
2026.06.12Vol.96 他愛もない時を(竹内)
プロ野球読売ジャイアンツの阿部慎之助監督が逮捕。事件や事故の速報が入った時、驚きを持ってその詳細を確かめることは珍しくないが、「誤報を疑う」レベルは滅多にない。この時がそれにあたる。本人が娘に対する暴行を認めており、結果的には監督辞任に至った。書類送検された旨が先日報じられたが、警察からは「寛大処分を」という意見が付されている。
今回、氏が逮捕されるに至った経緯として特徴的なのは、手を上げられた娘がAIに相談して児童相談所への報告を助言された点である。それを受けた児相が警察に通報している。阿部親子のことをよく知っているわけでは当然ないので、彼らの関係性に首を突っ込むつもりはない。その日から一夜明けると「娘からの手紙」なるものが公表されたものの、真相も心境も、はっきりとは分からないままであろう。しかし、AIに助けを求め、その回答に身を委ねたということについてはきちんと目を向けたい。
そもそもの話として、「児相に連絡せよ」という返答を一体どれだけの人間ができるだろうか。今回のような親が著名人で、被相談者がその人物の経歴を知っているような場合、「その先」を想像するとそのように助言することには尻込みしてしまうのではないだろうか。今回のものは「AIだからこそできた提案」だとも言える。
実際のところ、大事なことを打ち明けるのには勇気が要る。ちゃんと受け止めてもらえるか、相手に背負わせすぎないか、そんなことを気にしてしまう。振り返ってみるとそれは杞憂に終わることが多いのだが、それでもなお躊躇ってしまうので、人間は面倒くさい。そういう時に、様々な背景を一旦無視してくれるAIは意外とありがたい。
少し話が変わるが、私には高校生の頃に開設したTwitter当時のアカウントがある。10年以上の使用ということになるのだが、そうなるとスマホを買い替えたことをきっかけにログインできなくなってしまったのだろうと推察される友人も多い。反対に私のように新しいスマホになろうが染みついて忘れないパスワードを入力して自分のアカウントを大切にし続けているような仲間もいる。とはいえ、私含め、発信する量はめっきり減っている。数か月ぶり、数年ぶりに浮上して何か言ったかと思えばまたしばらく鳴りを潜める。私がそうだからそう思うだけなのかもしれないが、そのような時は「残しておきたい」と感じるからわざわざ投稿する。だから久しぶりのポストを見て「なんかあったんやな」と考えながらそのまま読み流したり、ごくまれにLINEを開いて連絡を取ってみたりする。逆も然りで、私が何かしら発言する時は、同じように誰かが何かを思うんだろうな、と頭をよぎる。だから、どのような言葉を用いるかを吟味する。私にとってのSNSはそういうものだ。
Chat GPTを使う時の態度も根底ではそうなっていて、結構心を開いてべらべらと記録のために考え事を話している。生成AIはSNSとは異なるので、単なる壁打ちツールではなくグラフを作ったりデータを探してきたりと形として出力してもらうこともよくあるが、自分の状態を映してくれる側面をやはり孕んでいる。Excelで表作成するときにイメージはあるのにそれを落とし込めないということがよくあったので、AIを頼って用いるべき関数を教えてもらった。この過程で面白かったのは1、2回では思っている通りのものにはならなかったことである。自分の指示が上手く通らないことによって頭に浮かべているものをより具体化することになったし、それを繰り返す中で書き換わっていく関数によって仕組みも以前よりよく分かるようになった。そんなわけで私はまだ生成AIでの時短が十分には実現できていない。
昨今は生成AIに課題のレポートを書かせている事例が問題視されている。私が学生の頃なら参考文献からの引用ばかりで済ませるタイプのものがあったが、そのようなものは自身の主張がまともに入っていないので手抜きなことが明瞭である。しかしAIの場合だと、一見すると意見も結論もはっきり述べられているのでたちが悪い。複数の課題が与えられ、部活やバイトで忙しくて、時にはそこまで興味のない内容もあって、となると簡単に終わらせてしまいたくなるのは理解できるが、それはやはり、レポートを書くことを通して得られる学びを自ら手放してしまっていることになる。「答えを出す」ことが第一になっているともいえる。だが、区切りはつけられたとしても、生きていくうえでは簡単に答えが出ないものばかりである。何度も考えて自己の中で確立されていくものもあるが、宙ぶらりんになっているものが私にはたくさんある。それらがある時に誰かとの何気ない会話や、たまたま目に触れた言葉をきっかけに徐々に整理されていく。「終わってない」と思うことは重要で、そのために必要なのは一度腰を据えてやってみること、そういうものが一つはあること。いざ外に出してみたものがまとまりきっていないままではいけないが、消化されていないものを持って周りを見続けていないと、与えられたデータをもとに瞬間的に答えを出しているAIと何ら変わらない。
また、子どもたちには「私たちは見てるで」ということを伝えたい。以前中2の男の子と記述問題のやり取りをしていた際にニュアンス的には「恐怖」と熟語にした方が良いところで「恐ろしい」としていたので、漢字が分からないのであれば平仮名でも構わないから伝わり方に気を付けるようにと指摘した。後日お母様からメールを頂き、「『怖』が分からないことが一瞬でバレてた、と嬉しそうに報告してきました」と教えていただいた。その人の発する言葉、仕草や表情、「言わない、しないこと」全てが情報だ。その子の意図が分かったのと同様に、その子も自分が見られていると汲み取ってくれたことは喜ばしいことである。大げさかもしれないが、生徒が何かに気付く瞬間に立ち会えているのだ。








