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2017.02.28Vol.291 原点回帰

 豊中校の準備も8割方終わった。まだ本棚に入れ終わっていない本を整理することとその他細々としたことをすれば完了となる。初めての体験授業が今週末に入っているので、それまでに仕上げることになる。「本棚に本を並べる」と言葉にすればいたって簡単な作業のようだが、これが意外と神経を使う。棚板の位置を決めるのが難しいのだ。無駄がなさすぎても本が取りにくいし、余裕を持たせすぎると冊数が限られてしまう。今ある本がすべてではなく、今後かなりの数を買い足していく。その他、似たようなジャンルの本をある程度固めるためにはどうすればいいのかなどを考慮しなければならない。とにかく時間がかかるのだ。
 西宮北口校にある本棚や机など、すべてに自分が関わり、そのほとんどを一人で組み立てた。元々そういうのが得意な方ではないが「こういうのを人に任せず自分自身でやることが大事なんだろうな」と思いながら続けてきた。根が真面目な人間ではないことは自分自身が一番よく分かっている。それゆえ「まあ、これぐらいはいいか」という手抜きが小さなほころびとなり、そういうものが寄り集まってやがて大きな決壊、教育の質の低下の原因になる気がして、そうならないように押さえておくポイントを自分なりに決めてきた。それが最初の10年。次の10年はそういう決め事を必要以上に自分の中に作らなくても、もっと大所高所から物事を見てその都度適切な判断を下せるようになっていきたい。そのような考えに加え、時間的な余裕がなかったこともあり、豊中校の本棚は雇っている大学生に任せた。念の為に断っておくと、ブラックではないのでちゃんとその分の給与は支払っている。
 体験授業に来られた親御様や採用面接の場で「なんで志高塾を始めようと考えたのですか?」と尋ねられることがある。そこに期待通りのきれいな答えはない。一言で表現すれば「自分で何かやろうと考えたとき、教育が手っ取り早かったから」となる。ただ、何でも良かったわけではなく、そこにはいくつかの条件や目的があった。1つ目は、算数や数学をメインにしないこと。大学生のときにそれらを教えていて、ある程度はできているというのがあったので、それをまたやってもなあ、というのがあった。せっかくやるのだから人間的に優れている人を育てるために必要なことをしたいというのが自分の中に強くあった。現時点で考えても、やはりそれは作文しかなかったような気がする。2つ目は、自分一人で行わないこと。講師を雇って、自分のマネジメント能力を磨きたかった。そして、3つ目は、2つ目とも関係しているが、真に子供達のためになる教育の仕事に携わりたいと考えている人たちにその場を提供するということ。
 いつもは授業が終わればさっさと家に帰るのだが、一度だけ豊中校に寄り、夜の9時から日付が変わるぐらいまで一人片付けをしていた。静かな空間の中で、単純作業をしていたせいで頭がすっきりしたからなのだろうか。気づいたらいつの間にか、上で書いたように、自分は何を思って志高塾を始めたのか、ということを自然と考えていた。そして「志高塾に出会って良かった」と思って欲しいというのが自分の中でかなり強いということを再認識した。
 この1年間、手間とお金をかけて豊中校開校に向けて講師の拡充を図ってきたものの全然うまく行かず「入塾希望の生徒がいても受け入れられない」と3か月前は頭を抱えるような状態であった。しかし、それまでの大苦戦が嘘のように、両校ともで質、量ともに私が求める以上の人材が集まった。今いるメンバーに、新たに加わった彼らが3ヶ月、半年と経験を積めばかなりの質の、これまで以上の教育を提供できる。そういった確実な手応えを感じている。そして、私の悩みは「良い講師を揃えているのに入塾希望の生徒がいない」というものに変わった。でも、悩み方としてはこちらの方が断然いい。そう強がりながら、体験希望の電話を待っている今日この頃である。

2017.02.21Vol.290 心に決めておくべきこと

 教室で起こったことに関しては、教室の中で解決する。つまり我々がその役割を担うべきである。我々と親御様で意見が異なり、それによって子供に混乱が生じている場合などはすり合わせを行う必要がある。
 混乱とは少し異なるが、子供達、特に受験生は「お母さんにこんなこと言われた。ひどいやろ?」「めっちゃ腹立つ」と私に愚痴を言うことも少なくない。そういうとき、私は九分九厘、親御様の肩を持つ。「親はそういうもんだ」、「期待してるからだ」、「結果を残さへんからそんなこと言われんねん」と諭す。1人だけ例外のお母様がおられる。その子供は、お母様が外部のテストや短期講習などをすぐに受けさせようとするので「受けた方がいいか松蔭先生に確認して」と言うようになっている。大抵の場合、それは必要ないとなる。こと教育に関して「私の言うことはまったく聞かないから先生から言ってください」と、そのお母様はこの上なくきれいにピシッと白旗をあげられているので、私も遠慮なくズバズバと「お母さん、またそんなおかしなこと言ってたか」と子供に伝える。もちろん、その内容は包み隠さずお母様に伝える。我々のような立場の者が、子供に対する親御様の威厳を失するような導きを陰でこそこそとするのは御法度である。その例外のお母様に関しても、子供達(3人も通わせてくださっている)には、「あれだけ気持ちよく人を信頼して任せられるお母さんは中々いないよ」ということを伝えている。それで威厳が増すかは私のあずかり知らないところなのだが。いずれにせよ、子は親を敬うべきであり、逆に言えば、親はそうなるように振る舞う務めがある。親の一人としてそのように考えている。
 得意の脱線をしてしまった。冒頭の段落の話題に戻す。途中で帰らせたりしたときなどは、基本的にその理由と行われなかった授業の分(時間)をどのようにするかをお伝えさせていただく。自習を休みにした小5の男の子は、あえて電話をするほどひどくはなかったが、本人からの報告だけでは真意が伝わらないことを懸念して、前回のブログで簡単に触れた。親御様がブログを読んでくださっているのを知ってのことである。その翌日の水曜日、彼は教室に着くなり「これから自習は家ですることになった」と私の元に来た。「怒られたん?」と聞くと「追い詰められた」と返ってきた。実は、私に怒られたことを黙っていて、火曜日に帰宅するとブログを読んだお母様からそのことを尋ねられたのだ。そして、とぼけてしまったのだ。典型的な初期対応のまずさである。私は一連のやりとりを聞いて満面の笑みで「そうか。そうか。いやぁ楽しいなぁ。これからは毎週掲示板がわりにブログを使おうかなぁ」と脅してやった。本人は実に苦い顔をしていた。毎週火曜日、帰るのが恐ろしくなるぐらいにしてやろうかな、と思ったりもした。いいことも伝達しないとフェアでないのでちょっとだけ。まだ1週間も経っていませんが、今のところ、余計なことをぺちゃくちゃしゃべらずちゃんと勉強しています。これにて先週の復習は終了。
 続いて昨日の復習。3年生の女の子のお母様から曜日変更の件でお電話をいただき、久しぶりであったのでいろいろとお話をした。「塾で出された読解問題の中で杉原千畝が出てきて、映画を見てみたい、と本人が言ってきたのに『塾の宿題が終わってないでしょ』と最悪の返しをしてしまいました」と教えてくださった。しかし、そこから見事な挽回をしていて、私と電話する直前にツタヤでDVDを借りてこられていたのだ。それに対して「『塾の宿題をしなさい』は誰でも言えるので、それに価値はありません。子供が興味を持ったことをいかに広げられるかが手腕の見せどころです」という話をさせていただいだ。杉原千畝に関する本を買ってあげることもその一手である。そこで終わらせずに、アマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という機能を使うなどすれば、そこからさらに広げることも可能である。ただ、矢継ぎ早に手を打つのは危険である。常に頃合を計り、お腹いっぱいにならないようにしなければならない。そこもまた手腕の見せ所である。去年の11月ぐらいに初めて挑戦したのだが、ウタセエビを使って真鯛を釣るという方法がある。正に「海老で鯛を釣る」なのだが、生きたウタセエビを弱らせずに長い間生き生きとしているようにエサを付け、海底まで落としたら鯛が寄ってくるのを待つ。そして、竿に神経を集中させ、興味を持ってツンツンとつついて来たら、慌てずタイミングを見計らって針にしっかりとかける。早すぎても遅すぎてもダメなのだ。ベテランの方から教えていただいたのだが、3月10日を過ぎた頃ぐらいから、鯛はウタセエビには全然食いつかなくなるらしい。代わりの餌が何であったかを聞いたが忘れてしまった。
 子育てにおいて決めていることがある。それは「何をするか」ではなく「何をしないか」、「何を言わないか」である。その1つが「BをしたいならAを先にしなさい」である。一般的には、Aが「塾の宿題」、Bが「ゲーム」の組み合わせであることが多いのではないだろうか。我が子は塾に通っていないし、テレビゲームもしないので、AはZ会の通信教育の課題や片付けであったりする。私自身はあまり口出しをしないのだが、妻の口調からあまりにちゃんとやっていないのだろうと感じられたときのみ言う。単純に「Z会(もしくは片付け)をやりなさい」とだけ。そこに交換条件「それをやったらBをしてもいいよ」は絶対につけない。それをするからBのためのAになってしまう。そもそもA自体がその子にとって価値があるはずなのだ。Z会の課題をすること自体が子供の成長にとって意味があるのなら、Bはいらない。水戸黄門の印籠ではないが、こういうときにとっておきの一言がある。それは「お父さんはあれやこれやと言わないんだから、やりなさいと言ったことはやりなさい」というものだ。大抵のことは見逃して、ここぞという時のためにそれはとってあるのだ。もちろん、日常の細々としたことを妻が引き受けてくれているからこそできることなのだが。そして、もう1つそこに付け加えることがある。「お父さんよりすごくなって欲しいから」というのがそれである。すごいというのが何なのか、子供はもちろん、私もよく分かってないのだが、上の子供でもまだ2年生なので中々効果がある。
 前回から文体を変えたので、実はかなり苦戦をしていた。一行を短く、改行を繰り返し、1つの段落をコンパクトにまとめる、ということに慣れきっていたからだ。今回は早くもこの書き方に馴染んだからなのか、これまで大体1800字ぐらいだったのだが2700字を超えた。5割増である。長い長い駄文にお付き合いいただきありがとうございました。お腹いっぱいになっていないことを願うばかりです。

2017.02.14Vol.289 謝ってすぐ許したらまた誤る

 本番まで2週間を切っていた。小6の受験生が何度か注意したにも関わらず休憩時間が終わっても相変わらずふざけていたから帰らせた。そのようなとき、ほとんどすべての子供は謝って、いかにも反省していますという顔をしながら、そのまま勉強を続けようとする。それまでにどこかでそのように振る舞えば許されてきたのだ。
 小5の頃、少年野球チームで1人6年生に混じってレギュラーになった(つまらない自慢です)。間違いなく調子に乗っていたのだろう。練習後、グランドを回って皆でボールを探す時、何気なく「めんどくせぇ」と口にした。それが近くにいた監督の耳に入ってしまい「おまえより、ボール1個の方が大事じゃ!」と鬼の形相で叱責された。日頃は温厚な人であったので、それ以外でそのような叱られ方をした記憶はない。以後二度と私がそのようなことを口にしなかったのはもちろんのこと、ボールを探す時の姿勢も変わった。私は、元プロ野球選手であったその監督が好きであったし、認められたかったのだ。
 子供は怒られることをするものである。そして、大人に怒られながら学んでいく。ちゃんと怒られれば正しく学び、おかしな怒られ方をすれば間違えた対処法を身に付ける。それだけに大人には覚悟が必要で、また、子供を適切に叱るという責務がある。「何度同じことを言われてるの」はきっと「何度同じ叱り方してるの」の裏返しなのだろう。
 先週、プールに行く直前になっても年長の二男がふざけて準備をしていなかったので、妻が「もう行かなくていい。ひとりで留守番してなさい」と言い放った。二男は泣きながら謝って「行く」を連呼していたが「アカン。お母さんがそう決めたから留守番」と伝えた。私の発言に一番驚いていたのは妻である。本気でそうさせる気はなかったからだ。ちょっとした用事で15分、30分ぐらいであれば家で待たせたことはあったものの、1時間を超えたことはないから心配になったのだ。妻は日頃、子供達が言うことを聞かない、ともらしているのだが、私に言わせれば、そういうことを繰り返していたらそうなって当然である。言ったらやる、やらないなら言わない。単純なことである。
 年少の三男がおかしを食べて、夜ご飯が進まずだらだらしていたので、半月ほどおかしを禁止にした。二男の誕生日の時のケーキも一人だけ食べさせなかった。また、週に1回お願いしている延長保育でおかしが出されるのだが、それも断るようにと本人にその日の朝何度も言い聞かせた。先生からはラムネぐらいはいいんじゃない、と勧められたらしいのだが、「お父さんに言われているから食べない」と断固として口にしなかった、ということを「かわいかったですよぉ」と笑いながら先生が私に報告してくれた。私はそういうとき、大いに褒める。
 先の6年生は翌朝、授業の始まる30分前の8時半ぐらいに「今日は行かせてもらってもいいでしょうか」と電話してきた。「ちゃんとやるんならな」と返した。後でお母様から聞いたのだが「先生は許してくれないから、もう行きたくない」と電話するのを拒んでいたとのこと。「情けない男ですねぇ」とお母様とは話した。よく考えたら、当たり前のようにダメなことをダメと注意できるのも親御様の理解があってのことである。もし「普段はあれですけど、さすがに入試直前は許してあげてくれませんか」などと言う親であれば、余計なことにたくさん気を使わなければならない。
 昨日、自習時間に5年生の男の子が話していたので、来週は自習に来なくていいと伝えた。昨日だけのことではなく、最近ダラダラしているのが気になっていたから、ちょうどいい機会だと思っている。大事なのは怒られないようにすることではなく、怒られた後にどのように振舞うか、どう態度を改めるかということである。

2017.02.07Vol.288 我がコソダテロン

 今週末、豊中校向けの初めての広告をリビング新聞に掲載する。「おっ、新しい教室ができたのか」と興味を持ってHPを訪れてくれた方のために、何かそれに相応しい内容にしようかとしばし想像力を働かせてみたものの断念。肩に力が入ったつまらないものになるならこれ以上ないぐらいに脱力したものの方がいいだろうという判断。
 「どういう風な子供にしたいですか?」と問われたら迷うことなく「変な子供」と答えるであろう。真顔で。「変な子供」というは「変わっている子供」という意味である。
 最近は、人工知能(AI)が話題に上ることが多い。今、実際に「AI 仕事 残る」でググってみるとトップに「今後10~20年の間に消える仕事・残る仕事」という記事が出てきた。そこには「今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高い」とあった。それは、英オックスフォード大学でAIなどの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授の2013年の論文「雇用の未来」からの引用とのこと。コンピュータが将棋のプロ棋士に勝てるのはまだ先だと思われていたが、随分と前倒しされた。それを踏まえると4年前の論文でそのように述べられていたということは2025年には既に47%は消えているかもしれない。
 親が子供に何でこういう風にしないの、と怒ることは少なくない。大人は子供に比べて効率化という点では断然優れている。でも、多くの親がそういうようなことで怒っているという事実は、裏を返せば自然と身に付けられるということに相違ない。昔であれば、そこにエネルギーを費やすのもそれなりに意義はあった。効率的な人間であれば、非効率的な人間よりも優位な立場を確保できたからだ。もうお分かりだと思う。どれだけ効率的になろうが、AI相手では話にならないのだ。
 生徒たちに「意見作文」を書かせる時も具体例を入れなさい、と指導する。そこで、小学2年生の長男に触れてみる。この1, 2ヶ月、早起きが流行っている。幼稚園の頃は朝8時に起こしてもぐずっていた。小学校に入学すると7時前には起きないといけないので心配したものである。それが最近では朝の4時に起きたりしているのだ。この前の土曜日は学校が休みで何も用事がないのに、「何時に起きたの?」と聞いたら「今日は遅かった。6時」と返ってきた。しかも面白いのは、目覚ましをかけないのだ。「起きようと思ったら起きられる」と訳の分からないことを言っている。実践しているので、確かにその通りなのだ。この前もパッと目が覚めたら、国語の教科書を大きな声で音読しているのが部屋から聞こえてきた。時間を確かめたら4時過ぎであった。一人で笑ってしまった。こんな面白いことは中々ない。私であったら証拠が残らないので、間違いなくやりもせずに勝手に親の判子を押して提出するのだが、我が子は1年生の頃から欠かさず続けているのだ。早起きは元々6時ぐらいだったのだが、「すごいね」と褒めていたら、30分ずつ早くなっていき今のようになった。この前、学校に行く段になって準備ができておらず、妻から「何のために早起きしているの」と怒られていた。私も何をしているのかは詳しくは知らないが、少なくとも何かをしているのだ。それで十分。何かをちゃんとすることより、自分の興味のあることに思う存分時間を費やす方がよほど豊かで贅沢な時間の使い方なのだ。ちゃんとはいつか身につくのだから。
 よく言われるように、小さい頃はみな個性的である。それがいつの間にか、小学生らしい、中学生らしい、といったように、典型としての中心を意識し始める。その中心からある一定の距離内にあれば「~らしい」となる。その外側に「普通」というのがあり、そこから外れると「変わっている」となる。でも、多くの人がイメージする中心は前時代的なものになりつつある。上で2025年としたが2030年まで先延ばししたとしても現在8歳の長男は21歳である。おそらくまだ社会に出ていない。その時点でどうするかと考えているようでは完全に手遅れである。
 「我が子育て論」とするといかにも立派なもののようなイメージを与えてしまうのでカタカナにしてみた。一方、志高塾で実践しているものは「キョウイクロン」ではなくある程度しっかりとした「教育論」に基づいているのでご安心ください。

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