
2018.10.02Vol.368 あれはあれでいいのか
自民党総裁選で石破茂が負けた。善戦したかどうかがニュースになった。ダブルスコアで負けた当の本人が「善戦をした」と言い張っている。国会議員票が50票前後だろうと予想されていたのに、73票となったことがその根拠なのであろう。だが、国会議員票は402票あるのだ。得票率は2割弱である。50票しか取れない、と思われていたこと自体が問題なのではないだろうか。そんなことより、私が気になったのは、実質日本の行政のトップを決める選挙で、石破茂が掲げたのは「正直、公正」である。私は「必要悪」と言う言葉は好きではない。しかし、日本のトップを担うかもしれない人が「正直、公正」を売りにしているようでは困る。それで、どうやってトランプ、習近平とやり合うのか。プーチンは自分が優位に立つために、遅刻を繰り返す。大の犬嫌いのメルケルとの会談の場に大きな黒い犬を連れてくる。たまたまそこにいたから、という理由で。「手練手管」、「権謀術数」、「海千山千」。政治家と結びつく四字熟語である。自分にはそんな芸当はできない。どう考えても私には政治家は無理である。「日本創生戦略 石破ビジョン」なるものを発表したが、そこに実効性のある具体策はない。もし、きれいごとを並べただけの「能力開発戦略 志高塾ビジョン」を掲げたら、誰か信用してくれるだろうか。
私が知る限り、小泉進次郎にこれまでにない逆風が吹いている。総裁選でどちらの陣営にもいい顔をしたと批判されているのだ。しかし、私が気になったのはそこではない。石破茂を指示する理由を述べたときのコメントである。「日本のこれからの発展は人と同じではだめ。人と違うことを強みに変えられることが大事。自民党も違う意見を押さえ付けるのではなく、違う声を強みに変えていくかなければならない。そういう思いから、私なりに判断した」これはマスメディアが切り取っただけのものであって、もっと具体的な理由を挙げていたのかもしれないが、それはおいておく。人と違うから価値があるのではない。価値あるものを追い求めたら人と違ってくる、というのが正しい順番ではないだろうか。国語と言えば、読解問題を解かせたり、漢字や語句を覚えさせたりする。私は変わったことがしたくて作文を中心に据えているのではない。それが大切だと考えるからそのようにしているのだ。将来にも、受験にも。そう言えば、1週間ほど前に、豊中校の方に問い合わせの電話が掛かってきた。大学受験で小論文試験があるから、その対策をして欲しいとのことであった。どのように進めていくのかと尋ねられた。看護系を目指すとのこと。過去問などを解いて専門的なことについて「こういう風に書けば点数がもらえる」というような練習をするのではなく、もっと様々なことについて自分の意見を素直に表現できるようにしてから、移行した方がより良いものが書けるようになる、というようなことを伝えたが、5分ほどやり取りをして、最終的に返ってきたのは「受験対策をしてもらえないとうことですね?」という言葉。そのお母様の中では、受験対策というのは、過去問に取り組んでパターンを覚え込む、というものだったのだ。過去問をさせて、解説をして、それを反復させてできるようになるのであれば、そんな楽なことはない。結果を出せなかったときに、「10年分を3回繰り返したんですけど。申し訳ございません」と謝罪するのだろうか。
企業に加えて、最近はスポーツ界での不祥事が相次いでいる。すると、リスクマネジメントの専門家がテレビに出てきて、「お辞儀の仕方」、「言葉の選び方」、「服装の選び方」などについて、「これは好感が持てますね」、「これでは反省しているように見えないですね」などと評価する。謝るというのは方法なのであろうか。どのように見えるかが大事なのであろうか。受験のために授業をしているわけではないが、結果を出せなかったとき、挨拶に来てくれた本人や親御様に対して正直言葉なんて出てこない。だから、私が時々口にすることであるが、「責任は取れない」から「責任を持つ」のだ、というスタンスでいる。
東京医科大の裏口入学が明るみに出た。それを調べている経緯で、女子や男子でも3浪以上の場合は減点をされていたという事実が判明した。そのような操作をしていた根拠が、卒業後、大学病院で長く働いてもらえないから、というものであった。それが事実であればデータで示して、その方法の正当性を主張すればいい。もちろん、そのデータが改ざんされる恐れもあるのだが。すると、そこで出てくるのは第三者委員会か。そこにも当事者の関係者が混じっていたなんてこともある。ルールを設けることで、問題が起こりづらくすることはできる。しかし、どのようなものにも抜け道はある。結局は、それに関わる人間の良心にかかっている。話を戻す。問題なのは、裏でこそこそやっていたことだから、オープンにすればいいのだ。大学受験と高校、中学受験などとは違うのかもしれないが、私の高校受験のときは合格者数が男子6割、女子4割であったような気がする。半々にしても公平だとは言えない。本当のそれは、単純に点数が高い順に合格者を決めるというものである。10月1日付で東京医科大は初めて女性学長を据えた。どのタイミングでそのような案が出てきたのかは知らない。もしかすると、問題になる前から決まっていたのかもしれない。その後に決まったのであれば、あまりにも安易である。
この文章を読んで「いろいろ書いてたけど、何が言いたかったの?」と思われるかもしれない。これは、私なりのトレーニングである。世間で起こっていることに対して、「ふーん」で終わらせずに、少しでも違う角度から考えようとしてみる。それによって、意見作文に取り組んでいる生徒に「こっちからも考えてみたら」と別の切り口を提示できるのだ。
内容はさておき、どうにかして人と違うことを考えようとした、と言う理由で、誰かこの文章を評価してくれないかな。