
2か月前に始めた社員のブログ。それには主に2つの目的がありました。1つ目は、単純に文章力を上げること。そして、2つ目が社員それぞれの人となりを感じてとっていただくこと。それらは『志高く』と同様です。これまでXで投稿していたものをHPに掲載することにしました。このタイミングでタイトルを付けることになったこともあり、それにまつわる説明を以下で行ないます。
先の一文を読み、「行います」ではないのか、となった方もおられるかもしれませんが、「行ないます」も誤りではないのです。それと同様に、「おなじく」にも、「同じく」だけではなく「同く」も無いだろうかと淡い期待を抱いて調べたもののあっさりと打ち砕かれてしまいました。そのようなものが存在すれば韻を踏めることに加えて、字面にも統一感が出るからです。そして決めました。『志同く』とし、「こころざしおなじく」と読んでいただくことを。
「同じ」という言葉を用いていますが、「まったく同じ」ではありません。むしろ、「まったく同じ」であって欲しくはないのです。航海に例えると、船長である私は、目的地を明確に示さなければなりません。それを踏まえて船員たちはそれぞれの役割を果たすことになるのですが、想定外の事態が発生することがあります。そういうときに、臨機応変に対処できる船員たちであって欲しいというのが私の願いです。それが乗客である生徒や生徒の親御様を目的地まで心地良く運ぶことにつながるからです。『志同く』を通して、彼らが人間的に成長して行ってくれることを期待しています。
2023年12月
2025.11.28Vol.77 それでも人生は続く(徳野)
Vol.74で言及した灰谷健次郎の『太陽の子』は豊中校にあった。当初のお目当てはそちらだったので、もちろん手に取って420ページを一気に読み終えた。だが、『兎の眼』から得られたような温かな感動はそこには無かった。むしろ、人生の虚しさを突きつけられたような感覚が強い。
私見だが、灰谷は本作の執筆にあたって、1974年発表の『兎の眼』との差別化を相当意識していたはずだ。両作品とも登場人物たちの大半は善人で、他者のために心を砕くことを厭わない。稀に周囲から孤立している人物もいるが、主人公との交流を経て居場所を見つけるに至る。小谷先生と鉄三たちの場合はそこで大団円を迎えた。しかし、1978年出版の『太陽の子』の結末はあまりにも悲しい。それに関して翻訳家の清水真砂子氏は、どこまでも明朗で健気なヒロインの「ふうちゃん」に父親の自死を経験させたところに、灰谷が持つ「人間に対する冷ややかなまなざし」が表れていると評している。個人的には清水氏の言葉そのものには厳しすぎる印象を受けた。ただ、『兎の眼』と比べて、「傷ついた者を導き、救う」行為を多面的に捉えようとする試みを文章の端々から感じ取ったのは確かだ。
例えば、ふうちゃんの小学校の担任教諭である梶山先生が、「ときちゃん」という女子生徒から、生徒との向き合い方について思いの丈をぶつけられる場面がある。ふうちゃんの「おとうさん」は精神科に通院しており、自身が神戸で経営している沖縄料理店「おきなわ亭」での仕事だけでなく、家族との会話も難しい状態にある。日がな部屋に塞ぎ込み、時には発作を起こすおとうさんを、ふうちゃんは元気づけようと奮闘する。そして、梶山先生はそんな彼女を常に気にかけている。「おかあさん」が一人で切り盛りすることになった「おきなわ亭」に幾度となく足を運んだり、おとうさんのルーツである戦時下の沖縄について学ぶふうちゃんと交換日記をしたりと、「親身になってくれる教師」像を体現したかのような男性だ。小谷先生を彷彿とさせる。しかし、ときちゃんは「わたしは先生はうそつきの人だと思います」と吐露する長い手紙を梶山先生に送った。「先生が、だれにでもやさしいとは、わたしも認めます。けれど、大峯さん(ふうちゃんのこと)にやさしくするときは、真剣で、わたしのときはそうでもないみたい。」、「先生はよく勉強ができない子に、じょうだんをいってリラックスさせるでしょう。わたしにじょうだんをいうときは、ついで、みたいです。」という風に、生徒に対する一種の不公平さを指摘する。また、先生がふうちゃんに熱意を注ぐのは、彼女が「溌剌とした才色兼備」で、しかも「家族のことで苦労している」という条件が揃っているからではないか、とも。ときちゃんだって母子家庭で必死に生きているだけでなく、ふうちゃんのおとうさんが自宅に不法侵入してきた夜には恐ろしい思いをしたのに。大人しいときちゃんは、「目立たない存在」に位置づけられていたからこそ、先生の中にある自己満足を見透かしていたのだ。しかしながら、梶山先生はやはり人格者である。ときちゃんが抱える孤独と劣等感を正面から受け止めていた。以降は「本気で教師になる」という決意を胸に、クラス全体を巻き込みながら生徒たち一人ひとりの知性と感性を刺激する授業設計をするようになった。灰谷が描く学びの風景はやはり魅力的だ。
梶山先生の「開眼」だけでなく、本作には光が満ちていくようなエピソードが沢山盛り込まれている。だが、ふうちゃんのおとうさんの最期は、彼を支えるべく奔走してきた登場人物たち(と読者)に生まれていた希望を打ち砕いた。おとうさんは戦争での体験からPTSDを発症しているのと同時に、故郷の自然への憧憬に駆られてもいた。その事実に辿り着いたふうちゃんとおかあさんは、沖縄への家族旅行を計画する。懐かしい土地で療養させれば、昔のお喋りで働き者のおとうさんに戻るかもしれない。里帰りに向けた買い出しの際も普段より安定した様子を見せていたのだし。なのに、その晩におとうさんは自ら命を絶った。決断に至るまでに彼の中でどのような心の動きがあったのかは全く描かれていない。遺された人たちは「おとうさんはなぜ死んだのか」「どうしてあげればよかったのか」と、自問を続けながら生きていくのだろう。
では、灰谷は「冷ややか」だからこんなに悲劇的な幕引きにしたのだろうか。作者として「どんなに親しい間柄でも相手の全てを知りえない」というメッセージを投げかけているとは思うし、そこから挫折感を読み取る人がいるのも理解できる。だが、私自身は「知りえないからこそ、対峙し続けなければならない」という方向で捉えている。それは、ふうちゃんが苦悩しつつも、おとうさんの最期を自分と死者たちの「これから」に繋げようとしているからだ。物語はふうちゃんが親友のキヨシと一緒に、家族でピクニックに出かけた思い出の場所でお弁当を広げながら、おとうさんを弔う場面で終わる。その際、「うち結婚したら子どもをふたり生むねん。ひとりはわたしのおとうさん。もうひとりはキヨシ君のお姉さん。」(キヨシの姉も若くして死を選んだ一人である)と、静かに宣言する。小学6年生のヒロインに語らせる死生観としては気色の悪い部分は否めない。ただ、出口の無い「なぜ」の深みにはまっていく以外の向き合い方があることも教えられた気がする。ふと、”Life goes on”という英語のフレーズを思い出した。








