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2019.09.24Vol.415 高槻校開校延期

 8月末に延期の決定をした。採用が予定通りに行かなかったからである。
1回生の頃から講師として働いてくれている4回生の大学生に、就職活動を始める前の時点で「志高塾の社員になってくれないか」という打診をしていた。単なる思い付きではなく、少なくとも1年以上前から私の中では温めてきたことであった。「松蔭さん、~市役所だけは受けることにしました。倍率が100倍ぐらいなので受からないはずです(実質がどれぐらいなのかは分からないが、募集人員に対してそれだけの応募があったということである)。そのときはよろしくお願いします」ときちんと筋を通してくれた。また「そのような天秤のかけ方になって申し訳ないです」と詫びてもいた。個人の自由なので、何も詫びる必要はない。私は市役所の面接官に見る目がないことを願っていたのだがかなわず。正確には、見る目があったかどうかは定かではない。よほどおかしくない限り他の学生との違いには気づけたはずなので、めちゃくちゃおかしくはなかったということである。
 私は立場上、経営者ということになるのだが、経営をしている、という感覚はない。先のことに関しても、私は1つしか選択肢を用意していなかった。リスクヘッジのために同時並行で社員を募集して良い人が採れれば、「ああいう風に話してたけど、うまいこと採用できたから無かったことにして。天秤にかけるのはお互い様だよね」とはならない。仮にそのようにせずとも、うまく行かなかった時点で(この時点で)、二の矢三の矢を放つというのが一般的な経営者なのであろう。半年あればそれなりの人を採用できる可能性はある。ただ、そういうリスクは取れない。それは、私にとっては文字通り“リスク”以外の何ものでもないからだ。問題の本質は別のところにある。志高塾で働くことがそれだけ魅力的に映っていないということである。もし、本当に魅力的であれば「市役所から内定をいただいたのですが、やはりそちらを蹴って・・・」となるはずだから。一朝一夕にどうにかできるものではないので、まずは現状の社員がより満足できる職場環境を整えるのが私の役割である。なぜ、すぐにどうにかできないかと言うと、給与など数字に表れる部分をどうにかすればいいわけではないからだ。私がイメージしているのは、次のようなことである。ある社員が仮に他の会社で働いた場合より、やりがいのある仕事ができ、“その分”給与も高くなる。“その分”を正確に見積もるのが私の重要な仕事である。理論上、給与はすぐにでも1.5倍にできるが、仕事の質がそのように急激に上がるわけではない。
 ワークライフバランスという言葉があるが、何だかへんてこな感じがする。こういうことを書くとき、頭をよぎることがある。「以前に『ワークライフバランス最高!』ってどこかで言ってたらどうしよう」というようなことである。仮に、そのようなものを発見した場合、そっとしておいてください。ライフを「生活」という意味で取るからそのようになるのだ。それを「人生」とすれば、バランスはそぐわない。「充実 英語」で検索していくつか出てきたものの中から気に入った表現を用いて自分なりにアレンジすると、“work for fruitful life”となる。直訳すると「実りある人生のための仕事」である。”for”ではなく”in”の方がいいか。そうすると「実りある人生における仕事」となる。英語的な意味は分からないが、後者の場合、実りある人生の中に必然的にいい仕事というのが存在している気がする。社員がそのようになれば、アルバイトの講師もそのような方向に進んでいく。そして、その恩恵を生徒たちは享受することができる。文章を書きながら、少しぐらいは経営者をしているかも、という気がしてきました、とさ。

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