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2021.01.26Vol.480 『十人十色』番外編① ~合格発表直後~

 今年も、中学受験を体験した親御様に話をしていただく『十人十色』を50人ほど収容できるホールを借りて実施予定である。そのようなことができるのは話してくださる親御様がいるからだ。中には人前で話すことが好きでない方もおられるのだが、「皆様のお役に立てるのであれば」、「お世話になったので」と引き受けてくださった。そういう方々に出会えたこと、そのような関係を築けたことを心から嬉しく思っている。どのようにすれば中学受験がうまくいくかということを語っていただくのではない。まず子育てがあり、その中に教育があり、中学受験はその教育の一環でしかない。面談などを通して様々なことをお聞きしているはずなのだが、それでも初めて知ることも多いため私自身楽しみにしている。
 「番外編①」としたのだが、それは私の長男も受験生であったため、そのことについてこの場を借りて振り返ってみようと考えたからだ。高槻中学でお世話になることになった。もしかして、⑤まで行くかもしれないが、例のごとく1回限りで終わるかもしれない。それは私にも分からない。
 先々週の1月12日。私は、午前7時前にブログをアップした。受験まで1週間を切り、授業後に文章を書く気にはならないことが分かっていたからだ。正午前にアクセス数を確認したら1か2であった。つまり、ほとんど誰も気づいていないのだ。しょうがないので、その日教室に来ていた生徒たちに、自分がいかに頑張ったか、それなのに気づけてもらえない哀しさをアピールした。翌日、ある生徒が「先生が言ってたこと話したら、『じゃあ、これからは7時にチェックしよ』ってお母さんが言ってた」と教えてくれた。そんな間違えたメッセージの伝わり方は中々ない。私は、単にその1回を褒めて欲しかっただけなのだ。これは、テストで良い成績を取って褒めてもらえることを期待していたのに、「じゃあ、その勢いで次も頑張ろうね」と発破をかけられて終わったときの子供の心境に似ているかもしれない。 
 それにも関わらず、先週も7時前後に上げようとしていた。まだ朝から授業があるということもあったが、それよりも高槻のB日程の結果が10時に出るということの方が強く関係していた。A日程が不合格になり、合否が判明する宙ぶらりんのニュートラルの状態の方がストレートな気持ちが出せるような気がしていたからだ。Bも不合格になり「不合格であったことが我が子にとって良い経験になるはずだ」としても単なる強がりのように取られるかもしれないし、逆に合格した場合は、まだ進学先が確定していない生徒がいる中でそもそも我が子について書こうとはならなかったはずだ。結果的に後者になり、テーマを変えざるを得なかった上に、何も思い浮かばず前回は少々手抜きのものになってしまった。申し訳ございません。受験でも何でもいいのだが、それなりに大きなことでうまく行かなかったことに対して、「あの経験が今に生きている」というような表現をすることはあるが、うまく行かなった時点でそのようなことが確約されるわけではない。当たり前の話である。「今に生きている」と言えるように「あの経験」をきちんと胸の中に抱き続け、それを糧にすることで初めてそのように言えるのだ。スタートラインは、大きくうまく行かなった時点である。誤解して欲しくはないのだが、第一志望校に合格できずに、早速大学受験に向けて塾を探すのとはまったく別の話である。
 16日(土)にA日程の試験があり発表は翌17日(日)の10時、そしてB日程の試験は4時間後の14時からであった。16日は普通に授業をしていたので最寄り駅まで車で送っただけであったのだが、17日は本人が私に付いてきて欲しいというので車で学校まで行った。ちなみに、その車で行くことに関して「大して時間が変わらない場合、高速と下道どっちで行くのが良いと思う?」と息子に質問した。勉強は大してさせてこなかったが、このような問いかけはたくさんしてきた。それゆえ、息子は3人ともこのように私が問題を出すことを嫌がらずに食いついてくる。正解は下道だ。もし、車が故障しても電車にすぐに乗り換えることができるからだ。もちろん、時間に余裕があること、駅が遠くないことという条件付きではある。話を戻す。12時過ぎには学校に着いた。そして、A日程の結果を受け取った。4点差の不合格で、算数は120点満点で40点しかなかったのだ。80点は取れていると言っていたにも関わらず。受験者平均は55点前後であった。「できる奴は、予想点数と実際の点数が大きく乖離することはない」、「最難関校なら分かる。でも、中堅校で受験者平均をそれだけ下回るというのは、才能の問題ではなく明らかに準備の仕方が悪いのだ」ということなどを伝えた。そして、開始時間まで余裕があったので、マクドナルドに移動して計算問題を解かせた。3問解いては自分で丸付け、ということを繰り返しなさいと指示して、私はただそれを横で見ていた。結果的に12問か15問連続して正解できていた。そのことは評価した。不合格で気持ちが沈んでいるときに、何ができるかが大事だからだ。私は、B日程で合格する確率を上げるために長男を励まそうとはまったく思わなかった。そんなことより、仮にB日程で合格になったときにA日程の不合格が忘れ去られ「あの経験が生きなくなること」を恐れていたのだ。続く。

2021.01.19Vol.477 情報と作文

 昨年最後のブログVol.476『人』に関して、生徒から「年の締めくくっりぽくない」、「野球のネタなので分かりにくい」などと批判された。偶然にもその翌日の水曜日に次のような記事をネットで発見した。URLも貼り付けるが、それをコピペしたものを以下で紹介する。その後に、少しだけ自分の考えていることを述べる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fce8d945b1ca175f20e3dbf48506d2b4847680ab?page=1

「釈然としませんね」
 開口一番、こう言うのは巨人OBの評論家・高橋善正氏。DeNAからFAで梶谷隆幸(32)、井納翔一(34)の2人を獲得した巨人がさらに、「一塁と左翼が補強ポイント」として新外国人2選手を獲得すると公言していることに、「編成本部長を兼ねる大塚球団副代表はリーグ連覇を果たしたことで『育成と発掘』を旗印に掲げていた。言葉通りの方針で若手を鍛え、チャンスを与えるのかと思って期待していたら、まったく逆のことをやっている。FAで2選手を取り、すでに6人が在籍している外国人を8人にするというんじゃ、いよいよ若手のチャンスは限られる。育成と発掘どころじゃなくなりますよ」と、何度もクビをかしげるのである。「まったくだ。」評論家の山崎裕之氏もこう言った。
「巨人と同じように補強のイメージが強いソフトバンクでも、過去にFA補強した人数は13人です。12球団でダントツの28人も獲得している巨人の半分以下で、2013年に獲得した中田賢一、鶴岡慎也以降はFA補強を封印している。育成に舵を切り、三軍を創設し、環境を整えたからこそ、千賀滉大(27)や甲斐拓也(28)、周東佑京(24)に代表される育成契約からも次々に主力が育つサイクルが出来上がった。巨人はそのソフトバンクに日本シリーズで2年連続4連敗という屈辱を味わった。今までのような補強でつぎはぎするやり方ではソフトバンクには勝てない、差は縮まらないと目が覚めるかと思ったが、相変わらず同じことを繰り返している。外野は梶谷、丸という補強組で埋まり、さらに左翼に外国人を取ったら、例えば今季86試合に出場してレギュラー獲得の足掛かりをつかんだ松原聖弥(25)のチャンスが減るのは間違いない。“よーし、来年こそは”と意気込んでいたはずの若手の意欲が喪失してしまう。セの覇権は握れても、これでは、ソフトバンクとの差は開く一方ですよ」
 巨人の補強で前面に立つ大塚副代表はあくまで実動部隊のトップ。裏で陣頭指揮を執っているのはもちろん、原辰徳監督(62)だ。球団から編成面の全権も与えられ、梶谷と井納のFA補強も原監督が、「球団に2人と話をしてくださいと伝えた」と自ら要望したことを認めている。今年で計14年目になる原政権で獲得したFA選手はこれで16に達するが、「そもそも、全権監督というのがおかしいんですよ。原監督をかばうわけではないが、現場の指揮官というのは、その年その年をいかに勝つかしか頭にないものですから」と、前出の高橋氏がこう続ける。
「監督の契約年数なんてあってないようなもので、いつクビになるか分からない。口では“3年先、5年先を見据えて”なんて言っても、実際はそんなことは考えませんよ。常に優勝が求められる巨人は特にそうです。そういう監督に編成権を渡せば、あいつも欲しい、こいつも欲しい、となるのは自明の理。なにからなにまで監督に任せるというのはフロントの怠慢ですよ。昔は全権監督が多かったが、そんな時代ではない。今の12球団で監督にそこまでの権限を持たせているのは巨人と石井一久監督がGM兼任で就任した楽天くらいのもの。ドラフトを含めて球団なりGMなりが5年先、10年先を見据えたチームづくりを行って、現場のことは監督に任せる。巨人は球団がその役割を放棄しているように映る。“なんでも欲しがる”原監督の言いなりになっていては、本当の意味での常勝球団は復活しないと思いますね」
 性懲りもなく繰り返す「つぎはぎ補強」でセの覇者には君臨できても、日本シリーズではパの覇者に手も足も出ない。ソフトバンクに2年連続の4連敗という現実が、原全権監督の限界を示している。

 元の記事を確認していただければ分かるのだが、私がUPした翌日の記事である。もし、これが反対であれば盗用したのではないかと疑われるほど符合している。私はあの文章を書くために、「データ的にこうなっているはず」と予測を立てた上でいろいろと検索し、得られた情報を元に自分なりに意見を組み立ててまとめあげた。どれだけ少なく見積もっても私はあの文章を書き上げるのに5時間以上を要した。一方で、あの記事を読めばたったの5分で済む。
 情報が氾濫している時代にそれとどのように付き合っていくか、ということや、情報をどのように活用していくか、ということがしばしば語られる。だが、そのような向き合い方では情報は何も与えてくれない。どうインプットするかではなく、アウトプットするためにはどのようなものをインプットする必要があるか、という姿勢こそが必要なのだ。作文に掛けた時間は裏切らない。私はそう信じている。

2021.01.12Vol.478 真面目というかっこよさ

 公立中学に通う中一の男の子のお母様への新年早々のメールの中で私は次のように述べ、本人にも読んでもらうようにお願いした。
「入学前はトップ校を狙うと豪語していたことを考えると3が2つもあるのはいくらなんでも情けなさ過ぎます。有言実行になるように、どうにか頑張っているのであればまだ分かるのですが、現実を知って『これぐらいでいいか』となっているように見えるのが残念です。」
英数国の3教科はそれなり(これも私に言わせれば、彼の実力からすると満足の行くものではない)であることを考えると、ちゃんとやりさえすれば高得点が取れる暗記中心の理科と社会で、通知表で3が付くはずがないのだ。これは本人にも伝えていることなのだが、その2教科の勉強を通して細かい部分まできちんと押さえられるようになればそれなりで留まっている3教科も間違いなくもっと伸びる。
 生徒たちに偉そうに言いながら、同じ時期の自分はどうだったのだろうか、と自問自答することは少なくない。私は、高校1年生の秋にサッカー部に入部した。それまでの経験はゼロである。手を使う球技は何でもできたので、足を使うサッカーは少しぐらい苦戦するだろうと踏んで、「でも、まあ3か月もあれば(一学年上のチームに入って)レギュラーは取れる」と宣言していた。結果的には、点を取るのが主な役割であるFW(フォワード)というポジションで、自分の代になっても3,4番手止まりであった。そのポジションでは基本的に2人が出られたので、私は誰かが怪我をしていたら先発で出られたし、途中から交代で入ることも少なくはなかった。「『3か月もあれば』とよく言ったもんやなぁ」と後から振り返り、幾度となく自分の浅はかさが身に染みたが、前言を撤回しようとはならなかった。望んだ結果が得られなかったので胸を張ってはいけないのだが、誰よりも練習したことは紛れもない事実である。それはこのブログでも何度か書いた気がするが、サッカー部はもちろんのこと、他のクラブの生徒が誰もいない時間から1人グラウンドに出て朝練をしていた。上手でもさらに上を目指してやるべきなので、下手くそがやらなくてどうするという話である。誰か他の人のためではなく、自分のためにやっていただけでなので、当たり前のことを当たり前にやっていただけに過ぎない。それゆえ、一生懸命や努力という言葉を充てることはできない。ただ、別の味方をすれば、当たり前のことを当たり前にするというのは決して当たり前のことではないのかもしれない。私が高校生の頃にしていたことを中学生の彼に求めるのが妥当かどうかは分からない。そういうときはどうするか。期待して何も悪いことはないよな、と結論付けて一丁上がりである。
 芦屋国際を受験する生徒を除けば、今週の土曜日に中学受験本番を迎える。例年になく良い雰囲気なので、彼らが実力通りの結果を出してくることは間違いない。不思議なことに、人数が多い方が一体感が出やすい。志高塾は中学受験のための塾ではないので、今の5年生以下は一学年の人数を現行の15人から12人に絞っている。個人的に中学受験の対応をするのが大変というのもそのようにした理由の1つなのだが、今年の生徒達を見ていると若干の迷いが出てくる。良い雰囲気というのは、ぴりぴりとしたものではなく、柔らかさであったり温かさであったりを含んだものである。ただ、ぴりっとしていないのは、私は大嫌いだ。「ぴりぴり」と「ぴりっ」の違いは何か。それは前者が常に緊張状態であるのに対しては、後者はオンとオフの切り替えがきちんとなされていることである。私が帰った後にある生徒がふざけていたというのを、その翌朝に他の生徒から伝え聞いた。先週の話である。彼は、私がいるときといないときで態度が変わるので、「俺の前でできないことをいないときにするな」とこれまでにも再三再四注意してきた。朝、お母様に送ってもらってきたその生徒を、車を降りたところで問いただし、前日のことが事実であることを確認してそのまま帰した。そして、次同じことをやったら受験直前であろうが退塾させると伝えた。もちろん、すべてお母様も聞いているところでの話である。その日は8時半から17時ぐらいまで授業も含めて教室で勉強する予定であった。良い雰囲気というのは、自然に醸成されるわけではない。何が正しくて、何が正しくないのかをきちんと分かるように伝えてあげなければいけないのだ。これに関してもやはり考える。私が子供の立場だったら、今の私の言うことを素直に聞くだろうか、と。その問いに対する答えのイエス、ノーではなく、子供の頃の私が聞きたくなるような伝え方は果たしてどのようなものか、を考えることこそが重要なのだ。小学生の頃、先生に怒られないように行動するような奴を「真面目」と呼んでいた。そのような私の考えに異議を唱える人はそれほど多くないであろう。でも、本来真面目というのは何も悪くないのだ。そのためには定義をし直す必要がある。「真面目とは、自分のやるべきことをきちんと理解して、行動できることである」。自分のやるべきことが理解できていれば、それが終われば私の前でもオフになるだろうし、逆に終わっていなければ私がいなくてもオンの状態は維持されるのだ。
 真面目であることは、かっこ悪いどころか本来すごくかっこいいことなのだ。自分のやるべきことをきちんと理解できていることの証なのだから。真面目な生徒が増えるほど良い空気が生み出されて行く。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものである。子供の頃、訳の分からないことを言っているにも関わらず、それでも従え、という大人がいたせいで、「真面目」なんてダサい、というのが自分の中にしみついて消し去ることができなくなってしまった。「真面目」だと思われたくないばかりに、本当はずっと生徒に寄り添っていたいのに「不真面目」なふりをするために私は早く帰るようにしている。ふりをし続けることの苦しさ、もどかしさよ。生徒たちが将来私と同じような経験しないで済むように、「真面目」ではなく真面目になれるよう適切なタイミングで心が共振するメッセージを伝えてあげたい、ただし、お届けできるのは平日は18時まで、土曜日は15時までとなっているためくれぐれもお気を付けください。

2021.01.05Vol.477 初アイデア

 春先にコロナのことばかり書いていたこともあり自粛していた。コロナだけに。書かないだけであって、当然のことながらよく考えもするし、特に意見作文に取り組んでいる中高生とはそのことに関して話をすることは少なくない。そのときに気を付けているのは、私の意見とその理由をセットにして伝えることだ。後は、生徒各人がそれを元にして自由に考えてくれればいい。たとえば、Go toキャンペーンに関して。「いろいろな批判はあるが、そのすべてが悪いわけではなくGo to Eatが良くない、というのが俺の考え。こういうことについて考える時、全体をボヤっと捉えるのではなく、それぞれの要素について吟味をしていかないとアカン。旅行は家族であったり親友であったりと基本的に近しい間柄の人と行くので、日常的に接する機会が多い。一方で、食事というのは、折角安くで飲めるんやったら集まろか、となり、そういうことがなければ会うことのなかった人との接触の機会も増えてしまう」。また、Go to Eatは錬金術も問題になった。代替案を出すとなるとどうなるか。Go to Travelは最大50%オフとなっており、その内訳は旅行代金(宿泊、交通費)35%と地域共通クーポン15%となっている。そのクーポンは電子と紙の2種類に分かれていて使える店自体が限定的であった。紙のクーポンに関しては、すべての飲食店(どこまでをそれに含むかの線引きは必要であろうが)で使用可能にすれば良かったのではないだろうか。そうすれば店側は事前の申請をする必要はなく、受け取ったクーポンを換金してもらうだけで済む。私のアイデアに対しては、旅行に行く人しか恩恵が受けられない、という批判もあるかもしれないが、Go toキャンペーンの目的は飲食業を含む観光産業全体を活性化せることだ。ある業者に10万円の直接給付をすればそれはすべて税金からとなるが、Go toであれば、その半額で済み、残りは旅行者自体が負担することになる。これに関しては、別の観点からも話をした。「『年末年始に医療がひっ迫するおそれがあるから、12月25日まではGo toキャンペーンを一時停止します』というのは訳が分からん。よくて高止まりであって急激に減ることはないんやから、もっと先まで伸ばさなアカン。」もちろん、停止期間が1月11日までに延長される前のやり取りである。やってみないと分からないことはあるが、やる前からかなりの確度で予測可能なことも多々ある。それにも関わらず「やってみないと分かりませんので」では、責任逃れ以外のなにものでもない。Go toキャンペーンについてではなく、一般的なことについて述べているのだ。
 もう少し我々と結びつきの強いことについて。「共通テストの試験会場で検温をしないということが(2020年10月15日の『大学入学共通テスト新型コロナウイルス感染症予防対策案』の中で)発表されたけど、あんなんメチャメチャ過ぎる。そこらへんの店ですら入り口でやってるのに、2日間も長時間同じ空間にいるのに。密を避けるために一部屋あたりの人数を減らすと、教室数がその分多くなり、それだけ関わる人(試験官など)が増える。それによってオペレーションで問題(時間通りにテストを開始できるように問題用紙を配布できないなど)を抱える可能性が高くなる。俺は延期するべきやと言い続けて来たけど、これで予定通り行われることは決まってしまった」。首都圏の1都3県を対象に緊急事態宣言が再発令される。文科省はそのような状況下でも共通テストを行うことを改めて明言した。それに対して「今年の受験生は共通テストに変わることで振り回された上に、直前で延期になるなんてかわいそ過ぎるのでそのままやらせてあげて欲しい」といったようにその判断を支持する声の方が多いはずだ。それはそうだ。このタイミングで延期というのはありえない。試験実施の3か月前にあたる10月15日がタイムリミットだったのだ。センター試験のままで良かったのに共通テストに変更したのも、予定通り実施するという判断をしたのも文科省なのだ。詰め込み教育からゆとり教育へと180度舵を切って失敗した。なぜ、現行の良い点を生かしながら、悪い点にピンポイントで対策をするということができないのか。我々の時はなかったが、英語の試験にはリスニング試験が加わった。そうやって少しずつ改善して行けば、大きな混乱も起こらなかったはずなのだ。なぜ丁寧なマイナーチェンジを繰り返さないのか私には不思議でならない。
 今年も一年、自分の頭で考えたことを生徒たちに話し、また、この『志高く』で読んでいただく。何か立派な考えを提示できるわけでなければ、私が考えていることが正しいわけでもない。ただ、私の考えに接することで、その人の中である事柄に対する思考が前に進むきっかけになったのであれば、それはとても喜ばしいことである。だから、私は批判をされるにしても、「あいつの考え嫌い」で終わるようなものではなく、「あいつの考えのこういうところが、これこれこういう理由で間違えている」と指摘してもらえるようなものを提供して行かなければならない。
 わざわざ読んで良かったと思っていただけるようなアイデアを発信できるよう、「発アイデア」の精神でこのブログと向き合って行きます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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