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2019.10.22Vol.419 4段落の余談

 久しぶりに自らが見たいとなって映画館に行った。『蜜蜂と遠雷』を、である。前回は確か2年前の岡田准一主演の『関ケ原』で、半分は長男に見せたい、というのが占めていたような気がする。本が面白すぎたのと「映画良かったですよ」と勧められたのとで期待感が膨らんでいたせいで、そこまで感動しなかった。よくある話である。その期待すらも超えてしまう映画が本当にいいものである気がする。志高塾もそのようにありたいものである。上映前、福山雅治主演の『マチネの終わりに』の予告編が流れた。それを見ながら「これはないな」となった。イケメンへのひがみが9割、恋愛ものに興味がなくなってしまっているのが1割といったところである。ところが、今は11月1日の上映開始が待ちきれない。面談が入っているので授業前には行けないが、時間が合えば仕事後に駆けつけているかもしれない。冷静に考えたらおじさんが1人で、しかも初日に来ているというのは、傍から見たら中々気持ち悪い。カップルが笑いながらひそひそ話でもしようものなら「俺のこと言っているのか」となりそうである。最後のシーンは絶対に泣ける。そうなったら気持ち悪さMAXである。
 紙の辞書と電子辞書。その善し悪しが比較されることは少なくない。ふと、それって本を買う場合の、実店舗かアマゾンかの違いと同じだな、となった。どちらの場合も3冊ぐらいまとめて購入することはままあるのだが、前者の場合はジャンルがばらけるのに対して、後者はまとまる。ばらけるのは、いろいろな本が視界に入ってくるから。まとまるのは、勧められるのが同じ著者のものや「これは買った人は」という形式で似たようなものになるから。紙の辞書だとパラパラめくっているうちに、以前線を引いたところが気になってその部分を見返してみたり、周りの言葉に目移りしたりする。一方で、電子辞書は、別の言葉を調べるにしても、類義語、対義語止まりである。例えるなら、前者はふらふらと寄り道しているのに対して、後者は目的に向かって一直線の道をずんずん突き進んでいる感じである。こういうのは、どちらがいいというものでもない。電子辞書のメリットとして「効率性」が挙げられる。それには注意が必要である。何に対して効率が良いのか、をよくよく考えてみなければならないからだ。大抵は、その瞬間の時間をいかに短くするか、だけに焦点が当てられている。ふと、ある生徒のことを思い出した。彼は、定期試験の期間中に英語で分からないことがあるとお母さんに聞きたくなるのだが、躊躇するということを話してくれた。お母様は元々予備校で英語を教えられていた。「これって何?」ぐらいの感じの質問なので3分もあれば十分なのだが、その周辺の関連することの説明が始まるので、下手をすると1時間ぐらいかかって勉強がはかどらない、と漏らしていた。本心から「良いお母さんやん」と伝えた。彼は高3の夏まで野球をやっていて、現役で阪大に合格したので立派なものである。そういう育てられ方と無縁ではないはずだ。
 映画を見た翌日、久しぶりに本屋に行ったのだが(ネットで済ませてしまうことが多いため)、伊集院静の大人の流儀9『ひとりで生きる』を見つけて「おっ、出ていたのか」となり、その近くにあった『マチネの終わりに』が目に入った。「平野啓一郎やん。買おう」となった。勝手に親近感を覚えているからだ。でも、親近感ってそういうもんだよな、という気もする。大学生の頃、私が所属していたサッカーサークルは、各学年に高校時代のサッカー部の先輩が何人かいた。そのうちの一人が彼と法学部の同期で、在学中に芥川賞を取ったこともあり、「どんな人なんですか」などと聞いた記憶がある。当時、張り切って受賞作の『日蝕』を読んだ。結局、途中で投げ出してしまった気がする。同年代の人が創作したものを理解すらできない自分、というのは中々悲しいものである。単なる恋愛小説には触手は伸びないが、『マチネの終わりに』を手に取ったのは、テーマがテーマなだけにそこまで複雑でない気がしたのと、そこに文学的な要素(それが何かは良く分かっていないのだが)が散りばめられていてそのジャンルの中でも読み応えのあるものになっているだろう、という予感があったからだ。ちなみに、『ひとりで生きる』の中に、デビュー当時「恋愛小説は小説の王道です」との編集者の言葉に乗せられて、取り組んだものの随分苦労した、ということが書かれていた。今、20数年ぶりに手掛けているものがあるらしいので、発売されたらそれも読んでみようかな。
 今回、本当は「ひとつ飛ばしてまた続き」というタイトルで、長男のその後について触れる予定であった。しかし、関係のない話から始めたらそれなりのボリュームになった。くだらんタイトルをつけ、それに合わせるために段落分けを行った次第である。

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