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2017.02.21Vol.290 心に決めておくべきこと

 教室で起こったことに関しては、教室の中で解決する。つまり我々がその役割を担うべきである。我々と親御様で意見が異なり、それによって子供に混乱が生じている場合などはすり合わせを行う必要がある。
 混乱とは少し異なるが、子供達、特に受験生は「お母さんにこんなこと言われた。ひどいやろ?」「めっちゃ腹立つ」と私に愚痴を言うことも少なくない。そういうとき、私は九分九厘、親御様の肩を持つ。「親はそういうもんだ」、「期待してるからだ」、「結果を残さへんからそんなこと言われんねん」と諭す。1人だけ例外のお母様がおられる。その子供は、お母様が外部のテストや短期講習などをすぐに受けさせようとするので「受けた方がいいか松蔭先生に確認して」と言うようになっている。大抵の場合、それは必要ないとなる。こと教育に関して「私の言うことはまったく聞かないから先生から言ってください」と、そのお母様はこの上なくきれいにピシッと白旗をあげられているので、私も遠慮なくズバズバと「お母さん、またそんなおかしなこと言ってたか」と子供に伝える。もちろん、その内容は包み隠さずお母様に伝える。我々のような立場の者が、子供に対する親御様の威厳を失するような導きを陰でこそこそとするのは御法度である。その例外のお母様に関しても、子供達(3人も通わせてくださっている)には、「あれだけ気持ちよく人を信頼して任せられるお母さんは中々いないよ」ということを伝えている。それで威厳が増すかは私のあずかり知らないところなのだが。いずれにせよ、子は親を敬うべきであり、逆に言えば、親はそうなるように振る舞う務めがある。親の一人としてそのように考えている。
 得意の脱線をしてしまった。冒頭の段落の話題に戻す。途中で帰らせたりしたときなどは、基本的にその理由と行われなかった授業の分(時間)をどのようにするかをお伝えさせていただく。自習を休みにした小5の男の子は、あえて電話をするほどひどくはなかったが、本人からの報告だけでは真意が伝わらないことを懸念して、前回のブログで簡単に触れた。親御様がブログを読んでくださっているのを知ってのことである。その翌日の水曜日、彼は教室に着くなり「これから自習は家ですることになった」と私の元に来た。「怒られたん?」と聞くと「追い詰められた」と返ってきた。実は、私に怒られたことを黙っていて、火曜日に帰宅するとブログを読んだお母様からそのことを尋ねられたのだ。そして、とぼけてしまったのだ。典型的な初期対応のまずさである。私は一連のやりとりを聞いて満面の笑みで「そうか。そうか。いやぁ楽しいなぁ。これからは毎週掲示板がわりにブログを使おうかなぁ」と脅してやった。本人は実に苦い顔をしていた。毎週火曜日、帰るのが恐ろしくなるぐらいにしてやろうかな、と思ったりもした。いいことも伝達しないとフェアでないのでちょっとだけ。まだ1週間も経っていませんが、今のところ、余計なことをぺちゃくちゃしゃべらずちゃんと勉強しています。これにて先週の復習は終了。
 続いて昨日の復習。3年生の女の子のお母様から曜日変更の件でお電話をいただき、久しぶりであったのでいろいろとお話をした。「塾で出された読解問題の中で杉原千畝が出てきて、映画を見てみたい、と本人が言ってきたのに『塾の宿題が終わってないでしょ』と最悪の返しをしてしまいました」と教えてくださった。しかし、そこから見事な挽回をしていて、私と電話する直前にツタヤでDVDを借りてこられていたのだ。それに対して「『塾の宿題をしなさい』は誰でも言えるので、それに価値はありません。子供が興味を持ったことをいかに広げられるかが手腕の見せどころです」という話をさせていただいだ。杉原千畝に関する本を買ってあげることもその一手である。そこで終わらせずに、アマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という機能を使うなどすれば、そこからさらに広げることも可能である。ただ、矢継ぎ早に手を打つのは危険である。常に頃合を計り、お腹いっぱいにならないようにしなければならない。そこもまた手腕の見せ所である。去年の11月ぐらいに初めて挑戦したのだが、ウタセエビを使って真鯛を釣るという方法がある。正に「海老で鯛を釣る」なのだが、生きたウタセエビを弱らせずに長い間生き生きとしているようにエサを付け、海底まで落としたら鯛が寄ってくるのを待つ。そして、竿に神経を集中させ、興味を持ってツンツンとつついて来たら、慌てずタイミングを見計らって針にしっかりとかける。早すぎても遅すぎてもダメなのだ。ベテランの方から教えていただいたのだが、3月10日を過ぎた頃ぐらいから、鯛はウタセエビには全然食いつかなくなるらしい。代わりの餌が何であったかを聞いたが忘れてしまった。
 子育てにおいて決めていることがある。それは「何をするか」ではなく「何をしないか」、「何を言わないか」である。その1つが「BをしたいならAを先にしなさい」である。一般的には、Aが「塾の宿題」、Bが「ゲーム」の組み合わせであることが多いのではないだろうか。我が子は塾に通っていないし、テレビゲームもしないので、AはZ会の通信教育の課題や片付けであったりする。私自身はあまり口出しをしないのだが、妻の口調からあまりにちゃんとやっていないのだろうと感じられたときのみ言う。単純に「Z会(もしくは片付け)をやりなさい」とだけ。そこに交換条件「それをやったらBをしてもいいよ」は絶対につけない。それをするからBのためのAになってしまう。そもそもA自体がその子にとって価値があるはずなのだ。Z会の課題をすること自体が子供の成長にとって意味があるのなら、Bはいらない。水戸黄門の印籠ではないが、こういうときにとっておきの一言がある。それは「お父さんはあれやこれやと言わないんだから、やりなさいと言ったことはやりなさい」というものだ。大抵のことは見逃して、ここぞという時のためにそれはとってあるのだ。もちろん、日常の細々としたことを妻が引き受けてくれているからこそできることなのだが。そして、もう1つそこに付け加えることがある。「お父さんよりすごくなって欲しいから」というのがそれである。すごいというのが何なのか、子供はもちろん、私もよく分かってないのだが、上の子供でもまだ2年生なので中々効果がある。
 前回から文体を変えたので、実はかなり苦戦をしていた。一行を短く、改行を繰り返し、1つの段落をコンパクトにまとめる、ということに慣れきっていたからだ。今回は早くもこの書き方に馴染んだからなのか、これまで大体1800字ぐらいだったのだが2700字を超えた。5割増である。長い長い駄文にお付き合いいただきありがとうございました。お腹いっぱいになっていないことを願うばかりです。

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