
2018.02.06Vol.337 我が子の教育、大方針転換
事実を言葉にしたらこうなったのだが、大仰なタイトルになった。結論から言うと、小3の長男に私が毎朝計算を教えるようになっただけのことに過ぎない。しかし、それは紛れもなく「大方針転換」なのだ。「教育」というのは本来何も「勉強」だけではないし、むしろ机に向かっての「勉強」以外の部分こそ大事だと思い子育てを進めてきたのだが、タイトルとして分かりやすいのは「教育」であろうと考えてそのようにした。
今回、私が日頃親御様に口にしていることをいくつが挙げるが、次の文のように、(「・・・」。)、とする。「他人に対して思うことを自分のことに当てはめればうまく行きます」。たとえば、「あのお母さんは子供に対して、なんでもっと~してあげないんだろう」というのがある。それは自分の本心であり、かつ客観的な視点から出たものである。よって、自分の子供が似たような状況になれば、それをそのまま実践するのが最も効果が出やすい。私の場合、職業柄いろいろな提案をするので、そういう意味では様々な引き出しを持っていることになる。しかし、話はそれほど単純ではない。
1年生から始めたZ会の通信教育。3年生になると、これまでの基礎コースと新たに設けられた中学受験コースに分かれるので後者を選択した。中学受験をさせる気はまったくない。親御様がよく口にされるように「私が言ったのではなく、あの子自ら」というのに近かった。しかし、子供は親が何を望んでいるかを推し量った上で答えを出す。「難しい方にチャレンジしてみる?」というような口車に乗せられて長男は選択したのだ。合わせて英語も受講可能になったのでそれにも手を出した。月末の確認テストで、算数の点数がいつもひどかったので練習用のテキストを見てみると、解いていない問題や解答を丸写ししているものがあることが判明。もちろん、私は激怒して、過去に遡ってやり直すように伝えた。それから、1ヶ月ほど経って進捗状況を確認すると、あろうことかまた丸写ししていたのだ。見つかれば私にさらに怒られる可能性が大きいことが予想できたにも関わらず。この事実は何を意味しているのか。もう自分1人の力ではどうしようもなかったのだ。
「逆算は成り立ちませんよ」。しかし、私もそれをした。小、中学生のときにどこかの大手塾に通わせる気はない。私自身が教える気もまったくない。高校生になると本人任せになるので、大手の予備校などで勉強するのも悪くはないが。中学入学前までに自分でそれなりに勉強ができるようにさせたかったのだ。しかし、その計算は大きく狂った。「進学塾でついて行けるのはせいぜい2割ぐらいなんで、そうでないからと言って何も気にすることはありません」。子供がついて行けないことに悩んでいる親御様に対しての言葉である。Z会の場合はそれがどの程度なのか分からないが似たようなものだろう。2割であれば入れるだろうという淡い期待にさようならを告げ、そこに息子が入れなかったことを真摯に受け入れた。「(塾の夏期講習などで)あれやこれやと講座をとっても意味はないです」。これらのことを踏まえて、英語と国語をまず削ることにした。会話をしていても国語ができることは間違いがなく、かつ豊中校に通わせていることもあるのでわざわざ取る必要はない。算数だけは、受験コースから基礎コースに変更する手続きを取っていたのだが、2度目の丸写しが発覚した時点でそれもやめた。つまり、理科と社会だけになったのだ。この2教科を単なる暗記教科として勉強させるのはつまらない。社会、特に歴史で言えば、城巡りをし、NHK大河を見、歴史に関する本も読んでいる。それゆえ、十分に広げることはできている。その上で暗記をすれば、ばらばらになっているものが体系化でき、どこかの城を訪れてもさらに面白みを感じることができる。ちなみに、歴史は地理と切っても切り離せないので、歴史に関することにとどまらない。
ここまで述べてきたことは、単なる方針転換であり、そこに”大”はつかない。何よりもの変化は私が教えることになったことだ。これまで妻から「サッカーを教えてやって欲しい」、「走り方を教えてやって欲しい」とお願いされて、何回か教えはした。私がそれを継続的に行わないのは、本人がその気になっていないのにやってもしょうがいないから。教えれば、7, 8合目までは効率良く登れる。でも、それによって山頂まで登ろうという意欲をそいでしまう気がしてならないのだ。もちろん、山頂に辿りついて終わりではなく、今度は別のもっと高い山に登ろうとならなければならない。
長男が幼い頃に数に対する感覚は悪くないと感じていた。でも、計算は速くない。まったくもって鍛えていないので、さもありなん、という感じである。そこで、確か私自身は2年生の春頃から通い始めた『くもん』に行かせようと考えた。結局その案を取り下げたのは、わざわざ週2回も行かせるのがばかばかしかったのと、毎日コツコツ宿題するのもできそうにないと判断したから。『くもん』に価値がないと言いたいのではなく、友達との遊びの時間を削ってまですることではないということである。1週間ぐらい考えて、結局自分で教える道を選んだのだが「毎日コツコツは難しいです」と親御様に言うこともあり、日曜日の午前にまとめてやろう、というのが最初のアイデア。でも、私が息子の立場なら、土曜の晩に「ああ、明日朝起きたらたくさん計算させられる」と憂鬱になるだろうと考え、毎日10分ほど朝ご飯の前にやることに。2月1日から始めたばかりなのでまだ何とも言えないが、意外と楽しくやれている。大方針転換は意外と良かったかもしれない。
日頃、親御様に分かったような口を利いている。分かったような気になっているだけで、実際に分かっているかどうかは定かではない。ただ、分かったような気になって発言したことは、今回のことのように我が子に当てはまることであれば実行に移している。その最低限の責任感を持った上で発言させていただいていることだけはご理解いただきたい。