
2018.10.23Vol.371 縁
一昨日、豊中校で受け入れ停止前にご予約をいただいていた3件の体験授業を行う予定であった。そのように書くぐらいだから実際は違ったということである、30分遅刻してきた1組の親子には玄関先でお帰りいただいた。確か「私は、次もつかえていますし」と言う表現を使った。1組目であったため事実そうなのであるが、最後の組であっても同じようにしたであろう。それゆえ「つかえているから」とはならなかった。
それには伏線がある。その親御様は一度体験授業をすっぽかしていたのだ。当日に連絡はなく、後日再調整の要望をされた。それに応じるべきかどうかで、正直逡巡した。生徒が増えているから調子に乗って断ろうとしているのか、少なかったらもみ手をしながら「是非是非お越しください」となるのであろうか。自分の心が答えを出せないまま「2度目はしよう」と決“頭”した。もちろん、「決頭」なんて言葉は無いわけであるが、心の踏ん切りはついていないので「決心」は違うな、と。
日程調整が終わってからも、何となくそのことが頭の中に、いや、この場合は心の中に残っていた、とした方が適切だ。そんな中、思いがけず開校1年目のことを思い出した。同じようなことがあったのだ。連絡もなく体験授業に来ない、ということが。あれはまだ開校して2, 3か月のことであった。ただ、大きな違いがあった。当日に電話をいただき「本当に申し訳ないです」と心から詫びられていた。それに対して「分かりました。ただし3度目はありません」ときっぱりと伝えた。私は、そのときの状況を克明に覚えている。梅田のDDハウスにある「にんにくや」に当時教室長を任せていた女性社員とご飯を食べに行っていたのだ。オーダーしたものを待っているときに、携帯に着信があった。電話を転送していたからだ。その番号を見て「あっ、今日の人からや」というようなことをつぶやき、私は店の入り口まで歩いて行った。そして、上のようなやり取りをした。「次はないですよ」というのには正直勇気がいった。まだ、2, 30人しか生徒がいなかったから。だが、生徒の多寡で行動指針が変わるようでは、間違いなく質の高い授業は提供できない。
その後どうなったか。長女と長男の体験授業を同時に行い、2人とも入塾していただけることになった。当然のことながらそれは嬉しかったのだが、それ以上に、そのお母様に「先生は、何だか信用できる」というような言葉をいただけたことの方が私を喜ばせた。そのお母様は教育系のビジネスをされていて、当時も今も、我々と比べものにならないぐらいの生徒数を抱えておられるのだ。そのような方からの「信用できる」は随分と励みになった。
そのとき、まだ2, 3歳の二男を連れてこられていた。そして、真新しい壁紙に豪快に落書きをして帰っていった。数年後、積年の恨みをはらす機会を私は手に入れた。彼が3年生ぐらいの頃に、入塾したのだ。「先生、この子はやらないと決めたら、てこでも動かないので大変ですよ」というようなことを事前に聞いていたのだが、果たしてその通りであった、というより、予想をはるかに上回っていた。気分によって、鉛筆を持たないのは当然のこと、教材を見ることすらしないのだ。そこからは根競べである。他の所であれば時間が来れば帰すのであろうが、確か授業後2時間でも3時間でも残していた。その後海外に移ったこともあり離れていたのだが、今年の5月、中3になった彼が帰ってきた。これは以前に書いたかもしれない。高校入試の小論文対策のために、作文の力を付ける必要があり、彼自らが志高塾で学びたい、と言い出したのだ。再びチャンス到来である。
この前、土曜日の授業を彼は寝坊で無断欠席した。その振替を翌週の土曜日に通常分と合わせて2コマ連続ですると告げた。彼が土曜日に友達と遊びたいのを私は知っている。週2回来ているため平日の授業の際に、勝手にいつもより早く来て「今日、振替してください」と言い始めた。席が埋まっていなかったので可能ではあったのだが「ふざけんなよ。やることやってから、お願いをしろ。こっちにも都合があるんやから、自分の思い通りになると思うな」と突っぱねた。私の仕返しはこれからも続く。そう言えば、中学の途中まで通ってくれて、今は大学生2回生になった長男が、今月4, 5年ぶりに教室を訪ねてきてくれた。今は、動画制作などを個人で請け負っているとのことだったので、「昔、俺にさんざん迷惑をかけたから、安くでやってくれるんやろうな」と脅し、「喜んでやらしてもらいますよ」という言葉を引っ張り出した。
言い尽くされたことかもしれないが、縁というのは不思議なものである。歴史年表のように直線的なものでなく、起点はあるのだが、それは円である。子供たちの人生は我々と関係なく回り続けるレコードである。縁があれば、志高塾の針はそれに触れることを許される。傷をつけないように、でも、それを恐れすぎるといい音楽を奏でられない。
2件の体験授業を終えると、私のパソコンの横にその日送られてきたFAXが置かれていた。塾の生徒募集をサポートする会社からのもので、宣伝文句がそこには並べられていた。「生徒の数を増やしたいんじゃない。志高塾のやっていることを理解してくれる親御様にお子様を連れてきていただき、期待に応えることで満足していただく。そのような親御様を増やしたい」。太字になった「楽して生徒を増やせます」をぼんやりと眺めながら、強く訴える自分の心の声を聴いていた。