
2018.09.04Vol.365 カリキュラム×エネルギー×技術力=教育の質
昨日、あるお母様から電話をいただき相談に乗っていた。そして、その途中「先生、すごい自信ですね」と言われてしまった。「教育の質」をタイトルにあるような3つ項目の積で表したとき、何よりも私が自信を持っているのは「カリキュラム」である。それは、もちろん教材やそれらの構成のことを含んでいるのだが、もっと抽象的な「子供にとって大事だと思えることしかしない」という基準に関してのものである。「大事なこと」が何なのかを判断する力が私に備わっているかは不明である。しかし、「大事なこと」と思えるものを貫く力は持っている、持っている方であると自負している。単に頑固なだけかもしれない。たとえば、3, 4年生の親御様から「作文が重要なのは分かっているのですが、とりあえず塾の国語の成績が下がっているのでしばらく読解問題対策をしていただけませんか」とお願いされても、九分九厘お断りする。仮に、その依頼を受け入れた場合にどのようなことになるか。50点だったものを1, 2か月で65点ぐらいにすることはできる。そして、親御様が安心されたタイミングで作文に戻す。また、点数が悪化する。すると、間違いなく「先生、また前回のように短期的でいいので」となる。今度も回復するが60点ぐらいにしかならない。そういうことを繰り返し、結果、どうあがいても55点以上にはならない状態になる。親御様には1回目の成功体験が残り、それが再現されることを望むが二度と同じことは起こらない。その未来が見えているのに、安易に要望に応えるのは無責任極まりない。そもそも、3, 4年生の国語のテストで点数が取れたところで、実力があるわけではない。取れていなければ、何か問題を抱えているということなので、根本的な力を付けましょう、となる。それは「作文をしましょう」ということを意味している。中高一貫に通う高1の女の子が、「国語の成績が上がらないので、対策をして欲しい」とお願いしてきた。その子は、小1から通ってくれている。しかし、6年生の1年間、進学塾が忙しくなったため休塾した。要は、志高塾では読解問題を徹底的にやらなかったのだ。この半年間ぐらいは意見作文と並行しながら進めてきた。すると、これまでは100人以上同級生がいる中でおそらく半分ぐらいのところにいたのだが、直近の外部テストで学内1位を取れたと報告してくれた。1回だけだと偶然ということになるが、ある一定以上の実力がなければ1位を取ることはできない。これまで作文をずっと続けてきて、基礎ができていたことがそのような結果につながったのだ。成績のこと自体も喜ばしいのだが、その子のことに関して私が最も嬉しいのは、定期テストのときに休んだ分が2つ、3つとたまっていても、どうにかして時間を見つけて、自ら振替のお願いをしてきてくれることである。
今年の夏期講習はかつてないぐらいに私は授業を行った。時々「生徒のためにとことん付き合う」という情熱的な先生がテレビで取り上げられたりしているが、私にはそんなことはできない。講師も、長年通っている生徒も私がそういう人であることを知っている。だから、子供たちから「先生、もう帰るん?」と突っ込まれることはよくある。そう言えば、これまた小1の頃から通ってくれている高2の女の子が「確かに、この夏は頑張ってるわ」と評価してくれた。「おいっ、なに上から言っとんねん」となるところだが「せやろ。よく頑張ってるやろ」と素直に喜んでしまった。それゆえ「評価してくれた」という表現になる。この夏は、いかに自分が頑張っているのかというのを生徒たちにアピールしていた。「エネルギー」に関する話をしている。「授業をしますか?帰りますか?」という選択肢を誰かが与えてくれたとする。単純に考えると、私は早く帰る方を選ぶ。少しでも儲けることより、少しでも早く帰ることを優先する。こういう言い方をすると少しかっこつけすぎだが、「親御様が期待してくれて、それをすることが生徒のためになるのなら、ここは頑張るか」となる。そういうときのみ、授業をする方を選ぶ。お金は二の次、三の次、などという気はさらさらないが、楽をすることが一番重要であることは紛れもない事実である。
「技術力」に関しても、少し触れておく。「子供にとって大事なことをする」というのが、お題目だけで終わらないように、ちゃんと効果が表れるようにしよう、という姿勢で授業に臨んでいれば、自ずと教える上で必要な力はついていく。10年以上経験を積んだ今でも、私の国語を教える力は発展途上である。成長の余地が残されていると言いたいわけではない。後、10年、20年続けても不十分なままだと思う。
「エネルギー」が充満しているわけでも、光る「技術力」を持っているわけでもない。それは華奢な体で変てこなフォームの人がバッターボックスに立っているようなものである。それなのに、ホームランとまでは言わないが、ヒットを打つ自信には満ちている。そりゃ「先生、すごい自信ですね」となるわな。まあ、でも、言った通りになるから見ておいてください、としかいいようがない。せっかく志高塾に興味を持ってくださった方も、こんな文章見たら「こんな訳の分らん奴には任せられない」と別の国語塾を探されるかもしれない。最近「先生、これ以上生徒を増やさないでくださいね」と言われることがあるので、親御様にも喜んでもらえるからいいのか。しかも、その分早く帰れるわけだし。
そう言えば、親御様と面白いやり取りをしたので、それを紹介して終わりにする。小3か小4の頃から教えていた中3の女の子が、先日海外の高校に通うために日本を離れた。お母様より「今後も何かとお世話になるかもしれませんので、その際は請求してください」と頼まれたので、「請求しない代わりに、世話もしない、という選択肢はありますか?」と尋ねたら、「その選択肢はないと信じています」と返ってきた。「じゃあ、頑張るか」となってしまう。私が早く帰るのは、そういういざというときのために「エネルギー」を残しておくためなのだ。