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2019.03.19Vol.391 志高塾、多角化経営へ舵切りか

 ネットニュース風のタイトルにしてみた。先に連絡から。来週1週間は教室が休みになることに伴い、ブログもお休みです。
 先日、迎えに来られたお母様と新1年生になる下の子の入塾時期に関して玄関先でお話をしていた。「こちらはいつでもいいので、タイミングのいい時期でどうぞ」ということを3か月ぐらい前から伝えていて、5月度1週目からとなった。その他にも、新1年生の友達同士の女の子の入塾は確定しているのだが、いつからかは決まっていない。少しは学校に慣れたGWの前後にしようと考えている。私の方から連絡することになっているのだが、こういうとき、早く通い始めてもらって少しでも売上を上げよう、とは考えない。先のお母様が「先生はお金のにおいがしません。もし、それがするようになったらやめさせます」とおっしゃっていた。「『お金に縁がなさそうだ』ということとは違いますよね?」と確認したところ、それとは違う、とのことで一安心。
 今、自分の中でほぼ確定しているのが2020年4月の高槻校、2021年4月の京都校の開校であり、その後は関西圏以外で、と考えている。昨年末までは私以外に社員が1名だけであったが、現時点で3名になった。この1年は非常に重要になる。足場固めをしっかりと行えなければ間違いなく空中分解してしまう。いろいろと課題はあるのだが、明確に意識しているのが2つ。本の充実とそれに伴い、各講師が子供たちに適切なものを提案できるようにすること。もう1つが、高校入試への対策である。中学入試に関してはそれなりに経験を積んできた。大学入試に臨むのは毎年少数であり個別対応できることに加え、前回のブログでも触れたようにある程度長期間通塾してくれるのでじっくりと手を打てる。一方で、高校受験の場合は、公立中学入学後に本格的に勉強を始めたという生徒が少なくない。まったく国語力がなかった私でも公立の高校入試では9割ぐらいは取れた。要は、中学、大学入試と比べて、国語の点数で差が付きにくいのだ。それゆえ、数学や、英語などの暗記教科の方が重視されがちである。生徒を囲い込むためではなく、思春期といういろいろ感じる時期だからこそ、言葉を使って自分と向き合うきっかけづくりをしてあげたい。それは間違いなくその後に生きるはずである。ただ、そのためには我々にはやるべきことがある。私立の中高一貫に通う生徒とは別のプログラム(まったく別ということではなく7割方共通しているものの、残りの3割程度をアレンジするという意味である)が必要になる。これを課題とする背景には、公立中学に通う生徒がこれまでになく増えている、という現実がある。
 さて、多角化にまつわる話。開校当初の生徒の親御様で今も付き合いがあるお母様がおられる。2, 3年に一度のペースでランチ回なるものが開催されている。いつから始まったのか、なぜ始まったのかは定かではない。ここで紹介するのは、そのお母様(かなり勉強されて、いろいろと資格を持っておられます)を講師としてお招きし、勉強会の後、実際にお弁当を食べようというセッションについて。場所は志高塾の西宮北口校。時間は11:30~13:00(最大13:30まで)、料金は講習代とお弁当代合わせて4,000円とのこと。その後、皆様と私で1時間ぐらい教育について話をする場を設けてもいいのでは、とも考えている。詳しく分かっていないのだが、ものすごく抽象的に表現するのなら、子供の体作りに役立つ健康的な食事作り、ということになる。興味を持った方は直接私に聞いてください。何人かの親御様に集まってもらって、でもいいですし、親御様とそのご友人、というのでもいいです。4月以降で日程調整して開催する運びになります。
 私はこのように誰かを紹介するのも、誰かに自分を紹介してもらうのも非常に下手だ。後者に関しては、自分の厚かましさが前面に出そうで嫌、というのがその理由。前者は、私が結び付けた両者が不満を感じたらどうしよう、というのがある。あれやこれやと気になるので積極的ではない。今回、私が動いたのはその親御様が、今後子供を持つ親へアプローチをする際に、志高塾の親御様からであれば有益なフィードバックが得られるかもしれない、と考えたこと。また、健康志向の親御様のヒントになるのであれば、それは双方にとって良い場になるのでは、となったからである。私にとってのメリットもある。それは、玄関先の立ち話や電話などではなく、面談でもなく、少しリラックスした場で親御様と話をする機会があればいつもと違った内容になって面白い場を得られるかもしれない、ということである。
 なお、本来であれば4,000円に場所代が加わるので、通常はもっと料金は高くなるとのこと。そんなことで儲けてもしょうがないので、場所代や仲介料などをいただくわけではない。こういうところを弁財天がしっかりと見てくれて、そろそろ縁結びをして欲しいのだが、いつになることやら。

2019.03.12Vol.390 どんな鶏肉がお好みですか?

 「うおっ、すげぇー」
周りに人がいたにも関わらず大声を上げてしまった。土曜の昼時、月に1回の業務スーパーの特売日の人だかりが私の声をかき消した。大阪大学の歯学部を受験した生徒からの連絡を受けての話である。合格発表までの間にこちらからどのようなできであったかを聞くことはないのだが、下の子の振替の電話をいただいた際にお母様に「ところで、お姉ちゃんどうでした?」と尋ね「数学がいつもより全然できなかったらしいです」と報告を受けていた。さすがに難しいか、というのがあったのでそのような反応になった。私にとってその合格はダブルの意味で嬉しかった。「合格したら算数(数学)の先生として働いてな」とお願いしていたからだ。もし前期が不合格であれば、広島大学を受験予定であった。翌日、東大理Ⅰに合格したとの電話を受けた際は、運転中であり一人だったのだが「おー良かったねー」と落ち着いた返答になった。その男の子がよく頑張っていたのを知っていたので、安堵感からそのようになったのだろう。そうだ、あの娘についても触れておかなければ。大和大学保健医療学部に進学する生徒である。お母様が志高塾を好きでいてくださって、本当であれば大学に進んでからも通わせたい、とあいさつにお越しになった際におっしゃっていただいた。他の塾は「やる気がないならやめなさい」と何度か退塾させていたのだが、志高塾だけはどんなことがあっても通わせ続けてくださった。別れを寂しがっていただいたので、何かあれば気軽にご連絡ください、とお伝えした。当の本人は「センセー、私に週に2回ぐらいは会いたいやろぉ。コピー係として雇ってー」と訳の分からないことを言っていたので「うーん、年に1回ぐらいがちょうどいいかな」と丁重にお断りした。もう1人大学受験をした生徒がいるのだが、まだ連絡を受けていないので少なくとも前期は駄目だったのかもしれない。このブログでも何度か作文を紹介したことがある男の子で私なんかより断然優秀なので心配はしてない。東大に合格した生徒は、浪人してもう1年というのは精神的に少し厳しいな、というのがあったが、彼の場合は大して受験勉強をしていないので1年間しっかりと勉強すればいい。やりさえすれば第1志望の一橋大学にはきちんと合格できるはずである。
 登場した順番に授業を受けた最終月(在籍期間)を示せば次のようになる。1月(3年4か月)、2月(1年3か月)、12月(5年3か月)、9月(4年3か月)。全員高3まで通っていたので、たとえば「1月」というのは「高3の1月」、つまりセンター試験までを意味している。
 昨日、お問い合わせをいただいた公立中学1年生の親御様が「受験専門塾ではないとは分かっているのですが、やはり受験のことは気になります」とおっしゃっていた。ここでも再三再四述べていることだが、我々は受験結果をかなり気にしている。ただ、大学受験で言えば国語だけ、しかも現代文だけであったり、生徒によっては作文しかしていなかったりと直接点数につながる部分は非常に少ない。それゆえ「~大学に合格させました」なんて嘘は付けないし、そんなことをアピールするために生徒たちと接しているわけではない。東大に合格した彼は小学生の頃にも1年9か月通塾しているので通算すると3年となる。今年に限れば、大学受験に臨んだ生徒4人はすべて3年以上通ったことになる。
 狭いゲージに詰め込まれ、ストレスによってつつき合わないように嘴をカットされ、ブクブクと太らされて4, 50日で出荷されるブロイラー。それに対して、地鶏は3倍の150日ぐらいをかけてじっくりと育てられる。我々は、時間をかけてその先につながる力を付けようとしている。その時間に価値があると考えられた親御様がお子様を志高塾に通わせる。そして、期待に応えるべく、期待を超えるべく我々はやれるだけのことをやる。真の結果が出るのが、大学受験よりも後であればあるほど私は幸せを感じる。

2019.03.05Vol.389 (仮)そのことにそのことを

 高校2年生の女の子が「これ、どっちで解いた方が早い?」と質問してきたので「両方試せば」と答えた。数学の話である。
 (仮)というよりは(短)の方が適切であろう。正確なタイトルは「そのことについて話してるけどそのことを話したいのではない」である。勘の良い方は、冒頭のやり取りだけでテーマを理解されたことであろう。その生徒は、目の前にある問題を早く処理するためにどうすべきかを聞いてきた。それに対して、私はその先のことを考えてアドバイスをした。2つの解き方を身に付けられれば、仮に1つを忘れてしまってももう1つでカバーできる。スペアタイヤみたいなものである。また、問題というのはその中だけで完結しているわけではなく、その他のものともつながっている。2つの解法を学んだことがそれとは別の問題で役立つのだ。話を大げさにすれば、この姿勢は数学だけではなく勉強全体に、もっと言えば勉強以外のことともつながっている。時間を掛けて試行錯誤したことが、後で生きてくることを知っている者は強い。一方で「この方法で解きなさい」と明確に指定することもある。1次関数などがそれに当たるが、理由を説明すると長くなるので割愛する。興味がある方は個人的に私にお尋ねください。
 別の例を挙げる。それなりに問題を起こす2年生の二男。ある日、目の上と耳の後ろにはっきりと分かる傷を作って帰宅した。本人から事情を聞いた妻が言うには、3年生の男の子に足をかけられて溝に落とされたところを、顔面を蹴られたらしい。眼鏡をかけているので、そのようなところに跡が残ったのだ。一方的にやられたわけではなく、我が子にも原因があったのであろう、というのは推測できた。ただ、どのような事情があるにせよ、相手側から見ると1学年下の子であり、また、顔面を蹴るというのは非常に危ないのでけんかのやり方が良くない。そのようなことにどのように対処するか、ということなのだが、まず、私の中に方法論としてないのが、大人が介入するということ。先生に相談することもなければ、相手の親に連絡をすることもしない。妻がそれをすることも認めない。夫婦で考え方にそれほど違いはないのでもめることはない。大抵の場合は放っておくのだが、これに関しては手を打つことにした。そこで、4年生の長男を使うことに。以前、ブログでも書いたが、長男は二男よりも体重が軽く、けんかも弱い。それゆえ、兄に仇を打ってもらう、というものではない。「今日、その子にところに行って『顔は蹴るのはいけない』というのを兄として言いなさい」と伝えた。ちゃんと実行しそうになかったので、弟を連れて行くように、という条件を付けた。結果的には、二男の教室に行き、その子のところに行こうとしたところで、二男の担任からストップがかかった。私が予想するに、長男はそれを期待して大きな声で「~のところに行くぞ」とでも伝えたはずだ。そして、それを聞いた先生があわてて事情を尋ねたのだ。その後、二男の担任から電話が掛かって来て「何かあれば子供達だけでどうにかしようとせずに、学校に連絡してください」と妻は言われたらしい。今回の一件を「だめなことをだめ」と伝えられる人になるための練習にしたかったのだ。問題解決能力というのは年を重ねる中で身に付くのではなく、失敗も含めて問題を解決しようと試みた分だけ磨かれていくのだ。結局、先生からその後の報告を受けていないので、どのように処理されたのかも分かっていない。まあ、そのようなものを元々求めているわけではないから私としては全然構わないのだが、もし間に入るのであれば、それは必要なことであろう。仕事の仕方のことを言っているのだ。誤解されないように断っておくが、だからと言って不満があるわけではない。
 もう1つ。中学生の生徒が、生徒会に立候補することになり、演説の内容を見て欲しい、とお願いしてきた。読んだら、実につまらなかった。その場にいた別の学校の同学年の子に見せて感想を求めたところ、案の定「私やったらこんなん嫌や」となった。たとえば「1分前着席」というのを公約の1つとして掲げていた。私からしたら、なぜそれをしなければいけないのか、というのが分からない。もし、それが生徒たちのためになるのであれば、私ならこうする。「まず、遅刻しがちな先生方に時間通りに来ることを生徒会からお願いします。一方で、我々も授業開始時に着席していなければなりません。『1分前着席』などというのがありますが、1分前である必要はありません。ジャストの時間にきちんと準備ができていればそれでいいのです。人によっては3分前に座っている方が授業に集中できる。また、ある人は、休憩時間をぎりぎりまで使って息抜きをしたいかもしれません。それぞれがそれぞれの責任において行動する。それが、我々中学生のやるべきことです」。本来であれば、それをすることで生徒たちにどのようなメリットがあるかを説明しなければならない。ちなみに、私は休憩時間が終わっても遊び続けていたためしょっちゅう先生に怒られていた。
 何でもかんでも時間を掛ければいいというわけではない。時間に余裕がない中で処理をしないといけないこともある。うまくできれば「手際が良い」となり、その逆であれば「その場しのぎ」となる。その手際の良さも、きっとそれまでにどこかで時間を掛けて来たからそのようになったのであって、最初からそうであったというのは非常にまれなはずである。そして、その培われた能力は何かしら大きなことを成し遂げるときにも役立つ。些末なことをササっと処理して、大事なことに注力できる時間を作り出せるからだ。一方で、その場しのぎの人は、大きな仕事に臨むときにもそれを繰り返す。積もらない塵もあるのだ。
 息子たちに対しても、生徒たちに対しても、怒るにせよアドバイスするにせよ、その後のことを考えながら対処しているつもりである。そう言えば、冒頭の女の子が、クラブの部長をしていて、後輩のことで困っていたため「先生、どうしたらいいと思う」と相談してきた。細かい内容は伏せるが、以前、その子のお父様が、会社の部下のことで手を焼いているというのを聞いたことがあった。それを踏まえて「お父さんも部下の教育で苦労している、ってお母さんから以前に聞いたで。社会に出てからもそういうことは付き纏うから、いい機会やと思って解決に当たり。そのときに大事なのは、その子をどうするかを考えるのではなく、部を良くするために、その子に部長として、何をどのように伝えるべきかを考えたら」と提案した。
 いろいろと書いてきたのはいいが、授業と関係ないことばかりだということに気づいた。恐るるに足らず。だって「そのことを話したいのではない」のだから。きっと授業につながる。親御様同様、私もそうなることを期待している。

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