
2019.09.10Vol.413 さいかい
遡ること1年。夏期講習中、急にヨーロッパに行きたくなった。9月の1週間の教室の休みを利用して行こうといろいろと調べてみたものの、時期が迫っていたため適切なフライトが見つからず結果的に断念。そのときに私を突き動かした要因は複数あるのだろうが、一番大きかったのは「あれっ、俺、(ヨーロッパの旅行に関して)昔の話しかしていない」ということに気づいたからであろう。長く生きていれば、その分多くのことを知っていて当然である。その長さだけを頼りに「なんだ、そんなことも分かっていないのか」という態度で子供たちに接するのはあってはならないことである。時間は有限であるがゆえに、すべてのことが現在進行形という訳には行かない。ただ、すごく大事な部分が自分の中で止まってしまっているような焦燥感が強く芽生えた。
“単なる旅行記”に移る前に、もう少しそれにまつわる話を。今回の西宮北口校のリフォームに関する借り入れの契約をするために国民生活金融公庫を訪れた。帰り際、エレベータまで見送りに来てくださった担当者が「本音を言えば、もっと借りて欲しかったです」という言葉とともに、具体的な金額(私の要求額の3倍以上)を口にされた。旅立つ前日というタイミングも重なりかなり気分を良くした。志高塾開校前、別の支店ではあったがお願いに行くと、私の通帳の預金額の推移を見て「計画性が無さすぎます」と私が書き込んだ金額の3分の1から4分の1ぐらいまでしか出せない、と突き返された。その瞬間「じゃあ、何か。コツコツとお金を貯めてた奴が、事業を成功に導けんのか。しかも、俺がやんのは教育やで」といったような憤りが自分の中で渦巻いた。20代の10年間、1年に1回ぐらいのペースで2週間前後ヨーロッパを旅していた。1回で4、50万円は必要になるので、それがなければ4、500万円は口座の金額は増えていた。冷静に考えれば、私の借入額は希望通りであっても金融機関にとっては少額であり、大した儲けにもならないわけだから、私の事業の見込みであったり私の人間性であったりを見極めるのに時間をかけるだけ無駄なのだ。そのように表面的に数字を見るだけなので、現状最もAIに取って代わられやすい職種の1つになっている。実質上突っぱねられたことに対して怒りを覚えたわけだが、それとは別に一人の人間として「この人の仕事のやりがいって何なんだ」と思ったりもした。恨み節はこのぐらいにしておこう。
私がしたいことに対して、基本的に妻に伺いを立てることはない。去年は、ヨーロッパ行きを断念して一人で東京に行き、途中箱根や焼津に宿泊して3泊4日ぐらいの小旅行に出かけた。そんな私でも一人で2週間弱海外に行ってくる、というのはさすがに気が引け、妻を誘ったところ2つ返事で「行きたい」となったので、両方の母親に交代で子供たちを預けて夫婦で行くことに。これは結構共感していただけるはずなのだが、子供ができてそれなりの期間が経つと、それ以前に夫婦でどんな会話をしていたかが思い出せない。今回2人だけの時間が多かったことで、それが甦り、また、なぜ忘れていたのかの理由も理解できた。会話のほとんどは、昨日と今日と明日の話で埋められているのだ。「昨日のあれは良かったね」、「今日の夜は何を食べる」、「明日はどこに行こうか」といった具合に。旅行中に限らず、要は日常会話をしているだけだから強く印象にも残らない。テレビ電話は毎日していたが身近にいなかったこともあり、1日10分も子供の話をしなかった。逆に、子供たちが巣立っていくと子育てしながらどんな言葉を交わしていたかは記憶から消えていくのだろう。ちょっぴり寂しい気もする。
チェコのプラハ、ハンガリーのブダペスト、オーストリアのウィーン、スロバキアのブラチスラバを巡る11泊13日の東欧旅行。ウィーン以外は初めて。そして、そのウィーンは初めて私が踏んだヨーロッパの地であったため、戻ってきたというような感覚であった。ヨーロッパ旅行はおそらく13、4年ぶりである。「さいかい」には、2つの意味を込めた。1つ目がヨーロッパとの「再会」である。これまでとの一番の違いは、音楽に多く触れたことである。4回も演奏を聴きに行った。そのうちの3回は教会や宮殿で行われる1時間ぐらいのものだったのでミニコンサートといった類だろうか。そういうところに来る人は、我々同様音楽に詳しくない人が多いからなのだろうか、有名な曲ばかりを演奏してくれた。我々もおそらく周りの人たちも聞いたことはあっても曲名は分からないので、どの曲が演奏されているかが分からず、途中から首を傾げならプログラムを眺めているような状態であった。残り1回の会場は、ウィーンフィルがニューイヤーコンサートを開催する楽友協会。ちなみに、この文章を書き始める前に、「有名なクラシックの曲をかけて」とアレクサに話しかけた。そういうわけで、時々「これ、なんという曲」と尋ねながら、文章を書き綴っている次第である。
旅行直前に『ハプスブルク家』に手を付け、同じ著者の『ハプスブルク家の女たち』と合わせて2冊を旅行中に読了した。共にとても読みやすかった。今回訪れた国はいずれもハプスブルク家との関りが強かったため(単なる偶然である)、本から新たな知識を入れては、宮殿などを見て回ることでそれを補強する、ということを繰り返した。勉強という意識は全くなく、「せっかく行くんだったら少しは知っていた方が楽しめるよな」ということで本を買っただけの話である。サラエボでの事件が第1次世界大戦のきっかけとなったことは知っていたが、その経緯が分かり「そういうことだったのかぁ」となった。日本では「グローバル」という言葉はすぐに英語学習と結びつけられる。そのあまりにも短絡的に過ぎる考えは程々にして「世界史」をもっと学ばせてはどうだろうか。興味を持たせることにもっと重きを置いた方がいいと言いたいのだ。昨今、幼児や低学年の教育では特にゲーム的な要素が強くなっている。通信教育におけるタブレットを用いた学習は正にそれである。1つ目の入り口の間口を広くとるためにそうすること自体に反対しない。1つ目の部屋に入ったことで、2つ目、3つ目の部屋へと自分で扉を開けて進んでいくことにつながるのであればいいのだが、そうはなっていない。どうすればもっと先に進みたいとなるか、などということは元々考えられていないからだ。知る喜び、分かる喜びによって興味は増幅される。それは私自身の中で現在進行形でなければいけない。20代の頃のように毎年とはいかないであろう。ヨーロッパ旅行を再開することで、進行の速度は早まる。このシリーズで合計5回ぐらいは書けそうである。それは、それだけ私が旅行で刺激を得たことの証左である。