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2023.01.24Vol.576 完。そして、続く。ずっとずっと。

 この2回、受験生の親の一人としてできる限り生の声をお伝えしてきた。その結果なのだろうか、お母様たちからメールで連絡をいただく度に「忙しいのに申し訳ございません」の言葉がいつにも増して目立ったような気がしている。優しさに触れ、改めて感謝をする共に余計な気を遣わせてしまったことへの申し訳なさを感じた。不徳の致すところである。これまでの人生、不徳の致すところ数限りなかったが、言葉にするのは初めてのことである、きっと。その初回に当たる「Vol.574(並)中学受験生の父として」において、元々「今回は、公ではなくあえて私の立場から述べることにする」というような一文を入れていたのだが、それすら抜いて、とことん我が子の受験のことだけについて言及した。中途半端にならないようにするためである。この冒頭の段落だけは、最終結果が出る前に書いていた。
 
「あのさ、かんちゃんが落っこちたせいで、みんながお父さんに気遣うやんか」
「それ僕のせいなの?」
「そりゃそうやん」

というわけである。我が子が受験した3校の偏差値にそれほど大きな隔たりはなく、前受けだけに合格したことを考えると、残り2校に受かる確率を10%と踏んだ私の予測は適切であった気がする。0では無かった。残り1か月弱、私が直接教えたことで15か20ぐらいまでは達していたかもしれないが、30までは届かなかった。
今回も含めると、都合3回のブログを我が子のことに費やしているわけであるが、それは冒頭の一文にあるように「生の声」に私自身が意味を見出したからである。落ち着いて振り返ることで見えて来るものもあるが、その瞬間だけですぐに消えてなくなってしまうものもある。そのようなこともあり、本当は最終の受験日、昼過ぎに送り出してから迎えに行くまでの間にこの文章をほぼ仕上げる予定であった。しかし、できなかった。「よし、俺の役目は終わった」とビールを飲みながらラーメンを食べて昼寝をしていたからである。宣言通り二男の受験にはすべて私が同伴したのだが、受験経験者のお母様にその日の話をした上で、「付き添いってほんと大変ですよねぇ」と漏らしたところ、「全然そんな風に聞こえませんけど」と突っ込まれてしまった。
そのとき、私が願っていたことは、とにかく力を発揮してくること。私は、度々
(結果)=(実力)×(実力発揮度)
という式を使う。会場に向かう途中、本人にもその話をした。30%未満の奴が合格を掴むにはすべてを出し切る以外にない。そして、本人は「今までで一番できた。間違いなく合格している」と私の元に来るなり、その手応えを教えてくれた。勉強に限らず、予防線を張るな、と私は伝えている。あえて低く言うのはずるである。それをすれば、悪い結果に対しても「思ってた通り」、「思ってたよりは良かったから良いか」などと自分をごまかすことになり、現実を適切に受け止められなくなるからだ。息子のことに話を戻す。その報告を受け、確信は言い過ぎだが、「じゃあ、合格してる」となった。能天気に子供の言葉を鵜吞みにしたわけではない。二男のそういう予想はそんなに外れる方では無く、親として「落ちたときの心の準備もしておこう」と保険を掛けないでおくことも大切な気がしていた。不合格者の点数が開示されるのは3月になるので、どれぐらいずれていたのかにもよるが、結果を受けて、手応えが狂っていたのではなく、単純に実力が足りなかったんだな、となった。体温を計らないといけないのに、一の位までしか表示されない温度計のようなものだったのだろう、というのが私の結論である。発熱外来の境界が37.5度であるのに、37.0度も37.9度も37度と表示されてしまっては意味がないのだ。実力が不足していると、難易度が上がったときに精度が落ちてしまうのだ。
 結果が出るまでの数日、心では合格を信じて続けていたものの、それとは別に勉強に関して2つのシナリオを頭に描いていた。いずれにしても、長男の通っている英語塾に通わせ、志高塾で作文を続けさせること。それに加えて、中学入学までに最難関中学の国語の読解問題をそれなりに解かせること。そして、不合格だった場合のみ、クラブに入る5月ぐらいまでに私が数学を教えて、中2ぐらいまでの分を一通り終えられるようにしようかな、と。なぜ、このようなことを考えたのか、気が変わらなければ次回テーマにする予定にしている。
思い通りの結果が出なかったとき、「これも良い経験だ」というような言葉が掛けられる。私も口にする。一人の人間が複数の人生を歩めるわけでは無いので、どちらが良かったのかなんて比べようがない。受験だけのことを考えれば、第一志望に合格した方が良いに決まっている。だから大事なのは、少なくとも「良い経験だったな」と振り返れるぐらいに悔しかった経験をばねにすることである。昨日、二男は担任の先生に公立の中学校に行きます、と伝えた。30年以上前のことになるのではっきりとは覚えていないが、同じ状況で私はかっこ悪さやみじめさを感じた気がする。
 完。中学受験は終わった。完結の「完」である。完敗の「完」でもある。親として、二男の心に刺さる受験にしてあげられたことには満足している。まあ、不合格になってしまったので気を遣われてしまうし、強がりにしか聞こえないだろうが。

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