
2018.09.25Vol.367 そうそう、そうやんな
今回は、内部生の親御様向け『志高く』の今月版Vol.138「若者よ」と関わる話である。塾の1週間の休みを利用して、東京に行ってきた。と言っても、そこに滞在したのはわずか数時間である。その目的は、高等専門学校で建築を学んでいる4年生の生徒を、設計事務所を開いている友人の所に連れていくためであった。なお、高等専門学校と言うのは、高校と同じタイミングで入学し、5年間通う。つまり、4年生と言うのは現役合格した大学1年生と同じ学年と言うことになる。卒業のタイミングで就職する人もいれば(この場合、短大卒の扱いになるとのこと)、大学の編入試験を受ける生徒(その場合、大学3年生から始めることになる)もいるとのこと。なお、私の生徒は後者であり、大学の編入試験で実施される小論文対策のために、中学卒業以来、3年ぶりにこの夏に戻ってきた。「連れていくためであった」などと書くと、私はとても面倒見のいい人と言うことになるが、別にそういうことではない。単にそれを理由に少し一人旅をしたかったのだ。そちらの方について詳しく書いてみようかと思ったが、簡単に触れるぐらいに留めておく。横須賀、箱根、焼津にそれぞれ一泊ずつした。旅の主たる目的は美術館を訪れることであった。本当は3つ、4つ候補があったのだが、結果的には、横須賀美術館と箱根にあるポーラ美術館だけであった。休館日と重なったことなども影響している。こちらに帰って来てから、大阪の国立国際美術館で開催されている「プーシキン美術館展」ものぞいてきた。これほどの密度で芸術に触れるのは、大学生の頃以来である。絵が心底好きかと言われればそうではないし、分かっているわけでもない。当時、何かしら自分を高める必要を感じていて、いや、何かしらではないな。根底からひっくり返すぐらいでないとだめだ、ぐらいの危機感があって、その1つとして美術館に行っていた。その2つがどうつながるかの論理的に説明はできない。きっと「そういうことでもしないとな」というような感覚であった。さすがに、今、根本から自分を変えようとは思わないが、どこかに「このままじゃ自分はダメになる」というのがある。そして、「美術館に行かなければ」となった。この話、読んでいる方には意味が分からないので、ここらへんでやめよう。
本題に戻す。結果的に、彼と彼の友人2人を含めた3人を連れて行った。彼らは皆、設計事務所で2週間のインターンを行うために上京していた。私の生徒を通じて、聞きたいことを事前に考えて置くように、ということは伝えておいた。しかし、彼らは建築家である私の友人に面白い質問をすることはなかった。傍でその様子を眺めながら、「良い問いが、良い答えを導く」とどこかで聞いたか目にした言葉を思い出していた。良い答えを引っ張り出せていなかったのだ。一般的な建築を学び始めたばかりの大学1年生が、有効な問いを立てることは容易ではないのだが、彼らは入学後、設計課題などもこなしてきたし、それだけではなく、わずか2週間とは言え、実際の設計事務所で少なからず仕事に触れていたのだ。それ以外に感じたのは、一往復で終わってしまっているな、ということ。それは何かと言うと、何かしら質問をする。友人が答える。本来であれば、それを踏まえてさらに聞き返せば、もっと深堀りできるのに、ボールが一度自分の元に戻ってきたら、それを投げ返さずに、別のボールを投げてしまうのだ。
彼らのうちの1人が「高専卒業してすぐに働くのではなく、大学に行った方がいいですか」と尋ねた。「大学に行った方がええで」と返し(友人も関西人である)、その後、その理由を続けた。その回答は、パッと思い浮かぶようなどれとも異なった。「クライアントの求めるレベルの、さらに上に自分のバーを設定するために、それが必要なんだ」というのがそれであった。上の質問の根底には、早く実務を学んだ方がいいので、というのが含まれていた。友人は、単なる御用聞きになってはいけない、ということを言いたかったのだ。大学で与えられる設計課題にも、敷地などの規制はある。しかし、実際の建築に比べて、その制約はそれほど厳しくはない。私が想像するに、そういうある程度の自由が与えられた中で徹底的に空間を追求することが、実務に携わったときに生きてくるということを言いたかったのだ。逆に、そのような芯ができないままに、図面などを引くと、ただ要求されていることを形にしただけで、何となく仕事をした気分になってしまうことを危惧していたのだ。
その他、「今のうちにやっておくべきことは何ですか」に対しては、どういう言葉を使っていたかは忘れてしまったが「空間遊びをしたらいい」というようなアドバイスをしていた。そのときは、机の上にあった100枚ぐらいの名刺の束を手に取って、直方体に積み重なった状態から、形をくずしていった。そのある部分を指さしながら「自分で、なんかこの部分が気持ち良さそう、って思ったとするやろ。そしたら、そこを言語化せなアカン。ここ気持ちいいな、で終わるのは素人であって、建築の仕事をするなら、その理由を掘り下げていかなあかん。俺は、大学の頃にとにかくそれをしていた」と。「なるほどな」となった。いつだか彼があんまり本を読まない、と聞いた時に「そうなんや」と意外に思った経験があったからだ。彼は良い言葉を話すので、てっきり本をたくさん読んでいると思い込んでいたのだ。大学生の頃から、同級生たちと設計課題をこなしながら、空間について語り合ったことが言葉を育んだのであろう。
20代の頃からの友人であり、当時より少しはましになったものの、いまだにくだらない話がほとんどである。簡単に近況報告をする程度で、仕事について熱く語り合うことなどない。しかし、そういう中でも「いい仕事をしてるんやろな」というのをふとした瞬間に何となく感じながら、「自分もがんばろ」となる。そいう意味で、今回、私自身、彼の仕事の話を初めて聞けて非常に面白かった。帰り際、「子供通わせたいから、東京にも志高塾作ってや」と言われた。いい仕事をする友人に認められるのは嬉しいことである。
素敵なマイホームを建てようと考えている方、ご相談ください。自信を持って紹介いたします。
2018.09.11Vol.366 一に自分、二に自分
来週は、教室が1週間休みをいただくのに伴って『志高く』もお休みです。
才能を磨かず、才能を育てずして、注文のままに書きつづけていると、けっして卵や雛以上には成長せず、時間の問題で朽ち果ててしまうのは自明の理である。よしんば感性の低い多くの読者に支えられて作家生命を少しばかり長らえさせることができたとしても、結局は初期の作品を超えられないばかりか、ただ単に職業としての寿命が延びたというだけの価値しか認めるものがない、とても残念な文筆生活に堕してしまう。
羽ばたける成鳥になるまで才能を育て得るのは、編集者でもなければ、読者でもなく、ましてや評論家でもない。書き手自身が目覚め、没頭と継続というひたむきな歳月を本気で送ろうとしない限りは、まずもって不可能だろう。そうするには、おのれの実力を他人の評価によって判断するのではなく、あくまで当人の眼力によって正確に冷静に把握することが肝心。その上で、少し無理をすれば手が届きそうな高さに次の作品の目標を設定し、そこへ肉薄するためのより具体的な計画を立て、果敢に挑んでゆく習慣をしっかりと身に付けなくてはならない。
大学受験用のテキストに載っていた丸山健二『尽きない文学の天空』からの引用である。
豊かな感性を持った親にこそ興味を持っていただきたいと願い、それに関しては、開校前の予想をはるかに超えたレベルにある。生徒が増えないときも、そういう親御様に支えられているということが自分の背中を押してくれた。一方で、冷静かどうかは分からないが、常に「自分は本当に価値あるものを提供しようとしているのだろうか?提供できているのだろうか?」という自問を繰り返してきた。生徒が増えている今、その頻度は増している。その問いに胸を張って「提供できている」と答えられたことはない。そう答えられるようにするために、どうすべきかを考えて来たし、これからも考え続けていく。
もう1つ引用を。米澤穂信の『王とサーカス』から。小説ゆえ、簡単に概要を説明する。
新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智(たちあらいまち)が、海外旅行特集の仕事でネパールを訪れていた際、偶然にも王宮で国王を始めるとする王族殺害事件が勃発する。以下は、そのスクープ記事を書くために、国王を守るべき立場にあった軍隊所属のラジェスワル准尉に極秘で接触している場面でのやり取りである。
「わたしは……わたしはこの仕事を信じています。それは裏切れない」
その言葉を聞き、准尉の声はたちどころに冷厳なものへと戻った。
「それがお前の信念か」
「確かに信念を持つ者は美しい。信じた道に殉じる者の生き方は凄みを帯びる。だが泥棒には泥棒の信念が、詐欺師には詐欺師の信念がある。信念を持つこととそれが正しいことの間には関係がない。」
わたしはまた、自らを恥じなくてはならなかった。その通りだ。信念を持ち、自らの信条が正しいと思うからこそ吐かれる嘘は、わたしは何度も聞いてきたはずだったのに。
「お前の信念の中身はなんだ。お前が真実を伝えるものだというのなら、なんのために伝えようとしているのか教えてくれ」
ナラヤンヒティ王宮事件の報道ではBBCが一歩先んじた。日本の新聞社も既に現地入りしている。わたしは現地にいたという有利な立場にありながら後れを取ることに、本能的な危機感を覚えている。ラジェスワルという最有力の情報源に接する機会を持ち、最高の記事を書けるかもしれない期待に昂奮している。
それが自分の信念の、プロフェッショナリズムの中身なのか。
わたしはこれまで、なぜ伝えるのかを深くは考えずにいた。あえて、そうしてきたのだ。考えるよりも先に手を、足を動かすことがプロだと信じていた。けれどいま、問われた。考えるよりも先にすべきことがあるという理由で、考えていなかったことを問われている。
いま言える言葉は、一つしか思い当たらなかった。
「……わたしはここにいるからです。黙って傍観することは許されません。伝える仕事をしているのだから、伝えなければならない」
すぐに厳しい声が飛ぶ。
「誰が許さないというのだ。神か?」
神ではない。月刊深層編集部でもない。別の理由があるはずだ。あるはずなのに、それを見出すことができない。
ラジェスワルは、一つ息をついた。うんざりとした溜め息ではなく、自分を落ち着かせようとしているように見えた。
「もう一度言うが、私はお前を責めようとしているのではない。お前の後ろにいる、刺激的な情報を待っている人々の望みを叶えたくないだけだ」
20ページほど飛んで、次のように続く。
けれど、わたしはそのためにカトマンズに残るのだろうか?既にナラヤンヒティ王宮での事件は広く報じられ、日本の大手マスメディアも次々に現地入りしている。おおよそのことは、もう伝わっている。そもそも情報だけならBBCの受け売りで充分ではないか。
それなのに、わたしはまだここにいる。取材を続けようとしている。なぜか?
「誰かのためじゃない」
薄暗い二〇二号室で、わたしは自分に向けてそう言う。
認めがたい結論は、最初から見えている。
やはりここに行き着かざるを得ないのか。
「わたしが、知りたいから」
(中略)
わたしが、知りたい。知らずにはいられない。だからわたしはここにいる。目の前の死に怯えながら、危険を見極めて留まろうとしている。なぜ訊くのかと自らに問えば、答えはエゴイズムに行き着いてしまうのだ。知りたいという衝動がわたしを突き動かし、わたしに問いを発させている。それが覗き屋根性だというのなら違うとは言えない。どう罵られても、やはり知りたい。知らねばならないとさえ思っている。
わたしは、知は尊いと考えてきた。言葉を一つ補うべきだ。わたしは、わたしにとって、知は尊いと考えている。他人もそう考えていることを期待してはらなかったのだ。
……けれど、これではまだ答えの半分に過ぎない。
なぜ志高塾を始めたのか、と問われれば、手っ取り早かったから、と答える。そこに美談などは存在しない。だからと言って、何でも良かったわけではない。好きな算数、数学ではなく、国語に関わること、それも単なる受験対策のためではなく、社会に出てから通用する人間に育てるためになることをしたかった。しなければならなかった。なぜか。それをするためには、自分自身が成長する必要があったから。社会で通用する人間になりたかったから。昔から私を知っている人は、私が作文を教えていることを不思議がる。国語ができなかったから。だが、問題なのは、国語ができなかったことではなく、おかしな表現になるが、言葉ができなかったことであり、そのせいで、人間としてあまりにも未熟であったこと。今現在、同じ年代の人と比べて相対的にどうかは分からないし、そんなことはどうでもいい。ただ、10年前の自分と比べて、着実に成長はしてきた。そして、それほど悪くない伸びだと自負している。
私は自分のためになるかを最優先にする。ただ、人と関わる限り、その人のためになるかは絶対に外さない。人の役に立てないのであれば、それはすべきではない。でも、私にとってはその「人の役に立つ」ということすら、自分のためなのだ。不純物の混じっていない100%のエゴイズム。それを貫くことで私は成長する。それは私と接する生徒が、将来社会で通用する人間になる可能性を間違いなく高めてくれるはずである。
2018.09.04Vol.365 カリキュラム×エネルギー×技術力=教育の質
昨日、あるお母様から電話をいただき相談に乗っていた。そして、その途中「先生、すごい自信ですね」と言われてしまった。「教育の質」をタイトルにあるような3つ項目の積で表したとき、何よりも私が自信を持っているのは「カリキュラム」である。それは、もちろん教材やそれらの構成のことを含んでいるのだが、もっと抽象的な「子供にとって大事だと思えることしかしない」という基準に関してのものである。「大事なこと」が何なのかを判断する力が私に備わっているかは不明である。しかし、「大事なこと」と思えるものを貫く力は持っている、持っている方であると自負している。単に頑固なだけかもしれない。たとえば、3, 4年生の親御様から「作文が重要なのは分かっているのですが、とりあえず塾の国語の成績が下がっているのでしばらく読解問題対策をしていただけませんか」とお願いされても、九分九厘お断りする。仮に、その依頼を受け入れた場合にどのようなことになるか。50点だったものを1, 2か月で65点ぐらいにすることはできる。そして、親御様が安心されたタイミングで作文に戻す。また、点数が悪化する。すると、間違いなく「先生、また前回のように短期的でいいので」となる。今度も回復するが60点ぐらいにしかならない。そういうことを繰り返し、結果、どうあがいても55点以上にはならない状態になる。親御様には1回目の成功体験が残り、それが再現されることを望むが二度と同じことは起こらない。その未来が見えているのに、安易に要望に応えるのは無責任極まりない。そもそも、3, 4年生の国語のテストで点数が取れたところで、実力があるわけではない。取れていなければ、何か問題を抱えているということなので、根本的な力を付けましょう、となる。それは「作文をしましょう」ということを意味している。中高一貫に通う高1の女の子が、「国語の成績が上がらないので、対策をして欲しい」とお願いしてきた。その子は、小1から通ってくれている。しかし、6年生の1年間、進学塾が忙しくなったため休塾した。要は、志高塾では読解問題を徹底的にやらなかったのだ。この半年間ぐらいは意見作文と並行しながら進めてきた。すると、これまでは100人以上同級生がいる中でおそらく半分ぐらいのところにいたのだが、直近の外部テストで学内1位を取れたと報告してくれた。1回だけだと偶然ということになるが、ある一定以上の実力がなければ1位を取ることはできない。これまで作文をずっと続けてきて、基礎ができていたことがそのような結果につながったのだ。成績のこと自体も喜ばしいのだが、その子のことに関して私が最も嬉しいのは、定期テストのときに休んだ分が2つ、3つとたまっていても、どうにかして時間を見つけて、自ら振替のお願いをしてきてくれることである。
今年の夏期講習はかつてないぐらいに私は授業を行った。時々「生徒のためにとことん付き合う」という情熱的な先生がテレビで取り上げられたりしているが、私にはそんなことはできない。講師も、長年通っている生徒も私がそういう人であることを知っている。だから、子供たちから「先生、もう帰るん?」と突っ込まれることはよくある。そう言えば、これまた小1の頃から通ってくれている高2の女の子が「確かに、この夏は頑張ってるわ」と評価してくれた。「おいっ、なに上から言っとんねん」となるところだが「せやろ。よく頑張ってるやろ」と素直に喜んでしまった。それゆえ「評価してくれた」という表現になる。この夏は、いかに自分が頑張っているのかというのを生徒たちにアピールしていた。「エネルギー」に関する話をしている。「授業をしますか?帰りますか?」という選択肢を誰かが与えてくれたとする。単純に考えると、私は早く帰る方を選ぶ。少しでも儲けることより、少しでも早く帰ることを優先する。こういう言い方をすると少しかっこつけすぎだが、「親御様が期待してくれて、それをすることが生徒のためになるのなら、ここは頑張るか」となる。そういうときのみ、授業をする方を選ぶ。お金は二の次、三の次、などという気はさらさらないが、楽をすることが一番重要であることは紛れもない事実である。
「技術力」に関しても、少し触れておく。「子供にとって大事なことをする」というのが、お題目だけで終わらないように、ちゃんと効果が表れるようにしよう、という姿勢で授業に臨んでいれば、自ずと教える上で必要な力はついていく。10年以上経験を積んだ今でも、私の国語を教える力は発展途上である。成長の余地が残されていると言いたいわけではない。後、10年、20年続けても不十分なままだと思う。
「エネルギー」が充満しているわけでも、光る「技術力」を持っているわけでもない。それは華奢な体で変てこなフォームの人がバッターボックスに立っているようなものである。それなのに、ホームランとまでは言わないが、ヒットを打つ自信には満ちている。そりゃ「先生、すごい自信ですね」となるわな。まあ、でも、言った通りになるから見ておいてください、としかいいようがない。せっかく志高塾に興味を持ってくださった方も、こんな文章見たら「こんな訳の分らん奴には任せられない」と別の国語塾を探されるかもしれない。最近「先生、これ以上生徒を増やさないでくださいね」と言われることがあるので、親御様にも喜んでもらえるからいいのか。しかも、その分早く帰れるわけだし。
そう言えば、親御様と面白いやり取りをしたので、それを紹介して終わりにする。小3か小4の頃から教えていた中3の女の子が、先日海外の高校に通うために日本を離れた。お母様より「今後も何かとお世話になるかもしれませんので、その際は請求してください」と頼まれたので、「請求しない代わりに、世話もしない、という選択肢はありますか?」と尋ねたら、「その選択肢はないと信じています」と返ってきた。「じゃあ、頑張るか」となってしまう。私が早く帰るのは、そういういざというときのために「エネルギー」を残しておくためなのだ。