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2023.05.02Vol.589 一層良質な教育を一層多人数の子供達に

 いつもながらに余談から。書き進めているうちにそこから想定外の話題に飛び、それ自体が文章のメインテーマになることも少なくない。まったく次元の異なる話なのだが、好きな作家の一人である奥田英朗が対談で、「最低限の設定だけして、後は筆が進むに任せる」というようなことを語っていた。「次元の異なる」と言えば、年初に「異次元の少子化対策」を岸田首相は力強く打ち出したものの、中身が無いことで「二次元?」と揶揄されるなどしたため、早々に「次元の異なる」と言い換えた。意見作文に取り組んでいる生徒には、「強く主張したいときには熟語に、柔らかくしたいときには平仮名を混ぜた方が良い。熟語だらけだとうるさくなるからそこは気を付けなアカンで」というアドバイスをする。表現を変えたのを知ったとき、重点政策なのに弱めるなよ、と突っ込みたくなった。
 話を奥田英朗に戻す。それを読んだとき、「この書き方のままで良いのか」と少し慰められたような気がした。私は2,000字ですら操れていないのに、彼らは用意されたエンディングに向かって長編小説を書き上げていると思い込んでいたからだ。物事がうまく行かなくなると、「あそこもだめ、ここもだめ」となり、どこから手を付ければ良いか分からなくなることがある。そんなとき、「そこはそのままで良いよ」と信頼する人に言ってもらえれば、気分は随分と楽になる。そのままで良い「そこ」は大抵、その人の根幹を成している。一見すると欠点に見える「そこ」を大事に守りながら、その他の部分に手を入れることで、その子の成長を促してあげる。「そこ」に手を付けた方が手っ取り早く目の前の結果は出ることも少なくない。教える者としてはそれでも良いのかもしれない。しかし、それでは育てる者としての役割を果たしたことにはならない。両方揃って初めて教育者と呼べるのだ。
 1年ほど前になるだろうか。新聞記者の方から2時間ほどのインタビューを受け、「これまで一方的に私の方が質問をして来たので、最後にお聞きになりたいことはありますか?」と尋ねられたので、「いろいろな方に会われていると思いますので、そのような経験も踏まえて、この2時間話して、私という人物に抱いた率直な印象をお聞かせ下さい」とお願いすると、「謙虚さが無いですね」と返って来た。このやり取りを知っている生徒は、折に触れ「先生には謙虚さが無い」と指摘してくる。私の「そこ」は謙虚さの無さや傲慢さなのだろう。誰か「そこはそのままで良いよ」と言ってくれないものだろうか。
 次の余談へ。営業目的の電話は本当に面倒くさい。わざわざ出たのに、どうでも良い話をされるからだ。電子メールや郵便物であれば、手が空いたときにさらっと確認だけしてゴミ箱に捨てれば良いが、電話は相手のタイミングなのだ。そういうものが無くなることはないので、自分の心に余計な波風を立てないようにするのが最善の策である。少し前に、「口コミの評判を上げるのをお手伝いしてるんですけど」とありえないような電話が掛かって来た。これまた最近の話なのだが、アマゾンで1,500円ぐらいの商品を購入したときに、1,000円のクーポンチケットが同封されていた。最高の評価をした上で好意的なコメントをして、それが認められれば使えるようになる、という仕掛けであった。そういうインチキに加担する気は無いので、もちろん無視をした。それに関しては、ダイニングテーブルに置いていたこともあり、ご飯のときに子供の勉強の材料にした。「仮に、口コミをする人が4分の1いるとしたら、一人当たり250円のクーポンを発行していることになる。要は、1,500円から250円を引いた1,250円でも売っても十分に儲かるぐらい原価は安いということだ」というような話をした。
 勧誘の連絡で一番多いのは、生徒募集に関するものなのだが、大抵は「うち、別に困ってませんので結構です」と返すようにしている。半分本音、半分強がりである。西宮北口校は常に満杯に近いが、豊中校や高槻校はそうではない。私がよく言うように、生徒は多ければ良いというものでもない。ただ、時間割を安定させ、講師が経験を積むためには、ある程度の生徒数は必要である。志高塾は、「よりよい教育をより多くの人に」をスローガンとして掲げている。HP上にその文言は無いが、新しく入った講師に最初に配るプリントの先頭にはその言葉があり、「大抵の塾は、『より多く』が先に来る。しかし、志高塾はそうではない。まずは『よりよい教育』を行わなければならない。そして、『いい教育』だからより多くの人に受けてもらった方が良いよね、という話であり、その順番がものすごく大事なのだ」という説明をする。開校当初から今に至るまで、ネット上の志高塾に関する口コミはほとんどない。ただ、リアルの口コミはそれなりにしていただけている。多くの方に広めてくれるお母様から、「この人なら志高塾のことを分かってくれるって人に限定してお伝えしてます」というようなことを教えていただくことも少なくない。一方で、「知られて欲しくないから誰にも言いません」という親御様もいる。それは、無口な口コミと呼べるかもしれない。いずれのパターンであっても私にとっては嬉しいことなので、もっと増えるように、よりよい教育をして行かなければならない。ところで、私は、なぜ「より良い」とせずに「よりよい」とすべて平仮名にしたのだろうか。本気であることを示すには、まずは表現から変えた方が良いのかもしれない。

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