生の男の子。中学受験をする予定であったが紆余曲折あって小6の春に公立からインターの小学校に転校した。進学塾でうまく行っていなかった当時、お父様、お母様と3人で侃々諤々の面談を重ねた。その彼は、高校から海外留学の予定であったが、前倒しでこの9月からカナダに行くことに。難しい試験にパスしたとのこと。小6の頃と比べると、彼が一番成長したのではないだろうか。彼に限っては中二病とは無縁である。その分、「中学受験のための勉強が嫌すぎる病」に罹患していたが。
身近でいろいろな子の成長を見守れるのはありがたいことである。我々が価値あるものを提供し続けてさえすれば、その数が減ることはない。
 結局、中二病と五月病の関係に触れることはなかった。私にとってはよくあることである。次回、続きを書きたければそのようにするが、過去の経験上、別の話題を扱っている可能性が高い。

2019.06.11Vol.401 プロフェッショナルとは?

 「あれやな。俺の1日追っかけられたら、朝からスーパー銭湯でサウナに入って、その後ちょこっと授業して、『せんせぇ、もうかえんのぉ?』と言われながら、フットサルに行く。『この人全然情熱ないやん』ってなってまうな」。1年に1回ぐらい何かのきっかけでこのような話になるが、生徒達が喜ぶ鉄板ネタである。私が『情熱大陸』に出たら、である。
 「プロにお任せします」。10年ほど前、授業数をどれぐらい増やすかを話し合っていたときに、あるお父様から言われた言葉である。自分がプロと呼ばれることに随分と違和感があった。それはそのまま私の心の中に残り続け、ふとした瞬間に「自分はプロと呼ばれるにふさわしいのだろうか?」と自問自答していたような気がする。
 お金をいただいて仕事をすればプロである。これはあくまでも名目上の話に過ぎない。逆にお金をもらわなければプロと呼べないのか、と言うとそうではない。金銭の授受が発生しているかとプロであるかは無関係なのだ。さて、先ほどのお父様のお子様は、中学受験において第1志望ではなかったがそれほど悪くないところに合格した。ただ、自分の中では、預けていただいた時間と支払っていただいた金額からして妥当なのだろうか、というのがあった。そのときに胸を張って「十分な仕事をした」となっていれば、「プロにお任せします」の言葉もきれいさっぱりと自分の中から消えていたかもしれない。
 彼女は中学受験を機に志高塾を卒業したのだが、大学入学後、何の連絡もなしに私に会いに突然教室に来てくれた。3年ぐらい前のことであったろうか。そして、中高の6年間の話などをしている中で「先生に教わったことがその後に生きている」というようなこと(そこまで大げさな表現であったかどうかは忘れたが)を言ってくれた。今気づいたのだが「プロにお任せします」という言葉は未だに思い出すものの、その後に来るのは以前のような問いかけではなく、「昔はよくそれについて考えていたな」という振り返りになっていた。間違いなく彼女の一言がその変化を生んだ。
 遠のきつつあった「プロ」という言葉が、別の形で私のところに帰ってきた。この春、持ち家であったマンションから賃貸の一軒家に引っ越した。馴染みの不動産屋さんはいたのだが、情報サイトで気に入った物件を扱っていた業者に電話をしたことがきっかけでいくつか内覧させていただき、私は彼に頼むことにした。自宅で打ち合わせを何度かしたこともあり、早い段階で「じゃあ、こちらの家の方もお願いします」となった。売りに出すか貸しに出すかも決めかねていたので、同時並行で募集することになった。新しい家の家主さんとのやり取りもスムーズに進まなかったが、それ以上に持ち家の方は大変であった。全面的にクリーニングをすることはもちろんのことながら、どこを修繕する必要があってどれぐらい費用が掛かるのか、どれぐらいの日数を要して、いつの時点で入居が見込めるかなど、知りたいことがたくさんあったのだが、タイムリーに知らされることがないどころか、こちらが聞いてから何度も催促して漸く返答があるような状況であった。不信感が募り、持ち家の方は馴染みの不動産屋さんに切り替えた。その瞬間、それまでの停滞が嘘のように一気に話が進んだ。「あれはどうなっていますか?」、「ここはこうして欲しい」などとこちらから質問をしたり要望を伝えたりしなくても、ほとんどすべて「松蔭さん、このようなに進めようと考えているのですが、それでよろしいでしょうか?」という形式になった。いくつか私が聞きたいことだけ確認した上で「それでお任せします」で終わりである。「そうではなくて」と私が切り返したのはただの一度もない。その後も話はとんとん拍子に進んだ。新しい家で起こった問題なども結局その方に相談することですべて解決した。同じことをするにしてもこうも違うのか、というのを改めて実感した。
 話は変わるが、慶応のニューヨーク校に昨年の9月に入学した生徒が帰国した。学年で3位以内に入っているとのこと。それを聞いて「よく頑張ったな。1学期間だけ頑張れる人ならそれなりにいるけど、1年間となるとそんなにおらんで」と誉めたら、「何言ってるん。先生が『とりあえず1年間頑張れ』って言ったんやん」と返ってきた。そして「最初だけなら誰でも上位に入れる。しかし、1年間それを継続出来たら、それはもう自分のポジションになる。そうなったら、周りもそのように扱うし、自分もそこから離れたくなくなるはずや」というようなことを伝えたのをはっきりと思い出した。
 『情熱大陸』は潔く諦め、『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演したとしよう。最後に問われる。「プロフェッショナルとは?」。頭の中でスガシカオの曲を流しながら、「俺、これからいいこと言いますよ」という顔をして静かに語り出す。「『この人のアドバイスなら思い切って実践してみよう』と思わせられる人ですね。それによっていい結果が出なかったとしても、決断したことがその先に生きるような提案をできる人。そんな人になりたいですね」
 
誰も知らない世界へ向かって行く勇気を“ミライ”っていうらしい
世界中にあふれているため息と君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ....
“あと一歩だけ、前に進もう”

2019.06.04Vol.400 山椒は小粒でも

 「(進学)塾は情報を持っている」と口にする親は少なくない。これまでも、親御様がそのようなことをおっしゃったときには「持ってませんよ」と返答してきた。彼らが保持しているのは単なるデータである。これまで、データと情報を区別して考えたことはなかったのだが、その2つには明らかな違いがある。話はそれるが文章を書くことにはこのような効果がある。自分の頭の中にぼんやりと存在していたものに明確な形を与えてあげることにつながるのだ。意見作文に取り組んでいる中高生には少しでもその楽しさを味わってもらいたい。その2つの違いについては、どこかで誰かが言っていることかもしれないし、逆に世間一般のものと私の意見はまったく異なるかもしれない。そんなことは大きな問題ではない。これを書いたことをきっかけにして、自分と世間のずれを認識し、修正して行けばいいだけのこと。
 塾が持っているデータの代表的なものは、テストにおける偏差値とある学校の合格率の相関である。たとえば「6年生の夏休みのテストで、この偏差値だと合格率が70%以上です」となったとする。その成績を取っていても落ちた30%はなぜ落ちたのか、逆に30%未満でも合格した人はなぜそうなったのか?彼らにそれは分からないし、基本的には例外的なものとして扱って終わりである。私に言わせれば、70%でも落ちた人には原因があるし、逆に30%でも合格した人には理由がある。どちらの場合も単なる偶然ではなく、限りなく必然に近い。何も私は進学塾の文句を言っているのではない。それはそういうものなのだ。マスを相手にしているので個人のことは見られない。だから、親がそれを踏まえた上でうまい付き合い方をしないといけない。我々の役割は、親御様がそれを実践するためにできる限りのサポートをすることなのだ。
 現在、掲載前日、月曜日の昼過ぎである。先週の月曜日から始まった面談も明日で9割方終わる。午前と午後の合間に筆を進めている。私は話し好きなので、親御様とじっくりと向かい合って話すのは楽しい。そうは言っても、半年に1回のことなので、初日が終わった時には「ああ疲れた」となった。2日目、3日目と感覚を思い出していくのだが、金曜日が終わった頃には背中が何となく筋肉痛になっていた。親御様には「この人、気楽に好き放題話してるなぁ」と映っているのかもしれないが、当然のことながら真剣なのだ。私は基本的にいい加減で、すぐに調子に乗るのだが、このブログを読んでいただくことに対しても、面談にお越しいただくことに対しても「人の時間を無駄に使ってはいけない」という意識を変わらず持ち続けている、昔も今も。自分の軽薄さゆえつまずくことはあっても、その気持ちがある限り大きく踏み外すことはないだろう、という安心感が自分の中にある。
 ビッグデータという言葉をよく目にするようになったのは、5年ほど前だろうか。最近では広く浸透した。個人レベルでは否定的な捉えられ方をしているように感じる。GAFAに代表される企業が我々の知らないうちにデータを吸い上げているからだ。大方の予想を覆しトランプが勝利した大統領選でも、フェイスブックを使って、トランプに投票しそうな人を見つけ出し、その人たちが投票に行くように導いた、というのを読んだ気がする。真偽のほどは定かではないが、アマゾンやフェイスブックで掲載される広告を見ていると、個人情報がどういう取り扱われ方をしているのだろうか、となる。10年ほど前までは、ネットの記事に関しても自分の興味のあるカテゴリーを選んで、それに関するものが表示される、というシステムであったが、今は検索履歴を踏まえて傾向を掴んで自動で表示されるようになっている。
 さて、データと情報の関係性。生のデータを価値あるものに加工したのが情報である。たとえるなら、海の中で生きている昆布がデータであり、それをおいしいだしが取れるように手を加えたものが情報である。親御様にお伝えするときには、データから自分なりに導き出した情報をそのままではなく、お子様のことを考慮した上でさらに微調整を行う。最近は、以前よりもいろいろな相談を受けることが多く、それに対してできる限り具体的な提案を行っている。それなりに聞き入れていただけるため、実践した結果を新たなデータとして手に入れることができている。そして、より適切な具体策を提示できるようになる。進学塾に比べて圧倒的にデータ量は少ないのだが、かなり価値あるものを集めることができているという実感がある。
 あるお母様が「先生と面談した後はいつも、ガーデンズでケーキをたくさん買って帰って食べるんです」とおっしゃっていた。それを次のお母様に「さっきのお母様が」と笑いながら話したところ、「いや、先生、その気持ちよく分かります。私も面談で何言われるんやろう、と考えながら車を運転していたら通り過ぎてしまいました」と返ってきた。これまで何度となく車で来られているにも関わらず、である。これだけ読むと、一体、この人はどんな無茶苦茶なことを言ってるんだ、となるかもしれないが、二人のお母様はそれでも欠かすことなく面談に出席してくださる。ここで何度も書いてきたことだが、私は能力の否定は絶対にしない。厳しい指摘をするにしても、それは取り組み方の悪さや好奇心の狭さに関することなのだ。今回も、本当に様々なことを親御様から教えていただいた。ありがたいことである。

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