
2019.12.17Vol.427 原石はどのような輝きを放つのか
大学2回生の元生徒が、受験を控える後輩に向けてメッセージを送りたいという主旨のラインをしてきた。「じゃあ、『志高く』に載せるからよろしく」ということで書いてくれた。
こんにちは。そしてブログのヘビーユーザーさん、お久しぶりです。中1の冬からなんだかんだ受験前まで志高塾に通っていた、Mと言います。今は、筑波で経営工学を学んでいます。もうすぐ受験シーズン到来ですね。というわけで、私の受験談を少し語らせてください。
遡ること14年前、わたしは、初めてのお受験をしました。特別教育熱心でもないけれど、学費は高くても払ってくれるちょっと珍しいタイプの親を持つ私は、特に深い考えもなく、なんとなく家の近くの私立を受けて、6年間通うことになりました。入学したら、半分くらいの同級生は小1から塾に通っていることを知って、私も塾に行きたいと強く希望したんですが、まだ早いと言われ、結局小3から浜学園に通い始めました。浜は、小4、小5が一番楽しかった気がします。あんまり宿題とか復習とか勤勉にするタイプではなかったけど、授業とか、休み時間のわちゃわちゃが好きでした。私は、一番が好きなので、関西で一番偏差値の高い中学を志望して、これもまた6年間通うことになりました。家が割と遠くて、通学の電車の時間が長かったので、いっぱい読書ができました。今思えば、20年間の人生の中で、一番本に触れていたのはあの頃だった気がします。中高では、鉄緑会に通い詰めました。先生が大学生メインなので、親しみやすくて、こっちは学年が下の方が楽しかったです。
そして次の受験で、ついに第一志望が叶わず、当初予定していた東京での母との二人暮らしではなく、つくばの寮生活が大学生活のスタートとなりました。入学までの間はずっとふてくされてNetflix一か月お試しでテラスハウスばっかり見ていました。受験でこけるということに、私よりも親の方が慣れていなくて、そんな親からとりあえず離れたくて、つくばの六畳間に引っ越した時は万々歳でした。結局今は、家族3人全員がそれぞれ自分のやりたいことを好きな風にやっているので、あのタイミングで家を出たのは良かったと思っています。
筑波では、高校の時憧れていた、ゴリゴリの体育会系の部活に入りました。そこでは、男子も女子も体格の差関係なく、同じ強度の高いトレーニングが課せられました。結局1年ちょっと続けてから退部して、スポーツ自体は他のチームに入って続けている感じなのですが、このスポーツとの出会いが今私のやっていることに繋がっています。
今回は、三回の受験で2勝1敗した私から受験を控えたみなさんに、ちょっとだけ伝えたい事があって、ブログに登場することになりました。結論から言うと、洛南に受かった後よりも、東大に落ちた後の方が人生楽しんでる奴もいるって事です。もし志望校の判定が悪かったり、過去問で躓いて落ち込んだり、志望校変えようかなって悩んでいたりしたら、いろんな学校のことを調べることをおすすめします。私がそうしていたって訳ではないんですけど、世の中には色んな学校があるわけで、偏差値が上だったからといって、そっちの学校が自分の一番笑顔になれる場所とは限らないんです。
私は一月から、ある通信制の高校の通学コースでインターンを始めることにしました。そこに通う生徒たちの九割は、いわゆる普通の学校に通い続ける事が出来なくなった人達です。なぜ私がそこを選んだかというと、これは小学校まで遡ることになります。仁川で初めて出来た友達が、小3の時に、配られた漢字ドリルをビリビリに破って号泣して、それから学校に来なくなったんです。結局その子とは再会して、今私のやっているちょっとしたプロジェクトに協力してくれることになりました。その子は、高校は全寮制のインターナショナルスクールに行って、そこでも色々あったみたいですけど、どうにか卒業して今はフリーで好きな事して専門学校の学費を稼いでいます。日本の画一的なものとは違った教育を受けたその子には、量産型大学生にはない魅力があります。画一的教育を小さい頃から受け続け、志高塾の枠に囚われない指導が受けられるところに惹かれて通い詰めた私ですが、今度はおもろい教育を提供する側になりたいんです。
最後に、来年受験生の方もそうでない方も、脳死で偏差値の高い学校を目指すんじゃなくて、どんな学校に自分が行きたいかを、ちょっと想像してみるのも面白いかもしれませんね。
(あとがき)
受験前ではなく、第一志望に合格できずに落ち込んだ子供やその親御様が、直後ではなく、少し経ってから読んだ方が良いもの、というのが私の考えだ。しかし、これは他の誰かに向けられたものではなく、彼女の、自分自身へ向けたメッセージだ、と私は捉えている。「筑波じゃなくて東大だともっと充実していたかもしれないよね」という批判があることも当然のことながら織り込んだ上で、最後の段落で自分の思いを述べている。
「負けて良かった」というフレーズがあるが、過去形になっていることからも負けた瞬間の言葉ではない。負ける、ということ自体は良いことではない。「良かった」と思えるようにこれまで以上にエネルギーを注ぎ込むから、そのように振り返れるのだ。「バネにする」も同様である。バネを利用すれば、縮んだ以上に高みに上れる。それもやはり「バネにしてやる」という気概がそこにはある。
彼女自身が、というのもあるが、タイトルの「原石」は、この文章自体に充てた言葉である。5年後、10年後にこのように語ったMさんがどのように成長しているのか。この文章の価値が定まるのは、もっともっと先の話である。