
2026.07.03Vol.98 でこぼこな連帯(徳野)
映画館の上映室でたった一人、という事態に遭遇したことがある人はどれくらいいるだろうか。つい先日、他ならぬ自分が経験者になってしまった。そして、実際に経験してみてまず湧き上がってくるのが、静かな恐怖である。以前、夜の大阪ステーションシネマで中年男性と二人きりになった時よりも緊張感があった。特に怖かったのは終映後である。室内灯が点いてから係員さんがドアを開けてくれるまで1分ほどの間があったのだが、ほんの60秒間ポツンと待たされただけでも、「このまま永遠に、誰も助けてくれなかったらどうしよう」という不安に襲われた。世界から隔絶される気分とはこういうことなのではないだろうか。
さて、アップリンク京都にて、唯一の観客として鑑賞したのは≪熱狂をこえて≫という作品である。1994年に日本初のプライド・パレードを開催し、自身も男性パートナーと同居している南定四郎(みなみ ていしろう)氏の半生を振り返るドキュメンタリーだ。まず印象的だったのは、御年94歳とは思えぬ南氏の旺盛な活力だ。アルコールと高カロリーな食事に舌鼓をうち、一回りも二回りも若い仲間たちと豪快な声で談笑する彼に、私は体力も気力も負けている気がしてならない。さらに、カルチャー誌の編集に長年携わってきただけあってファッションセンスにも優れ、ショッキングピンクのジャケットを粋に着こなしてパレードの先頭に立つ姿には惚れ惚れとしてしまった。エネルギーとカリスマ性に溢れた魅力的な人物である。そして、当事者だからこそ持ち得た(当時としては)先進的な己の価値観を信じ、世間から向けられる偏見のまなざしを相手取ってきた南氏の闘姿は、まさに「生きた歴史資料」と言えるだろう。
しかしながら、同作の狙いは南氏の功績への称賛だけにあるわけではない。彼の、引いては1980年代後半から90年代前半にかけてのゲイ・コミュニティによる内省と「懺悔」を記録することにもある。
南氏はパレードを主催する以前から、同性愛者の人たちのための居場所づくりに心血を注いできた。1984年に国際レズビアン・ゲイ協会(略称はILGA、当時の組織名は「国際ゲイ協会」だった)の幹部から日本支部の設立を持ち掛けられたのをきっかけに、欧米での事例を手本にしながら様々な取り組みを展開していった。出版業で得た豊富な資金を元に、映画祭の企画、電話相談窓口の開設、パブリックスペースの運営など、意義を感じたアイデアには次々と手を出し、その果てに満を持して実施したイベントが≪第1回レズビアン&ゲイパレード≫だったのだ。1980年代末期の「エイズパニック」に立ち向かわねば、という切実な気概もあっただろう。年表的な実績だけを踏まえると南氏は「身を粉にして働く精力的な人権活動家」に見えるし、その人物評が決して間違いではない点は強調しておきたい。だが、実態はもっと複雑である。彼が良かれと思って実現させてきた取り組みは長くは持たず、パレードも第3回目にして早くも休止に追い込まれた。原因は「独善」にあったと、南氏が自ら認めている。外部からの圧力に負けたのではなく、内側から崩壊が起こったのだ。
南氏が作中で繰り返していた言葉の一つが「連帯しなくちゃいけない」である。その発言に関して鑑賞中は「結束を強要したら、かえって組織の足並みが揃わなくなるんだな」程度の感想しか浮かんでいなかったのだが、後日改めて「連帯」の定義を調べていたところ、NHK出版デジタルマガジンの『「連帯」は、バラバラな私たちが、バラバラなまま共に生きていくためのノウハウ』という記事を見つけた。南氏が前提にしているのであろう意味合いとはかなり違う。さらに読み進めてみると、人種や性的指向といったアイデンティティ面での共通点を持つ人々が団結して政治活動を行うことの功罪にも言及されていた。危険性については「自分たちとは異なるアイデンティティを持つ集団との差異を強調するあまり、国内の精神的分断を招く」という、まさに昨今のアメリカで顕著になっている問題が指摘されている。さらに、《熱狂をこえて》が浮き彫りしているのは、社会的少数者のコミュニティが「不寛容な世論」という巨大なものと戦おうとしていたにも関わらず、集団内の多様性を自ら軽視する方向に動いてしまった様子である。具体的には、当時のILGA日本支部に属していたゲイ男性の中には、年下のメンバーや女性に対して高圧的な態度を取ったり、彼ら彼女らからの意見を切り捨てたりする者も存在したらしい。そして、トップに立っていた南氏の我の強い人柄が、風通しの良くない雰囲気を助長していた面は否めない。今となっては一大イベントとなったプライド・パレードに対してさえ、当初は反発の声が少なくはなかったらしい。そんな組織に対して積もりに積もった怒りが爆発したのが第3回パレードでの出来事だったのだ。その後、取り返しのつかない悲劇が起こったのを機に自責の念に駆られた南氏は活動から身を引き、沖縄で20年近く隠遁生活を送ることとなった。久しぶりに再会した仲間たちと酒を酌み交わす際にも「記憶に残るのは嫌な思い出のほうだね」ときっぱりと言い切っていたのは印象的だった。
ILGA日本支部が事実上の解散をしてから数十年。南氏の生きざまを映像に残した松岡弘明氏も自身のセクシュアリティを公表している。LGBTQ+の尊厳を守るべく紆余曲折してきた社会運動の歩みを自己批判的に辿っていくような構成は、若い世代の当事者だからこそ編み出せたものだろう。そんな監督の人物像も知るべく、インタビューが掲載されている『LGBTR.』というサイトを覗いてみたところ、時代の変化を実感した。松岡氏を含め様々な背景を持つ性的マイノリティの人々の言葉に触れられたのだが、自身とは異なるアイデンティティや主義主張を持つ他者との間に壁を作らないことを強く意識している様子が窺えた。例えば、「自分は生きているうちに親しい人に打ち明けられた方が良いと考えているけれど、カミングアウトするのが正しい、と言ってしまうのは違うと思うんです」と発信する形で個々人の選択を大切にしたり、「異性愛者の人たちも皆、何かしらの悩みを抱えている」という風に視野を広げてみていたりと、新しい意味での「連帯」、言い換えると「包括」を目標に掲げたメッセージが数多く盛り込まれている。自身について語りながら、他者の語りに徹底的に耳を傾ける。松岡氏が常にその姿勢で物事に向き合っているからこそ、被写体となった南氏も心を開き、苦く重い己の過去に対峙できたのだろう。
私が「LGBT」という枠組みを知ったのは大学生の頃だ。正直に言うと、27年間生きても自分のセクシュアリティに未だに確信が持てない。そんな立場なので、いつの間にか言葉の末尾に「Q」と「+」が増えている現在に戸惑いを覚えている。当事者および賛同者の方々の熱量にまだまだ付いていけていないのだ。しかしながら、私と同じような感覚を持っている人、もしくは、性の多様性に元から興味が薄い人も少なくないのだと思うし、アップリンク京都の客席が残酷にもそれを物語っている。だが、奇しくも「世界にたった一人きり」を思わせるような状況に身を置いたことで、閉鎖的な故郷で南氏が味わっていただろう孤独感に近い何かをほんの60秒間だけ窺い知れた気がしている。それもまた一つの「連帯」である。








