
2017.05.09Vol.300 気まぐれ旅行記
GWの教室の1週間の休みを利用して、6泊7日の北海道旅行をしてきた。函館インの千歳アウト、宿泊地は函館、札幌、旭川、網走、阿寒湖畔、帯広で1,600km超の移動距離であった。ひとりで運転をした自分を褒めてあげたい。主な目的は、100名城に含まれている五稜郭(函館)、松前城、チャシ跡群(根室)の3箇所を訪れること。根室まで行く必要がなければ随分と楽だったのだが、考えようによってはそのおかげで横断できたので、それはそれで良かったのかな、とも思う。
家族旅行をいつまで続けられるか分からないので、とにかく今しかないという思いが強い。どこに行くかももちろん大事なのだが、以前にもこちらか内部向けの『志高く』のいずれかで書いたように、子供との会話がたくさんできるというのが旅の良さである。実際、その期間を通して私が使った言葉に対して、二男が「~ってどういう意味?」と私に尋ねてきたのは10回ではきかないであろう。日常生活ではそうはならない。いろいろ話したからこその結果である。もちろん、その質問に対しては「そんなことも知らないの?」ではなく、丁寧に説明した。おそくら10個のうち2個も頭に残っていないだろうが、そんなことはどうでもいい。
親御様から「先生と行ったらお子さんはいい勉強になるんでしょうね」とお世辞も含めて言われることがあるが、ツアーガイドよろしく、前もって頭に入っている知識を子供たちに披露することはない。断片的な知識しかなく、かつ、あやふやなので、そもそも披露することができない、というのが正確なところである。たとえば、北方領土は根室からほど近い納沙布岬(最東端)の先にあるのだが、ロシアに近いから北の端に位置する稚内の先にある気がしていた。また、そこかしこに「北方領土」と書かれた看板が立てられていたのを見て、初めてそのことを身近に感じたのだが、それは沖縄に行って基地問題をそのように感じるのと似ている。
網走監獄も興味深かった。刑務所では「くさい飯を食う」と言う。「まずい飯を食う」というような意味だと思っていたら、完全な勘違いであった。部屋にトイレがあり、目隠しのための衝立があるだけで空間として閉じられてはいない。つまり、排泄物の臭いがするなかでご飯を食べるのでそのように表現するのだ。上のことは地図を見ればわかるし、これぐらいのこともネットで調べればすぐに得られる知識だが、囚人の部屋を実際に見ながらのことだから、なるほどと納得できるのだ。網走監獄ならではの話となると、囚人が北海道開拓において重要な役割を担ったということである。社会の勉強では確か、屯田兵が北海道開拓を行ったと習った。そのこと自体は間違いではないのだが、それ以前に囚人を使って森林を切り開き、道路を作るなどしていたのだ。厳しい寒さの中での過酷な労働で多くの囚人が命を落としたことを知った。
五稜郭でもそういう経験をしたのだが、また似たような話になるのでここでは控える。何もそのようなところばかりに行っていたのではなく、7日間で、円山、旭山、釧路市、おびひろ、の4つの動物園を訪れた。二男が絵を描きたがるので、毎回とはいかないものの余裕があるときは、できる限りそのような時間を取ることにした。また、ドライブの途中、牧草地で5, 6頭の馬が気持ちよさそうにしているのを見つけたときも車を止めて、長男と二男は30分ぐらいお絵描きをしていた。
以前、私が旅行でどういう所に行くかという話をしたら、高校生の女の子に「学校の社会見学みたいですね」と笑われた。それで言うなら、私が先生で子供が生徒ということになるが、私自身が様々な新鮮なものに触れ喜び、子供は後回しなので、社会見学とは随分と異なる。私が楽しいと感じられないことを子供とすることはほとんどない。だから、子供から見たくもないアニメの映画に連れて行って、とお願いされても「それはお母さんと」でおしまいである。
子供たちが旅行を通して、パズルのピースを拾い集めて箱にしまい、いつか、それらが何かしらのきっかけでつながったときに私以上に喜びを感じてくれれば、親としては嬉しい。また、私がこのような体験をすることで、教室で生徒が「社会の勉強は面白くない」「社会の勉強なんて意味あるの?」と言ってきたとき、聞いてきたときに「面白い」、「将来役立つ」と押さえつけるのではなく、当人がそう感じられるような話ができるような気がしている。