
2017.05.16Vol.301 意味のあること、ないこと
まだ20代で会社員だった頃、隣の席の先輩が、上司から頼まれたどうでもいいデータ作成を一生懸命やっているのを「無駄なことやってんなぁ」と思いながら眺めていた。私にもそのような仕事が降ってきていたのだが、納得できない時にその目的とかを一々尋ねていたら、そのうちに黙って引き受けるその先輩にすべてそういうものが行くようになった。そのようなものがその後生かされたのは見たことがなかったのだが。軽口を叩く私でも「意味のないことやってますね」というのはさすがにはばかられたので、口にしないでいた。その会社を辞めて何年か後に飲み会で顔を合わせた折、そう言えば、ということで「いやぁ、あの時は言いませんでしたけど、かなりでどうでもいい仕事してましたよね」と伝えたら「松蔭くん、当時から俺にそう言ってたよ」と返ってきて、あらびっくり。このことは一度書いた気がする。自己弁護のために付け加えておくと、頼まれなくても必要と考えたものは勝手に形にしていろいろと提案をしていた。これを読むだけでも「こんな部下は嫌だ」という典型であり、会社に向かない人間丸出しである。
今年度、我が子が通う公立小学校のPTA会長を務めている関係で、市議から夏休みのプール開放に関して各校の現状を教えて欲しい、という要請があり、5月7日に会議に出席した。10校ぐらいから合計20人ほどが集い、そこに市議が7, 8人来てそれは始まった。いきなりずっこけそうになったのだが、「では始めます」の掛け声の後に、前に並んだ市議が、誰が議長をするかの話を始めたのだ。それが終わると、今度はどのような形式で進めるか、意見のある人が挙手をする、もしくは市議の質問に対して各校順番に答えるか、という話に移った。それに3分かかったのか、5分かかったのかは分からないが、それがたとえわずかではあっても無駄以外の何ものでもなかった。普通は「○○が議長を務め、~のような形で進めたいのですがよろしいでしょうか」で終わりである。ちなみに「夏休みのプール開放」というのは、以前は先生が中心になって行っていたが、先生の負担軽減のためにPTAが主体となってやるようにとの通知が昨年、市の教育委員会から来て、現場が慌て(事故が起こった場合の責任は誰が取るのか、というのが最も重大な懸案事項)、今後廃止する学校が増えるということで、市議が乗り出した格好になっている。現状を踏まえて、市の教育委員に是正を促す、というのが表向きの目的である。実際は「子供達のために、我々は頑張っています」というのをアピールしたいだけ。選挙で当選するために利用することに対しては別に何とも思わない。「動きました」というだけで十分なのかもしれないが、折角なら「動いた結果、子供たちが楽しみにしている夏休みのプール開放を安全に行えるような状況を我々が作り出しました」と私ならするのにと思うのだが、そのような姿勢はまったく感じられなかった。頓珍漢な質問に、的外れの現状把握。そして、最終的には「各校の意見をまとめて要望書を出してください」という幕切れ。
この不毛な会議を終えて私が得たものが2つ。1つ目は「俺、意外と仕事してるのかも」という実感。会議が2時間、そこまでの往復でそれぞれ30分かかったと仮定して、それに30人が関わったとなれば、合計75時間である。もし私が市議団のリーダーであれば、事前に聞きたいことを列挙してPTA側のまとめ役に投げ、意見を集約してもらい、私は書記1人だけを連れて会議に臨む。PTA側も2人いれば十分であろう。そして、ペーパーだけでは分からないところを質問し、30分ぐらいで終わらせる。呼び出した側の当然の責務として、具体的なアクションをいつまでにして、その結果を報告することを約束する。ちなみに、その場合、往復の時間も含めると各人1時間なので合計4時間となる。20分の1の時間で10倍以上の効果は出せる。よって、200倍の仕事をしたことになるのだ。始まって15分の時点で「この人たち、人の時間を使うということに無関心なんだろうなぁ」と既に感じていたのだが、その確信の度合いはどんどん深まっていった。あんなものを仕事と呼ぶのであれば、私は、日頃随分とちゃんと仕事をしていることになる。念の為に断っておきますが、親御様が私と話をするときにそのようなことを考えていただく必要は一切ございません。言葉を交わす時の目的が全く違いますので。2つ目は「この10年で、人間的に少し成長したかも」という実感。以前であれば、おかしな意見を聞くと間髪入れずに厳しく指摘していたのだが、タイミングを見計らいかつ言葉を選んでいる自分に自身驚いていた。
生徒が「意味がある」「意味がない」という言葉を口にしているのを聞くと、「意味があるかどうかなんて分からない」というようなことを伝える。大抵は、「受験にとって」というのが隠れているから。たとえば、意見作文に取り組んだ際、課題に対して思いついたことをメモしていく。結果、何一つ使えるものがなかった。真摯に向き合って出したものであれば、その行為には大いに意味がある。このように、うまく行かなくても目的を持って考え、最終的にはまとめあげる、ということを繰り返してれいば、大人になったとき、間違いなく意味のある仕事が出来る人になれるはずである。そういう人になって欲しい、そう思いながら生徒たちに接している。