
2019.03.05Vol.389 (仮)そのことにそのことを
高校2年生の女の子が「これ、どっちで解いた方が早い?」と質問してきたので「両方試せば」と答えた。数学の話である。
(仮)というよりは(短)の方が適切であろう。正確なタイトルは「そのことについて話してるけどそのことを話したいのではない」である。勘の良い方は、冒頭のやり取りだけでテーマを理解されたことであろう。その生徒は、目の前にある問題を早く処理するためにどうすべきかを聞いてきた。それに対して、私はその先のことを考えてアドバイスをした。2つの解き方を身に付けられれば、仮に1つを忘れてしまってももう1つでカバーできる。スペアタイヤみたいなものである。また、問題というのはその中だけで完結しているわけではなく、その他のものともつながっている。2つの解法を学んだことがそれとは別の問題で役立つのだ。話を大げさにすれば、この姿勢は数学だけではなく勉強全体に、もっと言えば勉強以外のことともつながっている。時間を掛けて試行錯誤したことが、後で生きてくることを知っている者は強い。一方で「この方法で解きなさい」と明確に指定することもある。1次関数などがそれに当たるが、理由を説明すると長くなるので割愛する。興味がある方は個人的に私にお尋ねください。
別の例を挙げる。それなりに問題を起こす2年生の二男。ある日、目の上と耳の後ろにはっきりと分かる傷を作って帰宅した。本人から事情を聞いた妻が言うには、3年生の男の子に足をかけられて溝に落とされたところを、顔面を蹴られたらしい。眼鏡をかけているので、そのようなところに跡が残ったのだ。一方的にやられたわけではなく、我が子にも原因があったのであろう、というのは推測できた。ただ、どのような事情があるにせよ、相手側から見ると1学年下の子であり、また、顔面を蹴るというのは非常に危ないのでけんかのやり方が良くない。そのようなことにどのように対処するか、ということなのだが、まず、私の中に方法論としてないのが、大人が介入するということ。先生に相談することもなければ、相手の親に連絡をすることもしない。妻がそれをすることも認めない。夫婦で考え方にそれほど違いはないのでもめることはない。大抵の場合は放っておくのだが、これに関しては手を打つことにした。そこで、4年生の長男を使うことに。以前、ブログでも書いたが、長男は二男よりも体重が軽く、けんかも弱い。それゆえ、兄に仇を打ってもらう、というものではない。「今日、その子にところに行って『顔は蹴るのはいけない』というのを兄として言いなさい」と伝えた。ちゃんと実行しそうになかったので、弟を連れて行くように、という条件を付けた。結果的には、二男の教室に行き、その子のところに行こうとしたところで、二男の担任からストップがかかった。私が予想するに、長男はそれを期待して大きな声で「~のところに行くぞ」とでも伝えたはずだ。そして、それを聞いた先生があわてて事情を尋ねたのだ。その後、二男の担任から電話が掛かって来て「何かあれば子供達だけでどうにかしようとせずに、学校に連絡してください」と妻は言われたらしい。今回の一件を「だめなことをだめ」と伝えられる人になるための練習にしたかったのだ。問題解決能力というのは年を重ねる中で身に付くのではなく、失敗も含めて問題を解決しようと試みた分だけ磨かれていくのだ。結局、先生からその後の報告を受けていないので、どのように処理されたのかも分かっていない。まあ、そのようなものを元々求めているわけではないから私としては全然構わないのだが、もし間に入るのであれば、それは必要なことであろう。仕事の仕方のことを言っているのだ。誤解されないように断っておくが、だからと言って不満があるわけではない。
もう1つ。中学生の生徒が、生徒会に立候補することになり、演説の内容を見て欲しい、とお願いしてきた。読んだら、実につまらなかった。その場にいた別の学校の同学年の子に見せて感想を求めたところ、案の定「私やったらこんなん嫌や」となった。たとえば「1分前着席」というのを公約の1つとして掲げていた。私からしたら、なぜそれをしなければいけないのか、というのが分からない。もし、それが生徒たちのためになるのであれば、私ならこうする。「まず、遅刻しがちな先生方に時間通りに来ることを生徒会からお願いします。一方で、我々も授業開始時に着席していなければなりません。『1分前着席』などというのがありますが、1分前である必要はありません。ジャストの時間にきちんと準備ができていればそれでいいのです。人によっては3分前に座っている方が授業に集中できる。また、ある人は、休憩時間をぎりぎりまで使って息抜きをしたいかもしれません。それぞれがそれぞれの責任において行動する。それが、我々中学生のやるべきことです」。本来であれば、それをすることで生徒たちにどのようなメリットがあるかを説明しなければならない。ちなみに、私は休憩時間が終わっても遊び続けていたためしょっちゅう先生に怒られていた。
何でもかんでも時間を掛ければいいというわけではない。時間に余裕がない中で処理をしないといけないこともある。うまくできれば「手際が良い」となり、その逆であれば「その場しのぎ」となる。その手際の良さも、きっとそれまでにどこかで時間を掛けて来たからそのようになったのであって、最初からそうであったというのは非常にまれなはずである。そして、その培われた能力は何かしら大きなことを成し遂げるときにも役立つ。些末なことをササっと処理して、大事なことに注力できる時間を作り出せるからだ。一方で、その場しのぎの人は、大きな仕事に臨むときにもそれを繰り返す。積もらない塵もあるのだ。
息子たちに対しても、生徒たちに対しても、怒るにせよアドバイスするにせよ、その後のことを考えながら対処しているつもりである。そう言えば、冒頭の女の子が、クラブの部長をしていて、後輩のことで困っていたため「先生、どうしたらいいと思う」と相談してきた。細かい内容は伏せるが、以前、その子のお父様が、会社の部下のことで手を焼いているというのを聞いたことがあった。それを踏まえて「お父さんも部下の教育で苦労している、ってお母さんから以前に聞いたで。社会に出てからもそういうことは付き纏うから、いい機会やと思って解決に当たり。そのときに大事なのは、その子をどうするかを考えるのではなく、部を良くするために、その子に部長として、何をどのように伝えるべきかを考えたら」と提案した。
いろいろと書いてきたのはいいが、授業と関係ないことばかりだということに気づいた。恐るるに足らず。だって「そのことを話したいのではない」のだから。きっと授業につながる。親御様同様、私もそうなることを期待している。