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2023.07.11Vol.598 企業秘密なんて何もない

 先にお願いから。もし、消費者庁に知り合いの方がおられましたら紹介していただけないでしょうか。別ルートからも伝手は探しているのですが、たどり着けるか分からないためです。2021年11月のVol.519「The 作文」で紹介した高校2年生の奥村ちひろさん。最後の一文に「これから長く活動をしたいと考えていますので、よろしくお願いします。」とあった通り、「飲食店における原材料開示の義務化」に関しての動きを止めていません。正に、「The 作文」である。昨年の夏は、厚生労働省でインターンを行ったのですが、今夏は消費者庁で、と考えているためです。どうかよろしくお願いいたします。
 志高塾で約3年働き、年初に退職した元社員から連絡があり、大阪の玉造で「理学館」という算数専門塾を始めたことを知った。辞める際、次の職場について聞かなかったため、何人かの親御様から「〇〇先生はどうしているんですか」と尋ねられても答えられなかったこともあり、この場で報告する。
https://www.rigaku-kan.com/
 「人に対して、『何であんなことをするんだろう。もっとこうすれば良いのに』と思うことを実践すれば、物事はそれなりにうまく行く」という話を私は折に触れする。そのときは渦中に無いため、客観視できていて、自分の理想形を思い浮かべられているからだ。ここで、この1週間ぐらいに実際に私がした話を2つ紹介する。
 1つ目は、ここでも時々話題にする母のケーキに関することである。あるお母様に次のようなことを話した。「自分の持っている技術を惜しみなく披露する先生もいれば、『ここからは企業秘密なんで教えられへん』と隠す先生もいる。伸びるのは間違いなく前者の先生である」。子供の頃、母は自らのケーキ教室で教えながら、新しい技術を学ぶために習いにも行っていた。そこで作ったものをよく持ち帰って来ていたのだが、後者のものはおいしく感じられないのだ。感じられないのではなく、実際においしくなかった、という方が適切な気がする。私が好きな先生は2人いるのだが、そのうちの1人は以下の記事で、「オーナーパティシエの松島保英さんは一級製菓技師で『現代の名工』、勲六等単光旭日章も受章されたほどのお方です」と紹介されている松島先生である。

【産経新聞社】~スイーツ物語~父から受け継いだ職人魂 (2010.9.2 夕刊)


どういう縁かは分かっていないのだが、母は2, 30年来の付き合いで、確か月一ぐらいでアシスタントのようなこともさせてもらい、身近で見てきたのだ。母の話から想像する人柄と記事の中の人物像はぴたりと一致する。
 2つ目は、中学生の生徒たちが「ノートを取る意味ってあんの?」ということを聞いて来たことがきっかけで行った大学時代の話。大学1回生の頃、きちんと丁寧な字でノートを取っている女の子に、テスト前に「ノートコピーさせて」と、それはそれは腰低くお願いしたにも関わらず、「私が頑張って取ったやつやから嫌っ」という答えが返って来た。それまではそれなりに話していたのだが、その瞬間「もうこいつとは話さん」となった。「逆ギレやん」、「その子の気持ちよく分かる」、「自分でノート取ってない奴が悪い」などの意見があることを承知の上で言わせていただくと、「俺がそれをコピーしても、あなたの頑張りが減じられる分けちゃうやん」という話なのだ。そして、高校時代のことも思い出した。高校の近くに北野高校専門の補習塾があった。そこではテスト範囲の数学の問題集の解答がきれいに書かれたプリントが配られることを知っていたので、そこに通っている女の子に、「プリントコピーさせて」と頼むと、「私の親がお金払ってるから」と断られた。
 その元社員と電話で話した際に、「教育に著作権や特許のようなものなんて無いから、テキストに関しても勝手に使ってくれたら良いよ」ということを伝えた。そして、切り際に、「HPのURLをラインに送っておいて」とお願いした。それが上で紹介したものである。二男は彼に教わっていたこともあり、HPを見せてあげると、途中からもう1つタブレットを持って来て、2つ並べて「志高塾」と「理学館」を比較し始めた。私の算数、数学の授業をそれなりに受けたことがある生徒なら、彼のHPに並んでいる言葉がどのようなものかは分かる。その様子を傍で見ていた妻が、「自分だったらめっちゃ怒ってるよ」と二男に声を掛けていた。小学生の頃、図工で自分のアイデアを真似されたことが何度かあり、腹を立てていたらしいのだ。「真似したいと思われることは認められてるということだから良いことなんだよ。『じゃあ、自分はもっとすごいやつにしよ』となるきっかけにもなるし」という話をした。
 彼のHPを見て、何も思わなかったわけではないが、ネガティブな感情は湧いてこなかった。私がやるべきことは、今いる生徒に少しでも良い授業をすることである。付き合いの長い生徒と親御様には、その期間に比例するかの如く、「仕事をしない人」という印象が強くなってしまっている私である。他のことにうつつを抜かしている場合ではない。開校してから5年ぐらい、思ったように生徒が集まらずに、「良いことしてるはずやのに、なんでや」といういらだちや焦りのようなものこみあげてくることがあった。その度ごとに、「自分たちにできるのは、今いる生徒に少しでも良い授業をすること」というところに着地した。そういうことを繰り返したことが今に生きているのだろう。もちろん、「誰かがそれをコピーしても、俺の頑張りが減じられる分けちゃうやん」という思いもある。
 このままだと、私が何でも受け入れるとても心の広い人のような誤解を与えてしまうかもしれないので軌道修正を。彼がいつその塾を始めたのかは知らないが、少なくとも数か月は経っている。何でこのタイミングで電話があったのか。私の憶測の域を出ないが、志高塾に最近入塾した生徒が、偶然にも彼の塾に通い始めたので、そこから話が漏れるのであれば、先に自分から、となったのではないか。翻って私はどうだったか。東京の国語専門塾で半年ほどお世話になり、そこを辞める際、「ここでやっていることはとても良いことなので、関西に帰って、同じような塾を自分で開こうと考えています」と2人でいるときに面と向かって伝えた。それが人としての筋というものである。
 来週は、月間報告に追い立てられているなど忙しいことが分かっているので、Vol.599は今回のこととはまったく無関係の内容で既に1,800字ほど書き上げている。節目のVol.600は少し前から意識しているのだが、今回のことでちょうど過去を振り返るきっかけにもなったので、志高塾のたった16年の歴史をテーマにする予定である。

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