
2019.08.13Vol.410 志高く
現在大学3回生の元生徒が孫正義育成財団の財団生に選ばれた。喜びを感じると共に少し不思議な気分になった。それは、「志高塾」という名が、孫正義の自伝『志高く』に由来しているからだ。なお、HPに財団の目的として「未来を創る人材の支援」とあり、「『高い志』と『異能』を持った若者に自らの才能を開花できる環境を提供し、人類の未来に貢献する」とあった。「高い志」という言葉が使われているのは、さもありなん、といったところである。
「志高塾って志が高い塾なんですよね」と言われることがある。誤解されるのも無理はない。私自身、電話などで漢字表記を伝える際「『志』が『高い』『塾』と書いて、『志高塾』です」と説明する。物事には慣れというのがあるが、未だにどこか照れくさい。説明しながら「おいおい、自分で『志が高い』とか言うなよ」と突っ込みたくなる。
2007年に志高塾を立ち上げ、その1年数か月後に生まれた長男に「理想を求め続けて生きて欲しい」という願いを込めて「理求(りく)」と名付けた。その「理想」というのは、もちろん「親の」ではなく「長男自身の」である。将来、自分なりの自分らしい理想を持てるように視野を広げてあげるのが親としての役割だと考えている。長男が大人になって壁にぶち当たり易きに流れようとしたときに「自分は理想を持って生きているか」、「そもそも自分の理想って何だろう」と自問して、また歩を進めてほしい。このように、私にとって「名前」というのは、何か物事がうまく行かなくなったとき、迷いが出たときに立ち返る原点である。「志高塾」も例外ではない。
20代の頃、『志高く』を「こういうのが、志が高いってことやねんなぁ」、「自分にはとてもではないができへんなぁ」と思いながら読み進めていた。自分だけのことであれば、安っぽい価値観を持って生きていても構わない。しかし、親御様から未来あるお子様を預かる以上、それは許されない。たとえ「志高塾にはほどほどの期待しかしていません」と思われていても、である。「志高く」生きるなんてことは自分にはできない。だが、少なくとも志高い方を向き続けることはできる。「志高塾」にはそんな思いが込められている。これまで大きく道を踏み外さずに来られたのは、その名と無縁ではない。
5~10年前のことであろうか。その頃は、もっと生徒が増えてもいいはずなのに、という思いが強かった。それでも「どうしたら生徒を増やせるだろうか」とはならずに「とにかく、今いる生徒にいい授業をすることこそが大事なんだ」と自らに言い聞かせていたような気がする。それは「生徒を増やすこと」が「志が高いこと」だとはならなかったから。この文章を書くにあたって、当時のデータを見返してかなり驚いた。8月の時点で現在の中1は15人弱なのだが、彼が中1の頃は同じ8月でなんと1人しかいなかったのだ。当時「この子を育てるんだ」と強く思っていたのだが、それもそのはず、こと中1に限れば彼しかいなかったのだから。
先週、ある中1の男の子のお母様とのメールのやり取りにおいて、「この時期は、うまく作文を書くことよりも、目の前のことと真剣に向き合って、それでも書けない、という経験を積むことが何よりも重要です」ということをお伝えした。先の彼のことを思い出しながら、私はメッセージを発した。彼は、他のどの生徒よりも中高の6年間を通してそのような作文を積み上げた。これだけたくさんの知識があって、書く力もあるのに、なぜこんなにもうまくまとまらないのだろう、と当時は添削をするたびに不思議だったのだが、最近その理由が少し分かったような気がする。与えられたテーマに対して、「こんな形にしておけば無難だな」とお利口さんのもので済ませずに、自分なりの糸口を見つけることにエネルギーを費やしていたのだ。野球に例えるなら、自分が打てるようになった球を打とうとしなかったからなのだ。90km/hの球を打てるようになれば100km/hに挑戦し、その次は110km/hと常に一段上を目指していたのではないだろうか。私が目にしていたのは、以前よりも速い球に空振りを恐れずにフルスイングしていた姿だったのだ。
世の中にはピカピカの学歴の人がそれなりにいる。灘から東大の医学部に進んだ彼は、紛れもなくその1人である。それをはいでしまえば、「なーんだ」という人も少なくない。だが、彼の場合は、内側の方が圧倒的に面白い。結局、私がしたいことというのはそういうことなのだ。本当に面白い人間を育てることに少しでも貢献したいのだ。学歴が輝いているに越したことはない。しかし、それはおまけに過ぎない。大事なのは社会に出てからである。それは、社会的地位が高いとか低いとかではない。面白いか面白くないか、なのだ。私は今なお志高い方を向き続けている。