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2019.11.26Vol.424 初思貫徹

 長年お付き合いのある親御様から「軸がぶれない」という言葉をいただくことはとても嬉しい。「軸がぶれる」というのは、サケが長い旅を終え、子孫を残すために生まれ故郷の川に戻って来たのにその川が無くなってしまっているようなものである。ぶれられた方はたまったものではない。
 少子化対策として、この10月に3歳から5歳児の幼児教育・保育の無償化が始まった。こういうものが効果を発揮しないことは少なくない。そのようなとき「金銭的な援助ではなく、子供を育てやすい環境づくりこそが大事なのだ」ということが言われる。一理ある。無償化になろうがそもそも預ける保育園がなければ意味をなさないし、共働きがしやすいような働き方の選択肢が少なければ「子供が欲しい」という気持ちもしぼんでしまう。そんなことよりも、その継続性に信頼が置けないことの方が大きく影響しているのではないだろうか。3歳になるまでは決心してから最低でも4年はかかる。4年後にその施策が変更になっていれば元も子もない。正確には変更になること自体が悪いわけではない。改良は大いに結構なのだが、改悪になる可能性が低くないことが二の足を踏ませるのだ。
 この文章のタイトルを元々「軸がぶれないというのは車をきれいに保ち続けること」にする予定であった。初めてマイカーを持てたのは4年ぐらい前である。当時、周りの汚い車を見て、なんでもっと大事にしないんだろう、となった。先日、洗車をさぼりがち、ということにふと気づいて「アカンな」となった。「実際にやってみるまでは大変さが分かりませんでした」という言い訳はできるが、それを言ってしまったら終わりである。有言実行と不言実行の比較がされるが、私に言わせれば大差はない。有言実行の場合、言ったからにはやらなければという力は確かに働く。しかし、その反対は口にさえ出さなければやらなくてもいい、ということではない。「初志貫徹」と「志」とすると大仰なものになるが、そんなに難しく考えることはない。自分の中に自然と湧き起ったものと素直に向き合い続けることが大事なのだ。車のことに関して言えば、自分以外のものがどうであるかはどうでもいい。あのとき、車がどのような状態であることを自分が気持ちいいと思ったか、ということこそが重要なのだ。
 この前「先生、自信たっぷりにいいますね」とあるお母様がおっしゃられたのだが、自分の中に揺るぎのない自信があるわけではない。むしろ、その反対である。先の「軸」の話で言うならば、HP上でも謳っているように「よりよい教育をより多くの人に」ということを大切にしてここまでやってきた。今いる生徒によりよい教育を提供し続けられるのであれば、より多くの人に触れてもらった方がいい、ということである。親御様が「大事な子供を志高塾に通わせ続けて大丈夫だろうか」と心配になる何倍、何十倍も私自身が「本当に来てもらう価値が志高塾にはあるのだろうか」という問いかけを自らにしている。それこそ毎日のように。要は、ある出来事に関して、人よりもたくさん考えたという自負が、自信があるように見えている理由の1つである。たくさん練習した分だけ、本番に自信を持って臨めるのと同じである。調子に乗って練習を疎かにした時点でその自信はあっさりと崩れ去る。そして、意味もなく保険をかけない、というのがもう1つの理由である。それに関して思い出すことがある。長男が4歳、二男が1歳、三男がまだお腹の中にいるときだったので7年前のことになるのだが、マレーシア航空が新たに羽田-ロサンゼルスの便を飛ばすことになり就航特典として格安であったため予約をした。確か3日前から座席の予約が可能になるが、それ以前にしようとすればエキストラのチャージがかかった。子供がまだ小さいこともあり離れ離れは困るし、かと言ってお金に余裕はないし、ということで、電話でそのことについて尋ねたら、担当の男性が「余裕があるので、わざわざお金払ってまで座席の確保する必要がないですよ」と気持ち良いぐらいにあっさりと答えた。大抵は、九分九厘問題がなくても「今のところ大丈夫ですが、それは何とも言えません」というありきたりの言葉をちょうだいして、結局十分な情報がないまま判断をすることになる。自信満々に答えることが大事なのではなく、私がそのように答えることが親御様の安心感を生み、ひいては生徒にとってプラスに働いて初めて私の言葉に価値が出るのだ。自信満々に否定的な内容を伝えることもある。「塾でのテストではそれなりの結果が出ていますが、今の取り組み方を見ていたら本番でやらかす可能性は高いです」といった具合に、である。もちろん、それは不安にさせることではなく、親御様に適切な危機感を持ってもらうことが目的だ。それによって、受験までに適切な手を打つことができ、望むべく結果が得られるのだ。ただ合格すればいいのではなく、生徒にきちんと準備をすることの大切さを教えてあげたいのだ。
 本題はここまで。先週『マチネの終わりに』をようやく観賞できた。期待を上回るできであった。何よりも脚本が優れていたのだ。人生で初めて脚本家が誰だかを知りたくなった。切り貼りしただけでいいものにはならないのは国語の記述問題と同様である。映画は、と一般化していいのか分からないが、あの映画の場合はそれだけに留まらず大胆に手を加えていた。それが原作をさらに引き立てているように感じられた。できることであれば、脚本家井上由美子の提案を原作者平野啓一郎はどのように受け止めたのかを知りたい。これまでDVDなどを含めて複数回見た映画は数えるほどしかないが、これまた人生で初めて映画館で2回観てしまうことになりそうである。

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