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2025.10.21Vol.707 それはね、とは答えられないけれど

 一度、撮り直しをしたので正確には二度、の動画の撮影以来、先週の金曜に久しぶりに収録をした。二度とも、このブログでも何度か紹介した株式会社エックスラボに出向いてのものだったのだが、今回の現場は西北校であった。しかも、私の相手をしてくれたのは社長の藤さんではなく大学1回生の講師のK君。場所と人、2つの条件が違ったため随分と気楽であった。そのK君、志高塾でこれからYouTubeを本格的に始めるということを知り、夏休み前に「僕にやらせてください」と立候補してきてくれた。数か月空いたのは、特別急ぐ理由が無かったことに加えて、どのような形で進めて行くかを話し合ったり、機材を揃えなければいけなかったりしたからだ。購入をお願いされたものの1つにiPhone17がある。素人が中途半端なビデオカメラを使うぐらいであれば、iPhoneの方がきれいに撮れるらしいのだ。ヘビーユーザーではないため、これまでスマホの機種にこだわったことなどないので、人生で初めて高機能のものを手にしたことになる。
 1回目ということで、2人で横に並ぶようにしてK君と画面に収まる対談形式にしてみたり、私一人だけが映る状態で外から発せられたK君の質問に答える形にしてみたりと1時間半ぐらいでいろいろ試した。「次は質問形式にしてみましょう」と言うので、「オッケー、じゃあ何か聞いてみて」と促すと、最初に飛んできたのが、「松蔭先生はなんでそんなに頭が良いのですか」というものであった。その瞬間思い浮かんだのが次のやり取りである。

赤ずきん:「おばあちゃん、おばあちゃんの耳はどうしてそんなに大きいの?」
おおかみ:「それはね、おまえの言うことをよく聞くためだよ。」
赤ずきん:「おばあちゃんの目はどうしてそんなに大きいの?」
おおかみ:「それはね、おまえをよく見るためだよ。」
赤ずきん:「おばあちゃんの口はどうしてそんなに大きいの?」
おおかみ:「それはね、おまえを食べるためだよ!」

厚顔無恥な私であっても、さすがに「それはね」と切り返さなかった。一度録画を停止してもらって、「ところで、なんでそう思うん?」と聞いたところ、「エピソードトークが上手」というのがその一番の理由であった。Geminiに「エピソードトーク」について尋ねると次のように返ってきた。

「エピソードトーク」とは、過去の出来事や体験談を、自分の感情を交えて面白く、あるいは印象的に話すことです。単に事実を伝えるだけでなく、「フリ」と「オチ」を意識することで、聞き手の心をつかむ効果があります。面接や日常会話などで、自己PRや親しみやすい雰囲気作りの手段として有効です。

 いつの頃から始まったことなのかは覚えてはいないのだが、かなり早い段階で、おそらく既に中学生の頃ぐらいから、たとえば、道を歩いていて面白い人を見つけると「なんでやねん」と心の中で突っ込んで、それを誰かに話して笑いを取るためにどういう順番で伝えれば良いのか、ということを頭の中でシュミレーションするということを繰り返して来た。先週一番面白かったのはコンビニのレジのおばちゃんの話で、それも練習がてら撮り収めた。勉強とはまったく関係のないことなので、それをYouTubeにあげるかどうかは分からないが、私の人となりの一端をお伝えするには悪くないものになっているはずである。一つ確かなのは、それで志高塾の生徒が増えることはないどころか、せっかく興味を持ってくださった方が逃げて行く可能性もそれなりにあるということ。
 先のエピソードトークとも関係のあることなのだが、自分の中に入ってきた情報をある程度きちんと整理した状態で頭の中に保存しておきたいというのが自分の中にある。真面目なわけでないので、少しでも早くより正確な答えを出すために積極的にいろいろと調べるということは基本的にしないのだが、すっきりするまで頭のどこかに置き続けてはいる。そう言えば、ネイティブキャンプのアフリカ人のある先生が、食べ物の話題になったときに、乾燥させた状態で保存しているものが多かったり肉も硬かったりするから、彼の国では長時間煮込む料理が多いという話をしてくれた。私も頭の中でそうやって答えの出ていない問いをグツグツと時間を掛けてほぐして行っている感じである。
 また、結果が出てからそれについて評論家のようにそれっぽい理由を付けるのではなく、未来を予測する習慣が付いていることも多くの人とは違うところかもしれない。予測の精度を上げるためには、現状分析のために手に入れる情報の質と量を上げる必要がある。仕事に関することで言えば、子供をよく見ることがそれに当たる。もちろん、我々がすべきなのは、単に予測をすることではなく、子供たちをより良く導くことである。道から大きく外れそうなのであれば何かしら手を加える必要があるのだが、よく言われるように長所と短所は表裏一体なので、問題と思われるところに手を入れてその子らしさまで失われてしまっては元も子も無い。小学生であれば直近の中学受験で結果を出すことは一つの目標になるが、苦戦している子には志望校の合格に向かって猪突猛進させるだけはなく、そこで潰れないように気を配ってあげなければいけない。HPの「卒業生の声」に載っている生徒とは、多かれ少なかれ今でも付き合いがある。幸いにして、少なくない数の生徒の、小学生の頃から大学生、そして、社会人になってからも成長の様子を見届けるチャンスがあることは、情報収集という面でも非常に恵まれている。小学生の頃に抱えていた課題を克服したことでうまく行っている子もいれば、それはそのままに充実した日々を送っている子もいる。その反対に、昔輝いていた部分が、雲に隠れた太陽のようになってしまっている子もいる。求められれば、その子には太陽がどこかに行ってしまったわけではないことを伝え、雲をどこかにやるために何をすべきかをアドバイスすることになる。
 ビデオが回っていないところで同じ質問をされても、「それはね」とすることは間違いなく無かった。ただ、ここまで述べてきたように、どこかで聞きかじったことを我が物顔で話すのではなく、自分の頭で考えて続けて来たことで、そこらへんの人よりは生きた情報を持っているはずである。また、生徒たちの未来を明るくするために、一人一人の子供たちをきちんと見つめ、その都度有効だと思われる手を打ちながら彼らの成長を見守って来た。当然のことをして来ただけの話ではあるが、教育者として最低限の責務を果たし続けてきたという自負はある。

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