
2019.12.24Vol.428 Which path we should keep going on?
“Where we are now?”
“Where we want to reach in the future?”
“How?”
新入社員の頃、1期3か月の経営やマーケティングを学ぶコースに通っていた。正確には会社負担であったので通わせてもらっていた、となる。合わせて3, 4期ほど学ばせてもらった。いずれのコースでもまず考えさせられるのが上の3つ。今どこにいて、将来どこにたどり着きたいか、どのように実現するのか。図示すると、現在から未来に向かって矢印が描かれることになる。横に時間軸、縦に成長軸を取るので、矢印は右上を向く。いわゆる右肩上がりというやつである。開校以来、あのとき学んだことをどのように活かそうか、と考えたことはほとんどない。無駄であったわけではない。そういう手法が自分には合っていないということが分かったから。そのようなことを勉強していなかったら、生徒が集まらなかったとき、ジャンプアップさせる方法があるのではないか、と必死に探り、手当たり次第に実践していたかもしれない。
前回、次の一文で文章を締めた。「この文章の価値が定まるのは、もっともっと先の話である」。私の記憶なので頼りにはならないが、おそらく5年ほど前に、多分「志高塾は使われなかった枠であふれている」というようなタイトルで文章を書いている。そこで、志高塾には20~30ほどの枠が余っている、というようなことを述べた。机も講師も。机の方は勝手に余っていて、講師の方は意図的に余らせていた。曜日変更や振替、コマを増やしたいという急な依頼にスムーズに応えるためである。あのとき「単に生徒が集まらへんからって、良いように言ってるだけちゃうん」と思われるのは嫌だな、というのがあった。正に今が、そうではなかったことを証明するときである。
もし、誰かが私に「良い塾の条件とは?」と問えば、次のように答える。「それは、振替授業がそれなりにスムーズに取れて、かつ、いつものように質の高い授業が受けられる塾です」と。誰もそんなことを尋ねはしないので、自問自答しているだけである。「それなり」が抽象的なのでそこは補足が必要であるが、それを除けば完全に言い切れている。ちなみに、「それなり」とは「2つ、3つ希望を出していただければ、その中のどれかで受講可能」ということである。「いつものように質の高い」は、いつもの授業の質が高いのはもちろんのこと、振替で講師が変わってもそん色がない、ということを表している。
1年半前ぐらいから両校とも生徒が急に増え始め、受け入れを数か月ストップするなどの調整をしてきた。一過性のものかどうかの判断がつかなかったため適宜の対応であった。ありがたいことにその傾向は維持されているので、抜本的な変更をすることに。いろいろ考えた挙句、決めたのが次の4つ。
①1年生の受け入れをストップして2年生からとする
②4, 5, 6年生は1学年の上限を15人から12人とする
③一度12人に達した学年の外部からの受け入れは行わない
④2, 3年生の上限を10人とする
これに関して、それぞれにどのような意味を込めたのかを説明しようとしたのだが今回はやめる。
上のように絞ることで今の勢いがしぼんでしまうかもしれない。当時、チャンスロス(機会損失)という言葉を学んだ。枠を空けておくのであれば、新しい生徒にそれを使ってもらった方が良い。埋まるだけではなく、新たな親御様との出会いによって、その方のお知り合いを紹介してもらえるかもしれない。逆に、我々が受け入れなければコンペティター(競合他社)に流れるかもしれない。しかし、こんなことはマーケティングを学んでいなくても分かることなので大したことはない。
“Which path we should keep going on?”「我々はどの道を進み続けるべきか?」という意味である。どこに到達したいかよりも、こっちの方が大事である。今いる生徒の親御様の満足度を高められるはずだから。右肩上がりの上昇はもちろん好ましいのだが、地に足の着いた前進の方が心地良い。2019年の年の瀬に私はそんなことを考えている。
今年も一年ありがとうございました。次回は1月7日となります。2020年。少なくない数の使われていない枠と共に志高塾は前進していきます。ご期待ください。
2019.12.17Vol.427 原石はどのような輝きを放つのか
大学2回生の元生徒が、受験を控える後輩に向けてメッセージを送りたいという主旨のラインをしてきた。「じゃあ、『志高く』に載せるからよろしく」ということで書いてくれた。
こんにちは。そしてブログのヘビーユーザーさん、お久しぶりです。中1の冬からなんだかんだ受験前まで志高塾に通っていた、Mと言います。今は、筑波で経営工学を学んでいます。もうすぐ受験シーズン到来ですね。というわけで、私の受験談を少し語らせてください。
遡ること14年前、わたしは、初めてのお受験をしました。特別教育熱心でもないけれど、学費は高くても払ってくれるちょっと珍しいタイプの親を持つ私は、特に深い考えもなく、なんとなく家の近くの私立を受けて、6年間通うことになりました。入学したら、半分くらいの同級生は小1から塾に通っていることを知って、私も塾に行きたいと強く希望したんですが、まだ早いと言われ、結局小3から浜学園に通い始めました。浜は、小4、小5が一番楽しかった気がします。あんまり宿題とか復習とか勤勉にするタイプではなかったけど、授業とか、休み時間のわちゃわちゃが好きでした。私は、一番が好きなので、関西で一番偏差値の高い中学を志望して、これもまた6年間通うことになりました。家が割と遠くて、通学の電車の時間が長かったので、いっぱい読書ができました。今思えば、20年間の人生の中で、一番本に触れていたのはあの頃だった気がします。中高では、鉄緑会に通い詰めました。先生が大学生メインなので、親しみやすくて、こっちは学年が下の方が楽しかったです。
そして次の受験で、ついに第一志望が叶わず、当初予定していた東京での母との二人暮らしではなく、つくばの寮生活が大学生活のスタートとなりました。入学までの間はずっとふてくされてNetflix一か月お試しでテラスハウスばっかり見ていました。受験でこけるということに、私よりも親の方が慣れていなくて、そんな親からとりあえず離れたくて、つくばの六畳間に引っ越した時は万々歳でした。結局今は、家族3人全員がそれぞれ自分のやりたいことを好きな風にやっているので、あのタイミングで家を出たのは良かったと思っています。
筑波では、高校の時憧れていた、ゴリゴリの体育会系の部活に入りました。そこでは、男子も女子も体格の差関係なく、同じ強度の高いトレーニングが課せられました。結局1年ちょっと続けてから退部して、スポーツ自体は他のチームに入って続けている感じなのですが、このスポーツとの出会いが今私のやっていることに繋がっています。
今回は、三回の受験で2勝1敗した私から受験を控えたみなさんに、ちょっとだけ伝えたい事があって、ブログに登場することになりました。結論から言うと、洛南に受かった後よりも、東大に落ちた後の方が人生楽しんでる奴もいるって事です。もし志望校の判定が悪かったり、過去問で躓いて落ち込んだり、志望校変えようかなって悩んでいたりしたら、いろんな学校のことを調べることをおすすめします。私がそうしていたって訳ではないんですけど、世の中には色んな学校があるわけで、偏差値が上だったからといって、そっちの学校が自分の一番笑顔になれる場所とは限らないんです。
私は一月から、ある通信制の高校の通学コースでインターンを始めることにしました。そこに通う生徒たちの九割は、いわゆる普通の学校に通い続ける事が出来なくなった人達です。なぜ私がそこを選んだかというと、これは小学校まで遡ることになります。仁川で初めて出来た友達が、小3の時に、配られた漢字ドリルをビリビリに破って号泣して、それから学校に来なくなったんです。結局その子とは再会して、今私のやっているちょっとしたプロジェクトに協力してくれることになりました。その子は、高校は全寮制のインターナショナルスクールに行って、そこでも色々あったみたいですけど、どうにか卒業して今はフリーで好きな事して専門学校の学費を稼いでいます。日本の画一的なものとは違った教育を受けたその子には、量産型大学生にはない魅力があります。画一的教育を小さい頃から受け続け、志高塾の枠に囚われない指導が受けられるところに惹かれて通い詰めた私ですが、今度はおもろい教育を提供する側になりたいんです。
最後に、来年受験生の方もそうでない方も、脳死で偏差値の高い学校を目指すんじゃなくて、どんな学校に自分が行きたいかを、ちょっと想像してみるのも面白いかもしれませんね。
(あとがき)
受験前ではなく、第一志望に合格できずに落ち込んだ子供やその親御様が、直後ではなく、少し経ってから読んだ方が良いもの、というのが私の考えだ。しかし、これは他の誰かに向けられたものではなく、彼女の、自分自身へ向けたメッセージだ、と私は捉えている。「筑波じゃなくて東大だともっと充実していたかもしれないよね」という批判があることも当然のことながら織り込んだ上で、最後の段落で自分の思いを述べている。
「負けて良かった」というフレーズがあるが、過去形になっていることからも負けた瞬間の言葉ではない。負ける、ということ自体は良いことではない。「良かった」と思えるようにこれまで以上にエネルギーを注ぎ込むから、そのように振り返れるのだ。「バネにする」も同様である。バネを利用すれば、縮んだ以上に高みに上れる。それもやはり「バネにしてやる」という気概がそこにはある。
彼女自身が、というのもあるが、タイトルの「原石」は、この文章自体に充てた言葉である。5年後、10年後にこのように語ったMさんがどのように成長しているのか。この文章の価値が定まるのは、もっともっと先の話である。
2019.12.10Vol.426 PISAでしょ
先週は、PISAにおける読解力試験の結果が芳しくなかったことがあちこちのメディアで取り上げられていた。メディアで取り上げられると言えば、私は今日の朝刊に写真入りで載った。2kgを超える大きなタコを釣ったため、個人的に取材を受けたのだ。生徒たちに「先生、釣りばっかりやん」と突っ込まれるたびに「当たり前やろ、釣りが本業で、塾が副業なんやから」と返していた。面目躍如である。それがデイリー新聞であったというのも阪神ファンの私にとって喜びである。
PISAに関してこれから述べていくのだが、正確な情報を持っていない。特段の興味がないので調べていないからだ。興味はないが、文章を書く上での材料にはなり得るのでテーマにした次第である。
前回の試験も良くなかったらしいのだが、文科省に言わせれば日頃手書きに慣れているので、入力作業において手間取ったり、本文に線を引けなかったことなどが原因のようだ。先にも述べた通り、正確な情報を持っていないがゆえに「らしい」、「ようだ」だらけになるので、以後省略する。もし、原因が実際に上のようなものであれば、それは読解力とは直接関係ないので放っておけばいい。記述問題が含まれない公開テストにおいて良い点数が取れないことで親御様から責められることがある。その怒りはよく分かる。そこで5点、10点と上げることはさほど難しいことではないが、そのような対策はしない。大事なことに割く時間が削られるからだ。自己保身を優先して「我々がきちんと手を打った結果、公開テストで以前より20点も上がったのに入試本番では国語でこけて不合格になってしまい申し訳ございません。良い調子で来ていたのに、なんでこんなことになってしまったか分かりません」とでも言うのであろうか。「きちんと」は公開テスト対策に対してのものに過ぎない。こけたのではなく、実力通りのペースで走り切ったのに、合格とされる順位内でゴールできなかっただけの話なのだ。
入力の問題に話を移す。私は、タブレットを使用しての学習には反対である。メリットは動画が見られることぐらいではないだろうか。ただ、それにしても動画である必要はなく、テキストを分かるまでじっくりと読み込んだり、紙に書き込んだりする方がよほど意味はある。受動と能動のことを言っているのだ。デジタル世代と言われている彼らが入力で問題を抱える、という冗談のようなことが起こるのは、スマホか、その画面を大きくしただけのタブレットしかいじらないからである。せめてキーボードでの入力ぐらいはできた方がいいので、「タブレットではなく、パソコンにしたらいいのに」と考えていたら、数日前に政府が「すべての小中学校の生徒に1人1台パソコンやタブレット端末が行き渡るように整備する」ということを発表した。パソコンとタブレットが並列されていることがそもそもおかしい。ちなみに、私は「タブレットよりパソコン」と2つを比較しているだけで、パソコンが小中学生の学習に必要だとは考えていない。この前、妻が帰宅後に留守番をしていた長男に「(家庭教師の先生から出されたZ会の)宿題終わったの?」と聞き「(いない間に)やってたよ」と答えたのだが、タブレットだといつやっていたか分かるようになっているので嘘がばれていた。私にすればいつやるかはどうでもいい。期限までにちゃんと終わるかどうか、もっと言えば、ただ終わらせればいいのではなく理解しているかどうかが大事なのだ。
次は線引き。確かに、それができていれば平均より+10点であったが、実力を発揮できなかったせいでいつもより20点減り、結果的に他の国と比べて‐10点になった、ということも考えられはする。ただ、別の見方をすれば、他の国の生徒はそれをせずに日本人より文章が読めている。そう考えると、線を引くことの意義を問い直さなければいけない。志高塾では線を引かせない。少なくとも高校受験までは基本的に傍線部の前後5行にヒントがあるからだ。その中でも重要な個所はあるが、範囲が狭いのでわざわざその作業をする必要はない。理解できていない生徒は正しく線を引けないし、できている生徒は線を引かなくても解けるのでいずれにしても意味はない。ちなみに進学塾の先生は、解説の際に大事な部分に線を引かせた上で「ここに注目するとだな・・・」というような説明をしているはずなのだが、線を適切に引けないことが問題なのに、その後から話を始めてどうするんだ、といった感じである。算数で言えば「やり直しの際に『つるかめ算だよ』とちょっとヒント出すだけでできるんです」という親のコメントにつながるところがある。つるかめ算だと理解できなかったことが問題であり、理解できるようにするために何が必要かを考え、その足りない部分を補うようにしてあげないといけないのだ。線を引いて教えること自体を全否定する気はないが、それをしただけで何かした気になっているのは、公開テストで10点上げて役割を果たしたと勘違いしているのと同様である。
戦略の失敗は戦術で補うことはできない。最近知って気に入っている、プロイセンの軍事学者クラウゼビッツの『戦争論』の中にある言葉である。戦略の失敗は、心構えが間違えていることによって引き起こされる、というのが私の考えである。自分に、自分たちにそれができるかどうか、そんな疑問は横に置いておいて、子供たちの未来を真剣に考える。それが第一歩である。
2019.12.03Vol.425 成功体験
ただ今3年生の二男が覚醒中。この夏、志高塾が夏期講習に実施している漢字テストで合格点の80点に達することができずに居残りになることも少なくなかったのだが、3年生の分を終え4年生に入った現在、満点は難しいものの、コンスタントに90、95点を取っている。学校の漢字テストでも以前は信じられないような点数だったのだが、先日は50問のテストで満点を取って帰ってきた。その日、朝一人で6時ぐらいに起きて丁寧な字で予習していた。「パパ、丸付けして」というのでチェックをすると、「学問」を「学門」と書いて1問だけ間違えていた。まったく同じプリントをやるだけなので「よし、これで100点取れる」と言いながら家を出て行った。過去にそんなセリフを聞いた記憶はない。
なぜ覚醒したのか、そのきっかけは分からない。しかし、それが思いの他長続きしている理由はよく分かる。頑張ったら結果が付いてきて、人生で初めて、人に評価されることの喜びを体全体で感じているのだ。詳しくは知らないのだが、学校ではクラスの何かの冊子の表紙の絵を先生から1人頼まれたり、作文が1人選ばれたり、サッカーチームでは10人中3人ぐらいしか声かがかからない試合に呼ばれたりと最近は良いことずくめである。
一か月半ぐらい前だろうか、通っているアートスクールの写生大会があり、土曜日に妻と二人で京都まで電車で行った。その帰途、作品の写真をラインで送ってきた。後から聞いたのだが「パパ、褒めてくれるかな?まだ返事来ない」と何度も何度も電車の中で気にしていたとのこと。「後から」と言うのは、私があまり評価しなかったので、「実はこうだったんだよ」という感じで妻から報告を受けたということである。なぜ、褒めなかったか。それは本人に直接伝えた。「その日1日だけ頑張ってもダメなんだよ。以前はもっと家で絵を描いたり、折り紙をしたりしてたでしょ。お父さんはそれが好きだったんだけど、最近はそういうのが見られないのが寂しい」と。私にとっては、その絵がうまいかどうかはどうでも良かったのだ。
二男がよくお邪魔する近所の男の子のお姉ちゃんが意地悪をしてくると言うので「そりゃそうや。毎日のように自分の家にゲームしにくる子がいたらうっとおしいから誰でもそうなるわ。前から言っているように外で遊びなさい」と話した。10月の末に、何の前触れもなく「これからは1か月に1回しか友達の家でゲームしないから」と勝手に宣言した。また口だけだろう、と適当に聞き流していたのだが、11月は見事に1回も行かなかった。11月の最初の1週間ぐらいは気合が入っていたので「ずっと続けるのは難しいだろうから、せめて今年いっぱい続けて欲しい。そんなけ続いたらすごいよ」と発破をかけていたのだが、このまま年末までは突っ走りそうな気がする。仮に、今日それが終わってしまっても、この1か月にはすごく意味がある。「ほら、3年生の時にすごく頑張った時期があったでしょ。あの時を思い出して、またやってみたら」という声掛けができるからだ。極端な話なのだが、私は二男に対して「この子は頑張らないまま大人になるんじゃないだろうか」と心配していた。長男と三男が現時点で何かを頑張っているわけではない。ただ、2人に関してはその気にさせる方法は何となくあるような気がしていたのだが、二男のそれはさっぱり分からなかった。いわゆる、やる気スイッチがどこにもないような気がしていたのだ。何か指摘しても「別にいいじゃん」というような言葉が返ってきたり、そんな風に受け取っているようにしか感じられなかったからだ。中学受験を考えている親が、中々エンジンがかかりそうにないタイプだから、と前倒しで塾に通わせることがある。(成果)=(密度)×(時間)という式で考えた場合、密度の薄さを時間(期間)の長さで補おうというのがそれなのだが、そうすると恐ろしいことに大抵はもっと密度が薄まるのだ。すると、またもっと時間を長くして、さらに薄まる、という負のスパイラルに陥る。それが分かっているから「あれやこれやと先手を打ってもうしょうがないし、どうしたもんだろうなぁ」となっていた。結局、その都度その都度話して聞かせる、ということを私は続けてきている。イメージとしては、中の様子が分からないコップにスポイトで一滴、一滴水を注ぎながらあふれてくるのを期待し続けるようなものである、似たような相談を親御様から受けることは少なくない。そういうときに私が伝えることは主に2つ。1つ目は、待つしかないこと。ただ、待つと言っても放っておくのではなく、一滴一滴は続けてやらねばならない。水を一気にあふれ出させるような特別な方法などないのだから。そして、もう1つは、そういう日が来る、と親が信じ続けてあげること。不動産投資などのしょうもない勧誘の電話が掛かってきた際に「そんなに儲かるんだったらご自身でされたらどうですか?」と返すことがあるのだが、私の場合、少なくとも親御様に勧めたものは実践している。そこだけは胸を張れる。
成功体験という言葉はよく使われる。受験であれば、第2、3志望であっても合格することを意味することもある。「成功体験=合格」ではない。たとえ、それが第1志望のトップ校の合格であったとしても。その過程において、何ができて、何ができなかったのか。それが結果とどのように結びついているのか。小学6年生であってもそのようなことはそれなりに理解できる。それができれば、その体験は未来のその子なりの成功につながっていく。