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2017.10.24Vol.323 志高塾立ち上げにまつわる話

 12月16日(土)にPTA関連の仕事で50人ぐらいを前にコミュニケーションをテーマに話をすることになった。私自身にコミュニュケーション力がないにも関わらず。クリスマスプレゼントを買いに行ったり年賀状を書いたりと年末の忙しい時期にそんな私の話を聞かされるのもかわいそうだ、と同情してしまう。希望者が参加するのではなく、各校2名ずつ出席することを義務付けられているのだ。じゃあ断ればいいじゃないか、と思われるかもしれないが、私にとってはいい機会なので、二つ返事で引き受けた。
 参加者に向けて案内文を配布する必要があるため、その作成を担当している方から以下のような質問を受けた。HPでも使用している私のプロフィールにある「子供の頃、国語嫌いで読書もあまりしなかった、という自身の経験を踏まえ、本に親しみ、言葉を使って論理を組み立てられる、社会に出てから活躍できる人を育てるため」について「嫌いだったことを教えようと思われたきっかけ」、「大学から開塾までの経歴やきっかけ」を尋ねられた。一言で答えられそうになかったので、今回のブログのテーマにすることにした。
 きっかけは、20代の頃にサラリーマン生活に行き詰まり、このままでは人生が終わってしまう、という危機感、切迫感、恐怖感みたいなものに苛まれたことである。正確には、社会に出たときから苛まれ続けていて、ある瞬間に臨界点を超えたのだろう。海外と日本の大手企業で働いたが、そこでの仕事に私はまったく満足できなかった。転職のための採用面接でその時点で働いている企業の不満を述べることは御法度だと言われている。「今もそれなりに充実している。ただ、より高いレベルで仕事をしたくなった」というのが模範解答なのだ。それを頭では理解していたが、思うところを正直に述べていた。すると「では、その状況を変えたらいいではないですか」と返ってくる。前回の最後で企業の不祥事について触れたが、きっと社長であっても雇われであれば、大抵の場合、大きな問題に対して手を打てない。一社員となればなおさらである。改善策を打てても、本当に大事な部分を変えることなどできないのだ。私の思考、発言は間違えていなかった。ただ、それが採用面接の場であったのが誤りなのだ。なぜなら、私が受けていた会社もやはり大企業であり、似たような問題を抱えているはずだからだ。私が求める理想郷のようなものが世の中にゼロではないだろう。でも、それを見つけ出すのは至難の業なので、私はそのような会社を追い求める探検に終止符を打った。
 大学生の頃、自宅に高校生を同時に4, 5人集めて数学を教えていた。家庭教師の延長のようなものだ。多いときで、3クラス10人以上は生徒がいた.
30歳を目前にして、自分で何かを始めなくてはいけなくなったとき、そのような経験もあり、教育というのは身近であった。最初に頭に浮かんだのは、数学である。でも、それであれば10年経って振り出しに戻るみたいで嫌だったし、大学生の頃に一応の成果は上げていたので、もういいか、いう感じであった。最終的に作文にたどり着くのだが、それは、豊かな語彙に裏打ちされた柔軟な思考力の重要性を20代の頃にひしひしと感じていたからであろう。得意でないことにチャレンジした、と言えば、聞こえはいいのだが、人間的に成長する必要性に迫られていたのだ。作文を教えられる人になることで、自分の中にあるぽっかりと空いた大きな穴が少しずつでも埋まっていくことを期待した。その他、一人で教えるという可能性はゼロであった。とにかく人を雇いたかった。雇える人になりたかったのだ。マネジメント力を磨くことも、穴埋めにつながると考えていたからだ。
 質問に対する回答になっているかは定かではないが、個人的には当初自分が何をしたかったのかを振り返る機会になった。10年前に比べて、少しだけましな人間になった気がする。

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