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2018.08.14Vol.362 勉強をして何の役に立つのか?

 「勉強をして何の役に立つのか?」子供のこの質問に親や先生は「将来役に立つから」などと答える。それに似たものとして「将来の選択肢を増やすため」というのもある。もちろん、そのような答えでは子供の中で何の変化も生まれない。聞いている子供自体が納得できる答えを求めているわけではない。勉強をしたくなくて、そのように聞いているだけなのだ。子供は、大人がこの問いにうまく対応できないのをよく知っている。
 私の場合、小学生ぐらいであれば「じゃあ、ゲームは何の役に立つの?」と逆に尋ねる。そして「勉強だけ、そういう風に聞くのはおかしくないか?」と続ける。中学生であれば「じゃあ、高校行かなければ。義務教育でもないんやから」で終わりである。学校は、勉強だけをしにいくところではないが、あくまで勉強が主である。「勉強をするより仕事をする方が大変やで」と付け加えることもある。
 自分もそうであったが、子供は大人を困らせたいのだ。いつも偉そうに言われてばかりだから、逆の立場に立ちたくてしょうがない。そういうチャンスを虎視眈々と狙っている。そして「ここやっ!」と子供が自信満々にパンチを繰り出してくる。それに対して私は強烈なカウンターパンチをくらわせる。
 同じような状況が生まれるのが、子供が嘘をつくときである。典型的なのは、宿題をやっていないのに、忘れました、と伝えてくるとき。面白いのは、私と付き合いの長い生徒がその場にいたときである。「正直に言っといた方がええで」と声を掛けたりする。取りに帰らされたり、家に電話されたりして、私が確かめるのを知っているからだ。40分ぐらいで往復できる距離にあるのに、1時間半以上戻ってこないことがあった。もちろん、その時間を使って残っていた分をやっていたのだ。帰ってきたときには「あれ、引っ越したの」と嫌味を見舞っておいた。先の生徒は、そんな感じでみんなの前で恥をかかされることや、その何倍もやらされることを知っているのだ。私は「嘘をつくな」とは絶対に言わない。ただ「ばれたときの覚悟をした上で、俺に嘘をつくんやで」と優しくアドバイスをしてあげる。
 私はよく大人げない、と言われる。子供のサッカーのコーチをしていても真剣に点を取りに行く。子供の嘘に手加減なく対処するのと同様に。それに対して、子供たちが「そんなん止められるわけないやん」と愚痴をこぼすことがある。だが、彼らは私に勝った時にはものすごく嬉しそうにする。大きな悔しさと大きな喜び。小さな悔しさと小さな喜び。どちらのセットを選ぶのか。子供の頃の私は、間違いなく前者を求め、後者には見向きもしなかった。小学3年生の頃、学校でドッジボールをしているとき、手加減して投げる教育実習で来た若い男の先生(面白いことに、このことを書こうとしたら、30年ぶりぐらいにその先生の名前を思い出した)に「なんで手を抜くんだ」とくってかかったことがあった。私は同級生ではなく、その先生だけを狙っていた。「あの先生のボールを取れるのも、当てれるのも俺だけだ」と信じていた。自分がそうだからと言って、他人もそうだとは限らない。「他の人も同じように考えるだろうか?」と自問する。時には、自分の価値観を押し付けるのは良くないな、となることもある。しかし、スタートラインは「自分だったらどうであろう?」だ。
 冒頭の質問に話を戻す。どれだけ論理的に答えたところで、答えられたところで、大した意味はない。大事なのは言葉を尽くすことではない。結果的に勉強が、勉強を通して身に付けたことが将来役立つようにしてあげることなのだ。たとえば、子供が「分かりません」と伝えてくる。「あっそ。じゃあ考えて」と投げ返す。困ったなぁ、という顔をしながらも再考する。そして「分かりました」となる。「ほらな。できたやろ。簡単にあきらめるな」と言葉掛けをする。考え直すように指摘しているのに「これでもいいやん」と口答えをする子供がいる。「テストでそれを書いたら丸になるかもしれへん。でも、俺が言いたいのはそんなことちゃうねん。もっと良いもん出せるやろ。ぶつぶつ言わずにやれ」と。こちらが求めていたものが、場合によっては求めていた以上のものが子供から出てくる。仮にうまく行かない場合でも、子供自身が考え抜いたのであれば「よう考えたやん。それを続けてたら、いい言葉を引っ張り出せるようになる」と励ます。私の指摘が正しかったことは、子供たちの満足そうな顔が証明してくれる。
 手ごわいものと正面から向き合う姿勢は、将来間違いなく仕事に生きてくる。「私にはできません」ではなく「私にはできる」と信じて取り組む。「これぐらいでいいですよね」ではなく「ここまでやりました」と胸を張って誇れる仕事をする。 
 子供たちが目の前のことに一生懸命格闘している姿を見ながら、彼らの未来に光が射すのが見えることがある。そういう大きな喜びが得られないなら、この仕事をしていてもしょうがない。
 猛暑のせいであろう。少し熱くなりすぎた。

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