
2019.02.26Vol.388 掛け算と積分
よく行くラーメン屋で会計をしようとすると「今日は先に用意しておきました」と女性の店員がニコッとしながら手書きの領収書を見せた上で、手渡してくれた。初めてのことである。レシートが出ないため、毎回お願いしていたのだ。その店の駐車場の出口は信号のすぐ手前にある。それゆえ、道に出るには停止線より前に行かなくてはならない。進行方向が赤信号であったため、入れてください、という合図を送ると、先頭で原チャリにまたがっていたおじいちゃんが、これまたニコッとしながら、さらに首を傾けてどうぞ、と返してくれた。見知らぬおじいちゃんがこれまでに私に向けてくれた笑顔の中で一番素敵なものであった。
その前日、豊中校で高1の女の子の体験授業を行った。入ってきた時、あいさつはするものの顔全面に不機嫌が現れていた。「本人は渋ったんですね?」との問いに、お母様は「そうなんです」と少し困り顔でお答えになった。しかし、授業を進めるうちに徐々にほぐれていき、講師と積極的にやり取りを行っていた。帰り際、しっかりと目を見てお礼を言って帰って行った。翌日、お母様ではなく、本人自ら「今回の入塾は見送ります。昨日の先生方に『ありがとうございました』とお伝えください」と電話をしてきてくれたとの報告を受けた。
どのタイミングで切り替えたのか忘れてしまったが、開校当初、体験授業を受けた方には、入塾する、しないに関わらず電話をお願いしていた。単純に考えれば分かるように、掛けてこない方はいる。すると、気分は良くない。断る理由を考えるのも大変だろうな、というのもあった。それで「入塾する、もしくは前向きに検討する(他の習い事との兼ね合いなどでもう少し考えたいなど)場合には翌日までにご連絡ください」というように変えた。要は、興味がなければ電話をする必要がない、ということである。入塾しない場合、以前は掛かって来てゼロ、そうでなければマイナスであった。ルールを変えたことで、今は掛かってこないのがゼロ、上記のような連絡があればプラスになった。私の気分の話である。
ルールを決めたのにうまく行かないことはたくさんある。その場合、ルールを決めた側は守らない人に少なからず不満を覚える。親子の場合は、親がルールを決め子供が破る。そして親が怒る。しかし、ルール自体が適切でないことがたくさんある。気づけばそれを守ることが目的になってしまっていることも珍しくはない。この話はこれぐらいでいいか。
一日一善。これは、一日に一つの善行を積み重ねていくことを言ったものである。一日三善。あの日、私には3つの善いことがあった。そして、3人とも私に喜びを与えたことを知らない。それと比べものにならないぐらい親御様とのやり取りで嬉しいことはたくさんある。しかし、基本的にそれはここでは書けない。まるで私がそれを強要しているようになってしまうからだ。もちろん、我々の指導が至らずお叱りを受けることもある。その場合は反省し、次に生かさないといけない。
車で家から西宮北口校に向かう場合、国道171号線を使う。半年ぐらい前だろうか、チェーン展開しているラーメン屋がその道沿いにできた。テレビで取り上げられているのを見たことがあり、機会があれば行ってみたいな、と思っていた。無類のラーメン好きと言うことではなく、単に昼ご飯に食べることが多いというだけのことである。先日、運転していると、その店の看板(遠くからも見えるように高いところに掲げられるはずのもの)が駐車場に横たわっていた。「あれっ。早くも取り壊しか」と一瞬思ったが、場所が全然違った。私の通勤道路沿い1号店がうまく行ったので、早くも2号店ができるのだ。創業がいつだが知らないが、明らかに出店スピードは上がっているはずである。新店の準備風景を見ながら、掛け算で膨らましていけるビジネスに憧れている時期があったよな(その願望は小さくなっても心のどこかにあり続けるのであろう)、と振り返っていた。
志高塾の場合は、そんな簡単には行かない。とてもではないが、開校2か月前に講師を集めて「はいどうぞ」なんてありえない。豊中校は開校半年で10人、1年で20人、2年目が終わろうとしている現在45人になり、後3か月もすれば50人を超えるはずである。初めは土曜だけ、その後金曜を追加し、2年目に入り月曜と水曜も開けるようになった。そして、この2月の途中に月曜から土曜まで毎日授業を行えるようなった。まずはきちんとした受け入れ態勢を整えて、少しずつ少しずつ生徒の受け入れを行っている。1年目は単に見向きもされていなかったので、制限を掛けていたわけではないのだが。
結局、積分なんだな、という気がしている。数学が苦手な方には「微分積分」と聞くと、すごく難しいことのように感じられるかもしれないが、点の集合体が線になるように、積分と言うのは単に面が線の集合体(立体は面の集合体)で作られている、というだけの話である。定規を使って、スッと水平に真っ直ぐな線を引く。その線の太さの分だけ、わずかに上にずらしてまた線を引く。それを繰り返していけば、ある瞬間に面になる。手間を省くための太いマジックペンではなく、逆に通常よりも細い0.3mmぐらいのシャーペンを使って。
「現実」とは異なるものという意味で「理想」という言葉を使うのは好きではない。掛け算が「理想」で、積分が「現実」。しかし、精神的な充実度においては、「現実」が「理想」を上回っている気がしている。幻想なのかもしれないが。負け惜しみやん、と突っ込まれない程度には注目される存在でありたいし、注目してくださった親御様に選択は間違いではなかった、と実感していただけるような志高塾でありたい。